若返り騒動 2
◆◇◆◇◆
「……ん」
朝日にくすぐられるように、大和は目を覚ます。
――が。その日は、いつもの朝とは違っていた。
「!?」
大和は異変に気付き、がばと跳ね起きる。
いつもより目線が低い。
昨日まで届いたはずの場所に手が届かない。
「これ……どうなって……」
大和は小さくなった自分の掌を見詰めた。
「斬影……斬影っ!」
大和は隣で眠っている斬影の体を揺する。
「……ん~……何だ。大和……もう少し寝かせてくれ……」
そう言うと、斬影はころりと寝返りをうつ。
「…………っ!」
大和は唇を噛むと、斬影の頭を蹴り上げた。
「起きろっ!」
「あだーっ!」
蹴られた瞬間、斬影は痛みで跳ね起きた。
涙を浮かべ、非難の声をあげる。
「大和っ! お前な、起こすならもう少し優しく……」
言い掛けて、斬影は言葉を切った。
目を擦り、
「……あれ。昨日呑み過ぎたか……何か……お前が小さく見える」
「見えるんじゃなくて、そうなんだよ! どうなってるんだ、これ」
「ンな事言われても俺が知るか」
斬影は、蹴られた頭を擦りながら低く呻き――
「あ」
「何だ」
何か思い出したように声をあげ、彼はぽんと手を打った。
「ひょっとして……アレのせいか」
「……アレ?」
疑問符を浮かべる大和は無視して、斬影は部屋の隅を漁り始める。
「えーっと……おっ。あったあった」
斬影は大和の目の前に、小さな薬瓶を差し出した。
中は空だったが。
「何だこれ」
「昨日買った。人生をやり直せる薬だってよ」
「……はぁ?」
「珍しい妖魔の羽から作った薬で、こいつを飲むと体が若返るんだそうだ」
「…………」
斬影の話を聞いて、大和は半眼になる。
斬影は説明を続けた。
「効果には個人差があるらしくて、ほとんど変わらない奴もいれば、赤ん坊にまで戻る奴もいるそうだ」
「…………」
斬影と薬瓶、交互に見やり、
「……で?」
大和は先を促す。
斬影は頷き、
「――で。買ったは良いが、自分で試して赤ん坊になっちまったら困るだろ? でもせっかく買ったんだから試してみるかと思って、昨日お前の飯に混ぜてみた」
「何でだっ!?」
大和は斬影の胸ぐらを掴み、大声で叫ぶ。
斬影は笑いながら頭を掻いた。
「いやー、ホントはちょっと入れるつもりが、手元狂って全部入れちまったんだけど……赤ん坊にならなくて良かったな」
「良くない! どうしてくれるんだ!」
怒りを露にする大和を、斬影は両手で制す。
「良いじゃねぇか。お前、別に小さくなったからって大して困らねぇだろ?」
「だから良くないって言ってるだろ!? これ……元に戻れるんだろうな!?」
大和の問いに、斬影は顎に手を添え、
「……そういや……その辺の事は何も言ってなかったな。あの薬売り」
「……戻れなかったらどうしてくれるんだよ……」
低く呻く大和に、斬影はあっさりと言った。
「そりゃ……また頑張って大きくなるしかねぇんじゃねぇか?」
「斬影――――っ!」
大和は拳を振り上げた。
「ちょっ……大和! ちょっと待っ……! ぎゃああぁぁぁぁぁああああっ!」
静かで穏やかな山の朝に、斬影の絶叫が響き渡る。
と、その時。
「おはようございま~す♪」
「おおっ! 小夜ちゃん!」
小夜が起きてきた。
まあ、これだけ騒いでいれば大抵の者は目を覚ますだろうが。
小夜は部屋を見回し、
「……あれ。大和は……」
「これこれ」
訊かれて――斬影は腹の上に乗っかっている少年の首根っこを掴み、小夜の方へ向けた。
「…………」
「え……」
小夜はぽかんと口を開ける。
やがて目を擦り、くるりと体の向きを変えた。
「……ちょっと……もう一回顔洗ってきます」
「小夜ちゃん、小夜ちゃん。現実を受け止めて」
「……受け止められるか」
ぼそりと大和が突っ込むと、小夜は悲鳴じみた声をあげる。
「ええええっ!? や……大和なのっ!? 本当にっ!?」
「……ああ」
大和は仏頂面で頷く。
小夜はぺたんと膝をつき、
「ど……どうしてこんなにちっちゃく……」
震える声音で呻く小夜に、斬影は笑いながら、
「いやー、俺が興味本位で買った薬をこいつに盛ったら……なんかこんな事に」
「……薬?」
斬影は、事の始まりについて話し始めた。
話を聞いて――小夜はただ呆気にとられるばかりで、
「あの……それで大和は元に戻れるんですか?」
小夜の問いに、斬影はあっさりとかぶりを振る。
「そこんところは分からねぇ」
「……そんなどうなるか分からないような薬盛りやがって……」
大和は斬影を睨み付ける。
「だってよ。人生やり直せるとか聞いたら、ちょっと気になるだろ?」
「……そんなに人生やり直したいなら……やり直させてやろうか?」
そう言って、大和は刀を抜いた。
「ちょ……待て! 大和!」
斬影は大和の振り下ろした刀を、ギリギリのところで受け止める。
「あ……危ないから仕舞って。ソレ」
「……人生やり直したいんだろ」
「いや……そういうやり直し方じゃなくてだな……」
見た目こそ年端もゆかぬ少年だが――その見た目とは裏腹に恐ろしい程の力で押してくる大和に、斬影は冷や汗を垂らす。
(ああ……こいつは昔っからこんな馬鹿力だった……)
斬影がそう思った時だ。
「!?」
「おっ」
急に大和の体が後ろに倒れていく。
いや、正確には背後から回された腕に引っ張られたというべきか。
大和は驚いて背後を見やる。
「なっ……小夜!?」
「まあまあ。大和、ちょっと落ち着いて♪」
「危ないから離せっ!」
「ふぅ……助かったぜ。小夜ちゃん」
斬影はひとつ息を吐いて、小夜に礼を言う。
額に手を当て、
「まったく。お前は……昔から気に入らない事があると、すぐ暴力を振るう」
「……そんなに言うほど何もしてないだろ」
小夜の腕から逃れようとしながら、大和が低く呻く。
斬影はかぶりを振った。
「いやいやいや。お父さん……昔はお前に随分虐げられたぞ?」
「……虐げ……って、別に俺は何も。普通だ」
「普通の子は人の頭踏みつけたり、石や薪を人に投げつけないのっ!」
「…………」
大和は一瞬、口を噤む。
「あの……大和の子供の頃ってこんな感じだったんですか?」
と、小夜は大和の体に腕を回したまま、斬影に問い掛けた。
斬影は頷く。
「ああ。もうまんま、まんま。このまんま。俺が覚えてる姿とあんま変わんねぇから……七、八歳ってところか」
斬影は顎に手を添え、感慨深げに呟いた。
「しかしまぁ……こうして見ると不思議なモンだなぁ……」
「そりゃそうだろうよ」
冷たい視線でこちらを睨む大和は無視して、斬影は一人続けた。
「お前のそんな姿を見てると、昔を思い出すぜ……あれだな。ある意味人生をやり直してると言えるかもな。あの頃してやれなかった事をしてやれ……と」
「……都合の良いように解釈するな」
仏頂面で呻いて、大和は顔を上げる。
「小夜は早く手を離せ。何でいつまでもこんな……」
「えっ? だって大和……可愛いから♪」
「かわ……!? って……あのなぁ!」
思わず叫び声をあげる大和に、小夜は小首を傾げ、
「大和は嫌なの?」
小夜の問いに、大和は言葉を詰まらせた。
「……いや……嫌とかそういう事じゃなくて……身動きが取れないから……」
大和がもごもご呟くと、斬影が横から口を挟む。
茶を啜りながら、
「おいおい。朝っぱらから見せつけてくれるなよ」
とはいえ、今の状況は恋人というより、歳の離れた姉弟に見える。
が――次の瞬間。
ドカッ!――
凄まじい勢いで飛んできた刀が壁に突き刺さり、斬影の鼓膜を叩いた。
刀は僅かに斬影の頬を掠める。
「……斬影……?」
刀を投げた姿勢のまま静かに呼び掛けてくる大和に、斬影は頬を引き攣らせ、
「はい。すみません」
「……ったく」
短く舌打ちすると、大和はどこをどうしたモノか――するりと小夜の腕をすり抜ける。
「あっ!」
固まっている斬影は無視して、大和は壁に刺さった刀を引き抜き、鞘に収めた。
それから、てきぱきと身支度を整え――そのまま戸口へ向かう。
小夜ははっと顔を上げ、
「大和! どこ行くの!?」
小夜が大和の許へ駆け寄ろうとする。
だが、大和は一瞥しただけで素早く戸を開けると、
「仕事」
一言そう言って、家を出て行った。