第百三十三話 固まった街
「ふい~♪ やっぱり高級車はええのお!」
「車内に埃が入ってくるから、窓を閉めなさい。それから、社内では、静かにしろ」
街中を一台の黒塗りの高級車が疾走している。乗車しているのは、俺とシロとクリア、後、ドライバーさんの四人だった。
どうしてこんな高級車に乗っているのかというと、移動が楽になるように、シロが知り合いの社長にお願いして、貸してもらっているのだ。といっても、俺の雇い主とは違う人物だったりする。
異世界を手中に収めただけでなく、俺たちの世界でも、財界や政界の著名人とのパイプを深めつつあるシロたちには、軽く畏敬の念すら覚えてしまうな。
ただし、当のシロは、窓ガラスを開けて、走行中の車から顔を出してはしゃいでいる。風を浴びて喜ぶ姿は、外見相応の幼女だ。
シロは唇をすぼめながらも、俺に言われた通りに窓ガラスを閉じた。だが、依然車内に空気は流れ込んできていた。
見ると、クリアまで便乗して窓を開けて顔を出している。シロだけかと思えば、精神的に幼いやつが、もう一人いたか……。
「あはははあ~! 風が気持ちいいわ~。癖になりそ♪」
「お前も閉めろ……。大人だろうが……」
続けて注意するが、今度は素直に聞こうとしない。大人に成長するにつれて、忠告を無視することを覚えたのだろうか。駄目な成長例だ。
それならと、クリアにお願いするのはとっとと諦めて、自分で閉めることにした。窓ガラスを閉める際に、クリアと体が接触した際、何を想像したのか、変な喘ぎ声を出しやがった。そのせいで、微妙な空気が流れてしまう。クリアめ、助けてやった恩を、早くも仇で返しやがって……。
「コホン!」
車内の空気を切り替えようと、シロが咳払いして、これからの話を始めた。
「ふむ! それにしても、まさか間宮のお兄ちゃんのところに潜伏していたなんて、灯台下暗しだよ!」
灯台下暗しなんて言葉を、よく知っていたなと、変わったところで感心しつつ、ミルズの居場所が判明したことに手ごたえを覚えた。
ミルズ……。俺たちがわざわざ異世界から戻ってきた理由を、再確認する。それは、敵方のミルズを、こちら側に寝返らせることだった。
具体的な根拠がある訳ではないが、リーダーのシャロンから、ろくな扱いを受けていないようなので、案外甘い言葉で近寄れば寝返ってくれるのではないかという漠然とした直感があった。
俺の甘い目論見を、シロも魔王も、苦虫を噛み潰したような顔をして聞いていたが、反対はしなかった。それどころか、手まで貸してくれた。向こうに得することはないというのに、こちらとしては、大変ありがたい話だ。
そんなミルズの行方だが、シロの知り合いの魔物探偵に調べてもらった。どういう調べ方をしているのかは知らないが、依頼から発見までがかなり速かった。シロによると、業務規程に抵触してしまうので、詳しくは話せないが、魔力や呪力の類の特殊な能力を使ったのだという。
特殊能力を使われたと言われても、驚くようなことはなかった。こちらの欲しい情報を仕入れてきてくれるのなら、やり方は問わないのだ。
「でも代わりに、財布から、諭吉さんがたくさん飛び立つことになるね! 言い出しっぺはお兄ちゃんだから、文句は言いっこなしだよ!」
「それを言うな。泣きたくなるだろう……」
問題があるとすれば、先方が提示してきた報酬だ。てっきり大金を要求してくるかと身構えていたら、アイドルグループA○Bの新曲のアルバムを千枚渡せと言ってきたのだ。一枚だけでも良い値段なのに、千枚……。金額はかなりの物になるし、確か通販サイトでも品薄になっていた筈だ。確保するだけで、相当苦労しなければいけないことは、容易に予想出来た。まだ魂の一部をよこせと言われた方が、損害がマシな気すらしてきてしまうほどだ。
ちなみに、どうしてアルバムが千枚も必要なのかというと、同梱されているアイドルとの握手券目当てらしい。
「報酬を支払うのは当然としてだ。俺が聞きたいのは、どうして異世界の魔物が、握手会の存在を知っているんだ?」
そんな質問を言いかけて、喉元で止めた。シロが、仲間の魔物に俺たちの世界のグッズをお土産として渡していたように、誰かから情報を仕入れたのだろう。どこのどいつかしらんが、全く余計なことをしてくれたものだ。しかし、異世界の魔物すら虜にしてしまうとは、恐るべしA○Bといったところか。
「お兄ちゃんを見ていると、金運がないなって、つくづく思うね!」
「だろうな。俺も否定しないよ。こっちで一戸建てを買うのは、一生かかっても無理そうだな」
憂鬱になりそうな気持ちで、クリアをそっと見る。異世界に行って、収穫らしいといえるのは、こいつくらいか。でも、メイドはルネ一人いれば十分だしなあ……。売り払おうにも、需要もなさそうだしなあ……。
じゃっかんどす黒いことを考えながら、背もたれに身を委ねていると、車の速度が徐々に緩まってきた。目的地が近付いてきたらしい。
「もうそろそろだね!」
「思ったより早かったな。もうちょっと金持ちの生活を体感したかったんだけどな」
最初はおっかなびっくりだった黒塗りも、今ではすっかり慣れっこで、乗車時間を満喫する余裕すら生まれていた。
だが、そんな余裕など、吹いて飛んでしまうような脆いものでしかない。実際に、今回も、すぐに吹き飛ぶことになった。
「これは……、一体どういうことだ?」
目的の街に到着して、どこで降りようか考えていると、すれ違う通行人が一様におかしいことに気付いた。
全ての通行人が歩いている姿勢のままで硬直しているのだ。窓ガラスに顔を押し付けるようにして、凝視したが、どいつもこいつも意識を失っているらしい。動いている者の姿が確認出来ない。
立ったまま意識を失うなんて、器用なことをすると評価したいところだが、異変はそれだけではなかった。
硬直している通行人の体の一部分が、えぐられたかのように欠損しているのだ。その個所は右足だったり、左腕だったりと、共通していない。
しかも、その欠損の具合が、妙なのだ。例えば、両足を失っているとしたら、体が地面に転がってしまう筈だが、まだ両足があるかのような姿勢で、残った体が宙に浮いているのだ。
この状況をもっと分かりやすく言うのなら、透明になる絵の具を、体の一部分に塗ったようなものだ。
「どうやら私たちと目的が同じ人がいるみたいだね! しかも、そいつの方が、到着するのが早かった!」
「そして、そいつは異世界がらみの何者かって訳だ」
俺たちの世界のやつで、こんな妙なことを出来るやつはいないからな。疑う余地もなく、異世界からの闖入者の犯行ということで決定だ。
全く! せっかく異世界から帰還してきたばかりというのに、最初に絡むのが、異世界のやつなんて、もう呪われているとしか思えん。




