第百四十五話 無性に腹の立つ時間
潜伏場所として使っていたホテルの部屋が、スーツ男にばれてしまった。早速挑戦状代わりの電話を、俺のスマホにかけてきた。番号は、おそらくクリアから聞き出したのだろう。
敵からの急な電話に、動転しそうになる精神を辛うじて落ち着けて、今度はこちらからスーツ男に問いただす。
「クリアはどうした……?」
紳士的な回答が得られるとは思っていなかったが、聞かない訳にはいくまい。もし、人質として捕らえられていると言われたら、どうしようと思いつつも、固唾を飲んで、スーツ男の次の言葉を待った。わずかな沈黙を挟んで、向こうの声がまた聞こえてくる。
「クリア? 俺を襲ってきた色黒の別嬪さんのことか。あ、やっぱり気になるんだな。あいつ、暗殺者にしては、上玉だったしなあ……。気持ちは分かるよ、うん。だがねえ……。どうなっただろうなあ……? 教えてやるのも良いけどお~、敵としてここは黙っとくか~。おっと、気分を害するなよ? 仲間が気になるのは分かるが、今は自分の身を心配するのが先決だぜえ?」
スーツ男の口から、クリアの安否を聞き取ることは出来なかった。もどかしい思いはあったが、今は気持ちを切り替えなくては。
「さ~てさて! 先ほど、報復作戦を開始すると言ったが、その前に軽~くお話ししておきたいことがある」
「話しておきたいこと……?」
いきなり電話をかけてきたかと思えば、今度は焦らしてくるし、こいつの考えていることはよく分からん。横を見ると、シロたちが不安げにこちらを見ている。俺のただごとではない様子を見て、不信感を募らせたのだろう。
「実は、お前らに重大発表があってな! これからテレビを通して流すから、注目して見ろよ!」
「テレビ……、だと?」
この電話は、テレビ局からかけているとでも言うのだろうか。それよりも、これから放送されるという重大発表とやらが気になった。
「ルネ……。ちょっとテレビを点けてもらっても良いか?」
「テレビがどうかされたのですか?」
「詳しいことは、俺にも分からんが、重要なことらしいんだ」
ルネは首をかしげながらも、従順にテレビへと近付いて、電源スイッチを付けようとしてくれた。
「え? 何かの特番でもやっているの!?」
早合点したシロが無邪気にはしゃいでいるのが、気に障る。誰からかの電話かも知らずに、能天気なやつめ。
リモコンで電源を点けてもいいのに、ルネは律儀にもテレビの側面に付いている電源ボタンを直接押した。異変が起きたのは、直後だった。
テレビの電源が入ったと同時に、機器から勢いよく白い煙が噴き出してきたのだ。幸い、すぐに収まってくれて、テレビから離れていた俺は無事だったが、煙をもろに受けてしまったルネは、よろめくように尻もちをついてしまった。
「ルネ!!」
「ご主人……、様……!」
慌て過ぎたせいで、スマホを持ったまま、ルネのところに駆け寄る。だが、一瞬だけ目が合い、俺の名前を呟くと、ルネは意識を失って倒れた。
すぐさまルネを抱き起して、名前を呼ぶが、反応がない。
「心配する必要はないね。気を失っているだけさ。きっと至近距離からガスを吸ってしまったのがまずかったんだね」
ルネを抱えたまま、冷静さを失いつつある俺に、強い口調でミルズが一喝してきた。気を失っているだけという言葉を聞いて、取り乱しかけた心が、再び落ち着く。
「ん~? この音は……。も~しかして、誰かが罠に引っかかっちゃいましたか~? 俺がテレビを点けろって言ったから、素直に言う通りにしちゃったんだ~。純粋だね。人を疑うことを知らないね、君」
「……!」
聞こえてきたスーツ男の声に、落ち着きかけていたのに、本気でキレそうになってしまう。大方、たった今のやり取りだって、にやつきながら聞いていたに違いない。思わずスマホに向かって怒鳴ろうとしてしまったが、そんなことをすれば、ますます向こうを調子づかせると堪えた。
「今……、催眠ガスを食らって……、何人くらい残っている? これから、全員意識不明にして、ミルズちゃんを攫わないといけないから、大変だわ~」
「……騙し討ちに一回成功したくらいで、そうすんなりいくと思うなよ」
電話口から、挑発的な含み笑いが聞こえてきた。双方とも、徐々に臨戦態勢煮りつつあった。
「さて……。挨拶も済んだことだし、あんたもその気になってきた。良い感じに温まってきたところで、そろそろ狩りを始めるとしようか。ハンターらしくね」
終始人を小馬鹿にしていた態度のスーツ男の口から洩れてきたのは、ハンターを思わせる怜悧な言葉だった。いやが上にも、緊張が高まる。
「もうお気付きだと思うけど、外の天候が雪に変わっているよね?」
この暑い中、雪が降っていれば、誰だっておかしいと思うさ。何者かが故意にやっているというのは、すぐに判明したが、やはりこいつの仕業か……。
「ギアチェンジってやつかな。雨よりも、雪の方が良いと思ってね。まさかとは思うけど、ただの異常気象で片付けちゃいないよな?」
「当然だ」
ギアチェンジ……。俺たちを潰すために、ミルズを捕獲するために、雨よりも特化している……。
「気になる、その雪の効力なんだけどな……」
いやにもったいぶった話し方をする。俺を焦らして、話に耳を傾けさせようとしていると思われる。スーツ男の思惑通りに行動するのは腹が立ったが、聞き逃すと後々面倒なことになりそうなので、我慢して静聴してやった。
「雨と同じなんだよ。浴びると、体が透明になって……。ここから先は言わなくても知っているよな」
分かってはいたが、こいつに返事をするのが嫌だったので、黙っていた。スーツ男は、肯定していると取ったらしく、会話を続ける。
「じゃあ、どうして天候を変えたんだって話だよな。気分転換をしたかっただけじゃないんだぜ? さっきも言ったが、これはギアチェンジなんだ。この雪にはな。とある特性が備わっているんだよ。はい、ここでお外に注目!」
どこか命令口調なのが気に食わない。その上、さっき罠に嵌めておいて、よくもまあ、白々しいことをほざけたものだ。
一応、指示通り外の景色を見てやるが、距離は取らせてもらう。シロやミルズにも、そうさせた。
安全を確認した上で、ジッと見ていると、外を舞っていた雪が、一斉にこの部屋の窓に向かってきたではないか。あっという間に、窓が雪で埋まってしまう。
「お前が操っているのか……?」
「ビンゴ♪」
平等に規則正しく降っていた雨と違って、雪はターゲットに狙いを済まして降らせることが出来る訳だ。
「じゃあ、鬼ごっこの開始だ。手始めにお前らが今いる部屋を、十分後に爆破する。あ、テレビの催眠ガスと同じであらかじめセットしておいたのよ!」
部屋の外に強制的に締め出して、鬼ごっこと称した狩りを始める気だ。こいつ……、やってくれるぜ。




