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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第1章「遥かなる旅路」
7/302

Lv7「悪役魔女」

 





 王都ロムレスガーデンを抜ければ、そこは延々と続く荒野だけがあった。

 魑魅魍魎の怪物たち。傭兵崩れの盗賊。人語を介さぬ亜人の群れ。

 法や倫理などなんの意味も持たぬ化外の地である。

 ロムレス監獄を抜けた蔵人は、地図も持たずに、ただひたすら南に向かっていた。

 元々着ていた囚人服は脱ぎ捨て、百姓屋に干してあった野良着を拝借すると、悪びれもなく移動を続けていた。腰には、監獄で奪った長剣がぶち込んである。長さは、一メートル近く有り、中身はなまくらであるがハッタリだけは中々に利いた。

 舗装路などはどこにもなく、申し訳程度に踏み固められた道らしきものがかろうじて見えるのみだ。これは、現代人である蔵人には堪えた。標識もない。自分の歩く場所が道かどうかも、よくわからない。そもそもが、人が通らないし、生物の気配を感じない。喉が渇いても、自販機もなければコンビニもない。かれこれ、三日ほど固形物を口にしていないのだ。昨晩、夕飯がわりに小川の水をたらふく飲んだが、腹が満たされるはずもない。

 直線を歩いているわけではないので、自分が最初の地点から、どれだけ距離を稼いだのか見当もつかない。牢を破って火を放ち、獄卒長を殺害したのだ。

 当然、なんらかの追っ手がかかっていると思っているので、人目はできるだけ避けるようになる。

 自然、周囲に気を払うことを余儀なくされ、疲れは通常の歩行よりも倍加された。

 いつまで続くのかと、うんざりしながら小高い丘を登りきった。 

 蔵人の心が折れそうになったとき、ようやく遠景に人家の影らしきものがポツポツと見え始めた。徐々に判然としなかったトレースが、なんとか街道といえそうなものに変化していく。周辺住民が日常に使用しているそれは、人間の営みを感じさせるものであった。

 蔵人の足が自然と早まっていく。坂の中間地点で一瞬だけ足を止め、眼下を見下ろした。

 丘陵を下りきった野原の入口に立て札らしきものが見えた。無意識のうちに、安堵のため息がもれる。額に浮いた汗を手の甲で拭う。

 ふと、野原から、みっつの黒点が浮かんだ。それらは勢いを増しながらグングン近づくいてくる。背筋に緊張が走った。三人の男は、ギラギラした抜身を手にして目出し帽のようなものをかぶり、真っ黒な衣服を身につけていた。野盗にしては、姿が決まりすぎている。かといって、殺気を孕んだ彼らの瞳は、とても友好的なムードは感じられない。

「シモン・クランドだな!!」

「おとなしく命を置いていけ!!」

 この世界の人間は、家名が後ろに来るのが常識であり、まず例外はない。

 彼らは迷わず、姓を先に発音した。

 つまりは、蔵人が日本から召喚された勇者だと知っている可能性が高いのだ。獄吏の追っ手か、それともカマロヴィチが零していた貴いお方の手先なのか。どちらにせよ、蔵人は自分の命を守る必要性に駆られた。ひと月前まではただの学生であった蔵人が真っ向から斬り合っても負ける確率が高い。弱音をはく暇も殺しに躊躇する心のゆとりはない。まずは戦って勝つ。それがあらゆる生物に課せられた使命である。

 瞬間的に、腹の痛みも、移動の疲れも脳裏から吹き飛んだ。生物の本能に従って生存欲求が優先された。

 蔵人は腰の長剣を引き抜くと、押し包もうと三方から迫る男たちに背を向けて、くるりと反転した。逃げると錯覚したのか、男たちの足がさらに早まった。

 蔵人はそれを見てとると、素早く右横に飛んで草むらに身を投げ出した。

 瞬間、蔵人の身体が男たちの視界から消えた。

 自然に左右へと広く距離を取っていた男たちの輪が狭まった。

 蔵人は、手に持った鞘を勢いよく目の前の男たちに投げつけた。

 表面の塗りが剥げた鞘は、突出していた男の脚に上手く絡まった。

 悲鳴を上げて転倒する。

 そのとき蔵人は激しく草むらから跳躍していた。

 頭上に構えた剣を全力で振り下ろす。

 刃が敵の前頭部に当たった凄まじい音が響いた。正面にいた男は、額から顎先まで激しく断ち割られ、獣のような悲鳴を上げて仰向けに吹っ飛んだ。

 蔵人は斜面を転がりながら、無我夢中で長剣を振り回した。

 すでに体勢を立て直していた男が刃を振り下ろしてくる。

 激しく右肩を断ち割られた。

 痛みを感じる前に振り回していた剣が男の脛を払っていた。

 蔵人の長剣が男の右足を撫で斬りにしたのだ。

 生暖かい血が飛沫を上げて乾いた赤土を叩いた。降りかかる赤い雨を浴びながら、うつ伏せになった男の胃袋辺りに剣を垂直に落とした。地面の石を噛んだのか、金属がへし折れる音が響く。剣を引き抜こうと力を込めた。けれども男の筋肉が絡まったのか、容易に抜けない。脂汗を垂れ流している間に、最初に倒れた男が襲いかかってきた。

 蔵人は、男を串刺しにしていた剣から手を離すと繰り出された突きをなんとかかわした。

 平地の戦いではない。斜面に足を滑らせ尻餅を突いた。

 男は必死な形相で斬撃を落としてくる。

 蔵人は転がりながらかわすと、落ちていた剣を掴み水平に寝かせて防御を行なった。

 白刃が打ち鳴らされ、白い火花が散った。

 右足を伸ばして敵の腹をすかさず蹴りつけた。

 男の顔が苦痛に歪む。

 裂帛の気合を込めて長剣を水平に動かした。

 隙を突いた一撃だった。

 刃は男の脇腹を深々と断ち割った。

 なんとか三人の敵を斃したときには、もう動けないほど疲労していた。全身が水を浴びたように濡れそぼっている。上着と背中の間を伝って流れる汗が火のように燃えている。痛みに顔をしかめ右肩に手をやった。心臓が激しく鳴っている。荒い息を整えようとするが、中々元には戻らなかった。そのまま仰向けに倒れて目をつぶった。いくらかそうしていると、次第に汗が引いていく。しばらくすると血は止まっていた。恐る恐る右肩に指を伸ばす。割られていた傷口は、十五センチは超えていた。数針は縫うほどの裂傷がすでに塞がりかけているのだ。血の塊を爪で削ると、金瘡はうっすらとした白い線に変わっていた。有り得ない回復速度である。斬りつけられてから五分と経っていない。自ら、無限の再生能力を持つ不死の紋章イモータリティ・レッドの力を再確認するハメになった。

「とはいえ、迷惑な話だ」

 ただでさえ怪しい風体の上に、斬り合いで身体中は血だらけになってしまった。

 自分はただでさえ、この世界のよそ者である。

 もちろん、これから向かう村には縁もゆかりもないのだ。第一印象どうこうの話ではなく、あきらかに危険人物に認定されるだろう。この分では一晩の宿を乞うどころではない。この先新たな着替えを手に入れるまでは人を避けて行動しなくてはならない。閉鎖的な村社会の、しかも中世同然の文化レベルしか持たない人々が異端を排除する行動に出るのは予測範囲内であった。

 腹も減ったし、この先の希望も露と消えた。

 盛大にため息をついていると、背後から草を揺らす音が不意に聞こえた。

 反射的に身構える。

 そこには、青白い顔で立ち尽くしているふたりの農夫の姿があった。






 人間万事塞翁が馬、という言葉がある。悪いことの次にはいいことが。蔵人にとって農夫たちは、そういった意味で塞翁の元にやって来た駿馬のようなものであった。

 蔵人は、農夫たちを目にしたときは排除されるかとビクついていたが、予想に反して彼らは麓の自分の村に招いてくれるだけではなく、遠方の客として歓待してくれた。

 あたたかいメシに酒。純朴ながらも美しい村娘に酌を受けつつ、蔵人は人の温かみをはじめてこの世界で感じていた。村長をはじめとする村人たちは、蔵人を下にも置かない丁重さで扱った。その上、小ざっぱりした着替えだけではなく、心づけとして幾ばくかの路銀まで都合してくれたのだ。

 その日は久々に屋根のある寝台でたっぷりと熟睡し、翌朝目覚めてみると、部屋の外には地面に額を擦りつけ微動だにしない村人一同の姿があった。

「まあ、そうそう、ウマイ話があるわけねえよな」

 蔵人は樹木が深い影を作っている森の中をひとり歩きながら、今朝方の話を思い返していた。村人たちが蔵人を歓待したのは、別段、彼らの村がやさしさにあふれていたわけでも富んでいるわけでもなかった。

 蔵人が瞬く間に三人の男を斬り伏せたのを見て、これは使えると踏んだからである。

 彼らの村は、昨今、隣接する森からやってくるモンスターによって深刻な被害を出しつつあった。

 今年に入ってから、特に襲撃は酷く、また、このような寒村では王都に救援の使者を出してもモンスター討伐の兵は出してもらえず、日々苦しみ悩んでいたのだった。

 そこで、現れたのが蔵人の存在である。

 なまじ、冒険者ギルドに有志で救援の依頼を頼めばそれこそ目の玉が飛び出る金がかかるが、通りがかりの冒険者ならば安価が望めよう。

 おまけに、蔵人は若く、どことなく粗野な部分が感じられないことから、歓待責めで恩を無理やり売りつけ、いいように扱おうと考えたのであった。

 聞けば、村を襲うモンスターは、森に住む魔女が操っているとのことだった。

「要するにその魔女を、この俺にやっつけてくれってことね」

「このようなだまし討ちの格好で頼むのが卑怯なことだとはわかっております。けれども、もはや私たちには、あなたさましか頼れる方がおりません。お願いです。あたしたちの村をお救いくださいませ、剣士さま」

 村人を代表して懇願してきたのは、五十年配の村長ではなく、昨晩つきっきりで酌をしてくれた年若い村娘であった。

 ほっそりとした端正な顔つきに、ムチムチした身体がアンバランスで、なんともいえない妖艶な色気を放っている。恩義と情で攻められて、蔵人はたちまち閉口した。

「もし。もしも、魔女を倒してくれてこの村を救ってくれたのならば、あたしは、あたしの身は」

「ゲルタは婿を探しておりますじゃ。もし、剣士さまが魔女を見事討ち果たしてくれたのならば、今後の生活は村一同ですべて見させてもらいます」

「ああ、剣士さま。お願い申します」

 村長のお墨つきに加え、ダメ押しとばかりにゲルタがしなだれかかる。

「じゃ、じゃあ、がんばっちゃおっかなぁ」

「剣士さまっ」

 女に弱い蔵人にとって、もはや抗することは不可能だった。

 婿云々はともかく、上手いこと事件を解決すれば、ゲルタのぷりぷりした身体を、サクっと楽しめそうである。もちろん責任は回避する。蔵人はゲス顔でほくそ笑んだ。

 村人たちの情報によれば、敵は森の奥にある庵に住んでいるらしい。彼らの話によれば、その魔女は、ロムレス王国が出来る前から存在しており、長らく眠りについていたが、なんの気まぐれか今年の冬頃から目を覚まし、盛んに活動を始めたらしい。

「んな、昔からいるってんなら、とんでもねえババァだろうな」

 おまけに、魔女はあらゆる術に長け、非常に残忍ではあるが、朝に弱いらしい。

 村のいいつたえによると、遥か昔から近隣の名うての騎士が魔女に勝負を挑むためやってきたが、いずれも彼女が応じるのは午後を過ぎてから。しかも夕方立ち会うのがほとんどだった。伝説の騎士たちは特に名誉を重んじ、魔女がやってくるのを待ってから正々堂々と果し合いを申し込み、そのすべてが敗れ去ったとのことだった。

 蔵人にいわせれば、「バカじゃねえの」というところである。

 たぶん、魔女は伝説の吸血鬼のように陽の光に弱いのだろう。

 ならば、そこを突けば簡単に倒せる可能性は大だった。

 蔵人は騎士ではない。名誉なんぞは重んじない。特に、今回のように敵の正体がつかめない状況では、とにかく先手必勝で勝てばいいのだ。脳裏に昨晩たっぷり記憶に刻み込んだ、ゲルタの豊満な身体が去来した。

「あ、やべっ。チンコ硬くなってきた」

 蔵人の右曲がりなモノが、主の意思に反して硬直する。非常に歩きにくい。この状態で襲撃されて死んだら末代までの恥である。精神を統一しようとするが、昨晩盗み見していた胸元の白さが網膜に踊っている。ますます歩きにくくなった。

 そうこうしているうちに、小さな小川に差しかかった。どれほど昔にかけられたのだろうか、モスグリーンの苔で覆われた丸木橋の上をすべらないように慎重に渡りきると、彼方に開けた空間が見えた。

 高い木々に囲まれた中央には、木こりが住んでそうな味わいのある小屋が見えた。

「マジかよ。もう、着いちまった。てか、警戒心なさすぎじゃね」

 凶暴なモンスターを操る邪悪な魔道士。蔵人の脳には、古典的な大鍋をかき回す老婆の姿が思い浮かんだ。

「てか、魔女っていうくらいなら確実に遠距離攻撃してくるよな。なにか、作戦を立てておいたほうがいいのかな。やべっ、そんなこといってる間に、ますます近くに。とりあえず、小休止しよう」

 蔵人はきょろきょろ辺りを見回して、平べったい石を見つけるとその上に腰を下ろした。

 適度に濡れていなく凹凸がない。

 ゲルタに作ってもらったサンドイッチを、パクつく。

 メニューは、野菜サンド、ハムサンド、チーズサンドの三種類だった。

 味付けは、塩だけであるが、これでも頑張った方なのだろう。

 昨晩を除けば、牢内では下痢粥ばかりを食べていたので、なにを食べても美味いと感じる馬鹿舌になってしまった。これがよかったのかわるかったのかは判然としない。

「ふう、ごちそうさま」

 竹筒から水を飲んで人心地ついた。

「というか、敵さん全然、こっちに気づいていないんじゃ。ヤレるか?」

 蔵人は竹筒を放り投げると剣を抜き放ち、小屋に向かってジリジリと歩み寄っていく。

 油断なく視線を周囲に動かすが、別段変わった部分はない。

 なんだか拍子抜けだぜ。まあ、いいや。一気にサクっと決めたる。

 なんの妨害もなく扉の前に到達する。

 ノッカーには、なにやらかわいらしいクマをディフォルメしたものがフェルト生地でくくりつけられている。

 黒いボタンの瞳に一瞬、心が和んだ。

 もしや、これは魔女の策では……!?

「こんにちわー」

 疑念を覚えながらも声をかけた。

 この辺りが常人とはかけ離れた行為である。

 これから、殺そうとしている相手に、わざわざ訪いを告げるであろうか。

 やはり、彼も異世界に召喚されるだけあって、充分に異端であった。

 蔵人は出ないとわかっていても誘惑に負けてノッカーを握って上下に打ち据えた。

 コンコンと軽やかな音が鳴った。

 しばらくすると。

「出かけてます。いません」

 若い女の声がした。澄み切った、よく通る声である。

 あまりのショックに蔵人は虚脱状態に陥った。

 まず、想像していた老婆の声ではない。

 しかし、よく考えれば声や形などは魔術でいくらでも擬態できそうな気がした。

 とにかくも、中に目的の人物が存在することはわかった。

 扉を蹴破ることも考えたが、中にはどんな罠が張り巡らされているかもわからない。

 どうにかして、外に引きずり出さねばならないのだ。

 このまま、でくのぼうのようにつっ立っていても事態は進行しない。

 狂ったように、ノッカーを打ちつけた。

 コンコンコンコン、とキツツキのように扉が続けざま鳴った。

「ふざけんな、森の魔女! おまえがいることはわかってんだ!! 外に出てきて、尋常に勝負しやがれ!!」

「どこの田舎者かは知りませんが、お引き取り願います」

 幾分、声がかすれて聞こえた。言葉の節々にイラっとしたものが混じっている。

 こいつは、思うツボだと、胸の中でほくそ笑んだ。

「出てこい、出てこい、出てこい!!」

「……やさしく、いっている間に、帰ったほうがいいと思うのだけれど」

「こえーんだな? この、クランドさまに恐れをなしたんか? ヒャッハー!!」

「忠告はしたわよ」

「え」

 女の声が、急速に冷えた。

 同時に、掴んでいたノッカーから凄まじい放電現象が起きた。

 蔵人は、叩き金を掴んだまま、押し流れてきた高圧の電流を全身に浴びて、筋肉のすべてを震わせた。

「あががががっ」

 殴打や創傷とは違った次元の痛みが足のつま先から脳天まで駆け巡る。

 意志ではこらえることのできない別種の痛みだった。

 目の奥がチカチカと白い火花で埋め尽くされた。

 上顎と下顎が激しく打ち鳴らされ、ハラワタが蠕動する。

 皮膚の細胞ひとつひとつが細かな針で同時に刺し貫かれた気分である。

 蔵人は、夏場の犬のようにベロを口からはみ出させ、ふらりと上体がかしぐのを感じた。

 あ、やべ。これ、堕ちるわ。

 頭の中央部を、スっと長い刃物で突かれたような感覚。冷たさと熱さが同居している。

 後頭部から重力に導かれるようにして後ろにひっくり返る。

 意識の途切れる最後の瞬間。

 目の前の扉が薄めに開かれ、赤い瞳がジッと闇の中で輝いたのを幻視した。






 どれくらいの時間が経過したのだろうか。頬を撫でる風に冷たさが染み込み始めたのか、蔵人が覚醒したときは、森の中は真っ赤な夕焼けで染まっていた。

 小屋の前でそのままうつ伏せに倒れていたのだろう。地面に触れていた顔全体がシットリと湿っている。倒れ込んだ拍子に口中に入った泥を吐き出す。苦いものが舌の先でジャリジャリと音を鳴らした。

「くそぉ。やってくれるじゃねえか」

 地面に座り込んだまま、悪態をついた。指先まで、いまだに痺れが残っている。それだけ強烈な電撃だったということだ。親の仇を見るように扉を睨んでいると、きい、と軋んだ音を立てて扉が開いた。

「たっぷり眠って、少しは頭が冷えたかしら」

 蔵人はいとも簡単に姿を現した人物を目にして息を呑んだ。女は、十八、九だろうか。

 抜けるように白い肌が輝いて見えた。真っ黒でツバの広いとんがり帽子をかぶっている。長く美しい銀色の髪がなめらかなに波打っている。眠たげな瞳は、濃い赤で、宝石のように輝いていた。黒いドレスを羽織っており、スカートは地面につきそうなほど長く大きかった。張り出した胸はやや大きめであり、形がよい。特筆すべきは、銀髪から突き出た長く尖った耳であった。普通の人間にはない別種を示すものである。

 蔵人の不躾な視線に気づくと、彼女は、深くため息をつき、疲れた声を出した。

「落ち着いて話は出来そう? それとも、もう一発、キツイのがお望み?」

「ビリビリは勘弁してください」

 魔女は、自らの名を、マリカと名乗った。彼女は、蔵人の名を聞くと、扉を開いて小屋の中に招き入れた。小屋の中は全部で三室しかなく、入ってすぐの部屋は、テーブルがひとつだけある、無味乾燥なものだった。勧められるままに椅子に腰かけると、彼女は距離をややとって窓際に立った。マリカはやはり蔵人に対する強い警戒を解いてはいない。当然のことながら、茶の一杯も出なければ愛想のひとつも見せなかった。

「あんた、その耳。もしかして、伝説のエルフってやつか?」

「伝説かどうかは知らないけど、あなたたち人間が長耳族と勝手に呼んでいる、それの仲間であることに違いないわ。それと、もうひとつ。私は、普通のエルフではなく、この世界が産まれ落ちたときから存在するといわれる、いにしえの民、ハイエルフよ」

 長耳族。亜人の種族の中でも、もっとも長命を誇るこの部族は、一般的にはエルフと称された。エルフの寿命は通常、二百年ほどといわれており、その長命と引き換えに個体数は極めて少なく、ロムレス全土で見れば、人間の十分の一程度でしかなかった。

 エルフは基本、他の亜人と比べて人間と交わることを好まず、一部の平地エルフを除けば、深い森や谷間、暗い洞穴や険しい山地、草原や砂漠地帯などに点在して暮らしていた。

 マリカの言葉によれば、ハイエルフは、世界中で見受けられるエルフたちとはあきらかに別格な存在であり、言葉の端々から彼女も同一存在と見られることに嫌悪している印象があった。

「ご高説はありがたく拝聴したが、そもそもが、俺にはエルフもハイエルフも関係ねえんだ。こっちが望むのはただひとつ。モンスターを操って、村を襲わせるのはやめて欲しい。できれば、あんたと殺し合いなんかしたくねえ」

「どうやら根本的な考え違いが村の人間たちにはあるみたい。あなた、クランドとかいったわね。信じるかどうかはあなたの勝手だけど、私はモンスターを操ってなんかいないし、村を襲わせたりもしていない」

「そうか」

 蔵人が平坦にうなずくと、マリカはビックリしたように椅子から身体を乗り出した。

「あなた、私の話を信じてくれるの?」

「信じるもなにも、まだ続きだろうが。さ、話してくれ」

「え、あ、そうね。森に存在するモンスターが村を襲い始めたのは、ダンジョンに封じ込められた邪神のせいなの」

 マリカの話はこうだった。かつて、古代に、この森の奥深くに封じられた邪神が千年のときを経て復活しようとしている。森に住む動物たちは、本来人里には降りずに、それぞれの縄張りを守って暮らしていたが、邪神の放つ悪気によってその性質を歪ませて人々を襲うようになった。

 マリカは、長い間、この森で邪神の復活に備えて眠りについていたが、今年の冬にかけていよいよ邪神の波動が高まることに危機感を覚え、やむなく覚醒したとのことだった。

 蔵人はマリカの話をすべて聞くと、それならばその邪神を再封印するしかない、と結論づけた。蔵人の美点のひとつに決断力の速さがあった。

 マリカは、訝しむように、自分の口元に手を当てて、いった。

「あのね。自分でいっておいて、アレだけど。私の話を、全部信じるつもりなの。もしかして、あなたを騙して、好きなように利用しているだけかもしれないのよ」

「あのな。おまえの、魔術ならそんなまだるっこしい真似をしなくても、俺ひとりくれえ簡単にビビっと始末できるだろう」

「……それもそうね」

「納得すんなよ。悲しいじゃんか」

「でも、あなたって警戒力なさすぎ。不注意すぎるし。もしよ。もし、仮に私が村人のいうような極悪非道の魔女であったら、あなたは今頃、ここにこうしていることもなく、黒焦げの消し炭になってのかもしれないのよ」

「でーじょぶだよ。俺ちん、結構頑丈だから」

「ふん。でも、見たところ、あなたのあの村の人間ではないわね? 通りすがりの冒険者かしら。他人のために命を張って危険を犯す必要なんてどこにもないように思えるけど」

「ま、一宿一飯の恩義ってやつだ。俺の故郷では美徳とされる」

「はあ? 一食程度でいちいち命をかけていたら、あなたの国の人間はとうに死滅しているんじゃないのかしら。愚かね」

「愚かだっていいじゃないか。そもそも、邪神うんぬんなんて話になれば、俺の力がどこまで役に立つかわからないけどな。でも、ひとりよりふたりっていうだろ。一人口は食えぬが二人口は食える。ああ、これは所帯を持つときの話か」

「まるで用法が違うじゃない」

 マリカは呆れたように、ぷいと横を向くと、長い髪をいじり始めた。

「とにかく、無駄な殺し合いはしないにこしたことぁない。いまから、俺とマリカは生きるも死ぬも運命の共同体だ。邪神が滅ぶその日まで、頑張ろうぜ!!」

「ねえ、協力し合うのは結構だけど、肩に回した馴れ馴れしい腕は解いてもらえない?」

「え?」

 蔵人はすっとぼけたまま右手でマリカの乳房をやわやわと揉んでいた。

 魔女の顔から、スっと血の気が引いて紙のように白くなる。

「ふうん。ドサクサに紛れて、乙女の大事なところを、堂々と――!!」

 マリカは、宝玉のついた杖をかざすと、蔵人に向かって風の魔術を放った。

 途端に、宝玉は激しく発光すると、強風を出現させて蔵人の身体を扉の外へと、ぽーんと押し出した。蔵人は、小屋の反対側の楡の木に頭を強打して、ヒキガエルのようなうめき声を上げた。マリカが、やりすぎたかな、と顔を青ざめさせると、ほどなく蔵人が立ち上がり小屋に戻ってきた。さすがにバツが悪いのか、マリカは唇を突き出してむくれた。

「あ、あなたが悪いのよ。乙女の胸を不用意にさわったりするから」

「あ、頭が……!」

「え、あ。え? 大丈夫?」

「うううっ、頭が、頭がぁあああっ」

「ちょっ、えっ。待ちなさい、なに、なんなの?」

 マリカは善良な女であった。故に、自らの過失で苦しむさまを見せる蔵人を放っておけなかった。蔵人は頭を抱え込んで、その場にしゃがむと激しく苦悶した。マリカの焦りが頂点に達する。

「ご、ごめんなさい。あの、その、ちょっと冗談だったのよ。んって、きゃあっ」

「ふおおおおっ!! オッパイ! 魔女のオッパイ、やーらけえっ。うひょおおっ!!」

 蔵人は近寄ってきたマリカの無防備な胸に飛び込むと、顔をうずめながら、狂ったようにこすりつけ始めた。

 茫然自失の彼女は、やがて呆けた状態から、現在の状況に気づき、頬を紅潮させた。

 大事がなくてよかったという安堵感が、騙されたという怒りと肉体的羞恥が混濁したものへと変化していく。

 蔵人はこのあと、マリカの激しい電撃を喰らって、翌朝まで目覚めることはなかった。






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