Lv279「悪疫Ⅰ」
ロムレス歴千百四十九年、秋。日中は汗ばむほどの陽気であるが、日が落ちたあとは上着が手放せない。そんなシルバーヴィラゴ市中を足早に駆けてゆく若い少女の姿があった。
「もう、こんな時間になっちゃった」
歳の頃は、十代半ばくらいだろう。顔つきの幼さとは不釣合なほど胸は発達しており、薄いブラウスを突き破らんばかりに前へと押し出している。
彼女はミノタウロスという牛の角と耳を持った亜人であった。少女マルグリットは父に頼まれて馴染みの店から売掛金を回収し終え、家に帰る途中であった。
マルグリットは十五になるこの歳まで親から猫っ可愛がりされて育ち店のことはあまり任せられなかった。
故に、あまり遠出をしたことがなく、繁華街に近い馴染みの店周辺の地理には疎かった。
(父さんにだいじょうぶだよっ! ていっちゃったからね。もし迷子になったって知られたら、二度とおうちから出してもらえなくなっちゃうよう)
マルグリットは余計な自尊心が邪魔をしてロクに通る人へと道を聞くこともできず、かなりの時間、街なかをぐるぐるさまよっていた。市中の入り組んだ小路は慣れた人間であっても夜ともなれば非常にわかりにくく、地元の人間でも迷うことが少なくない。
だが、少女はそんなことは知らなかった。焦れば焦るほどドンドン迷路のような小道の奥へ奥へと迷い込んでいったのだった。
ふと、気づいたときはもう遅かった。あたりに視線を巡らせば、〈その道〉の商売をしている娼婦があちこちに立っているのが目についた。女たちは見るからに堅気の娘であるマルグリットを目にすると、まるで親のかたきに会ったかのような凄い目で睨みつけてくる。
そこには親愛の情などカケラもなく、道端に吐き散らかした汚物を見るような蔑みきった視線だけだった。
――要するに場違いなのである。娼婦たちは陰の存在であり、堅気の娘がこのような盛り場をうろつくこと自体我慢できないのだ。
夜は彼女たち娼婦の領分。地元の娘なら誰でもわかっており、そもそもこんなどん詰まりには近寄りもしないのだが、マルグリットは安々とその境界を越えてしまっていた。
「あっ」
気ばかり急いたせいか手にした手提げ籠から大切な預り金が入った袋を落としてしまう。
マルグリットは半泣きになりながら、あちこち散らばった銅貨銀貨を拾い集めるが、闇夜のなかではそう上手くいくはずもない。
通りに立つ女たちは盛んにくすくす笑いを漏らし、見世物を見るようにして楽しんでいる。
マルグリットの瞳にジワリと涙が浮かび出す。地に着いた手のひらに冷たい濡れた土の感触が惨めさに拍車をかけた。
「おい、でえじょうぶか」
やはり使いなどやめておけばよかった。そんな思いがよぎった少女に野太い男の声が落ちた。
このような夜の盛り場である。世間知らずとはいえ警戒心くらいあるのだ。少女は一瞬だけ、ギクッと身体を縮こませたが、男たちの服装を見て「ああ、なんだぁ」と息を吐いた。
「おたからが散らばっちまったようだな。手伝うぜ」
「すみません」
少女は親切に腹這いになる男たちを見て安堵の表情を浮かべた。その様子を背後から眺めていたひとりが薄く笑う。
男たちは、少女の肩に手をかけると、さも親しげに連れ立って闇の小道へと消えてゆく。あとに残ったのは、少女たちの立ち去り際に娼婦たちが放った割れんばかりの甲高い嬌声だけだった。
「ふーむ」
「あの、なにをなさっておいででしょうか。クランドさま」
屋敷の中庭で大工道具を広げて唸っている蔵人を見つけたルールーが目をしばたかせながら、はじめて見る奇妙な物体に戸惑いながらも訊ねた。
蔵人は手にしていた釘を工具箱に仕舞い込むと、振り返った。
「この家には子供のおもちゃが少ないと常々思っていてな」
「はぁ」
「それで、遊具としてシーソーを作ってみた」
「そ、そうですか……」
ルールーは焦ったように「に、にこ……」と口角を上げてみせる。眉がピクピク痙攣しているように見えなくもない。
蔵人は手にしていた木槌を目の前でくるくる回転させると器用に柄を掴んでふうと息を吐きだした。
――こいつ、なにも理解していないな。
無理もない。この世界には子供のための遊具という概念自体が欠如している。ルールーは主の機嫌を損ねないようにと、端正な顔をやや歪めながら愛想笑いをしているが無理があった。
シーソー。
とはいっても、蔵人が街の木工所で貰ってきた余りの材木を使って作った遊具と呼ぶのもおこがましい程度の出来映えではある。
しかし、使う子供たちのことを考え、手を触れるであろうあらゆる尖った場所は丹念に削られ艶が出るまで磨かれた各部は危険とは無縁なものだった。
「どうだ、ルールー。ひとつ俺の力作に乗ってみねえか?」
「え、あ、はい。そのお、お気持ちは嬉しいのですが。私はこういったものは、ちょっと……」
「なんだよ、楽しいのに」
ルールーは引きつった笑顔でジリジリと後退してゆく。彼女は比較的見慣れぬものを警戒する保守的な人間なので、はじめて見るわけのわからない物体に怯えを隠せなくなったのだ。
「あ! すみません。今、お屋敷の用事を思い出しましたのでっ」
「ちょ、うわっ。早っ!」
わざとらしい態度でくるりと反転し呼び止められるのを恐るようなスピードで駆け去ってゆく。
「早いなー、逃げ足」
さあ、どうしようかなと首を左右に振ってコキコキ鳴らしていると、どこから湧いて出たのか小エルフの群れがわらわらと現れてたちまちシーソーに群がっていった。
「わあ、なにこれー」
「おもちろいものがあるよう」
「なにかなっ、なにかなっ」
「おねーたん、あたちにもさわらせてぇ」
「あ、こら。あんたたちっ。勝手にわけのわからないものに触るんじゃないわよっ」
蔵人が蟻のようにシーソーへとたかる小エルフの群れを観察していると、幼い小エルフを抱っこしたカレンとリザが姿を現した。
リザはすぐさま抱いていた小エルフをぽーんと蔵人に向かって放ると好奇心に瞳を輝かせてシーソーにダッシュし、「なんなのだーっ」と叫びながら飛びついていった。
「あの黒っ子のバカ……! で、クランド。これはなに?」
カレンは見慣れぬものを見て身体をよじって興奮する小エルフを胸のなかであやしながらいった。
「これは、シーソーといってな。俺の故郷ではメジャーな子供専用の遊具だ」
「ふーん。子供のおもちゃをわざわざ作ってくれたんだ。クランドってやさしいね」
カレンは長いツインテールをふりふりさせながらニコッと微笑んだ。素直な賛辞に照れながらも蔵人はどうだとばかりに胸を反らした。
「クランドーっ。これってば、どうやって遊ぶのだ。早くリザに教えるのだっ」
気が早いリザは小エルフたちを押しのけてすでにシーソーの片方へと座り込んでいる。無理やり脇に追いやられた小エルフたちは目元を両手で押さえながらしくしくと泣き出していた。
「あちょびたいよー」
「リザおねーたんずるいよー」
小エルフたちの嘆きの声を聞いて、さすがに見過ごせず蔵人は前に進み出た。
(つーか、それはおまえのために作ったわけじゃねえっての!)
「おまえってやつは……」
リザの瞳。小動物を追い回すときのようにキラキラと輝いていた。
「リザのアホー! 早くどいてあげなさいよっ。子供たちがかわいそうでしょっ!」
「やだやだっ。これはリザが見つけたんだからリザが一番に遊ぶんだもんっ」
リザは駄々っ子のように顔をぶんぶんと振るとカレンに向かってあかんべをして見せた。真っ赤な舌がぴろぴろと嘲るように素早く動いている。蔵人はカレンの身体が鋭く震えたのを見た。
「……クランド。ちょっとノエミ抱っこしてて」
カレンの銀色の瞳がスッと細まってゆく。虎のように獰猛な気配を発散しはじめたカレンに怯えたのか、ノエミが「ひっ」とくぐもった声を出して身を縮こませるのがわかった。
「おい、マジになんなって。どうせすぐにリザは飽きるからよ。先に一度だけ遊ばせてやってくれや、なあ?」
「はあ? なにいってんのよっ。なんで、この子たちを泣かせてまであのアホタレに気を使わなきゃなんないのよっ。クランドはあたしとリザのどっちが大切だっていうのっ!」
カレンが八重歯を剥いてキーッとエキサイトする。即座に、どうどうとなだめた。
「ちょっ。待てって! 誰もンなこといってねーし。てか、落ち着けよ。な……。じゃあ、カレンとリザが最初に子供たちのためにお手本を見せるっていうのはどうだ。な、な!」
蔵人はカレンを抱き寄せると髪を撫でながらやさしい声を出して機嫌をとりにかかった。こういうときはできるだけ肌に触れて、真っ直ぐ瞳を合わせて「おまえが一番だぞ」と錯覚させることが重要なのだ。
「まあ……それなら……別にイイんですけどぉ」
「よし、んじゃそれでいこう。シーソーの遊び方は簡単だ。あの板切れの両端に座り合って体重をかけてぎったんばっこんする。な? シンプルだろ」
「ふーん」
「おい、カレン! サッサとそっちに座るのだっ。リザが地の果てまで吹き飛ばしてやるのだ」
リザはウインクをすると挑発的に片手をカレンに差し伸ばして挑発のポーズをとった。
「あによっ! もー、許せないんだからっ。やったろうじゃないのっ」
「……だから、そういうゲームではなくてだな」
カレンはリザの反対側に座るとたちまちシーソーの魅力に取り憑かれたのか、延々とぎったんばっこんをやりはじめた。
彼女たちが育った故郷にはたいした娯楽もなかったのだろうか。カレンたちは先ほどのやり取りも忘れたように満面に笑顔を浮かべながらキャッキャッウフフと甲高い声を上げ合っている。無論、小エルフたちのことなど脳裏からすっ飛んでしまったようだった。
「ねえ、クランドー。あたちたちもあちょびたいよー」
「わたちたちのためにつくってくれたんじゃないのー」
「ひどいよう。カレンままぁ……」
泣きべそをかいた小エルフたちが蔵人の足元へとみっしりしがみついてくる。泣き喚いて興奮しているのか彼女たちの熱量も普段の数倍に感じる。ひたすら哀れだった。
「待ってろ。今すぐどかせちゃるからな」
蔵人はすぐさま指笛を作って吹き鳴らすと、物干し竿で洗濯物を干していたポルディナを召喚して愚かなエルフ二匹を速やかに排除した。
蔵人はポルディナによって掣肘を加えられたふたりのエルフを引き連れ食堂に移動した。時刻は昼である。蔵人が席に着くと女たちがぞろぞろと連れ立って椅子を引いた。
「全員そろってるのは久しぶりだな……」
「クランド。なにげにヒルダをハブるのやめよーよ」
レイシーが頬に手を当てながら困ったようにいった。
「冗談だよレイシー。ポル、呼んできてくれ。どうせまた寝こけてるのだろうよ」
「承知しました」
ポルディナがパタパタと駆け出してゆく。食前酒をグラスにそそいでいたドロテアが両隣に座っているリザとカレンを交互に見て不思議そうにいった。
「にしてもなんじゃ、ふたりとも。青い顔しおってからに。どこぞ身体の調子でも悪いのかの」
「いや……」
「別になのだ」
先ほどポルディナから受けた折檻がよほど身に染みたのであろうか、カレンとリザは神妙な顔で震えている。もっとも、半日ともたないだろうが。
蔵人はルッジが食卓で書物のページをジッと凝視しているのを横目で見ながら手元の懐中時計に視線を落とした。ルッジは蔵人がウッドレスで購入した書物に完全に心を奪われたまま口数が少なくなっていた。
この屋敷の人間はあまりに物事に集中しすぎると自閉症気味になるので注意が必要だ。そのあたりのことも考えていろいろケアしていかなくてはならない。そのようなことを、つらつら考えていると廊下の向こうから駆けてくる足音が聞こえていた。
「ご主人さま……」
その先を聞かなくてもなにごとかが起きたことは容易に分かった。ポルディナは犬耳をペタンと伏せながら、大きなしっぽをだらりと垂れ下げている。
「ヒルダになにかあったのか?」
「凄い熱です。たぶん、風邪だと思いますが」
聞き終えるまえに席を立つと、ヒルダの部屋に向かった。蔵人自身は生まれつき身体が丈夫で風邪などは、数える程度しか引いたことがない。ノックもせずに扉を開けると、うつむいたままベッドに腰かけているヒルダの姿があった。
「ああ。やだなぁ、そんな大げさにしなくてもいいのに……。クランドさん、私だってときには体調を崩すことくらいありますよう。寝てれば治りますって。だいじょぶだいじょぶ」
ヒルダは疲れたような顔で照れたように笑うと両腕を曲げて力こぶを作る仕草をした。蔵人はヒルダのベールをずらすと顔を寄せて額と額をくっつけた。思わず離れてしまうほどの高熱だった。
「ん……」
「全然大丈夫じゃねーよ。こんなん」
「ヒルダ!」
「平気なのっ」
蔵人が振り向くと心配した女たちがどどっと部屋のなかに飛び込んできて、たちまちあたりは人いきれに満ちた。
「ポルディナ。街に使いを出して医者を呼んでくれ」
「承知しました、ご主人さま」
ポルディナは一礼すると素早く部屋を出ていった。蔵人はレイシーに頼んでヒルダを寝かせるように指図すると、皆にとりあえず食事をとってしまうようにいった。
速やかに食堂に戻った。ほかほかと湯気の立つような心尽くしの飯ではあるが、いつも元気なヒルダが病であるとわかればなんとなく意気が上がらない。蔵人はひととおりをザザッと腹のなかに詰め込むと顎に手をやって物思いに耽っているアルテミシアに声をかけた。
「アル。なんか気づいたことがあるのか。そーいや、午前中は奉仕作業に出てたんだよなぁ」
「うむ。教会の要請で癈兵院に、少しな。ヒルダはぶちぶち文句をいいながらも、特に変わった様子は見受けられなかったが……」
「あやつはわらわが知る限りでは、昨日屋敷を一歩も出ておらぬぞ? クランドもそれほど深刻になることはなかろ。所詮はただの風邪じゃ。腹でも出して寝ておったんじゃろう」
ドロテアはエルフ特有の長耳をぴこぴこ動かしながら皆を元気づけるようあえていっているのが丸分かりな口調で断言した。
「ヒルダのやつめ、たるんでいる証拠だ。日々、規則正しい生活を心がけていれば、病など身体につけ入る隙など生まれぬものだっ」
ヴィクトワールが腰に手を当てて断言すると、隣にいたシズカが「うわぁ……正気か?」という顔で眉根を寄せた。
「あー。そうですねー。お嬢さまは生まれてからただの一度もご病気をされたことのない完全無欠のお方ですからねー。皆さんもお嬢さまを見習うといいですよー」
ハナが両手をぽんっと胸の前で打ち合わせるとヴィクトワールが不服そうにいった。
「失敬な……! そのいいかたでは、私がどこかおかしいみたいではないかっ」
「みたいではなく、おかしいのだ。ほら、よくいうではないか。バカと阿呆は病知らずとか、なんとか。私は身体があまり強くないのでうらやましいよ、まったく」
シズカは手にしたティースプーンをくるくる回しながら、呆れたような声を出した。
「ん、んんっ。そうか! 私がうらやましいかっ。あはっ。仕方がない。そこまでいうのであれば、私が風邪を引きにくくなる生活改善法をだな。シズカ、おまえだけに特別教えてやってもいいぞ。特別だからなっ、特別」
ヴィクトワールはなぜか頬を紅潮させると、やわらかな笑みを浮かべながら「ふふん」とどこか得意げにシズカをチラ見している。
円卓のあちこちでは「うっわ。もしかして気づいてないの」とか「やだ……この子アホすぎ」とか「お嬢さま、純真すぎます」などヒソヒソ話が蔵人にまでしっかり聞き取れる声量でささやかれていた。哀れである。
「で、どうだシズカ。なんなら、今夜からでも講座をだな」
「や、遠慮しておく」
「なぜだっ?」
シズカが手のひらをそっと前に出してヴィクトワールの申し出を固辞していると、ティースプーンをなめなめしていたドロテアが軽い口調でいった。
「ま。所詮ただの風邪であるならば、わらわの故郷で伝わったいつものやり方で治療すれば一発で治るじゃろうて。あとでポルディナに教えてやらねばの」
「ふうん。ドロテア故郷の土俗的治療法ね。そいつはボクも少し興味があるかな」
書物に没頭していたルッジがページに目を落としたままいった。ルッジは蔵人がウッドレスで買い求めた書物がよほど気に入ったのか、このところずっと心をとらわれている。
「土俗的とはいいすぎじゃろうっ。現にわらわはこんまい頃からこのやり方で、風邪なんぞはあっという間に治してきたのじゃっ。そのへんのタケノコ医者のよう効かん薬を飲むよりもよっぽど効果は覿面じゃ!」
「私も……すっごく……興味がある」
お地蔵さまのように微動だにしなかったエマニュエルも食いついてきたことに気をよくしたのか、ドロテアは豊満な胸をばいーんと揺らしながら、その下で両腕を組んだ。
「そうじゃな。まずはエリトコの木に生えている葉を、一晩ほど月の光に晒す。それから、朝露を葉に集めて病人に飲ませ、使い終わった葉をおでこに乗せて部屋の四方に教会の護符を貼るのじゃっ。これで一発じゃろ!」
「おいおい、いくらなんでもそりゃ――」
葉っぱをおでこに乗せて病が快癒すれば世話はない――。
そう思いながら、蔵人がたしっと自分の頬を叩く。苦笑気味に椅子の背へともたれかかったと同時に、あちこちで同意の声が上がった。
「えーっ。それ知ってるっ」
「リザの故郷とおんなじなのだー」
カレンとリザが互いの顔を見合わせている。
「あ、その方法ハナもおばあさまに教わりましたー」
「知っている。王都ではそのやり方が普通なのでは?」
ハナがはいはいーとばかりに手を上げるとヴィクトワールが同意した。
「くっ。ヴィクトワールと同じ方法とはっ」
「シズカさまはなぜ悔しがっておられるので」
シズカがなぜか悔しがりルールーが困ったような顔をしたのを見て、蔵人は改めて自分が異邦人であるのを再認識するのだった。
(え。俺の考えが浅かったのか。そうか、こいつら中身はおばあちゃんよりも百世代くらい迷信深い娘たちだった……)
「む。なんじゃクランドその顔は。わらわたちのやり方になんぞいいたいことがあるのかの?」
「……え、だってよ。そんなんで熱が下がるわけがねえじゃん。非科学的だよ、おまえら」
蔵人がハンと鼻を鳴らし怪しげな民間療法を切って捨てると、さすがに彼女たちもムッとした不機嫌な顔を隠さない。
「なによ、えーとその、ひかがくてきっていうのはっ。わけのわからない言葉であたしたちを煙に巻こうなんてずるいわよっ」
「いや、そんなつもりは」
「じゃあ、なにか。クランドの故郷ではエトリコの葉を使う以外で、病人の熱を下げるいい方法があるとでもいうのかえ?」
「そうよーそうよー。あたしんとこでも、エルフはそうやって病人の熱を冷ますのよ!」
「いでっ、やめろ、カレンっ。頭を振るなっ。ツインテがびしばし顔に当たるからっ」
「クランドはリザたちのことを見くびっているのだっ。エトリコの葉の効果は絶大なのだ!」
「そんな不思議植物、俺は知らねーから」
なにかエルフたち民族的感情に触れたのだろうか、カレンとリザが物凄い勢いでドロテアの説を擁護する。特に否定する材料もないのか、ヴィクトワールたちも黙り込んでいた。
「代案を出すのじゃ! 代案を!」
「待って……もしかしたら……クランドの故郷では……もっと、劇的に……解熱する方法が……あるのかもしれない。……頭ごなしに……決めつけてはいけない……め」
「む。エマニュエルがそういうなら、聞いてやらんでもないが、のう」
「だからなんでドロテアは上から目線なんだよ。そうだなー。俺んとこじゃ、熱冷ましにはケツの穴にネギを突っ込んだりするといいって聞くけどなー。あははっ! ……おい、なんだよ。おまえら、やめろよ。その汚物を見るような目は」
女たちは一様に青い顔をして、部屋の片隅まで下がるとヒソヒソと小声でささやき合っている。
「おい、ちょっと待て。おまえら完全に俺のこと誤解しているだろ。こいつは昔から伝わる嘘のようであるが、ちゃんとした民間療法なんだぞ。コラッ、ネリー。おまえまでそんな目をしないでくれ。それと、シズカ。なぜおまえは息を荒くして近寄ってくるんだ。断じてそういうプレイじゃないからな、これは」
「……ま、クランドがそういう方向性を望むのであれば、妻としてボクも応じないというわけではないが、くれぐれも慎重に扱ってくれよ。後ろの……その……穴は、直腸に通じている上異物を挿入すると、特に切れやすいらしい。いい年をしてオムツをするようになったら責任はすべてとってもらうからそのつもりで、な」
「ルッジ。頼むから、そんな思いつめた表情でいわなくてもいいから。つーか、医者を呼んだから普通に見てもらって終わりだよ、ったく。ちょっと様子見てくるから。おまえらは死ぬまで駄弁ってろ」
これ以上つき合っていられないので蔵人は部屋を出た。
ヒルダの部屋まで行くとたらいを抱えたポルディナと行き合った。
「ご主人さま……」
「どうした?」
「ヒルダの熱がどんどん上がっております。手持ちの熱冷ましを飲ませたのですが、一向に効く気配が……」
「サントスに医者を呼びに行かせたんだろーが。心配すんなって。しばらく俺が見てるから。水を換えに行くんだろ」
「はい。なかではレイシーとリネットがついておりますゆえ」
蔵人はたらいを抱えて去ってゆくポルディナを見送ると部屋に入った。
「あ、クランド……」
「クランドさん」
「様子を見に来た。どんな塩梅だ?」
ベッドのそばに椅子を置いて据わっていたレイシーとリネットが顔を上げた。蔵人が知る限り、屋敷で誰かが風邪を引いて寝込むということはあまりない。特にヒルダはずば抜けて元気がよい部類であり、ここ数ヶ月ほど体調を崩したところを見たことがなかった。
ベッドに歩み寄ると、レイシーが立ち上がって席を譲った。蔵人が椅子に座ってヒルダの顔を覗き込むと、彼女は真っ赤な顔をして小刻みに呼吸を繰り返していた。まるで全力疾走をしたあとのように息が荒い。額に手を乗せると、つい先ほどとは比べ物にならないほど熱が上がっている。ただでさえ色の薄い彼女の肌は火照ったように全体が赤く色づいていた。
「これは、ただの風邪とは思えねえぞ」
「クランドぉ。ヒルダの熱が下がらないのぉ」
レイシーが弱りきった声を出す。むしろ歳下のリネットのほうが落ち着いている様子であった。
蔵人は、ヒルダの様子に「これはただの風邪ではない……」と感じ取り、すぐさまメリアンデールを呼ぶようリネットに命じた。
「さっきから、呼びかけても全然返事しないの……」
レイシーが涙混じりにふるふると顔を左右に振る。高熱のあまり意識を失っている様子だった。
「どっちにしろ、俺は医者じゃねえし。馭者のサントスが医者を連れてくるまで様子を見るしかねえや」
「ヒルダ……頑張ってね、ヒルダ」
「おい、あんま揺すんなよ。逆効果だ」
レイシーがなにかをいいかけたが自分の行動の意味に気づいたのか途中でやめた。不意に沈黙が訪れた。リネットは無言のまま注意深くヒルダの様子を眺めながら、時折額にうかぶ汗をタオルで拭っている。的確で冷静なその動きは熟練した看護士を思わせた。
蔵人は窓の外を眺めながら湧き上がってくるイラつきをどうにかこらえた。手にした懐中時計に目を落とすと、あれから一時間以上経っている。どう考えてもサントスの戻りが遅いのだ。
「遅いな。ちっと外を見てくらぁ」
駆け足で廊下に飛び出すと前方からポルディナに腕を引かれているサントスの姿が見えた。ほかに人影がいないと見ると、医者を連れてこられなかったのは明白だった。
「サントス――」
「だ、旦那さま」
サントスは咎められると思ったのか帽子を脱ぐと唇を震わせて怯えた目をした。
「医者、見つかんなかったのか?」
「へ、へえ。それが。儂はギルドまでと思いやして急いで馬車を駆けさせたんですが。なにやら、街の入口で兵隊さんたちが道を閉じていなすって、市中には入れなかったんで……。ハァ」
「道を――封鎖していた?」
「ご主人さま。私もサントスの帰りが遅かったので、実際、街道の先まで行って確かめたのですが。城兵が柵で道を完全にふさいでおりました。とにかく、数が多すぎて――。突破も不可能なほどで。それに、こちらの話など聞いてはもらえませんでした。申し訳ございません」
ポルディナは犬耳を伏せるとしっぽを股の間に挟み込んで、「くふぅんきゅるーん」と情けない声で鳴いた。
「理由は? まあ、そこまでするんならメイド風情に理由を教えてくれるはずもねぇな。困ったな。こっちは一刻を争うってのによう」
「ご主人さま。ヒルダの容態はいかがでしょうか」
「いいとはいえねえな。仕方ねえ――。メリーなら薬を調合できるだろう。ホントはギルドの鳥医者のほうが一番なんだが、とにかく熱を下げさせないとまずい。まずは、メリーを――」
「あ、いたっ! クランド!」
顔を突き合わせて話し込んでいると、食堂のほうから駆けてくる音とともにメリアンデールの声が響き渡った。見れば、頭の羽帽子を押さえながら矢のように突っ込んでくる。蔵人は両手を広げてメリアンデールを受け止めると目を白黒させた。
「な、なんだよっ。今、ちょうどおまえの話をだな」
「とにかく一緒に来て! アルテミシアとルッジが倒れたのっ」
「なんだって?」
蔵人は「くそったれ!」と鋭く吐き捨てると、打ち出された弾丸のように走り出した。食堂に駆け込むと、壁にもたれかかったアルテミシアとルッジ、それを介抱する女たちの姿が見えた。
「来たか――クランド」
ルッジは眼鏡を外したまま額に玉のような汗をみっしり浮かべて苦しそうにあえいでいた。まだ、受け答えができるというのであれば、少しはマシというものである。アルテミシアのほうは、激しい運動をした直後のように口を大きく開けたままハッハッと呼吸を荒げていた。
「くっ。アル、でえじょうぶかよっ」
アルテミシアを抱き起こして声をかけた。厚いローブの布地を通して彼女の身体が火のように熱くなっていることがわかった。
「勇者さま。アルテミシアさま、いきなり咳き込まれたかと思うとお倒れになって――」
ハナがルッジのそばでしゃがみながら動揺した声を出した。
(くっそ! こりゃ、どう考えても普通の風邪じゃない……! 一体全体、どうなってやがんだ)
「おいルッジ! 無理をして立ってはダメだ!」
蔵人がシズカの慌てた声に視線を動かすと、ルッジが壁に片手を突いてよろめきながら立ち上がろうとしている姿が見えた。
「――クランド。これを見てくれ」
「シズカのいうとおりだぜ。医者なら俺がすぐにでも呼んできてやるから、ジッとしてろ!」
「そうじゃない。医者は必要ない。もう、必要ないん、だっ」
ルッジは視線の定まらない目ばかりをギラギラ光らせながら、胸元にかけた手を下方に思いきり引っ張ってブラウスを破った。白いボタンが幾つも弾け飛んで、胸元が顕になる。蔵人はルッジの胸を直視して、広がった赤い斑点を網膜に焼きつけながら、「あ……」と間の抜けた声を漏らした。
「それは、レコプラ病? そんな――!」
ネリーが引きつった声を頭のてっぺんから出した。なにか思い当たることがあるのか、ヴィクトワールを含む数人が悲鳴を上げた。
「なんだよ、そんなヤバい病気なのか? ルッジ、嘘だろ? なあ!」
「見てくれクランド。胸元に……真っ赤なバラのような発疹があるだろう。わかったなら、さっさとボクとアル、それにヒルダを隔離するんだ。もう、遅いかもしれないが……なにをやっているんだ! 子供たちを近づけさせるなっ!」
あえぎながらようやく口を動かしていたルッジが、その痩身のどこから出しているのかわからないほどの声量で、アルテミシアにすがりつこうとしていた数人の小エルフたちを鋭く恫喝した。
小エルフたちは「ひっ」と呻くと恐怖のあまり棒立ちになって泣き出してしまう。すぐさまエマニュエルが子供たちを抱きかかえると食堂から姿を消した。
「そう……それでいい。すまない、クランド。まさか……君と、こんな別れ方になるとは……はは、思ってもいなかったよ……」
「なにをバカなこといってんだよ。レコプラだかなんだか知んねえが、そんなもん医者に見せりゃけろけろって治っちまうよ。なあ! ネリー、そうだろ?」
蔵人は度を失ってそばにいたネリーの肩をぐいと引っ張った。彼女は青ざめた表情で首を横に振ると、たちまち目元から涙をあふれさせワッと声を上げて泣き出した。
「クランド……いいかい……今から……ボクのことをよく聞くんだ……いいね」
「いやだ。その先は喋んじゃねえ。やめろ、やめろよ。おい」
「風邪によく似たレコプラ病の致死率は……ほぼ百パーセントだ。……助かることは極めて難しい……わかったなら、今すぐみんなを集めて……屋敷の離れに移るんだ……ボクらが死んだら……無念だが……屋敷ごと身体を焼いてくれ……方法はそれしかない」
蔵人は激しい頭痛と嘔吐に襲われ、その場で木偶のように棒立ちになるとルッジの顔を呆然と見つめ続けた。




