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絶望の淵

 

 はじめに聞こえてきたのは、知らない男の声だった。

「……ああ。目が動いた。持ち直したぞ! おいっ! しっかりしろ!」

 そんな声と共に、頬が叩かれる。

 何故、叩かれたと分かったのかといえば、耳元で音がしたからだ。

 痛みは無かった。

 というより、感覚が殆ど無かった。

 手足に力が入らず、体が思うように動かせない。

 呼吸もままならず、酷く息苦しい。

 しかし、その息苦しさや煩わしさが却って彼に“生きている事”を実感させた。

(生きてる……のか。俺は……)

 ぼんやりとした意識の中、斬影は胸中で呟いた。

 痛みは無いが、体は冷え切っているようで、とにかく寒い。

 体をさすろうにも、腕が上がらない。

 暫し虚空を見据え、

「…………!」

 唐突に――まるで心臓が凍り付いたかのように、斬影の体温は一気に下がった。

 霧が晴れるようにして、次第に回復してきた斬影の脳裏に、一つの顔が浮かんだからだ。

 真っ白い髪に、紅い眼。

 無口で無愛想な一人の少年……

(大和……大和はどうした!?)

 斬影は、すぐさま跳ね起きて大和の姿を捜したかったが、それは叶わなかった。

 僅かに動く眼球のみで、大和の姿を捜す。

 しかし……

 視線の届く範囲に大和の姿は無かった。

 感覚は無いというのに、胸の奥が深く痛む。

「……や……ま……」

「何だ? 山がどうした?」

 斬影は大和の安否を確かめるべく、すぐ傍に居た男に向かって声を掛けた。

 だが、その声はあまりにも小さく、掠れていた為、男は聞き取れなかったらしい。

 小首を傾げる男に、別の男が口を挟む。

「あれじゃないか? ほら……あの山火事から逃げて来たって……」

「ああ。成る程な」


 

(…………)

 その時の感情を、どう表現したものだろう。

 斬影は思わず苦笑いしたくなった。

 普段の自分なら「そうじゃねぇ!」と、思い切り突っ込んでいるところだ。

 確かに、山火事から逃げて来たのは間違いないのだが、言いたい事はそうではない。

「子供を見なかったか?」と訊ねたいのだ。

 白い髪と紅い眼を持つ男の子……

 斬影は短く息を吐く。

(大和は……あれから無事に逃げられたのか……?)

 燃え盛る炎と、視界を閉ざす煙――そして、無数の妖魔。

 あの地獄のような場所から、大和は生き延びる事が出来たのだろうか?

 最後に見えた人影――あれは、きっと大和だ。

 あの時は生きていた。

 大和を護る為、あの妖魔に斬り掛かったは良いが、その後の事が分からない。

 せめて、無事を確認したいところだが……

 体を動かす事も、満足に喋る事も出来ない。

 こういう時、自分の意思を相手に伝えるにはどうすれば良いのか――斬影には分からなかった。

(……ああ。こりゃ難儀だな)

 もどかしくて、情けなくて……斬影は何だか泣きたくなった。

 涙こそ出なかったが。

 僅かに下がった眉からは苦悶の色が見えたのか、傍に居た男が心配そうな声をあげる。

「どうした? 苦しいのか? この集落には医者が居なくてな……今、ここの者が医者を呼びに行ってる。けど、山火事と長雨のせいで町に通じていた道が塞がっちまってよ。遠回りにはなるが……大丈夫。必ず助かるから気をしっかり持て」

 男の声を聞きながら――斬影は思った。

(――そうだ。生きてんだから……とっとと怪我治して、大和を迎えに行ってやらねぇと……)


 

 あの時、大和は言った。

「一人は嫌だ」――と。

 大和は自分から何かを求める事は殆ど無い。

 斬影に促されて、町の子供に誘われて――求められれば、それに応じる(拒否もする)が、自ら主張する事は無かった。

 恐らく、“それ”をしてはならないと思い込んでいた為だ。

 思う事はあっても、それを表に出してはならない――と。

 何かを望む事を諦めていた。

 真実、大和が何を思っていたのか……それは分からない。

 けれど、あの少年は知っている。

 孤独と絶望を。

 生まれ落ちたその時から。

 それがやっと――あんな状況ででも――思っていた事を口に出す事が出来た。

 だから、大和を一人にすまいと強く思った。

 だが……

(……結局、一人にしちまった)

 大和の気持ちには、薄々気が付いていた。

 祭りの夜、こちらの着物の袖を掴んで来た時に。

 或いは七夕の日、大和が短冊に書いた願い事を見た時に。

 たった一つ。

 大和が願ったもの……

 そこに、大和の気持ちは表れていた。

(あいつは何も感じてない訳じゃない――ずっと我慢してただけなんだ)

 それを思うと、どうにも居た堪れない気持ちになる。

 今、大和はどうしているだろうか……

 大和はきっと――いや、必ず生きている。

 自分がこんなになっても生き延びたのだ。あの少年がそう簡単に死ぬ訳が無い。

 しかし……

 家は焼け、頼る当ても無く……大和には行く所が無い。

 自分が迎えに行くまでの間、どうやって生きていくのか……


 

 単純に腕だけなら、大和は退治屋として充分にやっていける。

 最低限の知識は教えてやった。

 だが、それだけで立ち回れる程、簡単な話でも無い。

 大和はまだ幼い。

 その上、人付き合いが上手いとは言い難い。

 口下手で、無愛想なところも円滑な人間関係を築く妨げになるだろう。

 退治屋としてやっていくにしろ何にしろ、人から信頼を得るには、相当の苦労を強いられるに違いない。

 大和は賢いが、世間知らずな面が大いにある。

 人懐っこくは無いから騙される事は少ないだろうが、逆に助けてくれる手まではね退けてしまいそうだ。

 とにかく、独り立ちするには、まだ色々と早過ぎる。

 とは言え――……

(……そうは思っても、今の俺にゃあ、何もしてやれねぇんだが……)

 今はただ、大和の無事を祈り、再会出来る事を願うしか出来ない。

 そんな自分の不甲斐なさに、斬影はどうしようもなく腹が立った。

 大切なものを護る事が出来なかった絶望と、失う恐怖。

 それをまた繰り返そうとしている。

 もう二度と、あんな思いはしたくないと思ったのに。

 一人は嫌だと言った大和を一人ぼっちにして……

 そうして、あれこれ思考を巡らせているうちに、斬影の意識が再び白んでくる。

 しかし、斬影はそれに抗った。

 無駄な抵抗ではあったが。

(……ったく。寝てる場合じゃ……ねぇ……ってのに……)

 今すぐにでも飛び出して行きたい気持ちとは裏腹に、体は休息を求めていた。

 混濁する意識の中、斬影は胸中で語り掛ける。

(……ちゃんと……捜しに行く。迎えに行くから……だから……ちょっとだけ待ってろな。大和……)

 それだけ呟いて――斬影は深い眠りに落ちた。

 暗い絶望の淵で、微かな希望を抱きながら。



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