父子 1
その日の夜――
「…………」
斬影は無言で外を眺めていた。
自分の隣で静かな寝息を立てる大和を見て僅かに表情を緩めると、胸中で独りごちる。
(色々思い出すモンだな……)
斬影は、これまであまり家族や故郷の事を考えないようにしていた。
忘れていた訳ではない――自身で蓋をしていただけだ。
それがここへ来て一度に溢れてきた。
(……ガキに後押しされなきゃ動けないとは……我ながら情けねぇ話だ)
彼は自嘲する。
今までここに足を運ばなかった理由――
船が無いと言うのは、半分は言い訳だ。
本当は、この場所へ来る事が怖かった。
もう生きていない、と思う反面――ひょっとしたら生きているかもしれないという期待があった。
自分はただ、真実からずっと目を逸らしていたのだ。
大和があんな事を言い出さなければ、今も足踏みしていただろう。
斬影は眠っている大和を起こさないよう、そっと洞穴の外へ出た。
夜中になって、雨は止んだ。
微かに見える夜空には、星が瞬く。
これなら、明日はこの島を出られる。
そう考えて――斬影は目を閉じた。
◆◇◆◇◆
「親父の刀って綺麗だよな」
「ん?」
言われて――刀の手入れをしていた正宗は、一旦その手を止めた。
「綺麗か……そうだな。磨き抜かれた刀身は、陽の光を受けて輝く……だがその反面、鋭い刃は多くの命を奪い、その血で重く錆び付いているようにも見える……」
「親父の刀は錆びて無いだろ?」
「見た目の話では無いのだよ。斬影」
正宗は笑った。
斬影の頭に手を乗せ、
「お前にはまだ難しいかもしれないな」
「う~?」
眉根を寄せて呻く斬影に、正宗は問い掛ける。
「……斬影。お前は強くなりたいか?」
訊かれて、斬影は即答した。
「当ったり前だ! 俺は親父よりも強くなるんだからな!……いつか」
「ふふ……そうか」
正宗は斬影の頭を優しく撫で、
「強くなれよ斬影。お前がいつか私より強くなったら……この刀、お前にやろう」
その言葉に、斬影は瞳を輝かせる。
「ほ……ホントか!?」
「ああ。強くなったら……な」
「うぐっ」
含みのある言い方に、斬影は一瞬言葉を詰まらせたが、拳を握り締めて言い切った。
「……なるさ。強くなってやる!」
◆◇◆◇◆
「…………」
斬影は目を開く。
自分は強くなっただろうか?
(……いや)
自問して――彼は即座にかぶりを振った。
自分は弱い。
剣の腕では無い。
弱いのは性根だ。
あの時――どんな形であれ、自分は島から逃げ出した。
そして、ここまで一人で来られなかった。
仮令、どれほど剣の腕が上がろうとも、自分は永久に父には追い付けない。
自分には、あの刀を持つ資格は無いのだ。
初めは仇を討つんだと意気込んでいた。
しかし――実際には仇を討つどころか、自分一人生きる事もままならない。
日々の生活費にも事欠き、まともな食事にありつけない事も少なくなかった。
一人になって、自分がどれほど無力な存在かを思い知った。
家族を――居場所を奪った妖魔は憎い。
だがそれ以上に、無力な自分が憎かった。
それでも生きようと思ったのは――それが、父が最後に望んだ事だからだろう。
いっそ妖魔に喰われてしまえば楽になるかもしれない――と、何度思ったか知れない。
だがその度に、父の刀が折れそうな自分を支えてくれた。
(結局……護られてたんだよな。俺は)
あの時も……これまでも。
皮肉げに笑って――後は何を思うでもなく、斬影はただぼんやりと空を眺める。
と――
かさっ……
「大和」
背後から落ち葉を踏む音が聞こえ――振り返ってみると、大和が洞穴から出て来ていた。
「どうした? もう少し寝てて良かったんだぞ? 帰りもお前の力が必要になるだろうし」
「大丈夫だ」
大和は斬影の隣に来ると、少し上目遣いで訊いてくる。
「……何してた?」
「別に何も? 少し外の空気吸ってただけだ」
「……ふーん」
斬影の返事に、大和は小さく唸る。
斬影は肩をすくめ、
「お前が起きたなら、ぼちぼち船の所に戻るか。今から戻りゃ夜明けと共に出発出来るだろ」
そう言って、歩き始める。
夜明け前。まだ日が昇らない空は暗く、足元も覚束ない。
「暗いから足元に気を付けろよ」
薄闇の中、注意深く歩を進め――大和は一瞬何かに躓いた。
「…………」
僅かに体勢を崩した大和は足を止めると、それを拾い上げる。
足元に転がっていたのは木の棒。
小さな子供が、チャンバラするのにちょうど良さそうな大きさだ。
見れば、同じような木切れがそこかしこに転がっている。
大和はもう一本、木切れを拾った。
「……ん? 大和。どうした?」
足を止めた大和に気付いて、先を歩いていた斬影が振り返る。
「斬影」
大和は、持っていた木切れを斬影に向かって投げた。
「!」
斬影は飛んできた木切れを受け止めると、眉根を寄せて呻く。
「何だ?……棒切れ?」
「斬影。構えろ」
「……は?」
木切れを手にして、斬影は間の抜けた声をあげる。
「いきなり……何を言い出すんだ。お前は」
呆れたような声音の斬影には構わず、大和は口を開いた。
足元を軽く均し、木切れを構える。
「斬影は父親を越えたかったんだろ」
「…………」
予想していなかった言葉に、斬影は面食らった。
ひとつ息を吐き、
「まぁ……な」
小さな呻き声と共に、大和の方へ向き直る。
「……けど、それとこれと何の関係が……」
「だから見せてやる」
斬影の言葉を遮り――大和は斬影が思いもよらない事を口にした。
「息子が父親を越える瞬間を」