若返り騒動 8
『おいっ! 早く何とか……っ!』
久遠が更に大和に詰め寄る――その時。
再び強烈な衝撃波が巨木を薙ぎ倒し、地面を捲り上げた。
『わあぁぁぁぁぁぁっ!?』
『……隠れても無駄だ。俺達は鼻が利くからな。匂いですぐ分かる』
『あ……』
目の前に立ちはだかる妖魔を見て、怯えた様子で久遠は大和に助けを求めようとした――が。
『あれっ!?』
視線を向けた先に、大和は居なかった。
『あいつ……まさか逃げた!?』
久遠の言葉に、妖魔も辺りを見回し、
『一匹足んねぇぞ』
『何。そう焦る事はねぇ。まだそう遠くには行ってない……こいつを喰ってからでも探せる』
『だな』
三匹の妖魔が、久遠の側に歩み寄る。
『!』
久遠はその場から逃げ出そうと、身を捩った。
(とりあえず、幻術で少しでも足止めを……)
そう思うが、焦りからか――上手く妖気が纏まらない。
妖魔が久遠の頭を掴む。
(駄目だ……! 間に合わない!)
久遠はきつく目を閉じた。
刹那――
ふわっ……
『…………? 何だ?』
緩やかな風が渦を巻き、木々の葉を擦らせる。
その風には、微かだが――大和の妖気が混じっていた。
『これは……あの人間の匂い……?』
そして、妖魔がその事に気付いた時には、もう遅かった。
『がっ……!?』
『!?』
緩やかに思えた風は、妖魔の体を一瞬にして切り裂く。
悲鳴をあげる隙さえ与えず――巨大な妖魔は単なる肉塊と化し、その場に崩れ落ちた。
『なんっ……』
久遠は何が起きたのか分からず、呻き声を漏らす。
と――その時。
「……お前達は鼻が利くようだが……」
久遠の頭上から声が聞こえてきた。
「いくら鼻が利いても、四方八方から同じ匂いがしたら、どこから来るか分からないだろ」
その声と同時に、すたっと大和が木の上から下りてくる。
『あ……』
その時、久遠は目の前で起きた出来事と、助かったという安堵から小さく息を漏らす事しか出来なかった。
しかし、それも大和が妖魔の角を切り落とすまでの事で――大和が、妖魔の角を懐にしまい込んだ瞬間、
『お……お前どこ行ってたんだよっ!? お前が突然消えて……俺は危うく喰われる所だったんだぞ!?』
大声で怒鳴り付けてくる久遠から、大和は僅かに視線を逸らす。
「……あいつらの攻撃は少し厄介だったからな。纏めて斬る隙を窺ってた」
『何で俺を置いてった!?』
涙目でこちらに詰め寄る久遠に、大和はあっさりと告げる。
「その方が妖魔の目が俺に向かないと思ったから。ヤツらを斬ろうにも、近付くのは難しかったし、風の術は力を纏めるのに時間が掛かる。あんなデカイのを三匹も斬るなら尚更だ」
大和は風で自分の匂いを散らし、妖魔に自分の位置を悟られないようにしていたのだ。
しかし――
それを聞いた久遠は、更に声を張りあげた。
『俺を囮にしたのか!? この人でなし!』
「……人でないお前にそんな事言われる筋合いは無い。それに、ちゃんと助けただろ?」
『助けたなんて恩着せがましい! あんなの一歩間違ったら俺も切れてただろう!?』
「……当たらないように加減はした」
まくし立てる久遠を半眼で見やり――大和は踵を返した。
『おい! どこ行くんだ!?』
「どこって……帰るんだよ。余計な時間食ったし」
肩越しにそう言って、大和は歩を進める。
『…………』
大和の背中を見詰めていた久遠は、とてとてと、大和の後について行く。
『……帰るのか?』
「ああ。仕事は終わったしな」
『ふーん……』
久遠は大和の顔を見上げ、
『帰ったら食事の用意するんだろ?』
「……そうだな」
『今日は何を食わせてくれるんだ?』
大和は、一瞬足を止めて久遠を見る。
「……別にお前に食わせてやる為に作るんじゃ無いんだが」
『うるさい! お前がなんか旨そうに作るのが悪いんだ!』
「……何で旨そうに作って文句言われなきゃいけないんだよ……」
低く呻く大和は無視して、久遠が着物の裾を引っ張る。
『なぁなぁ。何を作るんだ?』
「さぁ。帰って食材見てみないと何とも」
『油揚げはあるか?』
「……お前はもう油揚げだけ食ってろ」
瞳を輝かせる久遠に大和は嘆息して、歩調を速めた。
◆◇◆◇◆
それから――
大和が子供の姿になって、一月程経ったある日の朝。
「…………」
大和は自分の掌を見下ろす。
昨日までは確かに子供の掌だった。
それがどういう訳か……目が覚めてみると、元の大きさに戻っている。
子供の姿になってから、小夜の作るモノは勿論――斬影の作るモノも口にしていない。
何か妙な薬を盛られたりはしていない筈だ。
自分の体を撫でてみるが、特に異常は感じられない。
(……本当に……元に戻ったのか?)
どこか釈然としないものの、大和はひとまず安堵した。
小さく息を吐く。
大和に盛られた薬――あれは、普通の人間が服用した場合、若返った姿が本来の姿に戻る為には、若返った時間と同じだけの時間が必要になる。
しかし、幸か不幸か――大和の体に流れている鬼の血が薬に含まれている妖気を中和し、その効果を打ち消したのだ。
だが、そんな事とは斬影は勿論、大和も気付かない。
とりあえず――
「…………」
と、大和は目を閉じた。
一呼吸置いて、目を開く。
そして、隣で眠っている斬影の方へ向き直り――大和は拳を振り上げた。
その日の朝食時――
「……大和君。お父さん、すっごく顔が痛いんだけど……何でかなぁ?」
「さぁ」
斬影の問いに、大和は視線を合わせず答える。
黙々と箸を動かす大和に、斬影は再び問い掛けた。
「口の中も切れてる感じなんだけど……何でかなぁ?」
「酔って転けたんだろ」
「…………」
二人のやり取りを困惑した様子で見詰める小夜。
大和の言葉に、斬影は乾いた笑みを浮かべる。
「そっかぁ。いやー、昨日は少し呑み過ぎたかと思ったけど……成る程なー」
ははは、と笑って――つと、斬影は目を細めた。
「……何発殴った」
「五十二発」
訊かれて――大和は即答する。
それを聞いた斬影は、片膝を立てて怒鳴り声をあげた。
「お前は俺を殺す気か!?」
「殺す気なら最初の一撃で仕留めてる」
「怖い事言わないの! お前が言うと冗談に聞こえねぇんだよ!」
「あの……斬影さん。まだ治療中……」
小夜の制止を払い、斬影は大和の肩を掴む。
「元に戻れたんだから良いだろ!?……何だ。憎いか? 俺の事がそんなに憎いか!?」
「別に。もういい」
大和はかぶりを振って、真っ直ぐ斬影の顔を見据えた。
「後はあの大福買ってきたら水に流す」
「……あんだけ殴ってまだ?」
「斬影の財布からな」
それを聞いた瞬間――斬影の頬がピクリと引き攣る。
それは無視して、大和は朝食の後片付けをする為に腰を浮かせる。
「お前が頑張ってくれてるおかげで、お父さん稼ぎ減ったんだけど。酒も我慢してるし……」
ボソッと呟く斬影に、大和は冷たく告げた。
「こないだ勝手に買って来ただろ」
「あ。バレてる」
「次やったら、一ヶ月小夜の飯な」
「それは勘弁」
斬影は首を左右に振って、全力で拒否する。
「一ヶ月あったら上手くなるかもしれないだろ?」
「いや。その前に初日で逝けるから」
「……うぅ……」
斬影の治療をしながら――小夜は涙ぐんだ。
手際良く後片付けを終えた大和は、そのまま刀を手に取り仕事に向かう。
小さくなってから――かつての自分が見たモノと、今の自分が見たモノは、同じようでどこか違うように思える。
瞳に映る景色。
行き交う人の波。
騒がしい日常――
それでもただひとつ。
幸福に思える場所だけは、いつも同じだった。