第百六話 人形にされる少女
俺たちが襲撃してきた黒フードを、辛くも撃退して、代わりに群衆の力に圧倒されている頃、混乱とは無縁の静寂に包まれた部屋で事態を察知している者がいた。そいつの名前はアルル。黒フードに趣味の悪い手術を施した幼女だ。
「ふ~ん……。そうかあ……」
部屋に入ってきた鳥のさえずりに耳を傾けていたかと思うと、納得したように顔を上げた。
「鳥の声が分かるんですか?」
「うん……、何となくだけどね……。でも、重要なことはちゃんと掴んでいるから……」
捕らわれの身であるルネが不思議そうな顔をする。もし本当なら羨ましいと、メルヘンな嫉妬を抱いていたりするのが、彼女の可愛いところだったりする。
「あの人だね……」
アルルの言うあの人とは、俺たちを襲って返り討ちに遭った黒フードのことだ。彼女は大切なサンプルとして、しっかり覚えていた。
「そうかあ……。死んじゃったのかあ……。私の手術を喜んで受け入れてくれる貴重なサンプルだったんだけど、残念だよ……」
「死んだ……? 大切な人が命を落としたんですか……?」
「そうだね……。大切な人だよ……」
演技ではなく、本当に残念そうにしている。アルルにしてみれば、自分の変態趣味に付き合ってくれる貴重な存在で、惜しい人材を失ってしまったということにショックを隠せないのだ。ちなみに、人間的な感情で感傷に浸っている訳ではない。その証拠に、目からは涙が一切こぼれる気配がない。
「あの人がいなくなっちゃって、私はこれから誰の体をいじればいいのかな……。ねえ、お姉ちゃんは分かる……?」
あどけない表情でルネを見つめるアルル。事情を呑み込めていないルネは、困ったようにおどおどするだけだった。
「ねえ……。あの人の代わり……、お姉ちゃんにお願いしてもいいかな……?」
「え……? 何をする気ですか? どうしてメスを手に持っているんですか? 女の子が持つようなものじゃないですよ」
さっきまで黒フードの死を悼んでいたのに、気持ちはもうルネを改造することに関心が移ってしまっている。手にはメスをスタンバイしていて、彼女の準備は整ってしまっていた。
ここまでの会話の流れから冗談だと思いたくなるところだが、アルルは本気で、ルネにじわじわと歩み寄っていく。ルネも同じ歩幅で、不安で泣きそうになりながら後ずさっていく。
「ねえ……、いいでしょ……? お姉ちゃん……」
「い、嫌……。駄目です……」
ルネが断っているのも聞き入れず、趣味の改造を始めようと笑みを漏らすアルルだったが、その企みは中止されることになった。すっと上げたメスを持つ手が、いつの間にか入室してきていたシャロンによって掴まれたのだ。
「あは~ん! 駄目よ、アルル~。私のお人形に勝手に手を出しちゃ~」
顔は笑っているが、目は笑っていない。自分の人形に手を出されそうになったことが気に食わないらしい。幼い女児が、大切にしているお人形を、親に捨てられそうになっている時の顔に似ている。
「シャロン様のお人形なら仕方がないね……。このお姉ちゃんなら、きっと最高傑作に生まれ変わると思うのに、残念だよ……」
「最高……、傑作……?」
自分の体に加えられようとしていた危険な単語に、思わず身震いするルネ。彼女も、ここが自分にとってあまりよろしくない空間だということを認識し出していた。
「駄目よ~。あなたの最高傑作は、私の目には毒だから。私はね。自分のお人形に、強さではなくて、美しさを求めているのよ~」
アルルに改造された黒フード。確かにやつには美しさのかけらもなかった。ルネがあんな姿になるなど、俺にはとても耐えられそうにない。
「そういうことなら、シャロン様好みに美しくなるようにいじるよ……。例えば、胸元とか……」
そう言って、ルネの豊満な胸元を覆っている布の下へと、右手を這わせたのだった。ルネからはため息とも取れる甘い息が漏れる。
「それなら考えちゃうかもしれないわね~。でも、その前に、私が可愛がってあげたいわ~。人間はね、物の力に頼らず、自分で内なる可能性を発揮した瞬間が、一番美しく映えるものなのよ~」
本来なら異性に向けるべき求愛の目を、シャロンは惜しげもなくルネへと向けるが、そんな気のない彼女には、身震いの対象にしかならなかった。
盛り上がる二人だったが、ルネには逆効果だったようで、怯えて後ずさる。彼女なりに自分の身に、さっきまでとは別の危険が迫っていることを察したらしい。
「あの……、ご主人様はどちらでしょうか?」
胸元を抑えながら、俺の姿を目で探す。ピンチの時でも、俺のことを考えてもらえるというのは、ちょっと気持ち良かったりする。だが、そのセリフを待っていたとばかりに、シャロンがお気の毒そうに顔を曇らせた。
「ご主人様あ? ああ、あの宇喜多って男のことね。あいつなら、もうあなたの前に顔を出すことはないわよ」
「え……」
俺ともう会えないと伝えられて、ルネの顔から血の気が引いた。これまで幾度となく経験した最悪の結末が、彼女の脳裏を駆け巡っているのだ。無論、シャロンの言っていることは嘘だ。俺は今、ルネに会いに行くために、総力を挙げているのだから。
だが、シャロンの嘘は平然と続けられる。困ったことに、やつからすれば、ルネを騙しているという自覚はない。何故なら、俺がルネに会いに来ようとしているのは察しているが、その前に叩き潰すつもりでいるので、結果的には会うことは叶わないと考えているからだ。だから、自分の話していることは嘘ではないと、そういう腹立たしい解釈をしているのだ。
「また……、捨てられた……。私は……、いらない子……」
何度経験しても慣れることの出来ない衝撃に、打ちひしがれたように瞳孔を開いているルネに、シャロンが偽りの優しさを投げかける。
「でも、気に病むことはないわあ。私が新しいご主人様として、あなたを存分に可愛がってあげるから~。あんな男のことなんて、すぐに忘れるわよ……」
こんな話を信じるなと言いたいところだが、ルネは世間知らずなところがあるからな。この場に俺がいないのが、心底悔しい。このままでは、シャロンの法螺話がどんどん吹き込まれていくではないか……。
「そうだわあ! 面白いことを思いついちゃった~」
シャロンはルネから視線をずらすと、口笛を吹いた。間を開けずに、一匹の鳩が室内へと飛んでくる。
「何をするの……?」
「あなたと縁の深い人にお手紙を書こうと思ったのよ~。お願いしたいことがあってね~」
「私と縁の深い人……」
アルルは記憶を整理するが、自分と縁の深い者で、ろくな人間はいないと言い切る。シャロンはおかしそうに、そんなことはないと首を振った。
「うふふふ! 私はね~。たとえ自分を裏切った物に対しても、働き次第で許してあげる寛大な精神の持ち主なのよ~」
「裏切り者をまた信じるの……? あまりお勧め出来ないな……」
「そんなことを言わずに、見ていなさいな……。案外、面白いショーが見られるかもしれないから~」
会話に入れず、怯えて身をすくませているルネをよそに、シャロンは醜悪そうに顔を歪める。アルルは、シャロンの考えに同意している訳ではないが、彼女が楽しいのならそれでいいかと流している。
そんなシャロン本位で話が進む部屋から、一匹の鳩が、足に手紙を巻かれて飛び立った。この鳩が、新たな脅威を運んでくることを、俺は知る由もなかった。




