居場所 3
『……やれやれ』
話しながら泣き出す狐を見て、鬼は軽く頭を掻いた。
『役に立たぬ……か』
泣き止まない狐に、鬼は告げる。
『確かに……お前は小さいし、大した力も無さそうだ。おまけに妖術もろくに扱えんでは、一族から追い出されるのも当然だろう』
『……っ……』
久遠はますます涙を滲ませた。
『いざ敵に襲われた時、お前のような奴は足手纏いにしかならんからな』
『……うっ……』
返す言葉も無く、久遠はただただ俯くばかり。
小さく震える狐を見下ろして、鬼は口許を緩めた。
『……だがまあ……』
鬼は首に巻いている薄布を外すと、久遠の許へ歩み寄り、ひょいと抱き上げる。
そのまま肩に乗せ、頭を撫でてやりながらこう言った。
『そんな役立たずの狐でも、何ぞ探せば使い道の一つ二つあろう』
『あの……』
困惑する久遠は無視して、鬼は続ける。
『まあ、お前も襟巻きの代わりくらいにはなるだろうよ』
『襟巻き!?』
それを聞いて、久遠は思わず悲鳴をあげた。
『か……皮剥ぐんですか!?』
『……剥いで欲しいのか?』
真顔で訊かれて、久遠はぶんぶんと首を横に振る。
『ならばそこで大人しくしていろ』
『……あの……でも……』
狼狽える久遠に、鬼は嘆息まじりに告げた。
『……傍に置いてやると言うておるのだ。嫌ならば降りろ。何処へでも好きな所へ行くがいい』
『!』
その言葉を聞いた瞬間――久遠は激しくかぶりを振って、鬼の肩にしがみ付く。
必死にしがみ付く久遠を見て、鬼は薄く笑む。
『あまりデカくては邪魔になるからな。その点、お前はちょうど良い大きさだ。後は手入れをしてやれば、多少は見られるようになるだろう』
『…………』
今まで、体が小さい事を馬鹿にされてきた。
逃げる事しか能がないと、謗られてきた。
(……でも……この方は違う)
これまで、気の休まる暇は無かった。
自分の頭を撫でてくれる手の温もりが心地よい。今は心底安心出来る。
久遠が大人しく撫でられていると、
『そうだ。お前……名はあるか?』
『……え?』
鬼に名前を訊かれ、久遠は一瞬口ごもる。
やがて、おずおずと名乗った。
『く……久遠……です』
『……そうか』
鬼はひとつ頷くと、
『では狐。お前は今日から俺が襟巻きとして使ってやる』
『えっ!? な……名前訊いたのに名前で呼んでくれないんですか!?』
『訊いただけだ』
『そんなぁ……』
あっさりと言う鬼に、久遠はガックリと頭を垂れる。
と――ふと、思い付いて久遠は顔を上げた。
『……あ。そういえば……貴方様のお名前は……?』
久遠が訊くと、鬼は一言。
『俺か? 俺に名は無い。好きに呼べ』
『……名前……無いんですか?』
久遠の言葉に、鬼は何かを考えるような仕草をみせる。
『無いな。いや……あったのかもしれんが……覚えておらぬ』
『…………』
何やら複雑な表情を浮かべる久遠に、鬼は笑った。
『別段、大した事ではあるまい。俺は独りだからな。名があったとしても、それを呼ぶ者はおらぬ』
久遠は小首を傾げた。
『名前が無いと困りませんか?』
『困らぬ』
久遠が訊くと、鬼はあっさりとかぶりを振る。
『俺は名が無くて困った事は無いな。名など……それを呼ぶ者がおらねば大して意味もなかろう。自分の名を自分で呼ぶ者もおるまい』
『…………』
『お前は名が無いと困るか? ひとりで居る時……自分の名を呼ぶ事があったか?』
『……いえ』
言われてみれば、これまで自分の名前を意識した事はあまりなかった。
そんな事を考える暇など無いくらい――ただ生きるのに必死だったのだから。
『俺にも名はあったのかもしれぬ。だが、それを呼ぶ者は居なかった。何せ俺と対峙した者は大抵俺の腹に収まったからな』
『!?』
驚く久遠をよそに、鬼は心底可笑しそうに笑う。
『角なんぞ生えておるから鬼だと言われはするが……俺はどこの一族の者でもない』
『……鬼……』
久遠はぽつりと呟いた。
『じゃあ……貴方様は唯一無二の鬼なんですね』
『どうだろうな。まあ……そういう事になるかもしれん』
どこか面白がるように、鬼は含み笑いを漏らす。
久遠はパッと顔を上げ、
『じゃあ“鬼様”って呼んでもいいですか?』
『……好きに呼べ。そんな呼び方をするのはお前くらいだろうからな。分かりやすくて良いだろう』
鬼はそう言って、地面を蹴った。
高く跳躍し、そのまま大空を翔る。
『さて……腹ごなしに何か面白いモノでも探しに行くか』
『……はいっ!』
久遠は笑顔で頷く。
しっかりと鬼の肩に掴まり――心地よい風と、自分を撫でてくれる鬼の手の温もりに身を委ねた。
この時――
久遠は漸く、自分の居場所を得たような気がした。