第百九話 シロの城
異世界初日、食堂で腹も満たした俺たちは、夜も更けてきたこともあり、もう寝ようという話になった。予想はしていたが、シロが自分の部屋に泊めてくれるとのことだった。こいつに家族がいたら、お土産でも用意しなければいけないのだろうが、ついさっきシロが天涯孤独の身であることを偶然知らされたので、気兼ねなくお邪魔させてもらうとしよう。
移動用の魔法陣を何回か経由して、食堂スペースから、居住スペースの一角へと移る。
「この廊下の突き当たりにあるのが、私の部屋だよ~!」
「へえ、それは……、骨が折れそうだな……」
突き当りといっても、それが遠く過ぎて視認出来ない。また魔方陣でワープするのかと思ったら、そこまで歩いていくみたいだ。頼むから、最後まで瞬間移動で楽をさせてほしいと、内心で泣き言を漏らしてしまう。
「ふっふっふ! シロの部屋を見たら、お兄ちゃんたち、腰を抜かすよ~!」
見たら腰を抜かすか。その前に、無限とも思われる廊下を歩いている途中で、足が棒になりそうなんだよな。部屋に入るなり、腰を抜かすより先に、疲労で倒れてしまいそうだ。という訳で、ちゃんと驚かしたいのなら、部屋の前まで瞬間移動をお願いしたい。そう言いたいのだが、泣き言を言っているようにも聞こえるから、言えない。
しかし……。歩きながら、廊下のところどころに落ちている空の酒瓶が目に入る。魔王の居城の内部だというのに、ポイ捨てが横行しているとは……。やはり異世界の荒くれ者たちが巣くう場所だけあって、マナーがなっていないな。こんなところに住んでいたら、シロも成長するにつれて、荒んでしまうんじゃないのか?
何気なく眺めていると、肌が真っ青で、額からは角まで生えている小鬼風の清掃員がぶつぶつと文句をこぼしながら回収していく。
「いつもはこんなことないのに、今日はやけに空き缶の数が多い。マナーのなっていないやつが増えたって、ぼやいているよ!」
頼んでもいないのに、シロが勝手に翻訳してくれた。そうか。いつもはこの廊下もごみの落ちていないきれいな場所なのか。それなら、そっちの方を見てみたかったよ。この時点では、酒瓶のことを深く考えずに、傍らを通過していった。
「そういえば、ここって魔王の居城なんですよね。一度挨拶をしておかなくていいんですか? 一度別れてから、全然顔を出していないじゃないですか。そろそろやっておかないと、後々面倒なのでは?」
「その心配はな~し! ちょうどタイミング悪く南方で死霊軍団が反乱を起こしてね! 手練れを率いて、魔王様が自ら鎮圧に向かわれているから、今お留守なのです!」
タイミング悪くねえ……。暇を持て余すあまり、山に八つ当たりを始めるような魔王にとっては、最高のプレゼントなんじゃないのか。シロも分かっているらしく、というか、日常茶飯事らしく、全く心配している素振りが感じられない。むしろ、魔王様のストレス発散に役立ってくれてありがとうと、反乱分子たちに感謝している感さえある。
死霊軍団とやらにも言い分はあるだろうが、反乱を起こして喜ばれるのでは、討伐されても浮かばれそうにないな。会ったこともない連中を想って、苦笑いを漏らしていると、ようやく突き当りとやらがうっすらと見えてきた。
結構歩いた割に汗はそんなにかいていない。この居城内の空調がしっかり利いているおかげかね。シロの部屋のドアは開けようとしても、鍵がかかっているのか開かない。だが、鍵穴のようなものは見当たらない。いったいどういう構造なのかと不思議がっていると、シロが呪文のようなものを詠唱し出した。すると、魔方陣のようなものがドアの前に出現して、そして消えた。
「開けっ放しは不用心だからね! 留守にしている時は、何人たりとも入れないように部屋ごと結界をかけているのさ!」
「ユニークな防犯対策ですね」
成る程。異世界では、鍵の代わりに結界を使うのか。結界にはそういう使い道もあるんだなと感心しつつ、開いたドアから、今夜の寝床となる城の部屋へとお邪魔した。
「じゃんじゃがじゃ~ん! 見たまえよ! これが私の城だ~!!」
「……シロちゃん、一人暮らしって話していましたよね。どうしてこんなに広い部屋に住んでいるんですか? ワンルームでも十分でしょうに……」
「ふっふっふ! 私はスケールが大きい女だからね! 狭い部屋には収まりきらないのだよ!」
何が城だと内心で皮肉を呟いていたら、中は本当に城の一室かと思われるほどの広さだった。ざっと見ただけで、俺の部屋の十倍はあるんじゃないのか!?
これだけの規模の部屋に住んでいるのなら、俺達の世界での生活は、さぞかし窮屈だったのだろう。憂さを晴らすかのように、あちこちを無駄に駆け回ったり、飛び跳ねたりと……、とにかくうざい。
自分の部屋だったら怒鳴って静かにさせられるのだが、この部屋の住人はシロだ。お隣さんから苦情が来ない限り、こいつが何をしても自由ということだ。
「賑やかな夜になりそうだな……」
「ですね」
これから始まる喧騒の夜を前に、城ケ崎と苦笑いを交わしあう。
元々一人暮らしということで、中にはベッドが一つしかなかったが、シロの能力ですぐに二つ増やしてくれた。この能力を見ると、賞金探しをしていた頃のことが思い出される。
部屋の片隅を見ると、見るからに強力な力を持っていそうな呪術具や武具が、無造作に置かれていた。いや、置かれたというより、捨てられているようにすら見えてしまう。
「以前持ってきた剣も、そこに置かれていたのか?」
「うん! 何かの手柄で、魔王様からもらって以来、そこにずっと置きっ放しにしていたよ!」
おそらく他の道具一式も、魔王からもらった戦利品なんだろうな。もっとちゃんと扱ってやれよ。こんな管理じゃ、どんな立派な道具だって錆びつくぞ。以前、あっさりと折れてしまった剣が思わず忍ばれる。
「魔王を討伐しに来た勇者連中にとっては、きっと宝の山なんでしょうね」
「ああ。最強装備の一つや二つ、平然と手に入りそうだ」
「そんな最強装備の話なんか良いからさ! 遊ぼうよ!」
シロにとっては、友達を部屋に呼んだような感覚なんだろうな。仕方がない。たまにはこいつの遊びに付き合ってやるか……。
「いいぜ。何して遊ぶ?」
「自白剤ロシアンルーレットをやろうよ! 全部で八本ある無色透明の液体の詰まった瓶を一気飲みしていって、その中の自白剤入りの瓶を引いちゃったらアウト! 負けた人は、嘘を付けない状況下で、あんなことやこんなことを聞かれちゃう……」
「「却下!!」」
縁起でもない遊びが提案されたので、城ケ崎と一緒に全力で却下してやった。シロは「え~!?」と不満そうな声を漏らす。
そんな感じで賑やかな夜が更けていくにつれて、脅威は俺たちに忍びつつあった。
廊下では相変わらず文句を呟きながら、青い肌の清掃員が掃除に熱を上げている。その横で、ふてぶてしくも酒を飲んでいる不届き者が一人いた。
挑発的にちょうど空になったばかりの酒瓶を、清掃員の近くに投げ捨てる。ガチャンと音を立てたのに、不思議なことに清掃員は振り向かない。いや、そもそも気付いてすらいない。清掃員だけではない。その場にいる魔物の誰もが、酒瓶に気付きもしない。
「誰も~……、あたしにゃあ~……、気付かない~……。そうさ~、あたしは孤独~! 孤独な~、……名前なんだっけ?」
音程のなっていない音痴の歌声を披露しても、誰にも気付いてもらえない。自分自身にすら存在を忘れられそうな褐色の肌の女性が、一人寂しく酒盛りに耽っていた。




