追憶 1
◆◇◆◇◆
――その年。
島はかつて無い程の災異に見舞われた。
天候は荒れ、多くの妖魔が島を蹂躙する。
この島は、昔から度々妖魔が現れては災いをもたらしてきた。
「あっ……!」
「沙羅!」
妖魔の手から逃れようと、林の中を走っていた親子。
その時。娘が木の根に躓いて転んでしまった。
『ガァァァァァッ!』
「!」
鋭い爪を光らせ、虎のような妖魔が襲い掛かって来る!
彼は、我が子を抱き締め――死を覚悟した。
刹那。
『ギァ……ッ……!?』
妖魔は短い悲鳴をあげ、大量の血飛沫と共にその場に倒れる。
真っ二つに裂かれた妖魔を見て、彼は震える声音で呻いた。
「……こ……これは……」
「大丈夫か?」
直後、聞こえてきた声に、彼は一瞬身を震わせた。
声のした方を見やると、そこには一人の男が立っている。
島では見掛けない者だった。
黒の短髪に、切れ長の鋭い眼。
彼の手には細かな装飾が美しい刀が握られている。
「あ……アンタは……?」
訊くと、男は刀を肩に担ぎ、
「私は正宗。先程この島に着いた……退治屋だ」
男――正宗は刀を構え直し、
「立てるか? ここは私に任せて……早く逃げろ」
「退治屋……! 来てくれたのか!」
「ああ。じき他の連中も島へやって来るだろう。さあ早く!」
「ああ。すまない。ありがとう!」
彼は正宗に礼を言うと、転んで怪我をした娘を抱えてその場を走り去って行った。
正宗の言った通り、島には異変を聞きつけた退治屋が次々とやって来た。
これまでに無い荒れように島の者は戸惑ったが、予想以上に退治屋が集まり――騒ぎは凡そひと月で収束に向かった。
仕事を終えた退治屋は徐々に島から離れて行く。
そんな中――正宗は最後まで島に留まった。
彼には気になる事があったのだ。
焼け落ちた瓦礫を片付ける島民達。
少し離れた場所から、正宗はその様子を眺めていた。
島を襲っていた妖魔は、殆ど姿を消している。
妖魔が居なくなれば、彼らは自分達が住む場所を整えねばならない。
やる事は山積していた。
人手不足の島――元の暮らしを取り戻すのは、もう少し時間が掛かりそうだ。
――と、
「こんな所にいらしたのですか」
「牡丹さん……」
正宗の背後から声が掛かる。
彼はゆっくりと振り返った。
声を掛けて来たのは、牡丹という女性だった。
彼女は、島で小さな宿屋を営んでいる。
島に来た退治屋に、寝床と食事を提供していた。
牡丹は正宗の許へ歩み寄り、
「島の妖魔は退散したそうですね」
「……ええ。暫くこの島で妖魔が暴れる事は無いでしょう」
彼がそう言うと、牡丹は微笑んだ。
「それを聞いて安心しました。本当に……ありがとうございました」
「礼など……何も私一人で妖魔を追い払った訳ではありませんし」
「勿論、他の退治屋の方々にもお礼申し上げました。けれど、貴方にはまだ言っていなかったので」
「…………」
「貴方は島へ一番にやって来て下さったとか。その後の活躍も伺っております。貴方が一番の功労者だと」
牡丹がそう言うと、正宗はかぶりを振る。
「そんな事はありませんよ。皆、一様に働いてくれました」
「そうですね」
正宗の言葉に牡丹は薄く笑んで、
「……ところで……貴方は帰らないのですか?」
「…………」
「島へ来て下さった退治屋の方々は皆、島を離れました。島に残っているのは貴方だけです」
言われて――正宗は沈黙した。
退治屋としての仕事は終わったのだ。
本来ならば、島へ留まる理由は無い。
手に入れた妖魔の角や牙も、この島では捌けない。
それでも、彼はこの島を離れる事が出来ずにいた。
◆◇◆◇◆
斬影は、昔聞かされた話を思い出しながら語る。
「お袋は島で宿屋を営んでた。気立てが良くておまけに美人だってんで、島の連中だけでなく外の奴らにも人気があってな。親父もその騒ぎの時、一度世話になったそうだが……」
ふふっ、と含み笑いを漏らし、
「早い話、その時親父はお袋に一目惚れしちまったのさ。そんで結局島に居着く事になった」
「…………」
「元々、剣一本で生きてきたような人間だったからな。親父は。気の利いた台詞なんぞ出て来なかったようだが……それでもお袋は受け入れたんだと」
斬影の父――正宗は、島の者達にそれは大層歓迎されたそうだ。
若い男手が増えるだけでなく、彼は腕利きの退治屋。
牡丹と一緒になるという話が出た時は、流石に心中穏やかでない者も居たが――正宗は腕が立つ。その上、男前だった。
他の者が出る幕は無い。
やがて、二人は島中の者から祝福された。
「お袋と一緒になったは良いが、親父は商いに向いてなかったみたいでな。宿の方で手伝える事は無かった。その代わりと言うか何というか……親父は剣の道場を開いた」
「……道場?」
大和が訊くと、斬影は頷き、
「そっ。島にはそういうのを教えてくれる所が無かったし。いざ事が起こった時、戦い方を知ってるのと知らないのでは違うからな。島の連中――特に子供を中心に剣術を教えていた」
斬影は腕組みし、
「それから暫くして俺と雪乃が生まれて……ああ。雪乃は俺の五つ下の妹でな。おっとりしてるようで好奇心旺盛。よく俺の後を付いて回ってた。お袋に似てたから、年頃になればそりゃ美人になっただろうぜ」
「じゃあ……斬影の剣は……」
「親父に習ったモンだ」
大和は、こんな風に斬影の故郷や家族の話を聞くのは初めてだった。
きっと……幸福だったに違いない。
話を聞いていて、そう思う。
斬影は薄く笑みを浮かべた。
「親父は強かった。俺は親父の役に立つ。そして……いつか親父を越える。それが当時の俺の夢だった」
そして、小さく息を吐き、
「……ま、結局それは叶わないままになったけどな」
「…………」
大和は斬影の顔を見る。
斬影の瞳は、様々な想いが入り混じる複雑な色をしていた。
そう――
幸福だった時代。
だが語るうちに、斬影の表情からは感情が消えていく。
いつも浮かべている――どこかふざけた笑みも無い。
それから月日は流れ――斬影が十三になったある秋の日の事。
彼は父の頼みで、島の妖魔が増えていないか調査に向かう事になる。
実際には、海岸沿いの洞窟を少し覗いてくるという簡単なものだったが。
だが何にせよ――これが斬影の命運を分ける事になった。