追憶 3
食事の後、部屋に戻ろうとした斬影を正宗が呼び止める。
「そうだ。斬影」
「ん?」
「お前に一つ、頼みたい事がある」
「……頼み?」
「ああ」
斬影が振り返ると、正宗は頷き、
「明日、東の海岸沿いにある洞窟内に妖魔がいないか見て来てくれないか?」
「俺が?」
斬影は怪訝な表情を浮かべる。
「何で俺が……」
訊くと、正宗は真っ直ぐ斬影を見据え、
「私は別の場所を見て来なければならない。しかし、一人では手に余る。だからお前に“仕事”を手伝って貰いたいのだ」
「……仕事……」
「行ってくれるか?」
「…………」
斬影は少し迷うような仕草をみせたが、やがて頭を掻きながら、
「ま……まぁ、そう言う事なら……手伝う」
斬影の返事を聞いて、正宗は笑った。
「よし。頼んだぞ」
「お、おう!」
話を聞いていた牡丹は、ぽんと手を打ち、
「じゃあ明日はお弁当を作らないとね」
「えっ? お弁当? いいなぁ!」
「ふふっ。雪乃は、お母さんと一緒にお留守番しましょうね」
しがみついて来る雪乃の頭を撫でてやり、牡丹は正宗の方へ向き直る。
「……でも大丈夫なんですか? 妖魔の調査なんて……」
「何。心配は要らない。調査と言っても、あの海岸周辺にさほど力のある妖魔は居なかった」
「……なら、何でわざわざ見に行く必要があるんだよ?」
先程は手伝うと言ったが、それはてっきり妖魔退治なのだと思っていた斬影は不服を漏らす。
正宗は目を閉じ、静かに口を開く。
「安全の確認だ。以前行った時には居なかったが、今回は妖魔が増えているかもしれない。現に、あの海岸周辺で妖魔を見たと言う者がいる」
「…………」
納得出来ない様子の斬影に、正宗は説明を続けた。
「仮令、どれ程些細に思える変化であっても、それを見過ごしてはならない。その小さな変化を見過ごしたが故に、大きな災異に見舞われる事もある。特にこの島ではな。変化に気付いた時には手遅れとなる場合もあるのだ」
「……うっ。分かった」
不満は残るが、斬影はひとまずそれを呑み込んだ。
「それと……もし、妖魔を見付ても手は出すな。どんな小物であってもだ。見付けたらすぐ私に知らせろ」
「え……何で?」
「その妖魔が単体で動いているかどうか分からないだろう。仲間が居て、そいつらが襲ってくる事もある。迂闊に手を出せば、お前だけでなく島の者全員に危険が及ぶという事を忘れるな」
「……はーい……」
たっぷり釘を刺された斬影は、げんなりとした様子で踵を返す。
と――
「ああ。後もう一つ」
「……まだ何かあんの?」
嫌そうな顔を向ける斬影に、正宗は苦笑しながら告げた。
「調査が終わったら寄り道せず、真っ直ぐ家へ帰って来る事。いいな?」
◆◇◆◇◆
翌朝――
「……ん~……」
「あら斬影。おはよう」
珍しく自分から起きてきた斬影に、牡丹は声を掛けた。
「うん……おはよ……」
ぼんやりと返事を返す斬影を見て、牡丹はくすりと笑う。
寝ぼけ眼を擦りながら、斬影はキョロキョロ部屋を見回し、
「……親父は?」
訊くと、牡丹はあっさり答えた。
「お父さんならもうとっくの昔に出掛けちゃったわよ」
「えっ!?」
その瞬間、斬影はパッと目が冴える。
「何で起こしてくれなかったんだよ!?」
「何でと言われても……」
急にはっきり喋り出す斬影に、牡丹は少し驚き、
「一応、声は掛けたのよ。でもよく眠ってたみたいだし、お父さんも『昨日の稽古の疲れが出たんだろうから寝かせてやれば良い』って言ってたから……」
「んな……」
斬影は息を詰まらせた。
かぶりを振ると、素早く身支度を整える。
「あら」
そのまま出掛けようとする斬影を見て、牡丹が声をあげた。
「ちょっと待ちなさい。斬影」
すっかり出掛けるつもりになっていた斬影は、肩越しに母の方へ視線を向ける。
「……何?」
「朝御飯。食べてから行きなさいな」
「良い! もう行く!」
「良い事ありません」
そう言うと牡丹は斬影の首根っこを掴み、斬影を部屋へ引き戻す。
「あなたの今日の“お仕事”は、島の安全を確認する為の調査なんでしょう? そんなに気が急いていて、キチンと見回り出来るの?」
「うっ……」
母に引き摺られ、斬影が呻く。
「少し落ち着きなさい。そんなに焦っていては、見えるモノも見えずに見落としてしまいます」
「…………」
「お父さんはあなたを信頼して任せてくれたのだから……気持ちもちゃんと整えてからお行きなさい」
結局――
「……ごちそうさまでした」
しっかり朝食を摂らされた斬影は、後片付けまでキチンとしてから出掛ける事になった。
「はい。お弁当」
「ん」
斬影は牡丹から弁当を受け取り、
「じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい。気を付けてね。あまり遅くならないうちに帰ってくるのよ。寄り道しないで」
「分かってるよ! 行ってきますっ!」
念を押す母の言葉をはね退けるように、斬影は家を飛び出して行った。
「……ったく。すっかり出掛ける時間遅くなっちまったな」
寝過ごしたのは自分なのだから仕方ない。
誰にとも無しに、斬影は憤懣をぶつける。
ぶつぶつとこぼしながら走っていると、
「おや。斬影。こんな朝早くからどこ行くんだい?」
家の前を掃除していた一人の老婆が声を掛けてきた。
「ばぁちゃん」
この老婆と血の繋がりは無いが、昔から何かと世話を焼いてくれている。
斬影は一旦足を止め、老婆の方へ向き直った。
「親父に頼まれて……島の見回りに行くトコ」
「見回り?」
「そっ。妖魔が増えてないか調べに行くんだ」
それを聞いて、老婆は眉をひそめる。
「おやまあ。一人で危なくないのかい?」
「大丈夫だよ」
斬影は笑って、
「そんな危ない事は無いって親父が言ってたから。安全を確認して来るだけ」
「そうなのかい? けど、用心するにこした事は無いから、気を付けてお行きよ」
「分かってるよ。じゃあな、ばぁちゃん」
斬影は老婆に手を振り、村を出る。
思えばこれが――彼が村で見た最後の日常風景だった。