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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第2章「迷宮都市シルバーヴィラゴ」
34/302

Lv34「ダンジョンへの道程」





 シスターヒルダが、司教マルコに与えられた罰則は、蔵人に対する七日間の無料奉仕であった。ロムレス王国の法律に照らし合わせると、本来窃盗の罪は金額の多寡に関わらず、禁錮十年、或いは罪人の手首の切断という荒っぽいものである。この法律自体が建国以来ほとんど手を加えていない人権のじの字も存在しなかった時代の刑罰であり、事実上それぞれの領地で決められた金額を領主と被害者に納めればことを荒立てないのが通例であった。

 だが、清貧を旨とする教会においては事情が違った。

 王国内に点在する教区においては、その土地の司教が絶大な権限を有しており、ときとして司教の力は領主を凌ぐこともあった。

 司教マルコもその例外にあらず、蔵人は小馬鹿にしていたが、彼の力はシルバーヴィラゴにおいては中々のものだった。

 畢竟、ヒルダもマルコの指示には逆らうことはできない。窃盗の罪を渋々認めた(※すでに教義的には神を冒涜している)ヒルダは、すべてを贖うために、蔵人に奉仕することとなった。現代事情とはまるっきりかけ離れたこの世界では、事実上、生殺与奪の権利を蔵人が握っているの同然である。

 ヒルダは、少額とはいえ、奪った銭を弁済するために娼館に売り払われても文句は一切いえない。その場合は、教会に保管されている人員名簿にマルコの手によって斜線が引かれるのみであり、あらゆる社会通念上に置いて合法だった。

 ヒルダは、七日間において、合法的に教会から蔵人へと所有権利が譲渡されたとみなしても間違いではなかった。

「はああぁん」

 街中を彷徨する蔵人の背中で、ヒルダがもう何度目かわからないほどになるため息をついた。聞いているだけで鬱病になりそうな景気の悪さである。

「さっきから、うるせーなぁ。貧乏神がすり寄って来たらどうすんだよ」

「だって、だってえ。私だって、これからの予定ってもんがあったんですよぉ。ひどいですよぉ、司教もまったく。こんないたいけな乙女を性獣の肉奴隷として譲渡するなんてぇ」

「おいおい、人の銭ギっといてその言い草はねえだろう。あのおっさんも、素直に金払えばいいものをよ。十万(ポンドル)くらい、慰謝料としてポンと出せないのかねえ」

「クランドさん、クランドさん。私も、人さまのお金ちょろまかしておいてアレなんですが、さすがにふっかけすぎじゃないですかねぇ」

「とにかく金がいるんだよ、金が!」

「目つきがこわい。……はっ! まさかっ」

 ヒルダは、怯えるように自分の身体を両手で抱きすくめると、その場にしゃがみこんで、うるると、両眼にうそ涙を溜めこんで見せた。たいした演技力である。

「カラダですねっ、私のいたいけなカラダで金を稼げ、と。聖者を汚す卑猥の淵に、この身を堕とせと、申されるのですねっ」

 ヒルダが被害者ぶってきゃあきゃあ騒ぐと、物見高い街の人々が、蜜にたかるアリのようにわらわらと集まってきた。

「どうした、どうした。こりゃ、なんの騒ぎだい」

「なんでも、あの兄ちゃんが、尼さんを女郎屋に叩きうるとかなんとか」

「世も末だねぇ。ここは、大聖堂からそれほど離れちゃいないってのに」

「いんや、そうじゃなくて、男女のもつれらしいぜ」

「シスターの腹ン中にゃ、子がいるらしい」

「堕ろすの堕ろさないのと。世間には望んで子もできない夫婦だってゴマンといるってえのに」

 元来、物見高い街衆である。蔵人は、無言でヒルダを立ち上がらせると、手を引いて群衆から遠ざかっていった。無理やり押し止めるほど、義侠心の強いものもいなく、ちょっとした見世物が終わってしまったという程度か、小魚が散るようにして群衆は自然に解散した。

「ねえ、怒ってます? ねえったら」

「怒っちゃいねえよ。あきれ果ててるだけだ」

「もおう、いいじゃないですか。ちょっとした、お茶目だというのに。ところで、なんでそんなにお金が必要なんですか。博打、酒、女。……わかった、ぜんぶだっ」

「違うよ。冒険者組合(ギルド)の加入料が十万(ポンドル)って目の玉の飛び出る値段なんだ」

 リズムに乗って歩いていたヒルダの足がぴたりと止まる。蔵人が振り返ると、そこには痛ましいものを見るような視線で凍りついたような顔をした女がいた。

「え、冒険者ですか。そういう意味で私を連れ回してたんですか」

「どんな意味だよ」

「決まってるじゃありませんか。僧侶が必要なときなんて、弔いだけでしょう」

 ヒルダの顔を覗きこむ。そこには、先ほどのふざけた雰囲気は微塵もなく、歴としたひとりのシスターの顔があった。

「どうやら俺が冒険者になるってことがよほど気に入らないみてえだな」

「ええ。みすみす若い命が散るのを黙ってみていられません。これでも、聖職者のはしくれですから」

 蔵人は顔をしかめて鼻を鳴らすと、反転して歩きだす。同時に、外套の裾をヒルダが握り締めた。ふんぐぬぅ、と気管がしまって妙な声が喉からもれた。

「なにすんだよっ」

「どうやら、口でいっても納得しないみたいですね。じゃ、一度自分の目で確かめてみたらどうですか。ダンジョンってやつを」 






 蔵人はヒルダに煽られる形で、深淵の迷宮(ラスト・エリュシオン)行きの馬車に飛び乗った。冒険者組合(ギルド)資本の馬車は、定期的に街からダンジョンまでを往復している。城門を出るまでの街中は保全された石畳が敷いてあり快適ではあったが、一度外に出ればすべて悪路であった。馬車の乗客は、意外にもこれぞ冒険者、というなりをした人間は載っていなかった。平服を着た中年の男女や若夫婦、子連れの家族である。

 蔵人は緊張のためにいささか身体に力を入れていたが、先ほどの様子とは打って変わって、ヒルダも乗客たちと特に変わった様子もなく世間話に興じている。理由がわかったのは、ダンジョンの入口についてからすぐだった。

「これ、なんか、俺の想像していたダンジョンと違う」

 馬車の停車場からまっすぐ入口に向かう道の脇には露店が数珠つなぎに連なっていた。

 あちこちから、食べ物を焼く独特の香気や甘ったるい菓子の匂いが漂っている。列をなしてそぞろ歩く群衆の塊に、一歩前進するのも一苦労だった。露店のあちこちからは、物売りの威勢の良い声が途切れずに飛び交っている。

 まさしく祭りそのもだった。

「さー、クランドさん。なにからいきまっしょい! まずは、軽くつまみます?」

「……」

「いだだだっ」

 蔵人は無言でヒルダの小鼻をつまみ上げると、ぎゅっと捻った。

「なにするんですかっ、女の子の顔をキズモノにするおつもりっ?」

「いやいやいや、っていうかさ。ダンジョンて、冒険が待ち受けてんじゃないの。これってさ、あの、もしかして場所間違えてね?」

「ぜんっぜん間違いじゃないですよーっ、ここがロムレスの誇る大リゾート地っじゃなかった、神秘に包まれた深淵の迷宮(ラスト・エリュシオン)です」

 蔵人は、夢遊病者のような足取りでふらつきながら、視線を虚空にさまよわせた。一方、ヒルダは勝手に蔵人と腕を組んでデート気分のように浮かれていた。

 時折、露店で棒菓子やら、串焼きなどを買い食いしている。

 きらめく陽光の中、ノリに乗ったはしゃぎようだった。

 露店の連なった直線の終わりにダンジョンの入口はあった。

 冒険者組合(ギルド)の事務員らしき、二十五、六くらいの女性がふたり、入口に誂えた机の上で入場料を徴収している。

 蔵人がぼうっとしていると、ヒルダが銅貨を二人分払った。

「ここが深淵の迷宮(ラスト・エリュシオン)ってところですか。いや、死ぬ前にいい冥途の土産話ができました」

「私も、一度見物したいと思っていましたが、いやいや商工会の旅行で来れるなんて、いい世の中になったもんですねえ」

 洞穴の前で、商人風の中年男たちが雑談をしていた。

 入場料を払った人たちがひとまとめになったところで、案内役らしい濃いオレンジの帽子をかぶった二十前後の女性が全員の先頭に進み出た。手馴れた様子で周辺を見回すと、ぺこりとお辞儀をする。よく通る声が響いた。

「本日はお暑い中、深淵の迷宮(ラスト・エリュシオン)にまでわざわざ足をお運びいただき、ありがとうございます。私が、本日迷宮のご案内を務めさせていただきます、冒険者組合(ギルド)総務部のカーラと申します。短い時間ですが、おつきあいのほど、なにとぞよろしくお願いします」

「わー。いよいよ、迷宮探索ですね、クランドさん。私、ここに入るのはじめてなんですよう。わくわくしちゃいますね」

 若い娘らしく、明るい声を上げるヒルダ。それを聞いた隣の中年夫婦がにこにこと笑みを浮かべた。

 蔵人の表情。能面のように冷たかった。

 ぞろぞろと集団が吸い込まれるように迷宮の中へと消えていく。

「これが伝説のはじまりなんだ」

 憧れていた大冒険への第一歩。それはひどく味気ないものだった。蔵人は泣きそうになる自分をこらえながら、前を歩くヒルダの尻をつねった。ぎゃっ、と轢き殺された猫のような声が洞穴に響く。なおのこと虚しさが募った。

 迷宮の中は安全性が徹底された人工的なものだった。洞穴の入口から先は、あちこちがモルタル状のもので塗り固められ、足元は磨かれた白い敷石でぴっちり詰められている。行く先々には、数メートル感覚で燭台のロウソクに火が灯されており、陽光が遮られているだけ、外よりはるかに過ごしやすい気温だった。列の先頭を、旗を持った添乗員であるカーラがよく響く声で、このダンジョンの故事来歴を語っている。あまりのショックで呆然としている蔵人の耳をすべて素通りしていった。壁面のあちこちには、冒険者たちが恐ろしげなモンスターと戦う極彩色の絵がかけられており、見物客たちはその絵をじっと見入った。しばらく歩くと大きく開けた広間に出た。人工的にくり抜かれた洞窟内の大きな虚には、飲食物を売る店が多数開かれており、あちこちでテーブルに座って飲み食いに興じる人々の姿が見えた。

「昼食の時間は一時間です。一時間後に、喫茶“梟の巣”の前にお集まりください」

 蔵人は、空いている公共スペースのテーブルに腰を下ろした。

 ヒルダと隣りあって座る。目ざとい彼女は、どこかで飲み物を調達してきたのか、陶製のポットからアイボリーホワイトのカップに紅茶をそそぐと蔵人に差し出した。

「さー、熱いからヤケドしないように気をつけてくださいね」

「へい」

 ヒルダは続いて自分の紅茶を用意すると、売店で購入したサンドイッチを前に両手をあわせてお祈りをすませると、ぱっと花が開くような快活な笑みを見せた。

「さ、あったかいうちにいただきましょう。クランドさんは、お弁当持ってきてるんですよね」

「へい」

「うむむ、なんだか元気ないですねー。ごはんは楽しく食べないと、おいしくないですよ」

「お、おう」

 イマイチ気勢の上がらない蔵人だった。持参した籐製のラタンバスケットから布の覆いをとると、ランチボックスからレイシー手作りの弁当が姿をあらわした。チーズとハムのサンドイッチ、ゆでたまご、フライドチキンとポテト、シロップで煮しめたフルーツ類などである。魔法瓶(※魔術のかかった文字通りのマジックアイテム)には、キンキンに冷えたレモン水が入っていた。

「あらら、彼女さんの手作りですかぁ。お茶、いらなかったですかね」

 ヒルダは魔法瓶を見ると、少しだけ悲しそうに目を細めた。

「いや、飲む。っあっづ!?」

「そんなに慌てなくてもいいですよっ」

 蔵人が舌をちょっと火傷したり(※もっとも数秒後には回復するのだが)レイシーのこころづくしのお弁当にちょっとホロリと来たりして、愉快な昼食がつつがなく終わると、迷宮観光ツアーは再開された。

 毒にも薬にもならない文字通りの物見遊山がだらだらと続く。

 途中、小休止を取った場所から離れたところで、一種異様な雰囲気を蔵人は感じとった。観光の列から一人離れて、整地された石畳の道を外れて歩く。

 しばらくすると、完全武装した男たちが槍を構えて警備を固めている部屋が見えた。

 そこにあったのは、大きな石扉だった。

 巨大なカンヌキが三つもかかっており、鉄の鎖が網の目のごとく、縦横に張り巡らされている。無数にかけられた錠が異様なものものしさだった。十人近い、男たちが、かがり火を四つも焚いて、周囲を赤々と照らしている。蔵人は、特に身を隠していないので姿は見えているはずなのに、誰何ひとつかけないのも、逆に不気味だった。

「なんなんだよ、ここは」

「入口ですよ、本物の」

 声に振り向くと、ヒルダが背後に立っていた。

「びっくりさせんなよな。しっかし、本物ってのは」

「一旦外に出ましょうか」

「おい、待てよ」

 ヒルダは、無言のまま踵を返すと、元来た道を引き返して、迷宮の外に出た。一種異様な雰囲気に気圧されて、あとに続く。入口に出て、ヒルダが受付の事務員にひとことふたこと話すと、彼女たちは作った笑顔をさっと消して、機械的に歩き出した。先頭に立って藪に入る事務員を追うようにして歩く。ヒルダはすでになんどか来たことがあるのか、獣道のような悪路をものともせずに進んでいく。やがて、数人が野営できそうな開けた平地に出ると、左右から剣を構えたふたりの男たちが飛び出してきた。蔵人が剣の柄に手をかける前に、事務員が割符を男たちに渡す。確認が一瞬で終わると、事務員は男たちといっしょにその場で佇立する。

「こっちですよ、クランドさん」

 ヒルダが先に立ってさらに森の中に分け行っていく。

「ヒルダ。やっぱり、ここにはじめて来たなんていったのは、嘘なんだな」

「バレちゃいましたか。最初に行った入口は観光客向けなんですよ。本当の、ダンジョンの入口は秘匿されているんです。関係者以外は基本的に立ち入り禁止なんですよ」

「関係者って、じゃあどうしておまえが知ってるんだ。おまえも、冒険者なのか」

「いえ。ただ、本業で幾度かここに来たことがあるだけですよ」

「本業」

 獣道が終わると、あきらかに人の手が入った小道に出た。木枠の打ちこまれたルートを斜面に沿って下りていくと、叫び声が耳に入った。

「ちょっと!」

 ヒルダの声を無視して駆け出した。蔵人は一気に森の街道を駆け抜けると、木々に囲まれた広場にぶつかった。

 そこには阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっていた。

「ぎゃああああっ」 

「助けてぇえええっ」

「痛いっ、痛いっ、痛いよおおうっ」

 ぽっかりと口を開いた洞穴の前に多数の人々が転がっていた。草地のあちこちにはムシロが敷かれて、その上にはあきらかに致命傷を負った人間らしきものの、残骸があった。

 切り裂かれた腹から腸が陰圧で飛び出ている。

 血にまみれた腸を、妙な格好をした男や白っぽい服を着た女が踏みつけながら飛び回っていた。

「なんだ、ありゃあ仮装か?」

「あの鳥さんみたいなのはお医者さまで、白地の服は看護婦ですね」

 蔵人の疑問にヒルダが答えた。つば広の帽子に鳥のクチバシのような仮面をつけているのが医者で、白地に赤十字が染め抜かれた衣服を着た女性が看護婦だとのこと。両者とも、冒険者組合(ギルド)に委託を受けて負傷した冒険者たちの後始末を行っているのだった。

 現代日本から来た蔵人の視点からいえば、医者の格好は中世ヨーロッパの妖術師にしか見えない。幻術系の魔法を使いそうなタイプだった。

 つまるところ、怪しいことこの上なかった。

 医者にハラワタを踏まれるたびに、傷ついた男はビクンビクンと機械じかけのように身体をくの字に折り曲げる。

 横には、身体の半面をこんがり焼かれてブリの照り焼きのようになった男が、うめき声を出していた。焦げきって炭化した指先が空に向かって突き上げられ、黒い煙を立ち昇らせていた。

 その隣には、大きな刃物で切り裂かれた背を晒しながら、身じろぎひとつしない男が、涙を流しながらひとりごとをつぶやいていた。

「先生、先生」

「なんだあ、いま手がはなせないんだっ、簡潔にいえ、簡潔に!」

「足、足、足でハラワタ踏んでます」

 医者は、ちらりと足元を見ると、自分の靴に絡まっていた大腸を腹立ち混じりに力をこめて踏みにじった。ぶちゅり、と腸の裂ける音がして、スカトール臭のする内容物が辺りに飛び散った。

「いぎいいいいっ」

 患者は足をもがれた死にかけの昆虫のように四肢をじたばた動かす。

 振り回した腕が、隣の重症患者の傷口にぞぶりと音を立てて突き刺さる。膿の混じった赤黒い鮮血が辺りに飛び散り、ムシロをぐっしょりと濡らした。

「先生、患者が痛がってます」

「ほっとけ! どうせ、そいつは助からん! それより、金持ってそうなやつから治療をはじめろっ、文無しはくたばってもかまわん。むしろ、世のため人のためだっ」

「わかりました、先生。世のため人のため」

 童顔の看護婦が忠実に復唱する。言葉が聞こえていたのか、望みを失った貧しげな装備の男たちが次々と動かなくなっていく。昇天した魂が目視出来そうな勢いであった。

 効果は覿面だった。

「わかりましたじゃ、ないわよっ。アンタの踏んづけてるのは、ウチのクランのリーダーよ!」

「なにが、リーダーだ! この出来損ないがっ、使い古しの淫売女が! 余計な仕事増やしやがって! オレは三日も寝てないんだよっ」

 医者は、男に付き添っていた露出度高めの女冒険者を蹴っ飛ばすと、仮面のクチバシをカタカタ鳴らしながら叫んだ。

 まさに地獄絵図である。

「待ってよ、お金なら、お金ならあるから。彼は、わたしの大事な人なの」

 ビキニアーマーっぽい装備の女冒険者が、鼻血を垂らしながら医者の足にすがりつく。

 乱れた髪がほつれて、顔にへばりついている。崩れた雰囲気だが中々の美人だった。医者は、女から手渡された革袋を受けとると、中身を手のひらに撒けてから不満気につぶやいた。

「少ねぇ。こんなはした金じゃあ、どうにもできねえよ」

「じゃ、じゃあ、足りない分はわたしの身体を好きにしていいからっ」

 女冒険者がヤケになって、両手で胸の覆いを剥ぎとった。

 ぷるんと、飛び出した釣鐘型の乳房が弾む。白いもちのような乳房に、苺のような真っ赤な蕾が美しかった。

「おおっ」

 事態を見守っていた蔵人が声を出して身を乗り出す。

 ヒルダから、極めて冷たい視線を浴びせられるがそんなことは気にしなかった。

「うるせえええっ、オレは七年前から糖尿で勃たねえんだよ!」

 医者が叫びながら胸元を蹴りつける。女も負けじと、医者の腰にすがりついた。

「お願いぃいいっ、助けてよおおっ」

「先生、先生」

 無駄に盛り上がるふたりを前にして、童顔の看護婦が冷静に告げた。

「なんだよっ、取り込み中だっ」

「もう、死んでます」

「ああん?」

 医者がその場に跪いて、脈をとって口元に手をかざした。

 男の喉には自分のハラワタがぐるぐると巻き付き、締め上げる格好になっていた。医者と女冒険者が揉みあっているうちに絡まったのだった。

 重ね重ね不運だった。

 どっちにしろ助かる傷ではなかったが。

「窒息死だな」

「いやあああああっ!」

 女冒険者が顔を手で覆い泣き叫ぶ。

 それも、やがて多数のうめき声にかき消されていった。

「本業ってのはとむらいのことかよ」

 蔵人たちは、負傷者たちが並べられた簡易治療所から離れると森の窪地まで移動していた。あの場所では、落ち着いて話をするのに不向きだからである。乾いていて腰かけるのにちょうど良い石を見つけると並んで座った。ヒルダは、疲れきったように息を吐き出すと諭すようにいった。

「ちょーっと荒療治でしたがこれでクランドさんも、冒険者になりたいだなんて口に出す気もなくなったでしょう。私もこんな風に人に説教するガラじゃないですから、なんか肩こっちゃいましたよ」

 ヒルダが顔を上げると、蔵人が顎に手を当てて唸っていた。

「あらら、脅しすぎちゃいましたかね。まったく、クランドさんもかわいいとこあるじゃないですか。ううん? なになに、心を改めて商売替えする気になりましたか?」

「いや、十万(ポンドル)どう工面しようかなぁ、と」

「おいーっ! なに、なになになあに? いままでの私の気遣いとか、現実を見せつける系のやんわりとした懐柔策はなんだったんですかねぇ? だから、冒険者になったら、ああなっちゃうんですってばぁ! よくて、不具っ。悪ければ、クッキーのカケラをこぼすみたいな気安さで生命が、ぽいっとなくなっちゃうんですよっ! ねえ、聞いてましたかねえ? 人の話っ! あなた、全然人の話聞かない部類の人間ですよねっ。いくら温厚な私でも許せないことと、許せないことがありますよっ!」

「いや、それ両方許してないよね」

「言葉の綾ですう!」

 火の玉のように顔を真っ赤にして吠え出したヒルダを前にして、蔵人は反論するのをやめた。脳のスイッチを切る。

 それから、先ほどの女冒険者の乳房を思い出しながら、妄想の中でそれを頬に押し当てた。

「なあ、そんな顔するなよ。機嫌直せってば」

「つーん」

 それから、十五分後。

 ヒルダは、蔵人が自分の話をまったく聞いていないことに気づき泣き出した。

 しかも、ガン泣きである。

 これには、さすがの蔵人も激しく狼狽した。

 古来よりどんな豪傑も女の涙には勝てないものである。

 とりわけ、蔵人は、女性や子供、そして動物といった力なきものには弱かった。 ヒルダは、蔵人から顔を背けるとあさって方向を向いて目線を避け続けている。

 ご機嫌斜めであった。

「しっかし、どうしてそこまでムキなるんだよ。知り合って間もないってのに」

「それは! ……私も一応シスターのはしくれですからね。みすみす刃に飛びこんでいく無防備な子羊ちゃんを見過ごしにはできないんですよ」

「ふーん、それじゃ他の冒険者志望のやつらにもいちいち説いて回ってるのかよ」

「私っ! ふん、もお、本当にいいです。冒険者みたいな無法者志願のクランドさんとは、口を利いたげません」

「そんなこというなよ」

「つーん」

「仲良くしようぜ」

「つーん、つーん」

 蔵人が、ヒルダの顔を見ようとすると、彼女は器用に顔を背ける。子どもじみた仕草が、なんだかやけにかわいらしく感じた。

「でもそれって、俺のことだけ特別に心配してくれたってことだろ。男ならうれしいじゃねえか。ヒルダは、優しいんだな。ありがとな」

「は、はああ!?」

 ヒルダは振り向くと、白い肌をぽっぽと染めてうつむいた。蔵人が、身体を斜めにして耳を近づけると、そんなことないもん、とかちがうもん、などとブツブツつぶやいているのが聞こえた。蔵人が、そっと腕を回して彼女の肩を抱く。ヒルダは、ぴくと身体を震わせて、独り言をやめた。

「んで、ダンジョンについて知ってること、ぜんぶ教えてくれるよな」

「……いじわる」

 蔵人が、ヒルダから聞き出した情報と、自分が知っているものを総合すると以下のようになった。

 まず、深淵の迷宮(ラスト・エリュシオン)は最深部まで百層ある。

 いずれも伝説に記された古文書により、最下層にはロムレスの秘宝と呼ばれる存在が取り沙汰されている。冒険者組合(ギルド)の公式記録では、十七層まで攻略されていることになっているが、各クランが真実の攻略層を秘匿しているので、実際に誰がどこまで到達しているかわからない。

 公式に攻略された階層の地図は販売されているが、非常に高価であり一層から十七層まで揃えるだけでひと財産かかるといわれている。

 もっとも、闇市で廉価版の地図が売られているが、経路が粗雑であったり故意に誤った道が示されているので安易に入手するのは生命に関わる危険性がある。

 また、ダンジョンには故意に下層を攻略せずに公式攻略階層で狩りを続け、換金できるモンスターを対象として生業にしているクランが多数あり、狩場の利害関係で犯罪が多発している。

 冒険者組合(ギルド)は公式に専有権などを認めていないが、冒険功績の高いクランの意見が通ったり、事件が発覚した場合なども判定が優位に働いたりすることがままあったりする。

 冒険者組合(ギルド)の加入料は十万(ポンドル)であり、一等市民権以上を持つ三人の推薦人が必要である。

「ネックはやっぱ銭と、推薦人か。なあ、一等市民権って、やっぱそこいらへんのおっさんが持ってるもんじゃねえよな」

「ええ。一般に、生まれの土地の豪商や豪農、貴族や学者や高僧ってところですね」

「高僧。んんん、おい。もしかして、マルコのおっさんでもオッケーなんじゃねぇの」

「ええ」

 ヒルダが、あからさまにいわなきゃよかった、という顔をした。

「んだよ。まだ、反対なのかよ。俺が、冒険者になるのが」

「別に、私はへいきです」

「ぜんぜん、納得してない顔だな」

 蔵人が辺りを見回すと、鬱蒼とした森の木々が黄金色に染まりはじめていた。

 日が西に傾き始めたのだ。

 蔵人は、うんと唸ると、口元をゆるめてヒルダににじり寄った。

「へへへ。おまえみたいな、女の口を簡単に割る方法なんていくらでもあるんだぜ」

「え、ええ? ここに至っていきなり鬼畜キャラに転向ですか。こっちとしては、もう少し手順を踏んでですね」

 ヒルダは顔を赤らめて頬に手を添えてモジモジし出すと、腰をくねらせはじめた。

 蔵人の手刀が、ヒルダの額を軽く叩く。彼女は甘え声を出しながら、うらめしげな視線を送った。

「なにするんですかぁ」

「違うわ、ボケ。口をなめらかにする方法。それは、たったひとつ」

「いやあん」

「だから違うって。()るんだよ、腹の裂けるまでなっ!」

 蔵人が杯を傾ける真似をして、にっこり微笑んで見せた。

「え、あ、うん」

 色っぽいものを勝手に想像していたのか。

 ヒルダはくちびるを噛み締めながら、ローブの上からショーツに掛けていた両手の指をそっとはなした。






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― 新着の感想 ―
[一言] ようやくダンジョン要素の片鱗が見えてきましたね 長かった
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