第百話 異世界の住人は、異世界において、本領を発揮する
この物語も、今回で百話目になります。節目となる百話目で、物語の舞台を異世界に移したことに、多少の驚きと感動を覚えています。
鼻の先も見えない暗い道をどれくらい進んだろうか。入る時に、強引に手を結んできた城ケ崎の体温をずっと感じながら、俺はひたすら前に向かって歩き続けた。
こういう空間に身を置いていると、自分がいかに視覚に頼って生きているかを、いやが上にも実感させられるな。だが、同時に視覚の影に埋もれていた他の感覚は鋭敏になる。まるで視覚が再び主導権を握るまでのわずかな時間に、地震の重要性をアピールするように。
魔王が血を這いずる音……。シロが地面を蹴り上げるように力強く足を上げる音……。手を繋いでいる城ケ崎が、今朝髪を洗う際に使ったシャンプーの匂い……。
……どうも感覚が鋭敏になり過ぎていないか? いくらなんでもここまで研ぎ澄まされる訳が……。
そう思って、思わず立ち止まりそうになってしまった時、不意に光が全身を包んだのだった。
久しぶりに目にする明るい光に目が眩んでしまう。
ふと頬を撫でる風に、ハッとすると、洞窟の中を歩いていた筈の俺たちは、見知らぬ世界に立っていた。
「ここが……、異世界……?」
「そっ! 私たちが生まれ育った世界だよ! ど~んなもんだい!」
シロが威張ることじゃないと思うが、パッと見は良いところだな。もし、岩山みたいな荒廃した場所だったらどうしようと危惧したが、のどかなところで安心した。
背後を振り返ると、ぽっかりと開いた洞穴がそこにあった。俺たちはあそこから出てきたのだろう。それは確かなのだが、いつの間に外に出たのかが、記憶にない。よく見ると、俺たちの出てきたところ以外にも、そこら中に大小様々な大きさの穴が開けられていた。魔王が暇つぶしで開けたという穴の数々だろう。全く! 度の超えたストレス発散法だ。こんなことでは、この世界が魔王一匹の手で崩壊する日も近いかもしれない。
しかし……、こっちの世界も空は青いんだな。緑や赤だったらどうしようかと思っていたよ。ただし、俺たちの世界では太陽にあたる眩しい星が、空に二つ浮いていた。
「きれいなところですね。周りは森と川だけ。人の手が加わっていない」
「ここはね! 私たちの住んでいるお城や、人間共の街は、人工物が多いよ!」
それでも、俺たちの住んでいる都市部よりも何倍もマシだろう。よもや近未来の宇宙要塞のように、巨大な機械の塊という訳でもあるまい。
「RPGの世界に引きずり込まれたような既視感がありますね」
「魔物を倒したら、ダメージが数字で表示されそうだよな」
まだ来たばかりだが、異世界の第一印象はまずまずだ。
「お兄ちゃんたち! 何をそこで楽しげな会話を繰り広げているの! ここはそんな柔な世界じゃないんだよ!」
雑談を楽しんでいると、シロから叱られてしまった。本人的には、俺たちを仕切っているつもりなんだろう。何か、小学校のクラス委員を彷彿とさせるな。もう少し幼ければ目障りだったろうが、俺の眼には微笑ましく映る。
「どうせ空気は美味しいとか、景色がきれいだとか、そんなことばかり考えているんでしょ! 私もそう思うよ!」
新手の一人ボケツッコミだろうか。それなら、全然面白くないぞ。
「しか~し! その考えはすぐに改めることになるだろうね! だって、ここはゲームの世界じゃないんだから! 一番違うのは、ゲームオーバーは死を意味するってことだよ! リセットしたら、同じ場所からリスタートは出来ない! 本当に死ぬんだよ!」
シロは大真面目に語っているのだろうが、似たような設定を、ライトノベルで目にしたことがあるせいか、緊迫感に欠けてしまう。それでも同意しておかないとうるさそうなので、なるべく気持ちを込めて成る程と言っておいてやった。
城ケ崎も同じようで、本来ならもっと怯えるべきことなのに、たいしたことがないように感じてしまっている。きっとこの中の誰かが非業の死を迎えない限り、実感することはないんだろうな。
「かかか! まだ実感が湧かねえようだなああ! だが、心配するなああ! すぐに分かることになるさああ!!」
やれやれ。魔王には、俺たちの本心が筒抜けのようだな。お世話になるのは、シロよりも魔王かと思っていると、身をくねらせてどこかへ移動していこうとする。
「どこかに行くつもりなのか?」
「どこに行くだああ? そんなの決まってんだろおお! 暴れまわりに行くんだよ、あちこちでなああ! お前らの世界でずっと大人しくしていたせいで、欲求不満なんだああ! いい加減発散しないと、ストレスで体が爆発しちまうんだよおお!! お前らの道案内には、シロを残しておいてやるから、心配はするなああ!」
いや……、シロに案内されることも不安なんだがね。かといって、スイッチの入ってしまった魔王を引き留めて道案内を頼むのも怖い。
爆発はしないと思うが、欲求不満は本当のようで、話し終えるか終えないかの内に、俺たちの前から姿を消していた。遠くの山々が爆音と共に崩れ去っていったので、大体の位置は把握出来た。
「シャロンが統治者として問題があるのは聞きましたけど、魔王も問題がないとは言い切れないですね」
「魔王だからな」
目の当たりにする圧倒的な力に、畏怖を感じて、身震いしてしまう。地形すら変化させてしまう程とはね。
「宇喜多さん。あの暴れぶりを見て思ったんですが、奪還作戦を行う際は、魔王に暴れてもらって、その隙に実行するというのはどうでしょうか」
「あ、それ、いいな!」
あの性格なら、囮も喜んで引き受けてくれそうだ。仮に俺たちの潜入に気付かれても、魔王のせいで、それどころじゃないだろう。
「シロ! 来て早々で何だが、ルネが囚われているシャロンの居城について教えてもらえるか?」
景色を楽しんだ後、ルネの名前を口にした時、城ケ崎がわずかに顔をしかめたが、俺は気付かなかった。シロは両方の顔を見比べて、かすかに唸りつつも、俺の質問に答えてくれた。
「シャロンはね! 人間共が作った街の中で、最も大きい街の中心にある城に住んでいるよ! いつもたくさんの兵士が警護していて、私でも容易に近付けないね!」
予想通りだな。俺の想像した王の居城、そのまんまだ。
「ふ~ん、成る程ね。そこにこれから向かうことは出来るか?」
「む! 来た早々で、もう攻めるの!? 私でも正面突破は厳しいって、言ったばかりじゃん! 今日のお兄ちゃんは、いつになく積極的だね! これも愛の力ってやつなのかな?」
「からかうな! これから攻めるところを偵察に行くだけだよ。本番に初めて訪れたら、どこに何があるのか分からなくて混乱するだろ」
これからひと暴れする前に、拝んでおきたいだけだ。あと、ルネが良そうな場所に目星をつけておきたいという狙いもある。
「まっ、いいや! じゃあ、まず人間共の街から、お兄ちゃんたちを案内していくね!」
俺の願いは簡単に通った。シロが目を閉じて、呪文のようなものを口ずさみ始めると、下から風を吹き上げられているかのように、彼女の衣服や髪が持ち上がった。しかも、額には紋章のようなものまで浮き上がっている。
「何をしているんですか?」
「……」
城ケ崎の問いかけにも無視を決め込んでいる。おしゃべりなシロにしては、かなり珍しいことだ。
俺も城ケ崎もシロの行為をかたずを飲んで見守っていると、やがて目の前に大きな光の輪が出現した。
「は~い、お待たせ! この光の輪をくぐるとワープ出来るんだよ。普通に歩いたら、三日はかかるからね! 無駄な時間は省略だよ!」
「おっ! 異世界っぽいな!」
「本当はお兄ちゃんたちの世界でも使いたかったんだけどね。あそこだと、上手く力を引き出すことが出来ないんだよ! 何故か」
火球をばんばん放ったり、翼を生やして空を飛びまわったりしていたが、あれで力を上手く引き出せていないというのか。そうなると、全力を出せるようになったシロは、果たしてどれだけ化け物じみているというのか。
「……頼もしいことだな。これから一戦交えようという時に、心強い戦力の存在は何よりもありがたい」
「けれど油断も出来ませんよ。シャロンたちも、シロちゃんと同じように、私たちの世界では実力を上手く発揮出来ていなかったかもしれませんからね」
正直に言うと、魔力を兼ね備えていない俺が通って大丈夫か不安だった。シロは大丈夫と言い切っているが、ワープ中に爆発してしまう自分が頭をよぎっていたのだ。
結果的には杞憂に過ぎず、気が付いた時には、俺たちは、人間たちの街の片隅。人が通りそうにない路地裏へとワープしていた。




