追憶 6
◆◇◆◇◆
「……やっと元の場所に出られた」
藪を抜けて、斬影はため息をつく。
斬影が元の海岸に出た時には、辺りは夕闇に沈んでいた。
帰り着くまでに、もっともらしい言い訳を考えておかなければならない。
何と言い訳したものかと考えていた時。
「斬影ーっ!」
「……ん?」
海から声が掛かり、斬影は顔を上げる。
島の漁師達が漁から戻って来たのだ。
たまたまこちらの姿を見付けて、声を掛けて来たのだろう――斬影はそう思った。
だが、この時ばかりは少し様子が違った。
「お前、そんな所で何やってんだ!?」
大声で怒鳴りつけるように言ってくる漁師に、斬影は眉をひそめ、
「何って……仕事だよ! 親父に言われてこの辺調査してたんだ!」
向こうに聞こえるよう、斬影も大声で返す。
漁師達は互いに顔を見合わせ、
「斬影! 今そっちに行くから、お前も船に乗れ!」
「はぁ?」
斬影は小首を傾げ、怪訝な表情を浮かべた。
「今からまた漁に出るのか?」
「違う! とにかくそっちに寄せるから、お前も乗るんだ!」
「…………」
切羽詰まった様子の漁師達を見て、少なからず斬影は不安感を覚える。
「……でも俺……早く家へ帰らないと」
斬影が小さく呟いた――その時。
がさっ。
「!」
背後から草を踏み分ける音が聞こえ、斬影は振り返った。
「だ……誰か……」
振り返った先には、ずたぼろの姿で、息も絶え絶えに歩いてくる人の姿があった。
彼は力尽きたのか――その場に倒れ込んだ。
斬影は慌てて彼の許へ駆け寄る。
「大丈夫か!?」
斬影は船に向かって叫ぶ。
「誰か……誰か来てくれ! 人が……酷い怪我を……!」
「その声……斬影……か……?」
「!」
彼は震える手で、斬影に持っていた刀を手渡した。
「こ……これ……を……」
「これ……」
斬影は驚いて目を丸くする。
「親父の……刀!?」
彼は、呼吸の合間を縫うように言葉を吐き出した。
「村は……もう……駄目だ……早く……逃げ……」
「ちょっ……もう駄目って……!? 早く誰か……!」
自分の腕の中で次第に呼吸が浅くなる男を見て、斬影は焦る。
と――その時。
「斬影! 伏せろっ!」
「……えっ?」
狼狽える斬影の背後から、声が掛かった。
漁師の一人が、こちらに駆け寄って来る。
斬影が振り返ろうとした瞬間、
「あああぁぁぁぁああっ!?」
斬影は絶叫した。
突然、何も見えなくなり――頭蓋の奥から熱く、痺れるような苛烈な痛みが染み出してくる。
あまりの激痛に、斬影はその場でのた打つ。
死角から飛び出して来た妖魔に、右目を抉られたのだ。
だが、斬影には何が起こったのか理解出来ない。ただ痛みに悶え苦しむ斬影に、再び妖魔が襲い掛かる。
「ちぃっ!」
漁師の一人が護身用の刀で妖魔を斬り、斬影の体を抱き上げた。
「斬影!」
「うっ……ああぁぁっ……!」
喉の奥から声を絞り取られたように、斬影はただ呻き声をあげる。
もう一人付いて来ていた漁師がこちらの顔を覗き込み、
「大丈夫か?」
「ああ。けど斬影が目をやられた。そっちは……」
「駄目だ……もう息が……」
「そうか……」
彼らは瞑目すると素早く踵を返す。
弔ってやりたかったが、今は時間が無い。
「……船へ。急げ!」
斬影を連れて男達が戻ると、漁師仲間が安堵の声を漏らした。
「戻ったか」
「ああ。急ごう。もうここいらにも妖魔が迫って来てる」
「ま……待ってくれ……!」
「斬影」
船が動き出し、終わらない激痛の中、斬影は荒れる息で声をあげた。
「っ……何が……起きてるんだ? アンタ達には……分かってるん……だろ?」
「…………」
漁師達は暫し口を噤み、
「お前は休んでろ。お前の傷は医者に診せないと駄目だ」
「俺の事はいいっ!」
大声をあげる斬影に、気の弱そうな男が近付いてきて、心配そうに肩を叩く。
「斬影……あまり興奮するな。傷に障る」
「知ってるんだろ……村は……親父はどうしたんだ? なんであの人はあんな酷い怪我をしてまで俺に刀を……」
「……詳しい事情は俺達にも分からない。だが、お前も気付いてるんじゃないのか?」
真っ先に斬影を助けに来た男が、静かに口を開いた。
その瞬間、斬影はびくりと体を震わせる。
「俺達は漁から戻ってすぐ島の異変に気付いた」
男は空を見上げ、
「お前は空を見たか? 雲のように見えた黒い塊は妖魔の群れだ。それが島に押し寄せていった……」
「…………」
斬影は黙って男の話に耳を傾ける。
父の刀を握り締める手が震え、刀がカタカタと音を立てた。
「アレを見て、俺達はこの島の者だけで対処出来ないと判断した。だから……」
「だから逃げるのか」
「…………」
男の言葉を遮り、斬影が口を開く。
「斬影……」
側に居た漁師の一人が、制止の声をあげる。
だが、斬影はそれを無視した。
「島の者だけで対処出来ないから逃げるのか。親父は戦ってるんだろ!?」
「斬影。そういう事じゃない。俺達は逃げるんじゃなくて、助けを呼びに行くんだよ」
心許なさそうに言う男に、斬影は吐き捨てる。
「同じ事だ! 今、島の人達を見捨ててここを離れるんだから!」
「じゃあどうする!? 戻った所で犬死にするだけだ! 俺達にはそんな大層な力はねぇ! 誰かが行かなきゃ島は壊滅するだけなんだよ!」
激昂する男と斬影の間に別の男が割って入り、
「斬影……分かってくれ。お前だけじゃない。ここに居る奴らみんな大切なモノを置いてきてる。辛い気持ちは分かるが……堪えてくれ」
「…………っ!」
男はそう言って、斬影を宥めるように背中を撫でる。
「お前にも分かるだろう。親父さんが……正宗さんがお前に託した刀の意味が……お前は生きなきゃ駄目なんだよ」
「……ふっ……くうぅっ……」
自分を抱き留めてくれる漁師に、斬影はしがみついた。
涙が溢れてくる。
抉られた右目より、もっと深い場所が痛んだ。
「お袋……雪乃……親父……!」
日が落ち、真っ暗な海を船は進む。
島は暗闇に溶け――やがて見えなくなった。
◆◇◆◇◆
「――その後、俺は島の漁師達に連れられて医者の所まで運ばれた」
ふぅ……と、斬影は小さく息を吐き、
「町には漁師の親戚が居てな。傷が癒えるまでは面倒見てくれた。けど、ずっと世話になりっぱなしって訳にもいかねぇし、俺は傷が癒えてすぐにその家を出た」
「…………」
「そんでまぁ……刀だけは手放す気になれなかったから、最初はその辺の食堂やら茶屋やらで下働きしつつ、ぼちぼち退治屋の仕事が出来るようになった頃にお前を拾って――今に至る訳だ」
そこまで話して、斬影はポンと大和の頭を叩く。
大和は斬影の方へ向き直ると、退魔刀を示し、
「じゃあ……この刀は……」
「親父のだ」
「!」
あっさりと告げる斬影に、大和は驚いて目を見開く。
「何でそんな大切な物……!」
「いいんだよ」
詰め寄る大和を、斬影は片手で制し、
「それは……大切なモノを護る為の刀だからな」
「……え?」
斬影は微かに笑った。
「親父はその刀で沢山のモノを護ってきた。島の事、お袋の事、雪乃の事。それから……俺の事も」
「…………」
「俺にとって大切なモノは家族だ。俺は、その刀でお前と……お前が大切に想うモノが護られるならそれで良い」
そう言うと、斬影はいつもの――どこかふざけたような笑みを浮かべ、
「後生大事に飾り付けておいて、あの日お前を死なせちまってたら、俺は一生後悔しただろうぜ」
「斬影……」
「そいつはお前が持ってりゃいい。俺が持ってても宝の持ち腐れだからな」
「…………」
「さて。つまんねぇ昔話はこれで終いだ」
斬影は、洞穴の外へ視線を向けた。
雨はまだ止みそうにない。
視線を戻し、干し肉を大和に手渡す。
「雨で飯の用意も出来なかったからな。やる事もねぇし。これ食ったら適当に交代で仮眠するか」
「……ああ」