若返り騒動 7
◆◇◆◇◆
それから五日程が過ぎた。
「…………」
粗方仕事を終えた大和は、自分の掌を見詰める。
相変わらず小さいままの掌を見て――大和はため息をついた。
体が元に戻る気配は全く無い。
いや、自分の体が変化する事に気付かなかったのだから、元に戻る兆しと言うのがどういうモノなのか見当も付かない。
大和は再びため息をつく。
と――
「……ん?」
ふと視線を向けた先に、小さな狐の姿が目に止まった。
妖狐の久遠だ。
久遠はこちらの視線に気付くと、ぴくりと耳を動かし、小さく声をあげた。
『あっ』
「…………」
久遠は毎日――鬼の刀を磨く為に――斬影の家に足を運んでいたが、この姿になってから目にするのは初めてだった。
久遠は大きな瞳をぱちくりさせて、こちらに近付いて来る。
大和の目の前まで来ると、久遠は小首を傾げ、
『お前……そんな格好で何してるんだ?』
「……何?」
久遠の言葉に、大和は眉根を寄せた。
「……お前、俺が分かるのか?」
大和が問うと、久遠は鼻を鳴らす。
『そんなの当たり前だろ。一度覚えた妖気を読み違えるワケない』
「……ああ。そうか」
久遠はただの狐ではない。妖力を持つ妖だ。
妖は、生き物の持つ気の流れを読む力がある。
それは、死ぬまで変わる事は無い。
久遠は大和の顔を覗き込む。
『だから何してるんだって訊いたんだ。それは変化の術か何かか?』
「……違う。そんな術あるのか」
『何言ってるんだ。変化の術は俺達一族の十八番だぞ!』
「…………」
久遠は得意げに胸を張る。
言ってから、そうかとも思ったが――大和は思い付いた事を口にした。
「……得意って言う割に、俺はお前が狐かあの子供の姿になってるところしか見た事ないんだが……」
『うっ……!』
言われて――痛いところを突かれたような顔で、久遠は小さく呟いた。
『……それは……その……俺はまだ上手く変化出来ないから……』
「……得意なんじゃないのか」
呆れたように言う大和に、久遠は声を荒らげる。
『うるさいな! 誰だって苦手なモノがあるんだよ!』
「…………」
大和は無言でため息をつくと、
「……まあ……それは別に良いとして。お前にひとつ訊きたい事がある」
『な……何だ』
やけに改まった表情で口を開く大和に、久遠は僅かに緊張の色を見せる。
大和は、自分がこの姿になった経緯を久遠に話す。
妖魔の羽から作った薬だというのなら、同じ妖魔である久遠なら何か分かるかもしれない――そう思った。
しかし、久遠はあっさりとかぶりを振る。
『……そんな妖魔、聞いたこと無い』
「そうか……」
大和が僅かに落胆の色を見せると、久遠が口を開く。
『鬼様なら何か知ってたかもしれないけど……いや、鬼様ならそんな薬の効力すぐに中和してくれたに違いない! 鬼様が知らない事は無いし、鬼様に出来ない事なんて無いんだ!』
と――
そこまで勢いよく言って、久遠は唐突に声を落とす。
耳を伏せ、
『……うっ……うぅ……鬼様……』
「……いちいち泣くな」
『うるさいっ! 泣いてなんかないっ!……これは……っ……汗だ……!』
「…………」
大和は無言で涙――いや、汗を拭う久遠を見据えた。
大和はひとつため息をついて、立ち上がる。
「……とりあえず仕事は終わったし……帰るか」
大和がそう言った――刹那。
ゴッ!――
突如、凄まじい衝撃波が大和と久遠を襲った。
『わあぁぁぁぁぁっ!?』
大和は悲鳴をあげて飛ばされる久遠の前足を掴み、その場に伏せる。
「…………っ!」
周囲の巨木が次々と薙ぎ倒されていく。
やがて衝撃が収まった頃――顔を上げて見れば、辺りの風景は少々変わっていた。
「……これは」
小さく呻いて、大和は顔をしかめる。
と――
『あっ! あいつ!』
大和が何か言うより先に、久遠が叫び声をあげた。
ピンッと尻尾を立てて、前脚である方向を示す。
久遠が示す方を見やると、そこには巨大な棍棒を構えた妖魔が三匹。
そのうちの一匹には見覚えがあった。
それは以前、鬼神の刀を奪って大和に腕を斬り落とされた――あの妖魔だった。
『よぉ……誰かと思えばこの間の子狐じゃねえか』
『…………っ!』
久遠は、歯を軋らせながら妖魔を睨み付ける。
それを横目で見ながら、大和は胸中で独りごちた。
(……この辺りはこいつらの縄張りだったのか)
『……それと……』
妖魔は、敵意を露にする久遠から視線を外し、大和の方へ向き直った。
『あの時、俺の腕を斬り落とした人間も一緒とはな……』
「…………」
この妖魔は元々が巨体だからだろうか。
大和の姿があの時より小さくなっている事には触れてこない。
どの道、体内の妖気と血の匂いで気付かれるだろうが。
妖魔は口元を歪め、
『せっかくだ。この腕の礼……今、ここでさせてもらおうか!』
「!」
その言葉と共に、三体の妖魔が一斉に棍棒を振り下ろす!
「……くっ!」
大和は低く呻いて、久遠の首根っこを掴むと、大きく後方に飛び退く。
しかし、妖魔の振り下ろした棍棒から生み出される衝撃波に押されて、体勢を崩した。
そのまま久遠を連れて、急な斜面を滑り落ちる。
「…………っ!」
『あわわわわっ!』
奇妙な悲鳴をあげながら、久遠は必死に大和の体にしがみついていた。
反撃しようにも、思いのほか強力な衝撃波に阻まれ、間合いを詰める事が出来ない。
漸く止まったかと思うと、久遠が大和に詰め寄って来る。
『おいっ! お前! 早くあいつら何とかしろ! ああいう野蛮なのと戦うのがお前の仕事なんだろう!?』
「…………」
言われて、大和は半眼になって久遠を見据えた。
小さく息を吐くと、ぽつりと告げる。
「……じゃあ、とりあえずお前をそこの木に縛り付けて、あいつらがお前を喰い終わった後に俺が奴らを斬る」
その瞬間、久遠はたまらず叫び声をあげた。
『何でだぁぁぁぁっ! 何で喰い終わった後!? 喰い終わる前に何とかしろよ!……っていうか! それ俺を縛り付ける意味あるのか!?』
久遠が涙目で言うと、大和はかぶりを振って、
「いや。特に……あ。囮作戦」
あっさり言い直す大和に、久遠は更に声を張りあげた。
『言い直すなぁぁぁぁっ! 何「あ。」って! 喰われちゃったら囮じゃないじゃん! 餌じゃん、それ!』
久遠の言葉に、大和は頷く。
「そうとも言うな」
『そうとしか言わないんだよぉぉぉぉっ! この悪魔!』
「……生粋の妖であるお前にそんな事言われる筋合いは無い。俺は人間だ」
叫ぶ久遠は無視して、大和は自分達が滑り落ちて来た方を見据えた。
妖魔がすぐに追ってくる気配は無い。
こちらから接近するのは困難だが、広範囲に破壊が及ぶあの衝撃波があれば、向こうはわざわざ接近しなくてもこちらを打ち倒せる。
それに、奴ら――取り分け、腕を斬り落とされたあの妖魔は、こちらに恨みがあるのだ。
奴の言動から見ても、あっさり自分達を殺して、それで終いにするとは思えない。
ならば――
(……あいつらを一度に倒す機は――……ある)
大和は静かに呼吸を整える。