Lv27「湖賊」
湖賊の旗艦ブラックスネーク号は、客船レッドファランクス号に接舷するとあっという間に戦闘員を送り込んできた。甲板いっぱいに湖賊たちが散らばると、血の気の多いレッドファランクス号の船員たちが、棍棒や銛を持って対峙する。
たちまち、湖賊たちと船乗りの間に一触即発の空気が流れた。
賊の船にひるがえる旗印は、文盲の多い船員たちにもわかるように、文字ではなく白い頭蓋骨にぶっちがいの黒蛇が二本交差させて描かれていた。旗の布地は赤で、遠方からもよく確認でき、強い威圧感でみなぎっている。
広い海原では海賊が幅を利かせ、このクリスタルレイクでは湖賊が猖獗を極めていた。
海外を見るに、海賊はいても湖賊というものはほとんど資料に見受けることができない。
日本でも、中世時代に琵琶湖を中心に勢力を保っていた堅田衆くらいである。世界で、湖賊をあまり聞かない理由としては、地政学的な問題もあった。湖に通商路がおさえられるということはあまりないものである。たとえ、水路がおさえられていても陸路という選択肢が残っていれば、賊はすぐにも干上がってしまう。つまり、通商路が一点に絞られない以上、物資の流通は無数に枝分かれし、攻撃点を絞って略奪を行うことが難しくなってしまう。
その点、クリスタルレイクに湖族が跳梁跋扈していた理由を上げれば、物資の集積点であるシルバーヴィラゴは北を蛮族の森、西を大山脈、南を高山に囲まれており、コストを考えれば少々の危険を冒しても、湖の水路を直通路として使ったほうが遥かに安上がりに済んだ。
また、湖賊とは交渉もでき、月極のミカジメ料を払うことによって一定の安全を得ることも可能だった。
例外というものは常にあるが。
「さあ、あんたたち。ひとり残らずおとなしくするんだ! この船は、グレイスさまと黒蛇党がいただいた! 下手なまねすりゃ、首と胴体を泣き別れにしてやるからな!」
女湖賊はグレイスと名乗った。歳の頃は、二十を過ぎたばかりだろうか、まだ娘のなごりを残していた。
黒のパイレーツハットに金の羽飾りをつけたものをかぶっていた。
真紅の上着を軽く羽織っている。
胸元には、はちきれそうなほど大きい乳房をギリギリ隠す程度の黒いブラ、下は同じく黒のマイクロミニ。足元は焦げ茶の編上げ靴を履いていた。
ややウェーブのかかった真っ赤な髪が肩までなびいている。抜けるような白い肌に、意志の強そうな大きな瞳が目立った。
「おいおい、姉ちゃん。はい、そうですかとやすやす大切なお客さまや積荷を渡せるもんかい。はばかりながら。このアーサーが船長を務める限り、コソ泥野郎どもに恵んでやるモンはパンひと切れだってありはしねえんだ! なあ、野郎ども!」
船長のアーサーが虎髭をしごきながら、破鐘のような声で怒鳴ると、甲板に勢ぞろいした男たちはいっせいに鯨波をつくった。皆がそれぞれ腰に下げたナイフや剣、手斧を構えていつでも飛びかかれるように身構える。この世界の船乗りは、全員自衛のために武装するのはあたりまえだった。
「せいぜいそっちは三十人くらいだろうが、こっちは船乗りだけでも四十人。乗せてる客だって戦えそうな若い男だけなら五十人近くいるんだぜ。ハナから勝負になりはしねぇのよ。さ、武器を捨てるんだ。観念して素直になるなら、命だけは助かるように、俺たちからもご領主さまに頼んでやるぜ」
「命乞いねえ、まったくおやさしいことで」
「なにを笑いやがるっ」
グレイスはアーサーが目を剥いて吠えるのを見届けると、忍び笑いを消した。同時に右手を垂直に天に伸ばす。
レッドファランクス号の船員たちに向かって、湖賊の船に潜んでいた百人ほどの射手が、いっせいに矢を射かけたのだった。独特の鋭い矢音が耳をつんざいて走る。狙いたがわず射られた船乗りたちは、身体中に矢傷を負うと、あたりに小豆をぶち撒いたように転がり苦悶の声を上げた。無傷で残った船乗りたちは、あっというまに十人足らずに減少した。
「で、船長さんは、あたしたちになにを頼んでくれるって、ねーえ?」
グレイスはにやにや笑いながらアーサーに近づくと、顔を下から覗きこみながら虎髭を片手で弄んだ。アーサーの髭面が怒りと羞恥で紅に染まった。
「わかった、降参する」
アーサーはカトラスを取り落とす。硬質な音が、苦しむ船員たちの声に混じった。
グレイスは鼻を鳴らすと、そっと右手を離した。その顔は満ち足りた雌虎のようにゆるんでいた。
「最初っから素直にすればいいんだよ。さて、バルバロス。こいつらの手当をしてやんな。逆らうやつは痛めつけるが無益な殺生はしない。あたしたちは、有無をいわさずかたっぱしから殺しまくる腐った領主とはちがうんだ」
グレイスが叫ぶと、バルバロスと呼ばれた男が後方から進み出てきた。歳の頃は四十半ばくらいだろうか、日に焼けた真っ赤な顔をしていた。左目には髑髏の意匠をあしらった眼帯、厚手の胴着、首元には金をふんだんに使った首飾りを重たげに幾重にも下げていた。右手は義手なのだろうか、鋼鉄製のフックが凶悪に鈍い輝きを放っている。背丈は小柄だが、鍛え上げられて半端ではない厚みが感じられる。顔つきは飢えたコヨーテのように獰猛さが潜んでいた。
「助けてぇ……痛いいいいっ」
右腕に矢が刺さったまま、若い船員が転げまわっている。もがく船員の右腕が、バルバロスの足にぶち当たる。
バルバロスは口元を引きつらせると、無言のまま剣を船員の喉元に突き立てた。肉を抉る音といっしょに血飛沫が吹き出して甲板を濡らした。
「おい、野郎どもぉおっ! おかしらのご命令だっ。こいつらをとっくりと手当てしてやんな! 湖賊の流儀でな」
バルバロスが土間声を上げると、湖賊たちは負傷した船乗りたちに、かたっぱしから飛びかかって、ぬらぬらと光る刃物を振り下ろしていった。客船の甲板は、降り注ぐ強烈な日差しと、命を刈りとる凶暴な白刃でたちまち阿鼻叫喚の地獄絵図に一変した。
先程まで息巻いていたアーサー船長以下の手傷を負わずに済んだ船員たちは、仲間たちが湖賊に屠殺される様子をなすすべなく立ちすくんで静観していた。一様にその顔は、恐怖と絶望で真っ白に塗り込められていた。
「おい、なにをやっているんだ。やめろ、やめさせろ! あたしは、こんなこと命じていない! いったいなんのつもりだ、バルバロス!」
絶叫と鉄錆にも似た血の匂いが立ちこめる中、グレイスはバルバロスの首根っこをつかむと、噛み付きそうな勢いで食ってかかった。
「なんのつもりって、おかしらそりゃないでしょう」
「あたしをおかしらって呼ぶな! どうして、動けないヤツらにまで手を出すんだ! ひとの話を聞いていたのかいっ」
「……おかし、いや船長。甘すぎますよ。手負いの船乗りなんか、この先使いものになりゃしませんぜ。殺してやったほうが慈悲ってもんでさ。それに、はじめに一発ガツンとやっとかなきゃ、後々舐められちまう。それがこの稼業でさ。はんっ」
バルバロスは、殺戮の場からなんとか逃げようと這いずり回る血だらけの船乗りをブーツで蹴飛ばすと鼻を鳴らした。
「それに元々船乗りなんか、どうせ銭は博打と酒と女買いに使い果たしてオケラだってのはわかりきってることじゃねえですか。身代金もとれない。仕事もできない。こいつらの傷をふさぐ薬や包帯もタダじゃねえ。こんなやつらに使うなんてもったいなくてもったいなくて」
「だけど……」
グレイスの瞳にわずかに気弱さがにじんだ。
「船長。そもそもが、こいつらヨソ者が勝手に定期船なんぞはじめるから、ここいらの漁師どもはおまんまの食い上げになっちまったんですぜ。勝手に船を走らせて漁場を荒らすわ、やりたい放題でさ。気にかけることなんざねェ。それともなんですかい、このくらいの荒事で、ご気分でも」
「おい、バルバロス。そこまでに、しておけよ」
グレイスをいいくるめようとしていたバルバロスの背後に、大きな影が差した。
背丈は二メートルを遥かに超えているだろうか、頭をスキンヘッドに剃り上げている。
むき出しの上半身には盛り上がるような大胸筋が赤銅色に光っていた。
「ラフィット……!」
「ちっ、てめぇかよ、デカブツが。おい、俺は船長とサシで話をしてんだ。いくら先代からの守り役だって、イチイチくちばしを突っこんでくるんじゃねえやい」
「別に、オレは話の邪魔をするわけじゃない。ただ、船長に対して、副船長がその言葉遣いはないだろう。下が公然と上に逆らうような素振りを見過ごすわけにはいかん。これも湖賊のルールだ。その辺りを理解してくれれば、別にどうということもない。さ、続けろ」
「てめぇっ」
バルバロスは顔を紅潮させながら、拳を握りしめて肩を震わせるが、やがて憤懣やるかたなく唾を甲板に吐き散らすと、くるりと背を向けた。
ラフィットの剣の腕は、黒蛇党一であり、少なくともバルバロスがひとりで立ち向かって叶う相手ではなかった。
「船長、俺は客室を見てくる。当初の予定通り、金持ちどもから身代金をとれるようにせいぜい脅しを入れてくることにする。それで、文句はねぇだろ!」
「バルバロス、あたしになにかいうことはないのか」
グレイスが静かに問いかける。隻腕の小男の鉤爪が小刻みに震えた。
「すいませんでした、船長」
バルバロスは背中をこわばらせたまま、ゆっくり歩き出すと、まだ格闘を続けていた湖賊たちに虐殺を中止するように怒鳴りつけた。
「助かったよ、ラフィット。あんたがきてくれてよかった」
「お嬢さま、あいつは危険すぎます。やはり排除しておくべきだったのでは」
「うん。でも、無理だよ。あいつ、あれで結構野郎たちに顔が利くんだ。いま、バラしちまうとたぶん、三分の一は荒れ狂ってタダじゃすまないだろうしね。あと、あたしのことをお嬢さまっていうんじゃない」
「失礼、グレイス船長。じゃ、俺はバルバロスを見張っておきます。くれぐれも、ひとりにはならないように。先代の夢を継ぐのはあなたしかいないんです。俺はあなたに賭けました。いっさいがっさいを。モーティマー、ジャン! おまえらはお嬢にぴったり張り付いてお守りしろよ!」
「任せて下せぇ!」
「大船に乗ったつもりで!」
ふたりの三十すぎの男が大げさに敬礼をすると、グレイスは真っ白な歯を見せて快活に笑った。きらめく陽光は、いまだ力強く湖水を照りつけていた。
(ふざけるなよ、ふざけるなよぉ、あのクソアマがぁああっ。このバルバロスさまが、いつまでもおまえの下で這いつくばっていると思うなよぉ!)
隻腕、隻眼の湖賊バルバロスは元冒険者だった。だが、迷宮を攻略する夢に破れ果て、故郷に戻った後ですら、血の気の多い彼に真っ当な仕事などにつけるわけもなかった。
無頼者のお決まりのように湖賊に加盟すると、元々の粗暴な性格と、押し付けがましいほどの強引さが水にあったのか、黒蛇党の中でめきめきと頭角を現し、たった十年ほどで副頭目ともいえる地位にまで登りつめた。あとは、病がちな頭目が死ぬのを待っていればすべてが手に入るはずだった矢先、先代の娘がグレイスの存在が浮かび上がった。
(あの小娘、堅気の漁師に嫁いだはずだったのに、いまさらノコノコ顔出しやがって! それがいつの間にか頭目におさまって大将面だとぉ! ふざけんじゃねえやい!)
そもそもが先代の夢というのも、バルバロスには理解不能だった。このクリスタルレイクに、外の資本が入ってきたのは、昨日今日の話ではない。
商人や旅人の数が増えて、漁場が荒らされ、漁師たちが食い詰めようが飢え死にしようが関係ない。
バルバロスにとってみれば、獲物が向こうから飛びこんできてくれて至れり尽くせりであり、それを排除しようとする思考は理解の埒外だった。
(それを、漁民の権利がなんだ、美しい湖を守れだなんだとか、一Pにもならねえことを述べやがって)
先代の黒蛇党首領の目的は、この湖から外的資本をすべて追放して、元通り湖畔に住む村々の人々が昔のようにしあわせに暮らせるようにするためらしい。
だが、バルバロスにとってはそんな寝言は犬の餌にもならない塵芥だ。
(あいつらは、経済ってもんがわかっていない。もし、本当にこの湖畔を元通りの寂れた場所に戻したいと願っているならば、西にあるシルバーヴィラゴをつぶさなきゃなんねェ。ほとんどのヤツラは、あの街目当てでこの湖を通り過ぎてるだけなんだからよ。おめでてぇぜ。義賊を気どって客船を襲って、乗客の命をたてに領主から涙銭をチョビチョビもらったっていったいどんな稼ぎになるんだ。おまけに残らず貧乏人どもにくれてやって。俺たちに残るのはカスばかりだぜ。手間ばかりかかって、意味がねえじゃねえか)
黒蛇党が客船を奪って領主からはした金を要求するのは、今回が初めてではなかった。
この辺りの領主アンドリュー伯もシルバーヴィラゴから落ちる金がどれほど莫大なものかわかっているので、とりあえず客を人質にされれば申し訳程度に払う。
黒蛇党もとりあえず貴族から金をむしりとれればメンツが立つので、それ以上は要求せず、威勢良く子分や周辺の村人たちに分配する。金が尽きる。すると、再び襲う。無限ループである。
(だが、それじゃあいったい、いつになったら俺たちのふところがあったまるんだよ!)
バルバロスの考えでは、もういままでの出来レースじみた略奪は終わりにしなければいけない。
とらえた船の積荷はすべていただき、乗客は奴隷として売り払う。
バルバロスは、いままでにせっせと横流しをして貯めた銭と成功しつつあったサイドビジネスの蓄えを注ぎこんで、ついに領主側を抱きこむことに成功した。乗合船を襲いすぎてもいけない。その辺りのバランスも重要だった。
奴隷商人とも手を組み、獲物を引き渡す算段はすでについていた。
(見てろよ、グレイス。あの女、このすげ替えが済んだら、あいつを俺専用の肉奴隷にしてやるぅ。うひひ、あのむっちりした胸に俺の肉棒を挟ませて、たっぷりそそぎこんでやるっぅううっ。だが、そのためにクーデターは必ず成功させなければならねぇ。だが、ラフィットのやつ。あいつがいる限り、成功のパーセンテージはどうしても低下する)
バルバロスはブラックスネーク号を見やると、背後に茫洋と佇立している男に向かって声をかけた。
「まあ、詳しいことは説明しなくてもいいだろう。エルモ。昔の馴染みで、いっちょ力を貸してくんな」
エルモと呼ばれた五十過ぎの男は、黒の目出し帽から瞳だけをギラつかせながら、マストにもたれかかって腕を組んでいた。両腰には重そうな剣が一本ずつ落としこんである。吹き付ける風に砂色のローブがたなびいていた。
「十年ぶりに人を呼びつけておいて、ふざけた話だ」
「なに、俺とおまえの仲じゃねえか。へへ、礼はたんまりはずむぜ」
「やれやれ。この双剣のエルモも金をもらって人を斬るようになってはおしまいか」
「まあ、そういうなって。ほら、奴が来たぜ」
バルバロスが甲板の向こうを指差すと、そこにはラフィットの巨体が音もなく佇立していた。
「バルバロス。おまえのような腐った男が考えつきそうなことだ。まあいい。どっちにしろ手間が省けたわけだ。そこの用心棒崩れも、とっとと引き上げたほうがいい。今日のオレは手加減できそうにない」
ラフィットのセリフを聞いたエルモが声を上げて笑い出した。辺りで甲板から血の汚れを拭っていた湖賊たちが集まってくる。自然、エルモとラフィットを囲むようにして円が組みあがっていた。
「バルバロス。もう、後戻りはできんぞ」
「は、ラフィット! おめえの相手は俺じゃなくて、エルモだぜ」
エルモの笑い声が、徐々に引き攣るようにかすれていく。その声音は、小さくなるどころかどんどんと大きくなっていく。幾人かの男が両手を耳元に当て脂汗を流し始める。途方もない殺気が、エルモの周囲から膨れ上がってきた。
「おい、ハゲ。なにか勘違いしてるんじゃないか。おまえがバルバロスを斬ることはできない。なぜなら、いますぐ死ぬからだ!」
エルモが甲板を蹴って、唐突に走り出した。船体は波で揺れていたが、真っ直ぐに走り抜ける灰色の塊に、一切のブレはなかった。
その一瞬が勝敗の決め手だった。
ラフィットが剣を抜いて構えると同時に、エルモの身体が虚空にふわりと舞った。引き抜かれた二本の長剣が、両輪を描く。咄嗟にラフィットは剣を抜かせて受けにまわろうとしたが、同時に浴びせられた二刀の圧力に抗しかねて、上半身のバランスを崩した。
エルモの身体。すでに、ラフィットから遠ざかっていた。
エルモは片足が甲板につくと同時に、右手の剣を投擲。ラフィットが払い落とすために剣を斜め上の軌道に乗せかけた時、エルモの身体はすでにラフィットの右脇を走り抜けていた。
「が、あああっ」
エルモは存分にラフィットの脇腹を薙いだ白刃を天にかざす。真っ赤な血飛沫が陽光に輝いた。
ラフィットは口からごぼりと血潮を吐き出すと、ゆっくりとその巨体を甲板に打ち付け絶命した。
「おらああああっ、てめえらが頼りにしていたラフィットのクソ野郎はくたばったぞ! と、いうことはどういうことかわかるか! ああ、レイノルド、どうなんだあっ!」
哄笑しながらバルバロスが、若い湖賊の肩を押した。
「ふ、ふくせんちょ、いやさ、今日から黒蛇党の大将はバルバロスさま、です」
「わかってるじゃねえか! いま、この時からバルバロスさまが、この黒蛇党を仕切る。いいか、俺が首領になったからには、もういままでみたいな義賊ごっこはおしまいだっ。襲った船からは積荷は奪い、女はすべて犯して売りさばく! さあ、この中で死神と黒旗の下に仕える奴は剣をかかげよ!」
呼応するように、男たちは剣を抜き取ると天に向かって突き上げた。男たちの怒号の中で、バルバロスはグレイスの女体をどう弄ぶか妄想しながら股間を堅く屹立させていた。
蔵人は貨物室の樽から出れないまま困惑していた。
「え、ちょっと嘘ですよね。こいうのって、漫画とかだと簡単に外れるもんなんでしょ。ほら、ひと昔まえのアニメーションで、崖から崩れてくる岩の色が一部分あからさまに違うとか。そういう感じで、なんか異世界的なギミックが。……ギギギ、くやしい。外れない」
客船に密航するまではよかったが、出るに出れないとは不親切だ。こころの中で叫びながら、樽の天板部分を押す。だが、微塵も動く様子はなかった。
「なに、なんなのこの不親切設計は。俺は、ドンキーコングが投げるまでこの中に潜んでなきゃいけないわけ? ありえないでしょうが、そんなこと」
蔵人は、無理な姿勢のまま樽の中に長時間居たため、フラストレーションが無駄に溜まっていた。それに、先程から気にしないようにしていたが、小用が近い。つまり、この状態でダムが決壊するとヤバイことになるのだった。
「なにか、なにか突破口が……ちがう、めっ。おまえじゃないの。おまえの出番はうんと先なのぉおおっ。変な液体出ちゃだめなのおおっ」
悩み続けていると、樽の外で扉を開く音と同時に、わめき声が聞こえてきた。
「おい、ようやっと見つけたぜ、グレイス!」
「あんたたちっ」
続けて女の怒声が響く。
「こんなところに隠れていやがったのか。あのバカふたり組が抵抗しやがって。おう、狭い船の中でかくれんぼがいつまでできると思ってんだ。あっちの船行ったり、こっちの船行ったりで、もう二つの船を行き来するのはたくさんだ。おまえも年貢の納めどきだぜ! さあ、おとなしくしろいっ。バルバロス船長がおまえをご所望なんだっ」
「いままで、あたしがさんざん目をかけてやったのに、それがこの仕打ちかい」
「けっ、お高くとまりやがって。おまえが船の中で風切って歩けたのも、そもそもが先代の娘だったってことと、あのラフィットの野郎がいたからなんだっ」
「そうだ、そうだ! だいたい、女風情が湖賊の大将なんて聞いたことないぜっ。おめえはせいぜいその、ぷりぷりした身体を使って俺たちを慰めてりゃいいんだっ!」
「おい、手ェ出すのかよ。マジぃぜ、バルバロス船長にバレたらブッ殺されちまうよ」
「いいんだって、どうせ船長に引渡しちまえば、俺たちのところにまわってくることは二度とねえ。それなら、行きがけの駄賃で、ここで頂いちまったってどうってことねぇって」
しばし、外の世界が無言になる。蔵人が、樽にぴったり耳をつけると、複数の男たちの鼻息だけが荒く聞こえた。
「おまえたちなんか、得物さえあれば」
「だいじょーぶ、だいじょーぶだよ、グレイスちゃん。いまから俺たちがたあーっぷり気持ちのいいことしてあげるからねぇ」
「くひひっ、見ろよ、この白い肌。安い淫売なんかとは比べものにならねえぜ」
「あたしにさわるなっ」
「おおう、やっべ、汁滲んできちゃった」
「やめろっ、そんな汚いもの見せるなっ」
女の声に恥じらいが混じる。聞いた男をゾクゾクさせるような、色っぽい声だった。
「おうおう、出戻りのクセにカマトトぶって。旦那以外の肉棒を味わったことがないなんて、もったいねぇ。いまからしっかり俺の形にあうよう、ハメまくってやるよぉお」
なんという、レイ―プ現場。
蔵人が外のやりとりだけでヌけるかどうか、パンツの中に手をやった瞬間、ぐらりと横揺れを感じた。誰かがぶつかってきたのだ。
樽は大きく転がると、部屋の一番端にぶつかって止まったのだった。
や、やった! 蓋が外れたんだ!
蔵人が、のそのそと樽から顔を出すと、ひとりの女性にのしかかっていた三人の男たちと視線があった。
一様に真顔。
蔵人は、横向きになった樽からゆっくり這い出ると、半ば硬くなって飛び出していた陰茎を下穿きに仕舞いこみ、咳払いをした。
「まったく、ちょっと失礼じゃないかね、君たち」
「誰だぁああっ、てめえはっ!」
「ふざけんなっ!」
「殺すぞっ!」
三人の湖賊が怒声を発した。
「わかった、わかった。早くしないと、わたしの息子が風邪をひいてしまう。さ、リテイク。続けて」
蔵人は、貨物室の穀物袋に座るとグレイスに声をかけ、男たちに鷹揚な態度で先を促した。
グレイスは、奇妙に放心したように蔵人の顔をまじまじ見ながら、右手で自分の目蓋をこすっていた。
「てめぇ、乗客か。いや、密航者だな。乞食野郎が。どっちにしろ、運が悪かったな。死んでもらうぜ」
「いや、いってる意味がわからない」
男は、半ばしなびた陰茎を仕舞うと、置いてあった曲刀を持ち上げ、柄の部分に唾を吐いて握り手を湿らせた。
「ちっ、もうめんどくせえ。死なすわ」
男の顔に険が混じる。
「おい、おまえ。逃げるんだっ!」
グレイスが甲高い声を上げるが、すぐに背後の男がかき消すように怒鳴り声を重ねた。
「うるせえ、グレイスっ。てめえはこいつをぶっ殺したあと、たっぷりかわいがってやるからよ」
男がグレイスの髪を引っ張ると、グレイスの赤毛がぶちぶちと音を立てて抜けた。
蔵人の瞳がわずかに陰る。穀物袋から立ち上がったときに、外套の前はぴたりと閉じられた。
「惜しむような命じゃあねえが、女の命を弄ぶようなやつらにゃやれねえなぁ」
「ああん? うるせー奴だっ! 俺たちゃお頭に引き渡す前に、ちょっと味見をさせてもらうだけだ。くたばるのはこの女じゃなくておまえだけだ!」
「女の命ってのは、髪のことだよ」
男が剣を上段に振りかぶった。蔵人は、風のように駆け寄ると、外套の中からすでに引き抜かれていた刃が直線的な動きで飛び出した。
「ほぐあっ」
長剣の切っ先は、真っ直ぐに男の喉元を抉ると、鮮血を飛散させた。
真っ赤な血痕が喉から胸を濡らし、男は泳ぐようにもがくと船板に倒れ込んだ。
「て、てめええ!!」
グレイスの髪をつかんでいた男が吠えた瞬間、蔵人は高々と跳躍した。
長剣が斜めに軌道を描く。
男は、顔面の半ばを断ち割られると、脳漿を辺りに撒きながら苦悶の声を上げて仰向けに倒れた。
残りの一人は逃げようと背を向けて走り出した。
それでも、蔵人が背後から男の首筋に腕を廻すのが早かった。
男は、背中から深々と長剣を胃袋に突き入られると首を左右に振りながら、悲鳴を上げて絶息した。
「ん。どうしたん」
蔵人が刃を懐紙で拭うと、目元まで紅に染めたグレイスが恥じらうように近づいてきた。
「とりあえず、礼はいっておくよ。あたしは、グレイス。もっとも、あんたが乗客でも密航者でもついてないことにかわりないけどね」
「ふ、樽に入っていた時点で、積荷ということにしておいてもらおうか」
蔵人が渋くキメると、グレイスは口元に手を当て、あは、と白い歯をこぼした。
見た格好よりもはるかに純朴な性格だと、蔵人は思った。
「それにしても、あんた、すごい手並みだね。ぱぱっと三人も片付けて眉一つ変えない、冷静さ。よほど凄腕の剣士なんだろう。その、よければ名前を教えてもらえないかい。いつまでも、あんたじゃ呼びにくいし」
「んー、とりあえず、ひとつ教えてもらってもいいかな」
「なんだい」
「今日は、生ゴミの日かな」
蔵人はそれなりに動揺していた。




