追憶 5
◆◇◆◇◆
斬影が森で毛玉を追うのに夢中になっていた頃――
正宗は、斬影とは別の方角から海岸沿いの妖気を調べていた。
「やはり……この辺りもかなり妖気が濃くなっている」
妖魔が暴れ出す前兆として、島全体の妖気が濃くなる事はこれまでにも確認されていたが、これほど急激に範囲が広がるのはあまり例が無い。
(これは早急に対策を立てねば……)
正宗がそう思い、ひとまず村へ戻ろうと思った――その時。
ふっ……と辺りが暗くなる。
「何だ……?」
正宗は視線を上に向けた。
そして、我が目を疑う。
「なっ……!?」
視線の先には、夥しい数の妖魔が群れを成して飛んで行く様が映った。
「馬鹿な! 何処からこんなに……」
妖魔の群れは真っ直ぐ村の方へと向かって行く。
「くっ……!」
考えている暇は無い。
正宗は低く呻いて、駆け出した。
◆◇◆◇◆
「お父さんとお兄ちゃん帰って来ないね」
二人の帰りを待って、外を見ていた雪乃がぽつりと呟く。
「そうね。でももうじき帰って来るわよ」
夕飯の支度をしている牡丹は笑いながら、
「今日はお兄ちゃんもお仕事して帰って来るから、ご馳走用意しておきましょうね」
「雪乃は何をしたらいい?」
「じゃあ雪乃はお野菜洗ってくれる?」
「はーい」
穏やかな時間。
いつもと変わらない――当たり前の風景だった。
そう。
この瞬間までは。
雪乃が牡丹に言われた通り、野菜を洗っていた時だ。
ドォンッ! と、短く重い爆発音が響いた。
同時に聞こえてくるたくさんの悲鳴――
「なに……?」
「これは……」
不安そうな顔で、雪乃は牡丹にしがみつく。
「お母さん……」
「ちょっとお外の様子を見て来るから、雪乃はここに居て」
そう言い残し、牡丹は玄関へ向かう。
戸を開けた瞬間、信じられないような光景が牡丹の目に飛び込んできた。
「!?」
村を覆い尽くさんばかりの妖魔の大群。
夕餉の支度をするこの時間は、多くの家で火を扱っている。
そのせいか、村は火の海と化していた。
その炎と押し寄せる妖魔の群れは、自分達の居る場所にも迫って来ている。
「…………」
――逃げなければ。
急いでこの場所から。
「雪乃!」
部屋へ戻った牡丹は、切迫した声で娘を呼んだ。
「どうしたの? お母さん」
「今すぐここを離れるわよ」
今まで見た事も無い母の緊迫した表情を見て、雪乃は不思議そうな声をあげる。
「どうして? もうお父さんとお兄ちゃんが帰って来るのに……」
「今は……それを待っていられないの。早く!」
そう言って、未だ事態を飲み込めない雪乃の手を牡丹が引いた瞬間、
バキィッ!――
「――――っ!」
「きゃああぁぁぁっ!」
巨大な竜が家の壁を踏み砕き、中に侵入してきた。
「雪乃っ!」
「お母さ……っ!」
竜は長い尾で、家の中の物を次々と薙ぎ倒していく。
牡丹は咄嗟に娘を庇う。
恐怖で足が竦む中、
(なんとか……この子だけでも……!)
牡丹は雪乃の肩を掴み、
「雪乃……裏口から外へ……!」
逃げて。そう言おうとした――その時。
竜に破壊された屋根が崩れ落ち、瓦礫が二人を襲った。
◆◇◆◇◆
正宗が村へ辿り着いた時、村は既に妖魔に埋め尽くされていた。
灼熱の炎と、生き物の焼ける臭いが辺りに充満している。
「…………っ!」
正宗は歯を軋らせ――炎と妖魔の群れを切り裂き、声を張りあげた。
「誰か……誰か返事をしてくれ!」
出来る限り声を掛けながら村を回ったが、人影は見当たらない。
せめて逃げ出してくれていれば良いが……
正宗は刀を強く握り締めた。
「牡丹……雪乃……」
そう呟いた瞬間――苦いモノが込み上げてくる。
(無事でいてくれ……!)
心中で何度も祈り、彼は自宅へ向かった。
そこで彼が目にしたのは、見る影も無い程に破壊された家。
炎に包まれる瓦礫の山――
「牡丹! 雪乃!」
正宗は燃え盛る炎の中へ身を投げた。
瓦礫と炎を退け、二人の姿を探す。
そして――見付けた。
瓦礫と炎。その僅かな隙間から覗く細い腕……
「牡丹!」
正宗は彼女の上にある瓦礫を取り除く。
やがて、妻と――その胸にしがみつくようにしている娘の姿が現れた。
「……牡丹。雪乃」
二人は既に息が無く、助け起こしたく思っても、大量の瓦礫と炎に遮られそれも出来ない。
正宗は、力無くその場に膝をつく。
「……何故……こんな事に……」
二人の亡骸を見据え――ふと気付いた。
「……斬影……」
正宗は顔を上げる。
斬影の姿が見えない。
牡丹が抱きかかえているのは雪乃だけ。
もし、妖魔に襲われ逃げ出そうとしたのなら、斬影も近くに居る筈だ。
一人だけ逃げ出したとは考えにくい。
「まさか……」
正宗が一つの答えに行き着いた――その時。
「ま……正宗さん……!」
背後から声が掛かった。
正宗は振り返り、
「! 貴方は……」
正宗に声を掛けて来たのは、この村で薬屋を営んでいる若者だった。
「無事だったのですか」
「あ……はい。というか……これは一体……」
彼は薬草を採りに出掛けていて、被害を免れたようだ。
事態が大き過ぎて理解しきれていない様子の若者に、正宗は口早に告げる。
「突然、妖魔が群れを成して襲ってきた。島の妖気が濃くなっていたから、それと関係があるのかもしれないが……今はそれを調べる時間が無い」
正宗は若者の瞳を見据え、
「貴方は今すぐこの村……いや。この島から脱出なさい。島の東……まだそちらは被害が少ないようだ。緊急非難用の小船で……」
「なっ……何を言っているんです!」
正宗の言葉に、若者は弾かれたように目を見開く。
「脱出するなら正宗さんも一緒に……」
「それは出来ない」
彼の言葉に、正宗はかぶりを振る。
「私はここに残る。まだ生き残りがいるかもしれない。それに、脱出するにしても退路を守る者が必要だろう」
「しかし……」
食い下がる若者に、正宗は少し悲しげな表情を浮かべ、
「……私は、二人をこのまま置いては行けない」
「!」
若者は、正宗の足元に横たわる人の姿を見て言葉を失う。
「行ってくれ」
「…………」
彼は強く拳を握り締め――頷く。
「それと……ひとつ頼みがある」
正宗は腰に差していた刀を若者に手渡し、
「これを」
「これは……」
「これを……斬影に会ったら渡して貰えないだろうか」
「斬影は……一緒じゃないんですか?」
「ああ。斬影は私の言い付けで、東の海岸沿いにある洞窟の調査に出ている。まだ戻っていないようだが」
「!」
若者は、はっと顔を上げる。
正宗はこちらに向かってきた妖鳥を一太刀で斬り伏せ、
「さあ早く! ここもじき妖魔と炎に囲まれてしまうぞ!」
「……分かりました。御武運を……」
彼はしっかりと刀を抱え、正宗に頭を下げると、走り去っていった。
若者を見送り、正宗は深いため息をつく。
「……まったく。寄り道をするなとあれほど言ったのに……」
これまで、斬影に使いを頼んで真っ直ぐ帰って来た例しが無かった。
その度に言い聞かせてきたのだが――今日ばかりは叱れない。
家に居なくて良かった。
(斬影……)
正宗は呼吸を整え、腰を落とす。
「お前は生きろ」
そう言って、正宗は大きく踏み込んだ。