若返り騒動 5
呻く斬影を見下ろして――大和は嘆息すると、部屋を出ようと襖に手を掛けた。
それを千乃が腕を掴んで止める。
「ちょっと待って! 大和、どこ行くの!?」
「帰る。用事はもう済んだんだろ」
「帰る!? 今、来たばっかりじゃない!」
「……その前からずっと居た」
「ウチに上がったのはさっきでしょ!」
こちらの手を振り払おうとする大和に、千乃は食い下がる。
「せっかく来たんだからさ。お茶くらい飲んで行きなよ。じいちゃんがね、今朝美味しい大福持って来てくれたんだ」
「…………」
その瞬間――大和の動きが一瞬止まった。
「その店の大福人気でさ。並ばないと手に入らないんだけど……じいちゃんが朝並んで買って来てくれたんだよ。個数間違えたみたいだけど。でも、ちょうど良かった! ねっ? ちょっとくらい……」
「そう言えば……大和は甘い物好きだよね」
小夜がそう言うと、千乃は瞳を輝かせる。
「えっ! そうなの!?」
「……帰るか? 言っとくが……俺は並んでまでは買ってやんねぇぞ」
痛みが落ち着いてきたのか――体を起こした斬影が、ぼそりと呟く。
その一言で千乃は勢い付き、大和を部屋の中心に引き戻す。
「はいっ! 決まり決まり! お茶淹れて来てあげるから、ちょっと座ってて♪」
「あっ。千乃、私も手伝うよ!」
そう言うと、小夜は立ち上がり、千乃と一緒に部屋を出る。
それを見た斬影は大和の頭に手を置き、
「ああ。こいつの分はぬるめに淹れてやってくれ」
「……えっ?」
言われて、千乃が振り返る。
斬影は笑いながら言った。
「こいつ……熱いの飲めねぇんだ」
「斬影!」
大和が咎めるように声をあげるが、斬影は一向に気にした様子がない。
千乃は頬に手を当て、
「……やだ。可愛い♪」
「いちいち可愛いって言うなっ!」
「はいはい。じゃ、ちょっと待っててね♪」
怒鳴るが、千乃はそれには構わず、クスクスと笑いながら部屋を後にした。
ぶすっと、不機嫌そうな表情の大和の頭を、斬影が軽く叩く。
どこか面白がるような笑みを浮かべ、
「お前、チビの方が良いんじゃねぇのか?」
「……良いワケあるか」
大和は斬影の手を払い退け、睨み付ける。
だが、斬影は気にした様子も無く続けた。
「何でも『可愛い』で済むんだぞ? 色々便利だと思うがなぁ。お前も……ガキの頃やりたかった事とか……今しか出来ねぇ事があるんじゃねぇか?」
「そんなの無い」
どこまでも淡々と――吐いて捨てるような口調の大和に、斬影は肩をすくめる。
こうして見ると、大和のこういう所は、あの頃と少しも変わっていない。
その事に思い至って、斬影は思わず苦笑いを浮かべた。
それから暫くして――
「は~い♪ お待たせ~♪」
仏頂面の大和とは正反対に、にこにこと上機嫌で、千乃と小夜が部屋に戻って来た。
小夜が斬影の前に茶を差し出す。
「どうぞ」
「おっ。ありがとよ」
「はい♪ 大和もどうぞ♪」
と、千乃は満面の笑顔で大和の前に茶を差し出した。
大和は無言で、湯気の立たない茶を見詰める。
正確にはその隣にある大福だが。
千乃はにこやかに告げてきた。
「ちゃんとぬるめに淹れてきたから大丈夫よ♪」
「……あそ」
素っ気なく言って、大和は湯飲みを手に取る。
軽く茶を啜り、斬影は大福に手を伸ばす。
そして、
「……おっ? こりゃイケるな♪」
珍しく、甘い物を口にして笑みがこぼれた。
斬影は普段、あまり甘い物を口にしない。
苦手と言う訳では無いが、大和ほどには好んで食べる事は無かった。
その斬影が誉めるくらいだから、この大福は当たりなのだろう。
「…………」
旨そうに大福を頬張る斬影を見て、大和も大福に手を伸ばした。
と――
「……何でそんな見るんだ」
「えっ?」
じーっとこちらを見詰めている千乃に、大和は半眼になって問い掛ける。
千乃は僅かに視線を逸らすと、手を振りながら、
「いや……気にしないで。ささっ。どうぞどうぞ♪」
「…………」
大和は大福を手に取ると、暫しそれを見詰め――くるりと千乃に背を向けて食べる。
「あっ! 大和!」
「ぷっ」
その様子に斬影は思わず吹き出した。
「…………」
大和は一瞬、斬影の方を睨みやり――茶を一気に飲み干して立ち上がる。
口元を手の甲で拭い、
「帰る」
そう言って、踵を返す。
「ええっ!? ちょっ……大和、待って!」
慌てて引き止める千乃の手をかわして、大和は店を後にした。
◆◇◆◇◆
足早に店を出て、大和は苛立たしげに髪を掻き上げる。
「……ったく……どいつもこいつも馬鹿にして……」
憤懣をぶつけて石を蹴った。
と――その時。
「坊や。坊や」
大和は最初、それが自分に向けられている声だとは思わなかった。
無視して歩を進める。
だが、次の瞬間――
「坊や。そこの白い髪の坊や」
「…………」
その一言で、足を止めた。
声のした方へ視線を向けると、駄菓子屋の前で、老婆が手招きをしている。
周囲を見渡して見るが、髪の白い者は勿論、子供の姿も見当たらない。
この時漸く、老婆は自分に声を掛けているのだと気付いた。
大和は気が進まないながらも、そちらに足を向ける。
「……俺に何か?」
大和が問うと、老婆はかぶりを振り、
「いやね。随分と機嫌悪そうだったから。ちょっと気になってねぇ……何か嫌な事でもあったの?」
言われて、大和は小さくため息をつく。
「……別に」
視線を逸らして呟く大和に、老婆は笑いながら言ってきた。
「さては……悪戯して、お父さんに叱られたんでしょう?」
「……いや。そういう事じゃなくて……」
大和は半眼になって呻く。
寧ろ、悪戯したのはその“お父さん”の方だ。
老婆は紙袋に手を入れ、
「叱ってくれるのは、坊やの為を思っての事。今は煩わしいと感じるかもしれないけどね。いつか感謝出来る日が来るよ」
「いや……だから俺は……」
どうもこの老婆の中では、自分は“悪戯をして叱られた子供”という認識らしい。
今回の事に限って言えば、斬影のした事に対して感謝出来る要素は微塵も無い。
そんな事とはつゆ知らず、老婆は大和に一つ飴玉を手渡す。
「はい。今日はね、ウチに来てくれた子供達に飴玉を配ってるの。最後のひとつ。坊やにあげる」
「えっ……」
「これ食べて元気出しなさい。きちんと謝れば、お父さんはちゃあんと許してくれるから」
「……でも……俺は……」
「子供が遠慮なんかするものじゃないよ。良いから持ってお行き」
「…………」
老婆から見れば、元の姿であっても“坊や”には違いないだろうが――大和は複雑な思いで老婆を見据え、軽く頭を下げた。
「……どうも」