役割 2
◆◇◆◇◆
「はぁ……」
小夜は、箒を手にため息をついた。
家の周りを掃除しながら呟く。
「どうして上手くいかないのかなぁ……」
料理の本でも読んで勉強した方が良いのだろうか。
そんな事を考えていると、
「おっ。綺麗になってるな」
「斬影さん」
家の中から、斬影が顔を出した。
こちらに歩み寄ってくる斬影に、小夜は申し訳なさそうに頭を下げる。
「あの……昨日はすみませんでした。私……どうも料理は苦手で……」
小夜がそう言うと、斬影は笑いながら手を振った。
「なぁに。気にする事ぁねぇよ。誰にでも得手不得手ってモンがあらぁ。そうやってちょっと掃除手伝ってくれるだけでも十分助かる」
小夜は顔を上げる。
おおらかで、温かみのある人だと思う。
正直、大和と似ているとは思えないが。
(……大和はお母さん似なのかなぁ?)
ふと、そんな事が頭を過る。
「さてと。飯の支度でもするかな。小夜ちゃん、掃除はその辺で良いぜ」
「あ。はい!」
小夜は掃除道具を片付けると、斬影の後を追うように家の中へと戻った。
斬影が昼食の下ごしらえをしている間、小夜は黙ってその様子を見詰めていた。
二人の間に会話は無く、沈黙に耐え兼ねた小夜は口を開く。
「あのぉ……」
「んー? どうした?」
「斬影さんは、お一人で生活してたんですか?」
言ってから――また随分と脈絡のない事を……と思ったが、斬影は気にした様子もなく答えた。
「ああ。まあな」
「えっと……奥さんは……」
「居ない居ない」
「…………」
斬影の答えはあっさりとしている。
それがいつもの事なのか、それとも答えたくない質問だったせいなのか分からないが、小夜は少し居心地悪そうに身動ぎした。
「あの……すみません。私……何か悪い事を訊きました?」
「うん?」
斬影は台所からひょいと顔を覗かせると、
「違う違う。別に、別れたとか先立たれたとかそういう事じゃなくて最初から居ないんだよ」
それを聞いて、小夜はきょとんと目を丸くする。
「えっ……じゃあ大和は……」
「んん?」
その瞬間、斬影は手を止めた。
「何だ。あいつ話してないのか……って、まぁそりゃそうか」
斬影は暫く何か考え込むような仕草をみせると、やがて口を開く。
「あいつは自分の口からは言わないだろうしな……まあ、俺が話す分には構わんだろ」
「あの……」
何の事か分からないというような表情の小夜に、斬影は人差し指を立てて、
「……でも俺から聞いたってのは大和には内緒な」
「はぁ……」
斬影は軽く咳払いをし、語り始めた。
「あいつ……大和はな。捨て子だったんだよ」
「えっ!?」
斬影の口から明かされた事実に小夜は驚き――思わず持っていた湯飲みを落としそうになる。
何とか持ち直して、小夜は湯飲みを机の上に置いた。
「寒い冬の朝でな。山は一面、雪で真っ白。息も凍り付きそうだった。そんな中……あいつを見付けた。薄っぺらなぼろ布にくるまれて、まるでゴミみてぇに捨てられてたあいつを……」
「…………」
語りながら、斬影はどこか遠くを見るような眼差しをしている。
小夜は黙って斬影の話を聞いていた。
「はじめは死んでるんだろうと思った。体は冷えきってて、ピクリとも動かなかったからな。生まれたばかりの赤子が、いつからそこに居たか分からねぇが……一晩持つワケがねぇ」
斬影は小さく吐息した。
「……でもあいつは生きてた。雪を払って、抱き上げてやったらしっかり生きた眼で俺を見返してきたよ。で。拾ったのをまた捨てるのもアレなんで、俺が面倒見てやったってワケだ」
と、そこで斬影は、ふふっと含み笑いを漏らす。
「しっかし、これがまた可愛げのねぇガキでな? 泣きもしねぇ笑いもしねぇ。おまけにこっちの言う事に対して何の反応も示さないときたモンだ。まぁ、手間は掛からなかったがよ」
そう言って、斬影は表情を変えた。
どこか憂いを帯びた眼差しで、
「……あいつは生まれた時から周りの言葉を理解してた。だからだろうな。そうやって感情を押し殺してないと、潰されそうだったんだろう」
それから斬影は色々な事を語ってくれた。
小夜が知らなかった大和の過去を。
大和が初めて口を利いた時の事や、大和と祭りに行った時の事……
そして――大和が旅に出ねばならなくなった時の事。
その理由を。
十年前、大和と斬影の許に――正確には大和の中に眠る鬼の力を狙って――妖魔が押し寄せてきたのだ。
その戦いで、二人は離れ離れになった。
「……俺はあいつの事を護ってやれなかった。随分しんどい思いをさせたと思う。ひょっとしたら……恨まれてるかもしれねぇと思った」
「……斬影さん」
小夜はさっと立ち上がり、拳を握り締める。
「恨んでるなんてそんな事ないですよ! 大和は斬影さんの事が大好きだから……だからずっと斬影さんを捜して旅をしてたんです!」
「ぷっ」
それを聞いた瞬間、斬影は思わず吹き出した。
「“大好き”か。あいつの口からは一生出て来なさそうな言葉だなぁ」
ひとしきり笑って、
「……っと。つい色々話し過ぎちまった」
斬影は再び台所に戻る。
「……あいつ自身、負い目に感じてる部分があったんだろうぜ。気にするなと言っても、そう簡単に割り切れるモンじゃねぇのは分かってるけどな」
今、自分に出来る事といえば、あの頃と同じように接してやる事だ。
あの日の事が、何でもなかったのだと思えるように。
そんな事を考えながら包丁を握っていると、
「あでっ!」
「斬影さん!?」
手元が狂って指を切ってしまう。
斬影は切った指をくわえながら、
「つぅ……小夜ちゃん。薬箱取ってくんねぇ?」
「あ。はい!」
小夜は薬箱を持って、ぱたぱたと斬影の許へ駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
「ああ。大丈夫、大丈夫」
薬箱を開け、傷の手当てをしようとする斬影を見て、
「あ!」
小夜は何か思い付いたように声をあげた。
「斬影さん! ちょっと手を見せて下さい」
「ん?」
斬影は怪訝な表情をしながらも、小夜に手を差し出す。
「どうした?」
「…………」
小夜は斬影の手を取り、傷の具合を確めた。
かなり深く切ったようで、彼の指からは血が滲んでくる。
小夜は傷口に手を翳すと、目を閉じた。
「……小夜ちゃん?」
斬影は小夜の顔を覗き込む。
と――その時。
「!」
小夜の手が淡く光を放つ。
その光が斬影の手にも移り、傷口を包み込むと、痛みが引き、みるみるうちに傷口が塞がっていく。
斬影は目の前の光景を見て、驚いた。
やがて完全に傷が塞がると、小夜は顔を上げ、
「……どうですか?」
「お……おおっ! 治ってる!」
しげしげと自分の手を眺め――斬影は瞳を輝かせた。
「ありがとよ! すげぇな、小夜ちゃん! こんな事が出来るのか!」
「大和があんまり怪我しないんで……ちょっと忘れてました」
と、頭を掻きながら小夜。
斬影は軽く目元に手を当て、
「こんな事が出来るなら……わざわざあんな危険なモノを作る必要なんて無かったのによ」
「……危険なモノ……」
小さく呟いて、小夜は複雑な表情を浮かべた。