墓参り 4
港を出て数時間――
海は穏やかで、妖魔の気配はまるでしない。
「……静かなモンだな。ホントにこの辺りは危険な海域なのか?」
斬影は海を眺めながら、ぽつりと呟いた。
「…………」
「ま、妖魔に出喰わさねぇならそれに越した事はねぇけどな」
緊張感の無い斬影に、大和は静かに告げる。
「この辺りで妖魔に襲われたら漁にも出られないだろ。それに……」
「ん?」
大和は厳しい表情で前方を見据え、
「……嫌な風が吹いてる。港を出た時からずっと……」
「…………」
大和は昔から妖の気配に敏感だった。
それは退治屋である斬影もそうだが、斬影にも読み取れない妖の気配を、大和は察知する。
斬影は軽く頬を掻き、
「……お前がそう言うなら間違いねぇか」
と、大和と同じ方角を見据えた。
それからまた、暫く船を進めていると――
「……あれは」
前方に何かが見えた。
黒い――雲のような何かが。
しかし、それは雲などではなかった。
斬影はゾッとして呻く。
「妖魔……の……群れ!?」
斬影がそう言った瞬間――
船体が大きく揺れる。
「おおっ!?……ととっ!」
「斬影っ!」
大和は叫んだ。
妖魔は空だけではない。
海中にも潜んでいる。
水中から伸びてきた巨大な蛸の足を大和が斬り裂いた。
それを見た斬影は苦々しく口元を歪め、
「……こりゃ、今日は蛸刺しだな」
「言ってる場合か! このままだと船が沈められる!」
「そいつぁ困る。この船は借りモンだからな」
大和の背中に体を預け、斬影も刀を抜く。
一向に緊迫感が感じられない斬影の声に、大和は嘆息する。
陸の上ならともかく、海上での戦いは不慣れだった。
不安定な――しかも、限られた足場でしか身動きが取れない上、こちらの攻撃が届き辛い。
大和は舌打ちした。
水中からの攻撃をどうにか凌ぎ――そうこうしている間に、今度は空中からの攻撃が大和達を襲う。
「こんな悪条件での戦いは何時以来かねぇ……」
どこか疲れたように、斬影がぼやく。
雑魚ばかりだが数が多過ぎる。
(このままじゃ防戦一方だ。上はともかく、下を何とかしないと……)
しかし海中に刀は届かない。
刀が届きさえすれば、斬る事も出来るが……
――と。
「…………」
大和はふと思い付いた。
相手は妖魔。
刀が届かなくても、奴らを追い払う手段はある。
大和は目を閉じた。
「……斬影」
「何だ?」
「少しだけ時間稼いでくれ」
「……あん?」
斬影は怪訝な表情を浮かべる。
「コイツら……俺が追い払う」
「追い払う……って、どうするつもりだ」
問うが、大和は返事を返さなかった。
ただ目を閉じ、何かに集中している。
「…………」
それが何を意味するのか分からなかったが――斬影は刀を握る手に力を込めた。
腰を落とし、
「……よく分からんが……要は、お前に攻撃が当たらねぇようにすりゃ良いんだな?」
斬影は、微動だにしない大和を目掛けて飛んでくる妖魔を次々と斬り伏せていく。
しかし――
いくら斬っても、次から次へと妖魔は襲って来る。
「……くっ。キリがねぇ……! 大和……まだか!?」
斬影がそう言った時だ。
大和は目を見開き、叫んだ。
「斬影! 伏せろっ!」
「!」
その声で、斬影は姿勢を低くする。
刹那。
強烈な風が吹き抜け、眼前――いや、周囲に群がっていた妖魔が一斉に裂かれていく。
「何だ!?」
斬影は驚愕した。
大気が波打つ。
それは船の周りから妖魔を――船底で揺れ動く巨大な影をも全て退けた。
「……これは……」
船の周囲には緩やかな風が――まるで船を護るように吹いている。
斬影は大和の方へ向き直り、
「大和……お前……何した?」
「…………」
訊かれて――大和は暫く口を噤んでいたが、やがて小さく呟いた。
斬影から視線を逸らし、
「……俺は少し……風の力を操れる。その風で物を切ったり、動かしたり出来るんだ」
「……何だって?」
それを聞いて、斬影は信じられない思いで大和を見る。
大和はこれまで、斬影に自分の力の事を話してこなかった。
「…………」
斬影は船縁に寄り、
(……船が勝手に動いてやがる)
いや――
胸中で呟いて、斬影はかぶりを振る。
大和の話が本当ならば、大和が船を動かしているのだろう。
「風……か。こりゃすげぇ」
大和の力を目の当たりにした斬影の感想は、あっさりしたものだった。
「……妖魔は自分より強い力を持つ者の側には寄り付かない。俺が風を操っている間は安全なはずだ」
「成る程」
斬影は刀を鞘に収めると、腕組みして面白がるような笑みを浮かべた。
「お前が昔見せた……あの斬撃の正体もコレだったワケか」
「……あの時は……意識してた訳じゃない」
大和はちらと斬影の顔を見やり、
「……あんまり驚かないんだな」
「ん~? さっき驚いただろうが。思いっ切り」
「いや……まぁ……そうだけど……」
口ごもり、どこか居心地悪そうにする大和に、斬影は事も無げに言う。
「小夜ちゃんの力も見てるしな。それに……俺はお前がどんな力を持ってたって変に思ったりしねぇよ。そんなモン関係ねぇって言ったろ?」
「…………」
大和は顔を上げた。
斬影は口元をにっと吊り上げ、
「まっ、何にしても。これで苦労せず安全に船旅が出来るって事だな♪」
すると、
「いや。それは無理」
機嫌良さそうにしていた斬影に、大和はキッパリと告げた。
「……何でだよ? 安全なんじゃねぇのか?」
大和の言葉に斬影が不思議そうな顔をする。
大和はひとつため息をついた。
「……これはそんな都合の良い力じゃない。下手に刀振り回すより疲れるし……大体、島の影も見えてないのに、力を放出しっぱなしなんて出来る訳……」
と、そう言いかけた大和の体が、突然ふらりと揺れる。
「大和!?」
大和は倒れる寸前でどうにか踏みとどまり、その場に膝をついた。
慌てて斬影が駆け寄る。
大和の顔を覗き込み、
「大丈夫か!?」
「……ああ」
大和は力無く頷き、
「こんなだから……あまり長くは保たない」
「……なら無理すんな」
大和は額に汗を滲ませている。呼吸も荒い。
普段、あれだけ駆け回って妖魔と戦う大和がこれほど消耗するのだ。
大和の体に掛かる負担というのは、斬影には想像もつかない。
斬影は小さく息を吐いた。
「とにかく。大和、お前は少し休んでろ」
そう言って、斬影は懐に手を差し入れ、何かを取り出す。
「……ひょっとしたら、コイツが役に立つかも知れん」
「……それは……」
斬影が懐から取り出した物――それは小さな玉だった。
玉の表面には札が貼り付けてある。
それを見た大和は、ぽつりと呟いた。
「それ……光玉……か?」
「ああ。こないだ買った」
斬影は頷く。
光玉とは、退魔師が退魔の力を封じた道具で、玉に貼られている札を剥がすと力が解放され、玉に込められた力が失われるまで妖魔を退ける事が出来る。
玉に封じ込められている力が強ければ強いほど効力が長続きするが、法力を封じるための玉が不足し、今では滅多に手に入らない。
「……そんなのよく手に入ったな」
大和が言うと、
「あの娘……千乃って言ったか。あの娘の店は品揃えが良い。ちょこっと値は張ったが」
と、斬影は苦笑いする。
「ま……この数の妖魔相手じゃ、気休め程度にしかならんかも知れねぇけどな」
そう言って、斬影は玉に貼られている札を剥がす。
その瞬間――
「うわっ!?」
「!?」
突然、カッ! と眩い光が辺りを覆い、二人は思わず目を閉じる。
暫くすると光が和らぎ、
「――……収まった?」
斬影はゆっくりと目を開く。
そして――その目に信じられないような光景が映し出された。
「こいつは……」
「…………」
斬影が封を解いた玉は強い光を放ち――その光は船体を包み、妖魔の侵入を防いでいる。
斬影は、手に持っている玉を見詰め、感嘆の声を漏らす。
「……こりゃ、値段以上の掘り出し物だな」
この玉に込められている法力は相当なモノだ。
これなら、島まで安全に航行出来るだろう。
それから――
大和の風と、光玉の力もあり、島へ着くまでの間、妖魔は船に寄り付かなくなった。
そして、日が傾き空が茜色に染まる頃――漸く島の影が見えた。
「斬影」
「ああ」
大和の力で、予定より早く島へ辿り着いたが、上陸する頃には、日は落ち――辺りはすっかり暗くなっている。
斬影は船が流されないよう固定すると、妖魔に船を沈められないよう、光玉を一つ船内に残す。
「いくつ買ったんだ?」
黙ってその様子を眺めていた大和が、ぽつりと呟く。
島へ来る途中で封を解いた光玉は、その光を弱めている。
玉に込められた法力が尽きかけているのだ。
そちらは手元に残し、斬影が答えた。
「三つだ。帰りの事も考えると島には長く留まれねぇ。こいつはもう少し保つだろうが……滞在中はこっちで身を守るしかないだろうな」
と、斬影は刀を示す。
「現実的に考えて、夜動くのは危険だ。今日はここで野宿して、明日朝一で島を巡るか」
「そうだな」
大和は頷いて、周囲を見渡した。
(……ここが……斬影の故郷)
人の気配は全くしない。
代わりに、妖気が濃く渦巻いている。
もう何年も人の出入りが無いと、あの船を貸してくれた男は言っていたか……
二人はその場で一夜を明かす。
――そして翌朝。
斬影に連れられて、大和は島を歩いた。