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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第14章「されど地に這う日々」
296/302

Lv296「フィロソフィア・モンスター」



 そして蔵人たちは三十階層に到達した。思えば感慨深いものである。ダンジョンにはじめて潜ったときは、右も左もわからず今いるメンバーのうちひとりたりとも仲間に加わっていなかったことを思えば隔世の感があった。

 ここに至るまで名うてのクランに一度たりとも出会わなかったことを思えば、みな、ボス部屋にいる“守護獣”をスルーして階下に向かっているのだろう。

 今、蔵人の目の前には錆びかけてホコリ塗れになった巨大な扉が挑戦者を待ちわびて静かに自分たちを睥睨しているかのように思える。思えるったら思えるのだ。

「みんな、準備はいいか」

 ドロテアをはじめとするエルフ三人娘や隣で大薙刀を構えたポルディナ、そして少し離れた場所で後方を警戒しているルールーとヴィクトワールが黙ったままうなずいた。

 暗い足元に松明の明かりを当てると、ここを通過したと思しき冒険者たちはみな、一様にボス部屋を迂回してなめらかに降りている通路を選んでいるのがまるわかりだ。

 ――だが俺たちはそうじゃねぇ。おまえたちが喰い残したお宝を片っ端からぺろりと平らげてやるって決めてんだかんな。

「クランド。ルッジに聞いておいたのじゃが、この三十層のボスに関しては情報というものがまるでない。気を引き締めて行かんと大ヤケドするかも知れんな」

 ダンジョン内のナビを務めていたドロテアが、天元分儀の光点を見ながら片目を閉じた。

 十階層は鋼鉄製の兵器で身を固めていたメタルゴーレム。

 二十階層は石化攻撃を得意とする魔鳥コカトリスといずれも守護獣の名に恥じぬ実力を持った怪物たちだった。

 あのときよりもこちらの戦力は少ないが、先ほど全員の意思を確かめたところ撤退を望む者は誰ひとりしていなかった。

「なあ、みんな。ここは軽く俺たちでボスモンスターをぶっ殺して、屋敷で待ってるみんななに思いっきり自慢してやろうぜ。だから――死ぬなよ」

「わかってるわよ」

「任せろなのだ」

「当然じゃ」

「ふっ。私ひとりで充分というところをおまえたちに教えてやろう」

「お任せください、ご主人さま」

「クランドさま。微力ながらお力添えを」

「うーし。わかった。じゃあ、みんなで扉を開けるぜ。いち、にい、のっ。さんっ!」

 七人全員が大扉を押してなかに突入すると、今まで歩いて来た洞窟とそれほど違いのない岩場の通路が真っ直ぐ伸びていた。

「な、なんか緊張するわね」

 カレンが弓を片手に持ったまま右隣にぴったりついてきた。前方には露払いはお任せあれとばかりにポルディナがいつでも薙刀で斬りかかれるよう、身をやや低くしてすり足で前進している。

 やや左後方では、ルールーに手元を照らしてもらいながら、リザが手帳へとしきりに書き込みを行っていた。

「リザ。筆まめなのは感心だがそいつが遺書にならんよう気をつけてな」

「んー、大丈夫なのだ。よしよし、これで終わりっと」

 緊張とはそれほど長く続かない。それにどこまで行っても終わりの見えないような隧道が続いていると、気を張っていた全員にゆるやかであるが、戦闘時には御法度の集中力の弛緩が訪れ出した。

「なんつーか。いつまで続くんだ、この道?」

「わらわにそれを聞くでないわ。第一、天元分儀のルートは正常に推移しておる」

 実をいえばドロテアがこのなかでもっとも気が短い。逆に、一見黒ギャルっぽく飽き性に見えるリザは(単にダークエルフで露出を好む服装なのでそう見えるだけかもしれないが……)クラン全員を通して根気があって粘り強く、決して自分からはやめたといい出さない性格だった。

 カレンに至ってはお姫さま気質なのからか、弓をルールーに預け片手であくびを噛み殺している。

「まだぁ? あたしもう飽きた」

「これだからお嬢さまってのはよう……」

「なあ、クランド。天元分儀の能力を疑うわけではないのだが、確かになにかおかしくないか?」

 今までひとことも口を利かずに黙々と後方の警戒をしていたヴィクトワールが痺れを切らしたように、蔵人の外套をくいくいと引っ張った。

 気持ちはわかる。蔵人は手元の懐中時計に目を落とし、四時間ほど経過しているのに気づき、腹の底に湧き上がってくる黒々とした焦燥感を押し殺した。

「確かに変だな。少し、休むか」

 手近な岩に座って円陣を組んだ。この隧道は、大人が四人並んでなんとか歩けるといった幅なので左右からの奇襲は問題ない。

 道は真っ直ぐで、みなが明かりを手にしている関係から、見通しのいい前後からなにかが近づいて来ればすぐわかるので、それほど過敏になる必要もなかった。

 蔵人はリザから手渡された行動食のバタークッキーをよく噛んで味わいながら、唾液を引き出しゆっくりと咀嚼した。

 隣では、カレンが目を細めてサクサクとチョコの入った特別製焼き菓子を「これおいしー」と品評しながら頬に手を当てていた。

「なんつーか、すぐボスとご対面かと思いきや、拍子抜けだな」

「だが、わからんぞ。それが敵の手、やも知れぬしな。あ、コラ。リザ。まだ茶葉の蒸し具合が充分ではない。ほらっ、邪魔するな。もお」

 ヴィクトワールが茶器に手を伸ばしたリザの手の甲をぱちんと叩くとぷりぷり怒る。

(なんつーか嫌がってた割にはメイド姿が板についてきてるよな……)

「ご主人さま。お口に汚れが」

 蔵人はポルディナに口を拭われながら子供のようにゆるんだ表情をした。

「なんじゃ、そのだらしない顔は。ちっとたるんでおるんじゃないかえ?」

「なーに、怒ってんだよう。あ! まさか、ヤキモチではないでしょうかね。ドロテア夫人」

「だっ、誰が。馬鹿なことを申すでないっ。ポルディナ! お主も、こやつをあまり甘やかすなっ。ますますダメになるじゃろうが!」

「ご主人さまを甘やかすのが私の務めですので。勘違いしないように」

 いい感じに力が抜けてきたか。

 張り詰め過ぎてもダメだし、ゆるみ過ぎても危機のとき咄嗟に対応できなくても困る。

「あの、クランドさま。私、少し先を見てきましょうか」

 先に茶を飲み終えて手持無沙汰だったのか、ルールーが素早く腰を上げた。

「いえ、私が行ってまいりますご主人さま」

 すかさず「使えるところ」をアピールしたかったのかポルディナが立ち上がって、しっぽをしゃきん! と直立させている。

「ん。ルールーのほうが早かったから、ルールーに任せな。ってなわけで頼むぞ」

「お任せください」

 本人はその気はなかったのだろうが、いつもは怜悧な表情がおだやかになる。蔵人はやや意気消沈したポルディナの頭を撫でつつ、ルールーが前へ進むのを眺めていた途中で、その視線に気づいた。

 なんだ――?

 いつから、いたのだ!

「ほう。見かけよりもはるかに勘が鋭いと見た」

 振り返ると見たこともない怪物が一行の背後に忍び寄っていた。

 蔵人は剣を抜くことも意識が及ばずその怪物を凍りついたまま凝視した。

 大きさはほぼ人間と変わりがない。

 最後方のヴィクトワールと差がないところを見ると、百七十かそこらだろう。

 幅も脅威を感じるほどではないが、とにかくあらゆる意味で異形だった。

 サザエの身のような捻じれた胴体と茶褐色の表皮をしていた。蛇がとぐろを巻くように、路の中央に居座ったそれは、全身に無数の目が幾つもついており、まばたきもせずジッとこちらを見つめている。

 生存本能に駆られて全員が叫びながら距離を取った。蔵人はヴィクトワールとリザを両手で後方に引き倒すとかばうように前に出た。

「雌をかばったか。種としては、まあ、ありふれた行動だが……」

「おまえは誰だッ」

 見かけのグロテスクさからはかけ離れた、実に知性あふれる声である。壮年男性――どこか大学教授を思わせるような、落ち着いた抑揚の喋り方はどこか楽し気な響きすら感じられた。

「君はもう気づいているんじゃないかな。そう。私が君たちの探していたこの階層の守護獣といえばいいのだろうか? ま、名前というものを我々は本来持たない。名前など記号の羅列に過ぎないし、そもそも私はほかの同一存在がないものだ。それでも、呼び名がなく不自由するというのであれば、ヤドカリ賢人とでも呼んでもらおうかな」

「あんたは、本当に守護獣なのか?」

「おい、クランドっ。なにを化け物とお喋りしておるのだっ。こっちのほうがわかりやすいわ!」

 ドロテアが、だっ、と飛び跳ねて腰から愛剣であるアスカロンを引き抜くと、目の前のヤドカリ賢人に叩きつけた。

 はずだった――。

「な、なんじゃと?」

 指呼の間だ。ドロテアが裂帛の気合とともに放った必殺の斬撃は火属性の火炎を纏ってヤドカリ賢人を真っ二つにするはずだったのだが。

 気づけばドロテアは敵の背後で無手のまま剣を振り下ろしたポーズで固まっていた。

「まったく女子と小人は養い難しというが……。君、つがいを選ぶのならば、もう少し理性的な個体にすることをお勧めする。生殖器が衆にすぐれていても、状況判断に欠けるようであれば、群れを滅ぼす遠因になりかねない」

 ヤドカリ賢人は、にゅるりとアスカロンを触手に巻きつけ、ほうとこれ見よがしにため息のような音を吐き出して見せた。

「い、いつのまにっ?」

「エルフくん。油断大敵だよ」

「にゃっ!」

 剣を掴んだままの触手は鋭く振られると、ドロテアに向かってジャブを繰り出した。彼女はぽーんと弾き飛ばされると壁にぶつかって身体をしたたかに打ちつけた。

 ヤドカリ賢人の身体じゅうに付属している無数の目は、蔵人の常識からすれば奇怪かつ醜悪な造形に違いないはずだが、なぜだか嫌悪感は覚えない。もっとも、背後の女子たちはそう感じられないのか、戦意を剥き出しにしてみな脂汗を流し唸っていた。

「ご主人さま……! そのような胡乱な怪物と口を利いてはなりませんっ」

 ポルディナが耳をぴんと立てたまま、犬歯を剥いて吠えた。

「ほら、話にもならない。やれやれ。私はここにやって来る君たちのような冒険者をそれこそ星の数ほど追い返してきたが――君はそもそも普通の個体とは別種のようだね。そう。よく視れば、その胸に刻まれたものによって判別できる。彼と別れて幾星霜。ようやく約束を果たすことができるというのに、ときが流れ過ぎたせいか。倦怠感のほうがはるかに強い」

「なにをいっているんだ?」

「……知らされていないのか。まあ、いい。ここは、当初から君のために作られたようなもの。そうだね。少し喋り過ぎたかな」

 賢人の瞳を見ているうちに、意識が定まらくなっていく。途方もなく強い度の酒精を一気に胃のなかへ納めたような酩酊感だ。

 やばい、と思った。無数の瞳をジッと見つめているうちに闘気が削がれていくような感覚に陥っていく。見ればまわりのみなも、武器をかろうじて構えているが、その場から一歩も動けなくなっているようだった。

「なにを、いってるかわかんなけいけど……! クランドを惑わすんじゃないわよっ」

 カレンは悲鳴のような気合を発すると引き絞った弓から至近距離で矢を放った。暗く湿った暗闇のなかに、弦が鳴り響く「びんっ」という音が波紋のように広がっていく。

 矢はヤドカリ賢人の、ちょうど中央あたりに存在する一番巨大な瞳に吸い込まれたが、あろうことかそれは底なしの沼に埋没するようになんの手ごたえももたらさなかった。

 矢は確かに突き刺さった。それは確認した。

(なんだ? 今、こいつはなにをどうしたんだっ!)

 スローモーの動画を見るように、鏃が黒い瞳孔の薄い膜を貫いて、肉を、細胞組織を割り込みながら消えていったのだが、血の一滴も流れなかった。

「なっ。こんなものまやかしだっ!」

 ヴィクトワールがスカートの裾を翩翻とひるがえしながら腰を捻って十王剣を斜めから懸河の勢いで打ち下ろしたが、刃は賢人の身体をすり抜けると地に刺さって細かな土煙を巻き上げた。

「物理攻撃は無意味だ。私はそのようにわかりやすい存在ではない」

 いつの間に移動したのか。蔵人たちが向かい合っていた逆の方向、おおよそ十メートルほど離れた場所から声が聞こえてくる。

 反射的に振り返るが、そこにもはや異形の怪物の姿はなく、代わりに野焼きをはじめたような、なんとも薄気味悪い黒煙がもくもくと広がり、ほとんど逃げる間もなく隧道内を席巻し出した。

「逃げろっ。とにかく距離を取るんだっ!」

 全員がいっせいに駆け出した。と、蔵人は未だその場に踏みとどまって術を唱えはじめたリザを見て激しく舌打ちをした。

(なにやってやがんだよ、あいつは――。あれにはそんなもん効く相手じゃねえッ)

「ここはリザが喰い止めるから、早くなのだっ」

 リザはみなの盾になって迫り来る黒煙を遮ろうと、土属性の魔術で隧道に壁を作り出した。

 巨大な粘土板がガシガシと音を立てて、隔壁を作り黒煙を遮断しようと儚い抵抗を行ったが、やはり蔵人が危惧したようにまったくもって通じなかった。

「ばかっ。なにやってんの、アホリザっ!」

「カレン、おまえまで戻ってどうする――っ!」

「待つのじゃ、お主らっ」

 カレンが見捨てておけないと、踵を返し黒煙に戻ってゆく。蔵人が立ち止まると同時に、リザ、カレン、ドロテアの三人娘が煙に巻かれ見えなくなった。

「なにをやっているんだっ。おまえだけでも逃げろっ!」

 ヴィクトワールが剣を正眼に構え、煙のなかに突貫してゆく。止める間もなくポルディナが続いた。

「ご主人さまっ、お早くっ」

「ばっ、なにやって――」

 みなの心遣いも虚しく、蔵人はほとんどそこから移動しない場所で全身を煙に呑まれた。


 GAME OVER


 ――縁起でもない。そもそも、これはいったいなにを指しているのだろう?

 意識はほの昏い水底に落ちてゆく。

 一片のヒカリすら届かない、底の底へ。







 刺すような鋭い寒気で意識が戻った。

「ゆ、夢――か?」

 蔵人は茫然としたまま手元のスマホに目を落とし、激しい違和感を覚えた。

 スマホだって? なぜ、そんなものがこの世界にあるんだ?

 画面には、あの見慣れていたなんともいえない出会い系サイトの掲示板が映し出されている。

 大きくまばたきをしてみた。スマホだったものは、よく見れば手のひら大の平べったい石ころに変わっていた。

「夢? いや、そんなバカな」

 呆気にとられ、それを放り投げる。

 強い酩酊感が頭の奥底に根を張っているようだった。

 意識に強烈な齟齬がある。蔵人は顔を上げて周囲を見回した。公園だ。どこにでもありそうな、ちっぽけな街のありふれた、ショボい公園だった。

 蔵人は冷たいベンチから伝わってくるひんやりとしたものを感じながら、公園内にある異物を見て、涙が出そうなほどに安堵した。

 まるでファンタジーの世界から抜け出てきたような衣装を来た若い娘たち。

 ヴィクトワール、ポルディナ、ドロテア、カレン、リザ。

 彼女たちは、すべり台やシーソーといった見かけもしょっぱくどこか懐かしい遊具に散らばるようにして倒れ伏している。

(夢じゃねえだろうな? てか、今までが夢で、これは――現実?)

 入り口に気配を感じ顔を向けると、コンビニ帰りだろうか、ビニール袋を取り落としたダッフルコートの若者が口をパクパクさせながら慌てて踵を返すのがわかった。

(マジぃぜこりゃ。マジ、通報事案だ。トロトロしてる時間はねぇみたいだな)

 理由はわからないが、とにかくここは先ほどいたロムレス大陸のダンジョンではなく、蔵人の故郷、法治国家ニッポンだ。

 あからさまに異常事態だが、妙に頭のなかが冷静なのは踏んだ場数によるものだろう。

 この状態は警察に見つかったらタダではすまされないだろう。

「って、浸ってる場合じゃねえッ。おい、おまえらっ。大丈夫かよっ!」

 ベンチから飛び出して転がっていたカレンを抱き起こし、ぱちぱちと頬を打った。作り物のように整った相貌にぽっと血の気が差す。ツインテールにした銀色の髪が、公園の安っぽい外灯の光に照らし出され、どうにも現実感を持たない。いいや持たせてくれそうにない。

「カレン、無事だったんだな?」

 安堵してため息を吐くと、彼女は――蔵人にまるで理解不能な言葉で語りかけた。

「あ――は?」

 はじめはぼそぼそとささやくような声だったのだが、蔵人がまるきり返事をしないと見ると、怒ったような口調に変わった。

 いいや、それよりもなによりも。

 言葉がまるきり通じない。わからないのだ。

「なに、いってんだよ……。冗談はよせよっ。なあっ!」

 思いっきり怒鳴るとカレンはぴーっと頭から湯気が吹き出るほど顔を真っ赤にして、きいきい声をほとばしらせる。間違いない。紋章の翻訳能力が途絶えたとしか思えない。

 ぼうっとしていると、カレンは瞳に怯えの色をにじませ、こわごわと自分の口と蔵人の口を順番に指差す。

(ああっ、そうだっ! 文字、文字なら通じるじゃねえかッ!)

 蔵人は咄嗟にロムレス語――それこそお世辞にも綺麗とはいえない筆跡で地面に“言葉がわからなくなった”とだけ書いた。

 カレンはその文字を見ると、ショックを受けたように茫然としてよろける。咄嗟に抱きかかえると、ギュッと強く抱き返してきた。

 そう。言葉が少々通じなくても、こうして心を通じ合って来たのだ。とくとくと互いの心臓の鼓動が届きそうな距離で触れ合っていれば、問題などなんとでもなる。

 ほかの面々も周りの風景の異様さに度肝を抜かれているのか、立ち上がったまま大きな声で叫び出した。この公園は、周囲に住宅が隣接する狭いものなので、よそ者の、しかもたくさんの外国人女が騒いでいたらそれこそタイムリミットはさらに減るだろう。

「おまえらっ。ちょっと黙れ! しーっ。し! な?」

 蔵人は唇に人差し指を立てて、公園中央にあるドーム状の複合遊具のなかに全員を誘導した。

「とにかく、今、ここで騒がれるとやばいことになる。ちっと黙ってろよな。な!」

 言葉はまったく通じていないだろうが、意図することは伝わったのか全員は黙ったままこっくりうなずいた。

(とにかくとっととここを離れないと……。って、どこ行くんだよ? 俺のアパートか? でも、とてもじゃねえがこの得物を持ったまま電車にゃ乗れねぇし)

 ここが日本である、ということならば蔵人たちが持っている武器はすべて違法なものとなる。

 ナイフや短剣程度はコスプレですといいわけできそうな気がしないでもないが、ポルディナが所持する鋼鉄製の大薙刀やカレンの弓は職質された時点で、一発アウトだ。

(とにかく、誰かに連絡して交通手段を確保しなきゃならねぇ……。ってスマホもねえし、金もねえから電話もかけらんねぇ)

 珍しいことにこの公園には、今や天然記念物的なものとなりさがった公衆電話が奇跡的に設置されていた。

 電話番号は、なんとかよくかける幾つかをうろ覚えしているが、最悪電話案内サービスで調べることもできる。だが、一番の問題なのは――。

「金を一銭も持ってないってことなんだよなぁ」

 腰の革袋にはロムレス通貨が幾らかあるが、そもそもこんなもの使えるわけもない。コンビニで手渡したらキ印扱いか通報されて御用エンドだ。

 はぁとため息を吐くと、困った様子が理解できたのかポルディナが早口で何事かを語りかけてきた。おそらく、なにか私にできることがあるのならばご命令くださいとでもいっているのだろうが、どうしていいかこっちも考えあぐねている。

「やむを得ない。最後の手段だ。誰か通りすがりのやつから奪おう」

 ここで借りるという選択肢が出てこないところが、いかにあの野卑な世界に馴らされているかという悲しい荒み具合だった。蔵人は手真似で一同に、もう少しこのまん丸ドーム内で潜んでいるよう手真似で指示すると、公園に誰か獲物が来るのをジッと待った。

「って来た! なあ、兄ちゃんっ。悪いんだけど、ちょっとスマホ貸してくんねーかっ!」

「ひいいっ。あ、あんた誰だっ。警察呼ぶぞっ!」

 ひとりだと思った青年は、よく見ると背後に小柄な女性を従えていた。

(そーいや、今日はクリスマスイブだったのか。さては、このガキ……! この人気のない公園でよからぬことをしようと企んでおったのだなっ)

 ロムレスに召喚されて二年近く経っているというのに、蔵人のなかではまるであの瞬間からときが止まったように、孤独から来る怒りや焦燥といった負のエネルギーが突如として胸のうちに湧き起った。

 とりあえず、青春を謳歌しようとしていた若者からしてみれば、蔵人は真っ黒なマントを羽織った彰かに怪しすぎる暴漢だったので当然の反応なのであったが、そんな道理が通用する相手ではなかった。

「そうかよ。こっちが困ってるからって下手に出てるからって調子コキやがってよ……! いい気になんじゃねぇぞっ。日本は日本人だけのもんじゃねえし、ましてやおまえらは世界の主役じゃないっ!」

「あなた全然下手になんか出てないですよねぇ! ってかなにいってるんですかあっ?」

「いいわけはいいっ!」

「おづっ!」

 蔵人は「どむっ!」と鈍い音がするくらい強烈な膝蹴りを青年の腹に放った。青年ががくりと崩れ落ちる拍子に、背後に隠れていた女の顔がクローズアップされる。

「ひっ、ひいいっ!」

「ブスは消滅しろっ!」

 とてもでないが見れたツラではなかった。というか、どこかで既視感があるセイウチのような体形に顔のパーツが中心に寄った生き物なのですかさず必殺のボディブローが炸裂。ブスは二メートルほど吹っ飛んで歩道に大の字になった。

「ちゃりーん。蔵人は底辺カップルを倒した。スマホと五万五千ゴールドを手に入れた」

 ためらいもなく倒れたふたりから財布とスマホを漁ると空になった財布を後方へ放り投げた。ありていにいえば強盗である。

「くっそ。女のほうはロックかかってやがる……。ブスのくせに生意気な。おっ? 男のほうはなんかおもしれーもん入ってねぇかな。写真、写真……げ! このブスとのハメ撮り画像かよっ。気持ち悪っ。おえっ。ゲロ吐きそう……にしても縛りに野外プレイにスカトロかよ。げえっ。これ、この公園じゃね? こんの変態野郎が。期せずして害獣駆除に役立ってしまったわけだが。ああ、そんなことより連絡だ連絡。とぅるる、とぅるるってか――お、一発で繋がったな。おい、栄田か? 蔵人大先輩の召喚だ。今からいう、場所にテメッち実家で使ってるバン持って来い。三秒以内な。ああ、無理ですよう? 無理じゃねえやれ。男なら泣きごとをいうな――為せば成る、為さねば成らぬなにごとも、成らぬは人の為さぬなりけり、ってな。マジで急がねーと今度会ったとき、冬の腹パン祭りだかんな。おし、気合入れてけよ」

 蔵人は大学の後輩である栄田健一郎に連絡をすると、スマホで現在位置を送った。それからぶっ倒れているバカップルが起きたとき騒がないよう、みんなに手伝わせてカップルから剥いだ衣服で拘束し、草むらに放り込んだ。あの縛りなら、起きても十分かそこらは逃げ出せないだろう。逃走時間を確保できる心憎い知恵であった。

「し、ししし、志門先輩っ。お、遅くなりましたっ!」

「おー。栄田ご苦労。けど、三秒以内じゃなかったから冬の腹パン祭り開催な」

 茶髪に細い目をしてスカジャンを着た、どこか九〇年代のドラマに出てきそうな若者が、蔵人の大学の後輩である栄田健一郎であった。彼はとあるテニスサークルで意地の悪い先輩たちに一気飲みを強要されているところを蔵人に助けられ(もちろん先輩野郎たちは蔵人の鉄拳で血祭りにされた)イジメられつつも、それをどこかうれしがっているという三下的後輩だった。

「しょ、しょんなあっ! それは酷いっスよぉお。オレ、オヤジが配達なのに無理いって借りて来たんスからぁ」

「あはは。嘘だ馬鹿。ありがとよ。あとでエロ動画詰め合わせHDDをやろう」

「えー。志門先輩ババ専っすから、ちっと、オレと趣味が合わんすよぅ」

「贅沢いうんじゃねーよ。全部おまえのカードで落とした動画なのに」

「えっ! ちょっ! あんた、人のカードでなにやってんスかっ。そういや、最近変な引き落としがありまくりだったの先輩のせいなんスかああっ。勘弁してくださいよぉー」

「ま、回り回っておまえのとこにも幸福がやってくる。人生って……いいもんだろう?」

「よくないすよー。ひんひん。って、そのカッコそもそもなんすか? 公園でコスプレプレイに興じてたんスか? そういや、今日、出会い系で決めるっていってたんすけど、なんか関係が」

「関係はない。その話題をもう一度出したらおまえは朝日を拝めなくなる」

「りょ、了解っす。で、ワゴン用意させたのって、もしかしてあまりに女が捕まんないんでとうとう拉致っスか? で、できればオレも一枚噛ませて……」

「馬鹿。この女性の味方の俺がンなことするわけないだろーが。おう、みんなっ! 来いよ。とっとと、ずらかるぞ」

「先輩。イブにひとりだからって、ついにいない人間に話しかけるなんて……こうなったらオレも朝まで飲みにつき合いやすよっ! って、えええっ!」

 車に乗っている栄田からは見えなかったのだろうか、お山のまん丸ドームに隠れていた女たちがぞろぞろと姿を現わした光景は、彼のド胆を抜くのは充分だった。

 そればかりではなく、ひょうっと鋭い音がしたかと思うと、車体の真んなかに矢が突き立った。がおんっと大きな音がして、矢が深々と鉄の扉に埋没している。栄田は恐怖で吠えた。

「ぎんえっ!」

「こらっ、カレンっ。なにやってんだ! これは敵じゃないっ!」

 見れば、生まれてはじめて車を目にした蛮人のようにカレンは弓を構えたままいきり立っていた。いいや、彼女だけではなく全員が得物を抜き連ねて戦闘態勢に移行している。

「いや、だから違うよ。こいつは魔物使いでもなんでもないんだからね。落ち着こう」

 ポルディナが蔵人を無理やり引っ張って車から引き離すと、夜目にもわかるほど曲々しい気配を放った大薙刀を突きつけている。

(ああ、こらあかんっ。この子たち、超怯えてるし)

 見ればポルディナはしっぽを逆立てて、ふよふよと波打たせている。私に逆らうなら容赦しないよっ! とでもいったところか。

「で、先輩。いったい今日はどこまで行ってたんですか?」

「……ちょっとファンタジー世界まで」






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