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第百四十三話 籠の外の小鳥

 敵からの襲撃に備えて籠城中に俺たちの元に、何者かが訪ねてきた。緊張が跳ね上がって、固まる俺たちの耳に、チャイムの音が鳴り響く。


 一瞬、外に出ているクリアが戻ってきたのかと思ったが、あいつはいちいちチャイムを鳴らすような、行儀の良い女ではない。


 それなら、訪問してきているのは何者なのか。スーツ男の能力で、街そのものが眠りについている今、訪ねてくるやつなど、ろくな存在であるとは思えない。


 俺は気が強い方ではないので、関わり合いになりたくないのだが、チャイムは続いている。俺が出るまで止めるつもりはないらしい。


 観念して、まず相手の姿だけでも確認しようと、そっとドアに接近して、ドアスコープ越しに外を窺う。


 さて、どんな厄介な訪問者なのかと外の様子を伺った俺は、全然予想していなかった相手の姿を確認して、言葉を失った。


 ドアの前にはルネが立っていたのだ。俺のよく知っている笑顔で、ドアスコープ越しに、こちらを見ながら、ニコニコしている。


 なぜ、ここにルネが……。異世界に拉致されて、幽閉されている筈の、俺の可愛いメイド……。


 ルネとの再会は、俺が待ち望んでいたことだ。奪還するために、わざわざ異世界にまで殴りこんだくらいなのだから。出来ることなら、今すぐにでも、ドアを開けて、彼女を抱きしめてやりたい。


 だが、何かがおかしいと、俺の頭が警報を発していた。ルネが、ここにいる訳がないのだ。言っちゃなんだが、彼女に、自力でここまで逃げてくるだけの実力はない。シロたちと違って、か弱い彼女は、仮に脱走したとしても、すぐにまた捕まってしまうのがオチなのだ。


 偽物に決まっている。そう断定しようとするのだが、ドアの前で、ルネは、俺が気に入っている人懐っこい笑みをこぼしていた。この顔を見ると、怪しいと思っていても、存外に扱えなくなってしまう。


「もう! さっきからお兄ちゃんばかり見てずるいよ! 私にも見せて!」


「それを言うのなら、私たちにも見せての間違いじゃないのかね」


「あっ、お前ら……!」


 もう少しルネを観察していたかったのだが、しびれを切らしたシロとミルズに押しのけられて、二人の後ろに追いやられてしまった。


「あ~!? 廊下に不審人物発け~~ん!!」


「声を抑えるんだね。そのボリュームだと、廊下に聞こえてしまうさ。もう手遅れだろうがね」


 俺に変わって、争うように小さなドアスコープを覗いた幼女たちが、喚くように感想を言い合っている。この口論のせいで、廊下にいるルネにも、俺たちが居留守を遣っていることがばれてしまっただろうな。


 ため息をついていると、シロが振り返って、興奮気味にまくしたててきた。そんなに声を張り上げなくても、聞こえるというのに。


「ねえ、お兄ちゃん! 廊下にいるのって、もしかしなくてもルネだよね!?」


「ああ……、そうらしいな……」


 俺の予想では、ルネに良く似ているだけのそっくりさんなんだが、シロにまで肯定されると、だんだん自信がなくなってくる。


「良かったじゃん! ルネが戻ってきたってことは、無理にシャロンに喧嘩を売らなくても良いってことだよ!」


「……そういうことになるな」


 どうも俺よりも、シロの方が、ルネの帰還を喜んでいる気がする。いや、俺だって、本心では喜びたいんだよ。


「ふむ……、彼女はルネという名前なのかね……」


 俺たちの会話を聞いていたミルズが、頷きながら呟いている。


「それで、彼女は一体何者なんだね? この状況下で、普通に歩いているし、只者には見えないさ。話を聞いた限りだと、それなりに深い関係だとお見受けさせてもらったがね」


「む……!」


 ルネに興味を持ったミルズから質問されたが、言葉に詰まってしまう。正直に金で買ったメイドとは言い難い。そんなことを、今まさに人攫いに拉致られそうになっている幼女に言ったら、どんな顔をされるのか、分かったものではない。


「何を口ごもっているのだね。けちけちしないで教えてもらいたいものさ。それとも、何かやましいことでもあるのかね?」


 ミルズの瞳に、だんだんと不審の色が混じりだす。言い澱む俺の振りを察したのか、代わりにシロが弁明してくれる。ありがたいが、そのせいで、さらに空気は微妙なものになってしまう。


「妻だよ!」


「!!!!」


 シロの爆弾発言に、俺の方が驚いてしまい、危うく素っ頓狂な声を出してしまいそうになった。やつを睨むと、こともあろうにガッツポーズをしやがった。実際は余計な一言をのたまっただけなのに、本人的には起死回生の一言を言い放ったつもりらしい。もちろん、ミルズに通用する筈もなく、より一層不審がられてしまっている。


「妻……ね。でも、確かこのお兄さんには城ケ崎というボーイッシュな彼女がいた筈だが、そっちはどうなのさ? 浮気だとでも開き直るんじゃあるまいね?」


 ルネは知らないのに、城ケ崎との関係のことは知っているのかよ。嘘をつくのも厳しくなってきたと思っていたら、シロがさらなる爆弾発言をかました。


「第一夫人だよ!」


 第一夫人……。今日のシロは、いつにも増して、暴走が激しいな。寝起きだから、調子が狂っているのかね。


「……」


「……」


 俺とミルズの間に、重い沈黙が降りる。彼女の冷たい視線が、俺の弁論を全力で拒否していた。もう話しかけないでくれという副音声が、今にも伝わってきそうだ。


「その第一夫人が、ドアの前に来ている訳だが、開けてやらなくていいのかね。あまり廊下で待たせると、後が怖いさ」


 というか、今はミルズが怖い。声色に感情を感じないのだ。シロの話を真に受けてしまっているな。かといって、正直に言うことも憚られるがな。


 俺の恋愛関係について冷ややかな熱弁が展開される中、待ちぼうけを食らっているルネから、今度は声が聞こえてきた。


「ご主人様……!」


「……」


「……ドアを開けてくださいまし。今日は冷えますので、風邪を引いてしまいそうです」


「……声だけ聴くと、紛れもなくルネだね!」


「言われなくても分かる。だが、声色を真似ている可能性もある。まだ安心は出来ない」


「それより、ご主人様って言っていたね。君は、奥さんにどんな呼ばせ方をしているのさ……」


 ミルズからまたツッコまれてしまったが、話が進まないので、もう流しながら対応について検討することにした。目下の問題点は、訪ねてきているルネが本物かどうか。本人は、部屋に入れてほしそうにしているが、要求通りに入れても良いものかという問題もあった。


「開けて……、みるか……」


 熟考した後、ルネを招き入れることにした。無謀な気もするが、出入り口が一つしかない以上、ドアを開けなければ、外にも出られない。居場所もばれている以上、ルネが偽物で敵だとしても、対処しておかなければならなかった。本物だったとしたら、尚のこと、開けてやらねばなるまい。


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