Lv280「悪疫Ⅱ」
レコプラ病の悲劇はとどまらなかった。ヒルダ、アルテミシア、ルッジを皮切りに、まず病人の看病を行っていたレイシーが倒れ、シズカとハナも罹患した。
屋敷の一室はさながら野戦病院そのものとなった。室内の什器を片付け、薄縁を敷いた端から女たちを順々に並べていく。
小エルフとその世話をするエマニュエルは馭者夫婦が寝起きしている屋敷の離れに移り、病人の看病は専らドロテアたちが行った。
蔵人はドロテアたちに病が感染るのを激しく危惧したが、ドロテアがいうには「この病は人間族しかかからない……」ということだった。真偽のほどは定かではないが、ルッジが倒れた今、躊躇している暇はなかった。呆然として動きの鈍いネリーを急き立てるように追い出すと、蔵人は慌てて雑事を手早くすませた。それから、後事をポルディナに託して打開策を図るためとりあえず離れに移動した。
これで屋敷においてレコプラ病を免れたのは、エルフであるドロテアとリザ、カレンにルールー、そして戦狼族のポルディナたち亜人である。病に耐性のある亜人以外で無事な者は、
ネリー。
メリアンデール。
ヴィクトワール。
エマニュエル。
リネット。
馭者のサントスとその妻シェリル。
この七人と小エルフだけになった。子供たちは皆ハーフエルフなので、普通よりかはレコプラ病にかかりにくい。とはいえ、現在発病しているヒルダたちと接触させるわけにはいかない。唯一、望みがあるとすればルッジが倒れ際に残した言葉はレコプラ病のすべてではなかったことだ。
「この病は確かにひとたび発症すれば致死率は極めて高いようですが、それは体力のない子供に限ってです。熱が引いたのち生き延びる確率は、三割は固いと書物にはあります」
図書室で医術の本を探し当てたメリアンデールがいうには、これは不治の病ではないことがありわずかに安堵のため息が漏れる。その言葉にすがるように、残った女たちは互いに励まし合って語るうちに揃って涙を流しだした。
医学のまるで発達していないこの世界において、よくわかっていない病を発症すること自体がイコール死と同義だった。多くの人間は倒れゆく家人を前にしてうろたえ、たいした治療も施せず死んでいくのを涙を流して見守らなければならない。
激しやすく感情を高ぶらせた大人たちに比べて、小エルフたちは一旦状況を確認したあとは極めて静かだった。
小エルフたちは乳母日傘で育った貴族の娘たちもはるかに日常的な死に遭遇して育った。乳飲み子といえる年頃の子を除けば、皆どこか達観した目で事態の成り行きを見守っているのだった。
これは、彼女たちが薄情だというわけではない。ただ、己の身の上に降りかかるどうにもできない不幸に慣れきっているのだ。ここ一年近く続いた平穏な暮らしが今、また消えかけようとしている。
蔵人たちが残らず死ぬか、あるいは離散してしまえば彼女たちはその日から食うものに困ってしまう。小エルフたちの目は冷たく濁り、すべてを受け入れることに無感動な目だった。
「道を封鎖しているということであれば、市中にも病が広がっていると考えるのが妥当でしょう」
ネリーが腕のなかですうすうと寝息を立てている小エルフを抱っこしながらいった。
「うーむ」
「クランド。私が直に行けば検問を突破することはたやすい! 早く、早く医者を屋敷に連れてこねば――!」
ヴィクトワールは目を血走らせながら吠えるように怒鳴った。彼女の整った相貌は青白く、先ほどから落ち着き無く冬眠から覚めたばかりの熊のように室内をウロウロとうろつきまわっている。
ハナが倒れてしまったことがよほどショックだったのだろうか、しばらくは椅子に深く腰かけたままぐったりとしていたが、気つけのアルコール度数の高い酒精をひと飲みにすると掴みかからんばかりにして顔を寄せてくる。酒臭い息が頬にかかり、彼女が身体から放散させる甘いような強い体臭が濃く鼻先を漂ってくる。
「無茶いうなよ。市内は病が蔓延してる。下手に動けば命取りだ。ちょっと落ち着け」
「クランド、それにヴィクトワール。ギルドマスター、ヴィクトリア公は聡いお方です。市中まで行けばレコプラ病に効く薬だってきっと備蓄があるはず。無闇に動くのは……。公もここにヴィクトワールがいることをご存知でしょうし、市内にこれだけ病が広がれば様子見の使者をお遣わしになるはず。それに今は夜です。病が猖獗しているとわかっている市内に飛び込んで行くのは危険すぎる……」
ネリーが苦しげに呻くとヴィクトワールが手にしていた杯を床に投げつけ目尻を決して食ってかかった。
「薬だって! なんでそんな大事なことを今更になっていうのだ! 先にいえ、先にっ。だいたい、それなら先ほど泣いていたのはなんなんだっ。私たちをバカにしているのかっ。ええっ!」
「バカになんてしていないしっ。そもそも、道が封鎖されているならいおうがいうまいが同じじゃないっ。私だって動転することだってあるわよっ!」
「じゃあ、薬の有無は憶測なのかっ。妄想を口に出してどうするのだ!」
「大きな声出さないでよっ。子供たちが怯えるじゃないのっ」
「キーキー喚いているのはおまえだろうがっ」
「痛いじゃない。引っ張らないでっ!」
袖を掴まれていたネリーが腕を引くと、反動でヴィクトワールが尻餅を突いた。感情が高ぶって自制できなくなった女同士の争いは、もうどうにも止まらない状況だ。
「おまえというやつは……! こうしている間にも、ハナや皆が病に苦しんでおるのだぞッ。それをまるで他人ごとのように座して待てなどとはっ。それでも人間か!」
「あなたね! 第一、今の状況で無闇に病の巣に突っ込んでいってどうしようっていうのよ! 私だってできれば今すぐ街に行って医者を連れてきてやりたいわよっ。でも、途中で病にかかって倒れたらどうするの! 無茶をしても必ず医者が見つかるわけでも薬が手に入るっていう保証もないわ。考えなしに動くよりも救助を待つほうが賢明じゃないかっていってるだけじゃないっ」
「この期に及んでそのような消極策を。だったら、おまえが口にするのはおためごかしばかりだ。いちいち理屈をつけるのは結構だが、結局自分の命が惜しいだけじゃないのかっ」
「なんですって! よりによってそんないいかたを――! バカにしないでよっ。わたしだって、みんなのためなら命を惜しんだりしないわっ。それに、ヴィーは街にドロテアたちの誰かを行かせるつもりなんでしょうけど、エルフだからって百パーセントレコプラ病にかからないっていう保証はどこにもないのよっ。思いつきでものをいうほうがよっぽど腹が立つのよッ」
「な、なにを――このっ!」
「なによっ。やるっていうの? このカボチャあたまっ」
ふたりはたちまち飛びかかると互いに髪を掻きむしってヒステリックに叫びながら掴み合いをはじめた。狭い離れのなかをゴロゴロ転がりながら、爪を伸ばして顔を引っ掻き合う。
「やめてよーけんかはやめてよー」
「やだぁこんなのやだようー」
小エルフたちはびいびい泣きながらその場に立ちすくみ、サントス夫婦はうろたえながら蔵人の顔をジッと見つめるだけだった。
「ちょっ。おまえら、いいかげんに――」
「いいかげんにしてくださいっ! ふたりとも、子供たちのまえで恥ずかしくないんですかっ!」
ビリビリと窓枠を揺らすほどの怒声がメリアンデールの口からほとばしった。信じられないくらいの声量に蔵人は両耳を押さえながら、ふらふらと千鳥足になってその場に座り込む。そうこうしている間にメリアンデールは素早くヴィクトワールとネリーを分けると、無理やり立ち上がらせて両者に向かってこれでもかとばかりにビンタを食らわせた。
ネリーはともかくヴィクトワールは血の滲み出るような訓練を積んで実戦経験も豊富な一流の騎士である。それが完全にメリアンデールの気迫に押されていたのであった。
「え、あ。なんで……」
「な、なにをす、る」
ネリーは真っ赤になった頬を抱えてへなへなと座り込み、ヴィクトワールは呆然とした様子でその場に立ち尽くした。
蔵人はメリアンデールのあまりの剣幕に怯えてリネットとルシルの背にサッと隠れた。蔵人の怯えは深く、リネットの肩先からメリアンデールのほとばしる怒りのオーラを感じとり、すぐさま隠形の術にとりかかって自分の気配を消そうと試みた。
「なにをするじゃないでしょう! わたしたちが今やることは醜くいい争うことじゃないっ。それに、子供たちも見ているんですよっ。話し合いなら淑女らしく整然と行うべきなんです。それでもなにか文句があるというのなら――表に出ましょう。話なら、わたしが聞きます」
エマニュエルが、
「メリーの……いうとおり……怒鳴るのは……意味がない……子供たち……怖がっている」
と援護するように訥々というと、さすがに自分たちの行動に恥ずかしさを感じたのか、ヴィクトワールとネリーは気まずそうに向かい合うとどちらがということもなく謝罪した。
「すまない、ネリー。私がいささかいい過ぎた。許して欲しい」
「いえ、いいのよ。私もちょっとやりすぎたし。ごめんなさいね」
ふたりとも恐ろしく気が強い。本心ではまるで納得していないだろうが、重要なのは形を作るところだ。蔵人は素早く動いてふたりの手を取り無理やりにも握手をさせた。
「じゃ、仲直りもすんだことだし落ち着いて話をしようじゃないか」
結論からいって、蔵人はヴィクトワールが提言した積極策をとることにした。ネリーを説き伏せるのは、やはり至難を極めたが心の底ではただ待ち続けていても事態は変わらないと思い至ったか渋々と同意するに至った。
「医者を探すのも薬を探すのもともかく、大勢で行く必要はない。ヒルダたちの看護も必要だから、なんとか俺ひとりでやってみよう」
「なら、私も――!」
ヴィクトワールが握りこぶしを作ってズイとまえに進み出る。たちまち互いの鼻先がくっつく距離となり、蔵人はたじろいでつつと後退した。
「ま、待て。下手したらおまえもレコプラ病にかかっちまうかもしれねーだろ。ただでさえ動ける人間が少ないんだ。もし、この状況で変事が起きたとき対応できるやつを残しておきたい。連れてくんならドロテアたちの誰かだよ」
「だが……!」
「こんな状況だ。強盗が屋敷に押し入らないとも限らない。ただでさえ昨今物騒だからな」
「くっ。こんなときに限って自ら動けぬとは……。まことに歯がゆいが。ならば、クランド。これを持ってゆけ」
「こいつは?」
蔵人はヴィクトワールから手渡された指輪をしげしげと見つめた。真っ赤な宝玉が嵌め込まれており、周りを象る意匠にはなにやら由緒正しげな花を模した紋章が浮き彫りになっていた。
「困難が起きたときはその指輪にかたどられたスミレを見せるのだ。士官ならばバルテルミー家ゆかりのものだと分かるはず。無用な争いはさけられるはずだ。こんな非常時だ。持っておいて邪魔にはならぬはず。待て、それと添え状も書く。持ってゆけ」
「ああ、サンクスだ」
「バカ者はおまえだ。せいぜい無事を神に祈っておこう。もし、少しでも体調に異変を感じたらすぐに戻ってくるのだぞ。この状況では助けにゆけん」
ヴィクトワールは金色の瞳を潤ませながら声を震わせていった。
「神よ。夫に幸運を……」
「クランド、気をつけてね」
ネリーとメリアンデールから頬に祝福のキスを受ける。しゃがみこんで半長靴の靴紐を締め直していると、頬を桜色に染めたヴィクトワールがかがみながら額にキスをしてきた。
「任せたからな」
「大船に乗ったつもりでいてくれ。必ずなんとかしてみせる」
ヴィクトワールは照れたようにそっぽを向いた。蔵人が唇をわずかに歪めると、戸口からルールーが飛び込んできた。
「クランドさまっ。姫を。姫さまをお見かけしませんでしょうか?」
ルールーが「姫」と呼び奉るのは、ステップエルフの姫君であるカレン・ロコロコ以外に存在しない。
「いつ、いなくなった?」
「はい。つい、先ほどですが。ここには、本当に?」
(さては立ち聞きしていやがったな。アイツ――!)
蔵人はルールーを押しのけるようにして離れから飛び出すと、もうあとを振り返ることなく門へ向かってまっしぐらに駆け出していった。
蔵人が市中にたどり着いたのは日が落ちかかった夕暮れどきだった。いつもならば、たいしてもかからず到着する大通りまで幾つもの封鎖箇所で兵士たちに呼び止められ、そのたびに添え状を見せるが、末端の兵士は字の読めないものが多く、効果は今ひとつだった。
領主の一族である証の指輪を理解できる小隊長クラスの人間を探し、納得させるまで無駄な時間を食った。
兵たちに聞けば、市内の中央部にかけてやはりといっていいほどレコプラ病が蔓延しているとのことだった。
大抵この時間は人であふれかえっている大通りであるが、目につく店は片っ端から閉まっており、さながらゴーストタウンの様相を呈していた。
すでに日は落ち切っている。蔵人は外套の前を合わせたまま足早に冒険者ギルドを目指した。
野良犬一匹見えない寂しい気配が漂っている。街が死んだように思えた。
「だーれもいねェでやんの……」
店が一軒たりとも開いていないので市街の中心部であるというのに恐ろしく暗い。おまけに今宵は異様なくらい夜空を黒雲が覆っている。蔵人は猫のように目を細めて瞳を闇に凝らした。
神経をいつも異常に張り巡らせて歩いていたことが功を奏したのか、背筋に震えるような殺気を覚え、瞬間的に飛び退いた。
ガッ、と鈍い音が鳴って地面を六尺棒が叩いた。蔵人が危なげなく着地しながら殺気の嵐を見据えると、そこには鳥のような長いクチバシを持った面をかぶる異装の男たちが立っていた。
「てめぇら……。一体どういうつもりでぇ」
男たちは一言も発せず、互いに顔を見合わせるとうなずき合い、素早く蔵人を囲むように慣れた動きで半包囲した。
真っ暗闇のなかだ。常人ならば、鼻先をつままれてもわからない黒一色の海で、それ相応の訓練を積んでいるのであろうか、男たちはすいすいと昼間のように陣形を組みつつあった。
「うおっと!」
びょう、と風を巻いて棒が一直線に突き出された。蔵人は半身を開いてかわしながら棒の一部を取り上げようと掴もうとするが、表面上にぬるりとする油を感じ奪うことに失敗した。
(やる……! こいつら雑魚じゃねえ!)
敵の得物はよく磨かれた二メートルを超す樫の棒だ。刃物ではないにせよ、あのような棒で打ち据えられればただではすまないだろう。
恨みを買った覚えはそれこそ両手の指を使っても間に合わないほどある。ジリジリとゆっくり間合いを詰める男たちの動きは、隙のない動きを見れば特殊訓練を積んだ戦士であると見えた。
(ゴチャゴチャ考えている暇はねェ。そもそも兵士たちの包囲網を破ってここにいるってことがタダの暴漢ってわけでもねーだろな)
そもそもことの起こりであるレコプラ病の発生からして唐突過ぎた。ネリーがいうには、今回のように強烈な伝染病は市内において、もう十年近く発生した例を聞いたことがないという。
――たとえ相手の正体が誰であろうと躊躇する暇もない。
蔵人は男たちに目をやりながら腰の聖剣〈黒獅子〉を抜き放って正眼に構えた。
男たちは一糸乱れぬ動きで棒を繰り出してきた。その早さ、込められた力を思えば五体のどこに当たってもただではすまない威力である。
蔵人は剣を構えたまま真っ直ぐ自分を貫こうと伸びてくる棒先をギリギリまで凝視し、喉元に触れるか触れないかの瞬間で、はじめて動いた。
鋭く息を吐きだしながら長剣を斜めに動かした。磨き抜かれた重たげな樫の棒はチーズを裂くような容易さで先端三十センチほどを斬り飛ばされ、破片が闇に舞った。
気合を喉からほとばしらせながら長剣を斜めに振るった。続けざま突き出された棒を、蔵人はまとめて三本ほど斬り飛ばすと、動きの鈍った敵の棒を片手で引っ掴みズイと引き寄せた。
がら空きになった敵の胴を思うさま蹴上げた。つま先が男の胃の腑をぶち抜いた感触が残った。
仲間を救わんと、四方から坊の乱打が打ち出されてくる。蔵人は長剣を自在に振り回してそれを退けると、背後に大きく飛び退って距離を開けた。
男のうちのひとりは、得物を取り落とすと身体をくの字に折って悶え苦しんでいる。蹴りはかなりいいところに入った。
あれではしばらくの間戦闘には復帰できないだろう。頭の端にカレンのことがよぎった。いくら薬のためとはいえ、単身こんなところに女ひとりで乗り込んで――と思えば背筋がゾッとする。
「待った! 待った、おまえたち。その方は違う――やめい!」
「あん?」
今まさに次戦の斬り合いがはじまろうとしていたところを、どこかで聞いたような声が遮った。
「こんなところでなにをしているのですか、クランド殿」
三十ほどに見える灰色の法衣を着た痩せぎすの男は、ヴィクトワールの姉にして冒険者ギルドの統括者、そしてアンドリュー州を今現在実質的に束ねているヴィクトリア・ド・バルテルミーの懐刀といわれたラデクであった。
「ああ、あんたは確かギルドマスターの」
「ラデクですよ。まったく、妙なところで会うものですね。おい、このお方は問題ない。武器を引くのだ」
「ですが、ラデクさま……!」
腹を押さえた仲間を支えながら立っている男が不満そうに叫んだ。面に隠れていてわかりにくいが、どいつもこいつも沸点は異常に低そうだ。
「このお方はヴィクトリアさまの義弟――ヴィクトワールさまの夫である。控えよ」
「え、え! ――は、はぁ」
男たちは事情を飲み込むと案外あっさり武器を引っ込め、蔵人に対して謝罪した。
「いや、わかってくれりゃあこっちはいいんだけどさ。その、ラデクさんよ。あんたたちはこんなとこでなにをしてんだ?」
「これらはシルバーヴィラゴ防疫隊の者です。私たちは姫さまの命によって今回のレコプラ病の発生場所を調査している途中でして――。それよりも、クランド殿はなぜこのような場所に」
「それが――」
蔵人は屋敷で皆がレコプラ病に罹患しているため、医者を探しに単身街まで乗り込んできたことを明かした。
「これは、我らとしても気の利かぬことを。ただちに医者に薬を持たせて屋敷まで急行させます」
「レコプラ病はかなりやべぇって聞いたんだが。熱が引いても助かるのは三割程度だと。大丈夫かな」
「医学書を読まれたのですか。それは少し古い話。今では〈オキトールシン〉という特効薬が存在します。発病してからそれほど時間が経過していなければ、ひと月ほどで快癒するでしょう」
「そ、そっかー! あははっ、いや助かったよ」
「いえ。ただ、レコプラ病は今年の春、他国で蔓延したと聞き及び、ヴィクトリアさまが薬を城内にある程度蓄えておいたのです」
「ふうっ。不幸中のさいわいってやつか。ま、この鳥面たちに囲まれたときはどうなることか思ったが……。これで用事の半分は終わったな」
「残る半分は、といわれますと?」
「カレンだよ。覚えてるか? あの銀色ツインテのうちのエルフっ子。どうやら先走って勝手に街まで乗り込んじまったらしい。とにかく、あいつを見つけないと」
「あのステップエルフの姫君ですか。確かに、今の治安状況で女性のひとり歩きは危険すぎます。なにかあればまたぞろ、いくさということにもなりかねません。それも早急に探させましょうぞ」
ラデクは防疫隊のひとりに耳打ちすると即座にカレンの捜索を開始させた。
「ラデクさんよ。世話になりっぱなしじゃこっちも気が咎めらァ。なにか俺にできることがあったら、遠慮なくいってくんな。とはいえ、銭の力にゃなれそうにもないがな」
「それではお言葉に甘えまして。あなたはたいそう腕が立つ。防疫隊の本営までご同道お願いできませんか。あそこまでたどり着けば人手は数百とおりますゆえ」
「よっしゃわかった。しばらくは任せときな」
蔵人はラデクの手からランタンを奪うとズンズンと先を行った。鳥面をつけた男たちも蔵人が義理を果たす男であると知ると、先ほどのことはなかったかのようにそれぞれ名乗って和解した。
「そんで、ラデクさんよ。病が最初に起きた場所の目星はついてるのかよ」
「それがですね。どうも、中央部にある癈兵院あたりかと思われるのですよ」
「……癈兵院か。確かに、うちで最初に感染したのも奉仕作業に行ったヒルダだった」
「レコプラ病は癈兵院を中心に市内へと広がっております。現在、教会の手を借りて臨時の救護所を中央広場に建てていますが。いかんせん、患者が多すぎて。元を断たねばどうにも」
「そんなにか」
「昼の時点で八百名を超えていました。今の時刻からすると、もう千は超えていましょうか。病が蔓延しないよう、道を封鎖し、四方の城門は閉めておりますが、物流が長く止まればこの街は死に至るでしょう。事実、物資や経済面の観点から長く封鎖は行えません。シルバーヴィラゴには百万を超す人間が住んでおりますので」
「これからどうするよ」
「一度、広場に戻ります。集まった情報を分析したい」
「ラデクさん。こいつは臨時の護衛うんぬんなんてケチくせぇこといってる場合じゃねえな。他人ごとじゃない。一刻も早く、感染源を特定して対応しないと城ごと干上がっちまう。頼むよ。出過ぎたことをいうようだが俺にも助けさせてくれねぇか」
「助かりますよ」
ラデクはホッとした声を出した。
「けどな。こんなわけのわからねぇ病気があっちゅう間に広がったりするもんなのかね」
「クランド殿。私は、この病の広がりようからいって、普通ではない。これは明らかに人為的な悪意を感じております」
「まるで生物兵器だな。いってえ、罪もない市民に向かってこんなことをやるようなやつに心当たりであるのかい」
「先日、姫さま主導で市内においてかなり大がかりな異端狩りを行いました。と、すれば意趣返しをやりそうな相手は、ひとつしかありませんよ」
「ゴドラムか」
「さようで」
蔵人は激しく舌打ちをすると、足元の小石を思うさま蹴り飛ばした。
ゴドラム。
ロムレス正教を敵と見据え、蔵人が今までも幾度となく刃をまじえてきた邪教集団である。
つい先日でもウッドレスという他領でやりあった記憶は新しい。潰しても潰しても思い出したように湧いて出てくる彼らは蔵人にとって耳障りのよい名前ではなかった。
ふたりは話しながら中央広場に向かった。その周りを包むように鳥面の男たちが警戒している。
「やけに騒がしいな……」
思った以上に中央広場には人が集まっていた。蔵人が考えていた以上にあたりはかがり火で照らされ真昼のように明るかった。
あちこちで広げられた毛布の上に病人が丸太のように転がってうんうん唸っている。夜ともなれば少しは冷えるだろうが、どの病人も顔を火照らせて高熱に苦しんでいた。
教会の人間たちが倒れ伏した人々の間を縫うようにして忙しく駆け回っている。
先に異変に気づいたのは蔵人だった。野戦病院さながらの一角で激しく罵り合いをしている集団があった。
このような鉄火場だ。少々の諍いは起きても仕方がないと、看護人たちもあえて咎め立てはしなかったのが悪かったのか。みるみるうちに集団はふたてに分かれると、見過ごせないほどの大勢力に変貌を遂げた。
ほんの数十メートル先が人の波で埋まってゆく。蔵人が視線をやると、ふたつの集団は転がる患者を無視するように、広場の中心部からまっぷたつに分かれ、数十メートルの距離を置いて口々に罵り合っていた。距離を開けたのは無意識に肉体的衝突をさけたのだろうか。
が、いきなりの揉み合いにならないと踏んだのか、集団は誰が呼びかけたわけでもなくドンドン膨れ上がってゆく。
「よくもやりやがったな、亜人野郎が!」
「なんだと! 難癖つけてきやがったのはそっちじゃねえか!」
「黙れ畜生め、口を利くだけで反吐が出そうだぜ!」
「ぶっ殺してやる!」
「望むところだいっ!」
上ずった罵声はそこかしこで割れんばかりに響き渡り、やがてそれらは集団に伝播して燎原に燃え広がる野火のようにとどまることを知らない大きさとなった。
「やめてくださいっ。今は互いに争う場合ではないでしょうっ!」
「シスターは引っ込んでいてくれっ」
「きゃあっ」
看護をしていた幾人ものシスターたちが集団を分けに入るがたちまち突き飛ばされた。乱暴をしたのは若いエルフの男だった。着火剤に火花が走ったかのように、怒気は亜人に対する集団から膨れ上がった。
「テメェら畜生風情がシスターになにしやがるっ!」
「残らず地獄へ叩き込んでやれ!」
「ラデクさん。喧嘩の原因がなんだかは知らねえがこのままじゃマジぃぞ……!」
集団は明確にふたつへ色分けされていた。一方は人間族。もう一方は亜人が占めていた。この諍いにどのような理由があったのかはわからないが、完全に集団ヒステリーに陥っていた。
突然に我が身に降りかかった病。そして先の見えない閉鎖状況と目前に迫る明確な「死」が人々を根源的な不安に煽り立て、理性をまたたく間に掻き消してしまったのであろう。
ぎゃあと猫の子を轢き殺したような悲鳴が上がると、両者の集団は潮が引くようにサーッと素晴らしい速度で後退した。亜人たちに詰め寄っていた男の腕が傷つけられたのだ。
無論、怒りが冷えたわけでも正気を取り戻した合図でもない。集団の幾人かは冒険者なのだろうか、腰にした得物を静かに抜き放ってゆく。
かがり火に反射してキラリと光る物体は、見間違うことのない鋭く尖った刃物の切っ先以外のなにものでもなかった。
種族の違いというものが日頃同じ町に住んでいるという意識をお互いから打ち消すのは本能的なものだったのであろう。
この場合、喧嘩の原因などはどうでもいいのだ。鬱屈を吹き飛ばすような贄をどちらとも求めていた結果だった。
どちらが、とはいわずに人々はその場に落ちていた小石やらを投げつけはじめた。あっという間に耳を聾するような意味を持たない罵倒合戦が蘇った。
――落ちている石などたかが知れている。得物が尽きれば激突は免れないだろう。
「くっそ――なんとかしねえとっ!」
蔵人が歯噛みしながら再び集団のなかへ突っ込んでいくと、同じことを考えていたのか集団の間に飛び出した小柄な影があった。深紺色の修道服から教会のシスターであることはわかった。
(なに考えてやがんだっ。殺されっぞ!)
シスターは小ネズミのように、両者の中間点にまろび出るがそこまでだった。
ある程度は整地されていたおかげか、それほど大ぶりの石ころは落ちていなかったのがさいわいであった。
勇敢なシスターは飛来した小石に額を打たれて、大きくよろめき地に足を突いた。
が、すぐさま立ち上がると小柄な身体をうんと突っ張らかして両手を広げ、殺意に燃える集団の炎に炙られることを厭わない大胆さを見せた。
「おやめくださいっ。ここにいる病に苦しんでいる人たちがあなたたちには見えないのですか!」
シスターの割られた額からは真っ赤な血が整った鼻梁を伝って流れ、一条の尾を引いて落ちた。
「あ、う。そんなつもりじゃ……」
元々は敬虔なロムレス信者だったのであろう。人間族の前衛が石投げをやめると、習うように亜人たち――獣人を中心とする一派――も攻撃を中止した。
シスターは、ゆっくりした足取りで亜人側に向かうとまだいきり立っている見るからに危険なオークへと歩み寄った。
「それでよいのです。もし、まだ気がおさまらないというのであれば、その石でわたしを打ってください。さあ」
年若いシスターは見上げるようなオークの男に石を握らせると顔を覗き込んでいる。オークはもごもごと呟くと、戦意を喪失してうなだれる。
同時に、どこからともなく殺意を込めたスピードで石くれが投擲された。蔵人はほとんどダイブするようにシスターを抱き寄せると背中で石の一撃を受けた。息が詰まるような衝撃だ。もっとも、これは蔵人がどうしても受けなければならない痛みでもあった。
「大丈夫か、クレア」
「クランドさま……」
蔵人は久々の再会に瞳を潤ませるシスターを見つめながら、痛みが伝播して痺れるような背中をそっとさすった。




