第十一話 お兄ちゃんは良い買い物をしたよ
ある日の夜遅くに帰宅してみると、自室の前にスタイルの良い女の子が倒れていた。遅れてやってきたシロの説明によると、魔王と親交のあるこの世界の富豪の元へと、商品として送り届ける予定だとのこと。
「それがね。私が、目を離した隙に逃げ出しちゃったの」
などと、おどけた口調で話していた。逃亡先が、俺の部屋の前だったのは、単なる偶然だな。どうせなら、もっと腕っぷしの強いやつのところに逃げ込めば、追ってきたシロを撃退してもらえたかもしれないのに、くじ運のない子だ。
しかし、許せないのは、その富豪だ……。魔王から、人魚や妖精を買い付けているという、あの富豪のことだろう。金があれば、こんな美少女さえ手に入ってしまうものなのか。
「見たところ、普通の女の子じゃないのか? どうして金を出してまで欲しがるんだろうな」
言っちゃなんだが、その富豪が、女に不自由しているとも思えないんだよな。
「異世界の子を試してみたくなったんじゃないの? 私には、金持ちの考えることは分かんないな!」
こいつにしてみれば、お得意先の要望に応えられれば、それでいいんだろう。あくまでプロとして徹底している。
「だが、見れば見るほど、可愛い子だなあ……」
目の前で、人身売買がなされようとしているんだから、他に言うことがあるんじゃないかと突っ込まれてしまいそうだが、それが俺の素直な感想だった。俺は、自分で思っているより呑気な人間なのかもしれないな。
もちろん、俺の感想など、シロにとっては、心底どうでも良いものらしい。蔑むこともなければ、ツッコみもない。至って冷静に、自分の仕事に戻っただけだった。
「という訳で、この子は連れて行くね。お邪魔しました~!」
シロが、両手をグイと上げると、女の子の体がひとりでに宙に浮いた。仕組みは分からないが、念力のようなものか。彼女の両手の動きに合わせて、横になった姿勢のままで、女の子は移動する。その先はどこか。……考えるまでもない。金に物を言わせて、異世界の美少女達を自分の物にしている、どこぞの富豪の元だ。
きっとこの女の子の到着を、鼻の下を伸ばして待ち望んでいることだろう。
この子とはさっき会ったばかりで、まだ会話すらしていない。関係などないに等しい。だが、せっかく逃げ出したのに、すぐに連れ戻されてしまう彼女の境遇を思うと、心が揺さぶられるものがあった。
「おい……! ちょっと待て!」
「む?」
「えっと……、その……」
反射的に呼び止めてしまったが、特に考えがある訳でもない。ここで、魔王の使いに対して、「その子をここに置いていけ!」と叫ぶほど、腕に自信はない。生憎、自分の実力に対しては、情けないほどに熟知しているのだ。
だが、呼び止めた手前、何か言わなくては。なけなしとはいえ、正義感を振り絞って声を出したのに、「やっぱり何でもありませんでした。どうぞ行ってください」というセリフだけは、死んでも吐きたくない。
「そ、その子って、富豪が金で買ったんだよな……」
「そうだけど?」
それがどうかしたのかという顔で、シロが聞いてくる。一見すると、無邪気な瞳が、今はただただ怖い。
「……俺が、その娘を買いたいって言ったら、どうする?」
「……」
人間、追いつめられると、何を言い出すのか、自分自身でも分からないものだな。たった今、口から出たばかりのセリフが、自分の物とは信じられないよ。
「……アハ♪」
「何を言っているんだ、こいつ?」という顔を見せたが、そこは魔王の使い。すぐに醜悪な笑みに切り替えた。馬鹿が、自分から罠にかかりに来たという顔をしている。
自分だって、いかに無謀なことを言い出しているのかくらい分かっている。蜘蛛の罠に、蝶になった自分が自ら突っ込んでいく気分だ。
「お兄ちゃんにしては、大胆な申し出だね。でも、特別にOKしちゃう! 先方には、別の子を手配すればいいしね♪」
「そ、そうか……?」
猛反発を食らうかと思ったら、何かとんとん拍子でOKされてしまった。もっともこの子が助かっただけであって、別の子が富豪の元へ送られることになっただけ。何も解決はしていないんだがね。
「でも~。タダって訳にはいかないんだよね~」
話しづらそうに、もじもじしているが、そんなのは予想済みだ。魔王と懇意にしている富豪でさえ金がかかるのに、俺がタダでもらえるなんて、思っちゃいない。
「いくら必要なんだ?」
「一億円」
「……ほお」
普通に働いて稼いでいたら、どれくらいかかるか分からない金額を、あっさりと提示してきた。
言い方は悪いが、この娘は商品だ。あまり長い間、待ってもらうことは出来ない。分かっているよねという顔で、シロが見つめてくる。
もちろん分かっているさ。賞金を一億円以上貯めろって、言いたいんだろ?
「高額だけど、お兄ちゃんになら、稼ぐ当てはあるよね」
「……足元を見やがって」
一億円をシロに渡すためには、賞金探しを成功させないといけない。それも、危険度が急上昇する終盤をだ。
最初は獲得出来れば、ラッキー程度の認識だったが、こうなると何としても取らなければいけなくなってくるな。
そうして、俺が目の色を変えて、金を求める姿を魔王に観てもらうのが、シロの仕事だ。他の参加者も、こんな感じで、失敗出来ないように仕組まれていくんだろうな……。こりゃ、最終日はえらいことになるんじゃないのか?
「ん……」
俺の腕の中で、女の子が軽く身震いした。優しく抱きとめたつもりだったが、今の衝撃で目覚めてしまったようだ。
女の子はすぐに半分だけ開いた目を俺に向けてきた。目があった途端に、悲鳴をあげられなくてホッとしたが、どう接すればいいのか分からず、あいまいに笑いかけるのが精いっぱいだった。
だが、初対面にも関わらず、顔合わせは平穏な方だ。そう……、やつがしゃしゃりでてくるまでは……。
「おっはよ~!」
俺の横から、シロが満面の笑みで朝の挨拶をかますと、のどかな空気は一変した。
「ひっ……!」
小さく悲鳴を上げると、女の子は、俺の腕の中で必死にもがきだした。逃げようとしているのだろうが、落としてしまうから、あまり暴れないでほしい。
「そんなに怖がらなくても、あなたをあの人のところに連れて行ったりしないよ。ちょっと予定に変更があってね。代わりに、そのお兄ちゃんが、あなたの新しいご主人様よ!」
お、おい! その言い方は勘弁しろ。俺は、何もこの子を召し抱えた訳じゃないんだぞ!? ていうか、近所の人に聞かれていたら、誤解されるだろ。最悪の場合、通報されるだろ。今更ながら、俺の部屋の中で、話を進めるんだということに思い至った。
「あ、あなたが……?」
捨てられた子犬が、わずかな希望を託すような目で、俺を見つめた後、女の子は再び気を失ってしまった。
俺の都合の良い思い込みかもしれないが、新しいご主人様として、俺を見る目が、そんなに怯えていなかったような気がした。ただ単に、富豪の元に買われていくのが、よほど嫌だっただけかもしれないがね。シロから、あの人と呼ばれた富豪……。異世界では、嫌われているのかな。
「あらま~。また気を失っちゃったか。そんなに私のことが怖いかなあ?」
怯えられたことに対しては、シロがあまり堪えていないような顔で首を捻っている。そりゃ、怖いだろ。悪く言えば、人さらいの実行犯だからな。
「じゃあ、しばらくはお兄ちゃんのところに、その子は置いていくね! お金は徐々にで構わないから」
やっていることはとんでもないのに、軽い口調で言ってくれる。ともあれ、あれよあれよという間に、異世界の女の子を買ってしまった。今更だけど……、これも、人身売買だよな。俺、とんでもないことをしでかしちゃった?




