お留守番 1
それは、大和と斬影が墓参りに出掛けた少し後の出来事――
二人と入れ替わるように、久遠が斬影の家へとやって来た。
バンッ! と勢いよく戸を開け、
『おいっ! 鬼様の刀は汚してないだろうな!?』
いつものように中に入る――が。
『……ん?』
部屋の中には誰も居ない。
『何だ? 出掛けてるのか? こんな朝早くから……』
人の気配は無く、家は無人のようだった。
『あの女も居ない?……あっ』
と、久遠はちゃぶ台の上に置かれている一枚の紙を見付ける。
書き置きには『大和と二人で仕事に行っているので帰りは少し遅くなる』と、書かれていた。
久遠は書き置きをちゃぶ台に戻し、
『……仕事? そう言えば……確か、あの眼帯の男も退治屋なんだったな』
久遠は斬影が戦っている姿を見た事が無かった。
久遠が訪ねてきた時は、いつもゴロゴロしているように思う。
とてもじゃないが、まともに刀が握れるようには見えない。
久遠はひとつため息をついた。
『……せっかく来たのに……誰も居ないのか。いや別に寂しいとかそんなんじゃ無いけど』
ぶつぶつと独り言を言い、
『あれ……でも二人で出掛けてるって……じゃああの女は?』
女の方が先に出掛けていたという事だろうか……
そして、その後仕事が入り、女より帰りが遅くなりそうだから書き置きを残した――そういう事だろう。
『……まあ、遅くても夕方には帰って来るだろ』
と、久遠はいつも通り、鬼の刀を磨き始めた。
――その日の夜。
『…………』
久遠は鬼の刀の傍で、膝を抱えてじっと戸口の方を見詰めていた。
そして――ぽつりと呟く。
『……帰って来ない』
大和も、眼帯も、あの女も。
誰一人帰って来ない。
いつもなら、とっくに夕飯を済ませている頃だ。
久遠は自分で採ってきた木の実をかじりながら、鬼の刀に縋り付く。
『……何で誰も帰って来ないんだ』
ひょっとしたら今日は戻って来ないのかもしれない。
女の方は分からないが、大和(と斬影)は仕事で二、三日戻らない事があった。
久遠がそう思い、ため息をついた――その時。
ガタッと物音がした。
『帰って来た!?』
久遠はぴんっと耳を立てる。
人里に近いとはいえ、少なからず妖魔も出没するこの山には、あまり頻繁に人間は立ち入らない。
この家にも、日のあるうちは、あの眼帯の男が契約を結んでいると言う村から、仕事の依頼で人間がやって来る事がある。
しかし、日が落ちてからの来客は殆ど無かった。
余程急を要する事態でも無い限り人は訪ねて来ない。
戸を開けようとしている者には、その様子がなかった。
どうやら戸に何か引っ掛かっているようで、うまく開かないらしい。
久遠はそれを見て取ると、戸口へ向かい突っ支えを外してやる。
すると、あっさり戸が開く。
戸が開いた瞬間、久遠は声をあげた。
『遅いぞっ! 今まで何処で何やってたんだ!』
しかし――
『……えっ?』
家の中に入って来たのは、大和でも、眼帯でも、あの女でもない。
見知らぬ男が数人、それぞれが手に武器を携えている――山賊だった。
『なっ……何だ、お前ら!?』
久遠が仰天していると、一際大きい男が、久遠の首根っこを掴み上げる。
『は……離せ! この人間!』
「何だ? こいつ……妖魔か?」
そう言って、男は久遠の尻尾を引っ張った。
『ああぁぁああっ! 引っ張るなぁぁぁっ!』
バタバタと暴れる久遠を、男は面白がるように眺める。
「こいつはおもしれぇ! なぁ、これもひょっとして金になるんじゃねぇのか?」
『んなっ!?』
「そーだな。そういう珍獣を欲しがる奴に高く売れるかもな」
男達の会話を聞いて、久遠は絶句した。
(こいつら……盗人!?)
と――
「おっ? こりゃ立派な刀だ」
『!』
久遠の思考を遮るように、別の男の声が聞こえ、久遠は全身を粟立たせた。
家の中を物色していた男が、鬼の刀に目を付けたのだ。
『やめろっ! 鬼様の刀に触るなっ!』
久遠は声を張りあげ怒鳴るが、男は全く気にも留めない。
「このまま持って行ったんじゃ目立って仕方ねぇな」
「この妖魔の持ちモンだろ? 別に持って行ったって問題ねぇさ。こいつごと売っ払えば良いんだからよ」
久遠の声には耳も傾けず、男達は刀を持ち出そうとしている。
(こんな……こんな薄汚い人間達なんかに……!)
久遠はギリッと歯噛みした。
『……鬼様の刀に……』
「ん?」
小さく呻く久遠の顔を男が覗き込む。
久遠はあらん限りの声で叫んだ。
『鬼様の刀に……汚い手で触るなぁぁぁぁっ!』
刹那――
「!?」
ぶわっ! と強烈な風が吹き抜け――辺りは一瞬のうちに真っ白い霧に包まれる。
「何だこりゃ!?」
「霧……!?」
「馬鹿言え! 家ん中だぞ!?」
視界を奪われ、狼狽える男達。
その声はやがて悲鳴に変わる。
「なっ……蛇!?」
「う……うわあぁぁぁぁぁぁっ!?」
突如、豪快に戸を破って大蛇が男達に襲い掛かってきたのだ。
大蛇は、巨大な口を開けて鋭い牙を光らせると、男達に食らい付く。
「や……やめろ! 離せっ!」
「くそっ! 刃が……こいつ硬過ぎる!」
「駄目だ……逃げろっ!」
山賊は、大蛇が壊した戸口から逃げ出して行った。
しかし、大蛇は山賊を逃がそうとはせず、後を追う。
暫くして、再び彼らの悲鳴が聞こえてくる。
そして、それはやがて遠のいていった。
『…………』
静かになった部屋に一人残された久遠は、小さくため息をついた。
ふんっと鼻を鳴らし、
『……ホントに……人間は馬鹿ばっかりだ』
先程の大蛇は、久遠の見せた幻だった。
久遠の術は、それ自体に殺傷能力は無いが、使い方次第で相手を自在に操る事が出来る。
この家の裏側は崖になっており、久遠は幻術を用いて山賊達をそちらに誘導した。
当然、その先に道は無い。
大蛇に追われていると思い込んでいる彼らは、崖を真っ逆さまに転がり落ちただろう。
ここに戻って来る事はあるまい。
久遠は部屋の中を見回す。
山賊達が土足で踏み入ったせいで、あちこち泥が上がっている。
ちゃぶ台もひっくり返り、その上に置かれていた書き置きも、踏まれてクシャクシャになっていた。
『…………』
久遠はちゃぶ台を元に戻す。
そして、書き置きに付いた土を払い、シワを伸ばしてちゃぶ台の上に置き直した。
箒とちりとりで土を綺麗に取り除き、雑巾がけをする。
掃除をしながら、久遠は瞳に涙を浮かべた。
雑巾を握り締め、
『――……早く誰か帰って来いっ!』
その声に応える者はなく――声は、ゆっくりと夜の闇に溶けて消えていった。