墓参り 1
「……温泉?」
小夜の話を聞いていた大和は、少し首を傾げた。
「うん。こないだ遊びに行った時に千乃が『一緒に行かない?』って」
それは、その日の夕食後の事。
先日、小夜が千乃の所へ遊びに行った時の話だった。
「千乃の所に薬を貰いに来るおじいさんが、福引きで旅行の券を貰ったらしいんだけどね。あんまり遠出は出来ないからってくれたんだって。それで誘われたんだけど……行っても良いかなぁ?」
「それは……」
と――
「良いんじゃねぇか? 行って来たら」
「斬影……」
それまで黙って会話を聞いていた斬影が、大和の言葉に被せるようにして口を挟んだ。
「千乃ってあの妖具屋の娘だろう? 年も近いし……たまには女同士ってのもな」
斬影は一人うんうんと頷いて、大和の肩に手を置く。
「……まっ、お前は寂しいだろうけどな?」
「……別に」
大和は斬影の手を払い退け、
「行って来たらいい」
「本当? 大和、ありがとう♪」
大和の返答を聞いて、小夜は嬉しそうに笑う。
「私、温泉なんて行った事無いから楽しみ♪」
「……え?」
小夜の言葉に、斬影は少し驚いたような声をあげた。
大和の顔を覗き込み、
「大和。お前、小夜ちゃんと旅してたんじゃなかったのか?」
「……だったら何だ?」
訊き返してくる大和に、斬影はひとつため息をついた。
「旅の途中で、そういう所に立ち寄ったりしなかったのかよ」
すると、大和はあっさりかぶりを振る。
「観光旅行してた訳じゃ無いんだから……そんな所にわざわざ足を向けるわけ無いだろ。旅費だってそれなりに掛かるんだ」
「……お前はそんな事ばっかり……」
呆れたように斬影がぼやく。
「…………」
大和の旅の目的は、行方知れずになった斬影を捜す事だった。
いつまで続くか分からない旅。
自分一人ならともかく、小夜に野宿ばかりもさせられないし、そうなるとそうそう贅沢は出来ない。
大和は無言で斬影を見据える。
斬影は少し視線を逸らし、
「……お前の言いたい事は分かる。そりゃお前の言い分は尤もだ」
ゴホン……と、斬影は咳払いをして、小夜の方へ向き直る。
「まぁなんだ。せっかくの機会だし……楽しんできなさい」
「はい♪」
小夜にそう告げて、斬影は大和に向かってぽつりと呟く。
「……いつかちゃんとお前が連れてってやれよ」
「…………」
それには返さず、大和は湯飲みに口を付けた。
◆◇◆◇◆
それから、数日後。
大和は夜中に目が覚めた。
暫し天井を見詰め――ふと視線を横に向けると、隣で寝ている筈の斬影の姿が見えない。
別に気にする程の事でも無いかと思い――寝直そうとした大和は、あるモノが消えている事に気付いた。
斬影と一緒に酒瓶も消えている。
「…………」
最近、酒の減りが早いと思っていたが……
大和は無言でため息をつくと、布団から這い出た。
斬影は、杯の中に浮かぶ月を揺らし、それを呷る。
風が心地良い。
静かで良い夜だ。
と――
「斬影」
背後からの声に、斬影は振り返る。
「おお。大和。どうした?」
「別にどうもしない。ちょっと目が覚めただけだ。それより、斬影こそ何してる」
訊かれて、斬影は薄く笑みを浮かべた。
「……ンな事、見りゃ分かんだろ? どうも寝付けなくてな。ちょいと一杯♪」
「……一杯じゃないだろ」
呆れた様子でため息をつく大和に、斬影は酒瓶を掲げ、
「お前も呑むか?」
と、勧めてみたが、
「いい」
あっさり拒否された。
斬影は苦笑して、再び杯に酒を注ぐ。
大和は、ただじっとその様子を見ていた。
「何だ? 酔って足滑らせる程には呑まねぇから心配すんな」
「その心配はしてない」
「……少しはしろよ」
大和の言葉に、斬影は情けない声音で呻く。
それから暫く大和は黙っていたが、ふと思い付いたように口を開いた。
「……そういえば……ずっと気になってた事がある」
「ん?」
斬影は大和の方へ顔を向ける。
「気になってる事?」
「斬影の行きたい所って何処だ?」
「……あん?」
質問の意味が分かりかねて、斬影は怪訝な表情を浮かべた。
「何だ? お前も温泉に連れてってくれんのか? 良いねぇ。たまにゃあのんびり……」
「違う」
斬影の言葉をぶつ切りにして、大和はキッパリと否定する。
斬影は少し残念そうな顔をして、訊き返した。
「……じゃ何だよ?」
「昔言ってただろ」
「何を?」
「旅に出るって」
「…………」
それを聞いて、斬影は顎に手を添えて考え込む。
そんな事言ったか――と思ったが、ふいに記憶が繋がった。
それはまだ大和が幼かった頃の事。
山での暮らししか知らない大和を連れて、旅に出ようと思った事があった。
様々な土地を巡り、人々の生活や文化に触れる事も必要だと考えたからだ。
その方が、大和の心も豊かになるだろうと。
しかし……
当時の事を思い出して、斬影は軽く頭を掻きながら、
「……結局……お前一人で行かせちまったけどな」
「それは……もういい」
大和は僅かに視線を逸らした。
自分が旅に出なければならなかった理由も、何もかも――全て分かっている。
何より――斬影と再会して、思わず涙してしまった事を思い出し、少し気恥ずかしい感じがした。
かぶりを振って、言い直す。
「そうじゃなくて。その時言ってただろ。行きたい所があるって」
「ああ。それか」
斬影は虚空を見据え、
「まっ、別に大したこっちゃねぇんだが……強いて言うなら……里帰りかねぇ?」
その言葉に、大和は小首を傾げた。
「……里帰り?」
斬影は頷いて、
「暫く帰ってなかったからな。出たついでに足を伸ばしてみようかと思ってたんだよ」
「…………」
斬影の口から出た言葉は、大和の予想しないものだった。
しかし、考えてみるまでもなく――斬影にも家族がいるのだ。
父が居て、母が居て……
だが不思議と、斬影からそういう話を聞いた覚えが無かった。
「しっかし……お前、よくそんな昔の話覚えてたなぁ」
斬影は感嘆というより、少し呆れたように言う。
「……それで? 帰れたのか?」
「ん~?」
再び大和が訊くと、斬影は一度杯に口を付けてから答えた。
「……いや。あれからすぐ妖魔に襲われて……その後の事は前に話した通り。お前の事が気掛かりだったし、動けるようになってもあんまり遠出は出来なかったからな。それっきりだ」
斬影は、かつて妖魔の襲撃を受けた際負った傷で、不自由な体になっていた。
妖魔の毒が体を蝕み、全身を麻痺させる。
以前は頻繁に体が痺れて動けなくなったという。
その頃に比べれば、だいぶ良くなってきてはいるようだが……
斬影は旅先で妖魔に出喰わしても、それに対抗する力が無い。
(……でも……)
大和は小さく息を吐いた。
「……居るんだろ?」
「うん?」
「故郷に……その……家族が」
「どーしたよ? 急に……」
大和の口からそんな言葉が出るとは思わず、斬影は目を丸くする。
口を噤む大和を見て――斬影は表情を緩めると、大和に手招きした。
すぐ側までやってきた大和の肩を抱き、
「お前も俺の家族なんだぜ? 大和」
「……ん。それは……そうとして……」
大和は少し照れくさそうにしながら、視線を逸らす。
以前の大和には見られなかった表情に笑い、
「けどまぁ……お前の言いてぇ事も分からんでも無い」
「…………」
斬影はボリボリと頭を掻いた。
「俺も気にしてなかったワケじゃねぇしな……」
ふぅ……と、短く息をつき、
「良い機会だし……ちょっくら足伸ばしてみるか」
斬影は大和の頭を軽く撫で、
「おっ。そうだ。せっかくだし……大和。お前も来るか?」
「……いや……それは」
「何。遠慮するこたぁねぇよ。賑やかな方がお袋は喜ぶ。それに……」
笑いながら言って――斬影は、ふっ……とその笑みを消した。
「……いい加減、花の一つくらい持って行かんと罰が当たるだろうしな」
「…………!」
それを聞いた瞬間、大和は目を見開く。
「小夜ちゃんは……確か明後日、旅行に行くんだっけか」
「斬影……」
複雑な表情を浮かべる大和に、斬影は薄く笑んだ。
「それ見送ったら俺達も行くか。墓参り。つっても、多分墓はねぇだろうけどな」
「…………」
結局――
その日はそれ以上何も訊けず、当日を迎える事となった。