居場所 2
久遠は食糧を求めて注意深く歩く。
森には数多くの生き物が生息しているが、久遠は狩りをするには力が足りず、木の根を掘って餓えを凌いでいた。
自分より小さな妖魔であっても、体内に毒を持っていたり、外敵から身を護る術を持っている。
迂闊に飛び付けば、危険な事は分かっていた。
と――
『あっ』
何かを見付けて、久遠は足を止めた。
そこは戦闘でもあったのか――森の一部が大きく抉られたように無くなっている。だが、久遠の目に映ったのはそんな戦闘の跡ではなかった。薙ぎ倒された大木の一つに、木の実が生っていたのだ。
『木の実だ!』
久遠は真っ直ぐその木の方へ走っていく。
木が倒れているおかげで、容易に実をもぐ事が出来る。久遠が夢中で木の実を集めていると、突然辺りが暗くなった。
久遠は視線を上に向ける。見上げた先には、竜が飛んでいた。
その竜が、久遠の頭上に巨大な影を落としていたのだ。
竜は久遠の姿を見付けると、低い唸り声をあげた。
『……子狐か。腹の足しにはならんが……まぁ、多少の妖力は得られるか』
『……あっ……』
竜が翼を羽ばたかせ、真っ直ぐ久遠の許へ向かってくる。
(逃げないと……)
それを見た久遠は逃げようとしたが、恐怖で足が震えて動けない。
『あっ……ああ……』
久遠はさっと体を縮めて耳を伏せる。
目をきつく閉じて、やり過ごすしかない。
竜が別の獲物を見付けて自分から興味を失えば良い――
そんな事を願うしか、今の久遠には出来なかった。
竜の咆哮がすぐ側まで迫ってくる。
刹那――
凄まじい轟音と衝撃が、大地と久遠の鼓膜を震わせた。
久遠は恐る恐る目を開ける。
辺りは大量の土煙に覆われ、何も見えない。
と、すぐ側で何やら巨大な影が揺らめく。
徐々に土煙が晴れ――視界が戻ると、先程の竜が久遠のすぐ目の前で地面に伏していた。
『……あ』
『ぐっ……貴様ぁ……誰の頭に足を乗せていると思って……!』
『えっ?』
苦々しく呻く竜。
久遠が何の事かと思っていると、別の声が聞こえてきた。
『……知らんな。踏まれたくなければ、俺の足許でうろちょろするな』
『この……っ!』
久遠は声のした方へ視線を向ける。
そこにいたのは、冷たく輝く真紅の眼と金色の角を持つ鬼だった。
鬼は、長い白銀の髪を靡かせ、嘲るように竜を見下ろす。
『ちょうど良い。今日の昼飯はお前だ』
そう言った鬼が、何をした訳でも無い。ただ、竜の首筋に指先を滑らせただけ。
だが、次の瞬間。
竜の首は、あっさりと胴から切り離されていた。
『…………』
久遠は、ただ呆然と目の前の光景を見詰める。
鬼の妖気も竜の妖気も――どちらが大きいという訳でもなく、久遠からすれば、それこそ限りが無いように見えた。
それをたった一撃。音も無いほど静かな一撃で、鬼は竜を絶命させた。
鬼は倒した竜を背負う。とはいっても、竜の体が巨大過ぎて、実際には殆ど引き摺るような形になっていたが。
と――その時。
『……ん?』
竜を背負う為に姿勢を低くした鬼が、久遠の存在に気付いた。
『あっ!』
久遠は慌てて薙ぎ倒された大木の影に隠れる。
『……狐か』
鬼は小さく呟いて、踵を返した。
『この辺りはデカイ妖魔が多い。喰われる前にとっとと自分の住み処へ帰れ』
『…………』
鬼はそれだけ言うと、竜を引き摺って森の奥へ姿を消す。
久遠は暫しその背中を見詰め――やがて、とてとてと歩き出した。
『…………』
暫く歩いて、鬼は足を止めた。
肩越しに背後を見やり、半眼になって呻く。
『……何故付いてくる』
『!』
久遠はさっと木の根元に隠れた。
鬼が呆れたように嘆息するのが見える。
『付いて来ても何もないぞ』
『…………』
再び鬼が歩き出し、久遠は少し距離を置いてから付いて行く。
また暫く歩いて――鬼は、はぁ……と深いため息をついて立ち止まる。
竜を足許に置いて、振り返った。
『……何だ。迷子か? お前の一族は今の時期もっと北の方にいる筈だろう』
『…………』
久遠はただ黙って鬼を見詰める。
『口が利けんのか?』
一向に口を開こうとしない狐に、鬼はひとつ息を吐いた。
自分の身の丈程もある大刀を取り出すと、鬼は先程の竜を切り裂く。切った肉の塊――人間の赤ん坊の頭ほどある肉の塊を、狐の足許に転がしてやった。
『!』
目を丸くしている狐に鬼は一言、
『喰え。それでは足りんだろう』
そう言って、自分も肉をかじる。
『…………』
久遠は足元に転がされた肉を見詰めた。
持っている木の実と見比べる。
『腹が減っているから付いて来たのではないのか? それとも肉は嫌いか?』
肉をかじりながら問い掛けてくる鬼に、久遠はかぶりを振った。ぽとりと木の実を落として、竜の肉にかじり付く。
肉をかじりながら、久遠はぽろぽろと涙を流した。
『……それを喰ったら帰れよ』
『!』
鬼の言葉に、久遠は目を見開く。
肉をかじったまま、涙ながらに、
『あえふおほおはあいあへん……』
『……喰うか喋るかどちらかにしろ』
『…………!』
言われて、久遠は肉を飲み下し、鬼の方へ向き直った。
『……っ……帰る所は……ありません。俺……いえ。私は一族から追い出されました』
『ちゃんと喋れるではないか』
鬼は手に付いた血を舐めながら、
『しかし……一族から追い出された……か。成る程な。それでこんな所まで来たか』
『……はい』
久遠は俯いた。
『私は体も小さく、力も強くありません。妖術も上手く使えなくて……それで“お前は一族には必要無い”って……』
『…………』
『……何の役にも立たないって……』
語るうちに、久遠の目からまた涙が溢れてくる。
誰かと話しが出来る事が嬉しくて。
話しをしているうちに、思い出した事が悲しくて。
小さくて弱い自分が情けなくて。
それらの想いが、久遠の中で複雑に入り交じる。
溢れる涙を久遠は止められなかった。