第百五話 群衆とパニック
笛の音で、こちらの動きを制限する上に、顔や腕を複数持つというユニークなやつに絡まれてしまった。魔物かと思ったが、シロによると、過激な整形手術を受けた人間だという。
「ぐげげげえ~! お前らのことは聞いているぞ。シャロン様とアルル様に仇なす憎いやつらだ。お前らを見かけたら即始末しろと言われていてな。こんなところで会うとは思わなかったが、命令を実行させてもらう!」
おかしいな……。こいつの二つある顔は、どっちも笛を吹いているのに、声高々に挑発を始めたぞ?
よく見ると、左膝の辺りがもぞもぞしている。心なしか、声も、あの辺りから聞こえてきているような気がする。深く考えたくないが、あそこに三つ目的なものがあるのだろう。
人が気持ち悪くて失神しそうになっているというのに、黒フードは愉しげに俺たちに語りかけてきている。
「お前らを始末したら……、ご褒美として、アルル様に新しい顔を増やしてもらうのだ! ぐげげげ! これでさらに俺の体は賑やかになるぞ」
なんかとんでもない望みを暴露してきた! 自分から顔を増やされることを熱望しているなんて、こいつ、ヤク中並みに頭がやられている……! 外見も気持ち悪いが、頭の中は、もっと気持ち悪かった! ていうか、こいつ、絶対に友達がいないだろ。それが寂しいから、自分の体に顔を増やして、友達をたくさん持った気になっているだけの悲しいやつだろ!
こんなやつとは関わり合いになりたくはないが、残念なことに、向こうからこっちに向かってきている。迎撃しないといけないが、俺の体は未だに言うことを聞かない。これ、地味にやばい状況なんじゃなかろうか。
「宇喜多さん……!」
城ケ崎が目で訴えてきている。奥の手を使えという意味だろう。俺の右腕に潜んでいる下僕こと、黒太郎を呼び出して戦わせろと言っているのだ。動くことが出来ない以上、代わりに戦ってもらうしかないと言いたいのは分かる。
やれやれ。出来れば、黒太郎は切り札として、もっと重要な局面で使いたかったのだが、そうも言っていられないか。
幸いなことに、黒太郎は音楽を愛でる心が欠如しているからなのか、黒フードの笛の音の影響下にはない様だ。俺が念じると、右腕の中でドクンと反応したのを感じる。
黒フードは、俺に向かって真っすぐに突っ込んでくる。こちらには対抗手段がないから、心置きなく襲えるといった顔をしている。頭の中は、サンドバックを叩くイメージなんだろう。こちらから反撃されるとは微塵も危惧していないようだ。その油断を逆手にとって、やつが攻撃してくる寸前に黒太郎を出して、その間抜けに歪んだ面に強烈な一撃を見舞ってやろう。そして、その後は連打を食らわせて、何が何だが理解出来ない内に昇天させてやる。
まさに、俺と黒フードが激突しようとした瞬間、大きな手が横から出てきたかと思うと、拳骨の形をとって、黒フードの横っ腹をぶん殴ったのだった。
「ぐっ……!?」
黒フードの体が『コ』の字にねじ曲がり、吸い寄せられるように壁に激突した。
「なっ、何だあ!? 俺様に攻撃してきやがったのは、どこのどいつだあ!」
声を張り上げて、自分を殴ってきた巨大な右手を睨みつける黒フード。だが、脇腹を抑えて、顔を苦痛にゆがめていることから、ダメージは深刻のようだ。
「『ザ・ハンド』でしたっけ? 闇討ち専門の手の魔物ですよね」
俺たちがこの街を訪れて、最初に遭遇した魔物だ。シロから一喝されて引っ込んだが、再び顔を……、いや、手を出してきたのだ。
一度は俺を食おうとしたあいつが、何故……? 助けてくれたと好意的に解釈していいのか?
「お、お前……、許さねえ! ぶっ殺してやる……!」
威勢こそ良いが、黒フードの足元は見るからに覚束ない。あいつ、攻撃一辺倒で、攻められると弱いタイプか。
敵ながらに無理をしないで、とっとと退散すればいいのに、黒フードはもう一度突進してきた。だが、やつの複数の手を使った攻撃も、それを上回る巨大な手には敵わないようだ。というか、その前に、巨大な火球が、黒フードを直撃した。笛の音が止んだことで、自由の身になったシロが、お返しとばかりに特大の火球をプレゼントしたのだった。
「ぐげええ~っ!!」
派手な断末魔を上げて、黒フードは全身を炎に焼かれて、その場に倒れ伏して動かなくなった。インパクトはあったが、倒れる時はあっけないな。
「やったのか? というか、死んだのか?」
「勝ったんだよ、お兄ちゃん! 私の勝利だよ!」
正当防衛だし、俺たちは魔王側なんだから、こいつが死んでようが、恐れることはないのに、つい安否を気にしてしまう。馬鹿馬鹿しいことだが、警察や法律の心配をしてしまったのだ。
しかし、シロめ……。今回の勝ちを、全て自分の手柄にしやがった。こういうところは本当に図々しいな。そんなことをしていると、仲間の魔物たちから嫌われるぞ。
ただ、『ザ・ハンド』に至っては、平然と宙を漂っている。こいつの感情の起伏は分からないんが、怒ってはいないみたいだ。
何度かむせながらも、呼吸を整えつつ、命の恩人を見る。やつめ、ガッツポーズを作っているではないか。食われそうになったことがあるとはいえ、助けてもらったのも事実。俺も苦笑いしながら、ガッツポーズを作って、返事代わりにした。
「えっとね! 今、助けてあげたから、食べようとしたことは、魔王様には内緒にしてってさ!」
「罪滅ぼしですか……」
シロはこいつとコミュニケーションが取れるようで、向こうの意思を伝えてきてくれた。こいつなりに魔王の客人に手を出してしまったことを深刻に受け止めていたのか。というか、魔王からの報復を、路地裏で悶々と恐れていた訳だ。
あれだけの戦闘力を誇るこいつでも、魔王は怖いのかと、何か急におかしくなってしまったが、助けてもらったのは事実なので、黙っていることを約束した。すると、『ザ・ハンド』は嬉しそうに手を振っている。案外、付き合ってみると、気の良いやつなのかもしれないな。
「お、おい! 見ろ! 人が燃えているぞ!」
危険を退けて、和みつつあった中に、通行人の悲鳴が木霊する。黒フードが燃えていることに気付いて騒ぎ出したのだ。ここにいるとまずいと察したのか、『ザ・ハンド』は、素早く路地裏へと姿を消した。
シロに瞬間移動を促すが、その前に、騒ぎを聞きつけた通行人の一人が、こっちに駆け寄ってきた。
「君、怪我をしているじゃないか! 誰に襲われたんだ?」
「は!? え、え~とですねえ……」
どうする? 今燃えている人から襲われましたと、正直に打ち明けてしまうか? ふざけるなと怒鳴られやしないかね。
「キャアアア!! こいつ、顔と腕がいくつもあるわ!!」
「ま、魔物だ! 魔物が街中にいるぞ~!」
黒フードを心配して駆け寄っていた人々が、口々に悲鳴を上げていく。ついさっきまで心配して手当をしようとしていたのに、手の平を返したように口汚く罵って、棒などで叩きだした。哀れな、黒フードは、意識を取り戻す間もなく、命の灯をかき消されていこうとしていた。
あいつがどうなろうが、俺には知ったこっちゃないことだが、こちらも手配中の身だ。正体がばれれば、ああいう目に遭わされると思うと、おちおち手当を受けている訳にもいかない。
もう一度シロに瞬間移動を目で訴えていると、俺に肩を貸そうとしてくれていたおじさんが、わずかに目を見開いた。
「君……、どこかで見たことがあるような……」
「人違いですよ。俺たち、初対面じゃないですか……」
まずい! この顔は、あの手配書を見たことのある人間の顔だ。まだ記憶がおぼろげだが、指名手配犯だと思い出すのは時間の問題だ。急いでこの場を離れないと。
道の反対側からは、黒フードの魔物を殺したと歓声が沸き上がっていた。人を殺して沸きかえるとは……。やはりここは、俺たちの世界とは違う異世界だ……。




