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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第1章「遥かなる旅路」
25/302

Lv25「蒼き宝石」




 クリスタルレイク。

 冒険者の街シルバーヴィラゴから向かって東側に存在する巨大湖である。

 湖面の透明度はおそろしく澄んでいて、空の青を溶かしこんだ輝きは、宝石のように美しい。

 別名、蒼の宝石と呼ばれていた。

 ロムレス第一の面積を誇るこの湖の広さは、約四十万平方キロメートルで日本総面積をすっぽり入れてもお釣りがくるほどだ。

 湖の東南側には高度八千メートルを誇る竜王山がそびえ立ち、西北方面にはダークエルフの領土である、入らずの森がぐるりと覆っている。

 つまり対岸のシルバーヴィラゴへ行くには、水路を進む方法以外に、異民族の蛮地を進むか高山を踏破するかの二種の選択肢しか存在しないのであった。

 入らずの森は、文字通り入ってしまえば二度と戻れぬといわれる蛮族の土地であり、竜王山は強力な怪物が猖獗を極めている危険地帯である。

 好んでこのふたつの道を選ぶ人間は存在しなかった。

 自然、人々は水にたずさわって生き抜くことを強いられた。

 古来より、陸路を行くよりも水路を使って移動する方法が何倍も有利である。

 この湖にも、はじめは廻船業者が商売を始め、それに付随して、船乗り、宿屋、飲食業、賭博屋、売春婦、掃除婦、小間物屋などあらゆる階層の人間が集まり、ひとつの集合体としての街を構成していった。

 湖畔の周囲には必然的に大小の港町が誕生し、その中で、もっとも大規模な港湾都市がこのセントラルリベットであった。

 セントラルリベットの中央通りには、宿屋が多数点在していた。

 宿屋の周囲には、王国各地から集まってきた旅人たちが、早朝に出るシルバーヴィラゴ行きの船を待つ間にぽっかりと空いた夜の時間をつぶすための酒場が無数に存在していた。

「お客さん、もうそれくらいにしておいたらどうなのさ。明日の朝は船で早立ちするんでしょう。起きれなくなったらどうするんですか」

 とある場末の酒場の一角で、ひとりの男が酔いつぶれていた。

 歳の頃は二十歳前後だろうか、長く伸び放題な髪が肩までかかっていた。

 真っ黒な外套で全身をすっぽりと包んでいる。それは、長い旅の道中で、塵埃にまみれて色が薄れかかっていた。

 男の顔は浅黒く、驚くほど眉が太かった。全体的に面長で無精ひげが木こりのように顔全体を覆っていた。頬は削いだようにこけている。鼻はがっしりと男らしい部類だが、眠たげな瞳がなんなくとぼけた雰囲気を醸し出していた。上下の麻でできた服は汚れきっているが、腰に落とし込んだ長剣の鞘だけが新雪のように白く異質であった。

「うるせー、おかわりだボケが。とっとと持って来い、このバーゲンセール女が」

「ばーげんせーる? あーはいはい。もうそろそろ看板ですからね、うちは。とっとと宿に帰ってくださいな」

 男が聞き慣れない言葉を使ったが、所詮は酔っぱらいの繰りごとである。

 酒場の娘は、まるで意に介した様子も見せず、男のテーブルから食い散らかした食器を下げようと近づくと小腰をかがめた。

「んきゃあああっ」

 甲高い悲鳴が娘の口からもれる。残っていた周りの酔客がいっせいに声の方角に振り返ると、汚れた食器が音を立てて床に音を立てて散乱していた。

 娘が近づくと同時に男の手が女の尻を撫でたのだった。

「尻の張りが悪いな。少しは鍛えたほうがいいぞ」

 蔵人は酒瓶を逆さまにすると大口を開け、最後の一滴まで飲み干そうと舌を伸ばす。瞳は酒精が完全にまわっており、うさぎのように紅に染まっていた。

「おとーさあんん」

 娘は泣き喚きながら、お盆を抱えたまま調理場に駆け込んでいった。

 数分後、調理場から娘をキズモノにされたと勘違いした主人が、屈強な五人の男を引き連れて飛び出してきた。

 彼らは、酔いが回ってほとんど動けない蔵人を存分に殴る蹴るして溜飲を下げたあと、ゴミクズのように表の通りへと放り出した。

 夜が深まったとはいえ、港町の宿場大通りは、火を落とさず営業をしている店が多数あった。通りをゆく人々は、これからもう一軒ハシゴするか、それとも色町に繰り出すかで笑い、さざめきあっていた。

「おい、あの馬車見ろや。随分豪勢じゃねえか」

「おう。あれは、確か豪商シャイロック商会の持馬車だそうだ。見ろよ、ちょっとしたお貴族さまってとこか」

「バカいうな。いまどきの貧乏貴族じゃこれほどのもんはあつらえやしねえよ。八頭立ての馬車が途切れもねえ。聞いた話によると、このどれかに、会頭のリドリー・シャイロック本人が乗ってるって話だ。なんでも、今夜の特別船でシルバーヴィラゴに向かうらしい」

「さすがシャイロック商会の会頭ともなれば張り込み方が違うわな」

「オレたちのような貧乏人と違って、船底にぎゅうぎゅう詰めにされるなんてこともねえだろうし。ちきしょう、うらやましい限りじゃねえか」

「あの、ズラズラ続く兵隊たちは、みーんな商会お抱えの傭兵ってわけか」

「いんや。聞いた話によると、シャイロック商会は、そんじょそこらのお店とは違って、いちいち期間決めの傭兵なんぞ使わずとも、子飼いの私兵を五千から常時養ってるらしい。下手な野盗や貴族が手ェ出せば逆に皆殺しにされちまうって寸法よ」

「おい、続けて随分艶のある馬車が続いてるじゃねえか。なんだい、ありゃ?」

「ありゃ、商会が各地で集めた高級奴隷がわんさとつめられてるらしい。近々シルバーヴィラゴでかなり大きな奴隷市が立つからな。どれもこれも、その辺りのお姫さまじゃかなわねえくらいの美人ぞろいらしいぜ」

「へー、いったいひとりいくらくらいで買えるものなんでえぇ。おいらも、ウチのカカァにゃ飽き飽きしてるところだ。ひとつ土産に買って帰るってのも乙なもんじゃねえか」

「まったくおまえは、ガキの頃からのなじみだが、頭ん中は変わらずからっぽだなぁ。高級奴隷はどんなに安くても、最低百万(ポンドル)はくだらねえって話だ。オレたちに手の出るシロモノじゃあねえよ」

「ひえええっ。そんだけありゃ、高級女郎が死ぬまでに好きなだけ買えるぜ。三百(ポンドル)出せば、切店で一突きは遊べるってのに。いったい、どんなお大尽がそんな道楽につぎ込むってんだい」

「ま、オメエさんに買えるのは場末の女郎か、それとも中古の値が安い使い古しの奴隷くらいだろう。いいトコ三十近い年増だな。商会の奴隷はオレたちにゃとうてい手の届かねえもんなんだよ。話のタネに顔のひとつでも見せてくれりゃあ、さいわいだがなぁ」

 旅人たちの噂話を尻目に、大通りの石畳で造られた道を、シャイロック商会の馬車が何十と船着場に向かって進んでいく。ロムレスの規定では、夜間に湖を渡ることは通常許されないのだが、商会の力の前ではあって無きのごとくであった。

 八頭立ての巨馬が引く馬車は、それぞれ豪奢な彫り物が施されており、模様には銀や宝石が色とりどりに散りばめられている。庶民なら、かけらを売っただけでも死ぬまで食っていけそうな富が凝結していた。馬車の一台一台には、鋼鉄の鎧で武装した兵隊たちが大身の槍と盾をかざして整然と守っている。整然と隊伍を組んだ彼らは目を光らせて緊張をあらわにしていた。

 不意に、先頭の馬車が歩行を中断した。どうやら、道の真ん中に酔いつぶれている男がいるのを発見したらしい。

 男は、道の真ん中で両手を広げて熟睡している。街の人々は、男の暴挙に身をすくませながら、それでも視線だけは好奇心を輝かせて、成り行きを見守っていた。

「どうしたのですか、急に道の真ん中で止まったりなどして」

「申し訳ございません。どうやら酔漢が道を塞いでいるようでして。すぐさま排除します」

「いやいや、乱暴をしてはいけませんぞ。どんな人間が、いつ我が商会のお客さまになるかわかりませんからな」

「は、心得ました」

 ロムレス一の大富豪にて、商会を一からつくりあげた豪商リドリー・シャイロックは、ゆったりとした口調で鷹揚にはやる手代を諭した。

 やれやれ。

 何しろ、彼ら若い手代はリドリーの前に出ると、いついかなる時も、自分の功績を見せようと先走るきらいがある。リドリーの名は知らなくても、姓の方であるシャイロックをロムレスで知らない者はいなかった。故に、これ以降、彼のことはシャイロックと表記する。

 今年で、齢五十五になる彼は、ふうとため息をつくと、馬車の中で静かにしている数人の女性に視線を移した。彼女たちはいずれも粒ぞろいの美女ばかりで、当然奴隷商人であるシャイロックの商品である。自分と同じ馬車にわざわざ載せている彼女たちは、中でも買い手の決まった特別だった。

 ただ、ひとりを除いては。

 法律により、売買奴隷を王侯貴族しか乗れない八頭立ての馬車に同乗させることは許されていない。ゆえに、彼女たちは形上はシャイロック家の使用人ということになっており、全員お仕着せの服を着せられメイドの風を装っていた。

「なにか気になりますか、ポルディナ」

 中でも、ポルディナと呼ばれた亜人の少女の容姿は特別際立っていた。

 戦狼族(ウェアウルフ)特有の犬耳と、尻に生えているふさふさした尻尾以外はほとんど人間族と同じだった。

 上品な栗色の髪は肩口で切り揃えられていた。

 顔立ちは全体的に品良く整っており、やや冷たすぎる美貌に凄みがあった。

 大きな瞳は黒真珠のように輝き、吸い込まれそうなほど美しい。雪のように白い頬に、健康的な赤い唇が映えていた。張り出した胸は大きく白いエプロンドレスがやや窮屈そうである。細く整った眉が意志の強さをあらわしているように見えた。

 ポルディナが売られた経緯はやはり民族間による戦争が関わっていた。

 奴隷であるといっても、一流品はやはり手のかけ方が違う。シャイロックが馬車に同乗させている彼女たちは、一流の礼儀作法から家事や社交術、文字の読み書きから夜の奉仕まで徹底的に叩きこまれた文字通りのワンオフ品である。奴隷として売買された女が購入側に愛想よく振舞えといっても無理があるだろうが、時間の経過と共に心を開いていった他の娘と比べて彼女は徹底的だった。

 シャイロックは、商会においては王と同等の権力を持っていたが、彼女のこころをとうとう最後まで開かせることができなかった。

 商品に最後まで責任を持つ彼としては、予想外の結果であるといえる。このまま、彼女を奴隷市にかけたとしても、購入相手にまったく心を許さなければ、本末転倒である。

 たいていの女は来るところまで来てしまえば、腹を据えていかに主人と仲良くやっていこうか考えるものだが、ポルディナは違った。

 シャイロックは思う。おそらく彼女は、自分が心の底から認めた人物でなければ魂から忠誠を尽くして仕えることはないだろう。つまり、シャイロックは己の奴隷商人としての誇りにかけて彼女が認めることのできる人物を探し出さなければならないのである。

 それは、すなわち彼女が仕えるに足る高潔さと財力の両者を兼ね備えている必要性があった。これから行う営業はほとんど利道から外れているといえる。

 だが、中途半端な状態で手塩にかけた逸品を売り払うことは、己の存在に懸けて容認できないのであった。

 ポルディナはたぐいまれなる美貌と高い知能、おまけに強い意志を持ってこちらの教えた技術をすべて習得し終えた。すべて受動的なものだったとしても。意思のない人形ではない。だが、彼女が外界に関して興味が薄いことも事実であった。

 その彼女が、はじめてなにかに強く興味を惹かれた素振りを見せている。

 シャイロックは、ひとつこの少女に小石を投じ、波紋を広げてみたかった。手ずから馬車の扉を開けて、うながす。

「気になるなら、自分の目で確かめてみたらどうですか。案外、簡単に見つかるかもしれませんよ。あなたの探しているものが」






 会頭はなにか勘違いをしている。

 ポルディナは小鼻を動かしながら馬車のタラップを降りた。

 湖面の冷気を運んだ風が吹き渡ってくる。頭上の白いヘッドドレスを手で押さえながら、臭気の元に近づいてみる。

 そこには、まるでボロ雑巾のようになった男が酩酊状態で低くうなっていた。

 これだ、さっきから気になっていたのは。

 戦狼族(ウェアウルフ)の嗅覚は、人間族の百万倍に達し、とりわけ哺乳類の汗や体液などにある酸臭については敏感だった。

 ポルディナは愚かではない。会頭が自分になにを期待しているか完全に理解していた。

 だが、ダメなのだ。なにひとつ、こころが動かない。自分を買おうという何人もの貴族に引き合わされたが、どれもいまひとつピンとこなかった。礼儀作法から、夜の奉仕までひと通りレクチュアを受けているが、心底尽くせるかと聞かれれば、否としか答えようがなかった。

 ポルディナの部族は、王軍との戦闘に敗れ、厳しい賠償条件を呑まされた。ポルディナを含め、多数の女が奴隷として叩き売られ、金銭に変えられたのだ。人間そのものに対しての怒りや不安感は極めて大きいが、シャイロック商会に売り払われたのは僥倖だったといえよう。

 村に居た時よりも、はるかにすぐれた教育を受けることができ、たぶん一生口に入らなかったはずの美食を口にし、一国の王女が着用するような高価な服を着回すことができた。

 奴隷に堕ちた自分風情がここまで厚遇されたのは、自分という商品に付加価値を付けてより良い値で売るための努力に過ぎないと分かっていても。

 奴隷に意思などなく、売られた先の主人にすべてを託して生きていけば良い。

 自分で主を選びたいなどとわがままをいえば、バチが当たる。

 ポルディナは、目の前に転がっている浮浪者のような男を見るにつけ、どうしようもなく憐憫の情が湧き上がってくるのが不思議でならなかった。絹の服を着て美食に舌鼓を打ち、なおかつ奴隷の分際で主人まで選定しようとする自分。おそらくは、なにも持たないが故に自由である目の前の男。

 会頭がいった面白いものとはこのことだろうか、と思う。大体が変わり者だし、彼は世界に夢を見すぎている。

 ポルディナは別にこの男に興味があって外に注意を向けていたわけではない。

 とんでもない臭気へ反射的に反応してしまっただけだ。

 だが、あの少年の心を持った商売人は、どんなささいなことにすら意味あいをつけて夢想したがる。

(とりあえず、会頭の気がすむように振舞ってみましょう)

 ポルディナは、浮浪者に歩み寄ると微妙な距離感で様子をうかがった。背後には護衛の兵士が顔をしかめながら佇立している。夜とはいえ、街の灯りで十分に視界は確保できた。

「ん、んんん、んふふ」

 男は、泥酔したまま寝言を呟いている。力が有り余っているのか、仰向けになった股間が硬く屹立している。

 実に楽しそうな寝顔だった。

「ひ!」

 ポルディナは悲鳴を上げそうになり、咄嗟に口元を両手で抑えた。

 男は寝返りを打つと、ポルディナの右足へと抱きついてきたのだ。

「おいいいっ、ふざけんなあぁ! この腐れ浮浪者がぁあっ! ウチのモンに気安く触れるんじゃねえ!!」

 顔を真っ赤にした若い護衛の兵士が、槍の石突きで打ち据えようと腕を振り上げる。

「待ってください」

 ポルディナは、咄嗟に声を出して兵士の動きをとめた。

 兵士はどうして止めるのかと顔をしかめるが、ポルディナと視線が合うと夜目にもわかるほど頬を紅潮させた。

「美しくて、気立てもいいなんて、ちきしょう。犯罪だぜ」

 兵士の小さなつぶやきをポルディナのすぐれた聴覚がとらえる。

 正直どうでもよかった。

 ポルディナは朝からの長距離移動で疲れきっていたし、早く馬車に戻りたい気分でいっぱいだった。兵士に頼んで、水差しを用意させると、かがみこんで男の手を足から引き剥がす。自分でも、なぜこのような酔漢に丁寧な対応を取っているか理解できない。

 いや、故郷の父のことを知らず、思い出していたのかもしれない。

 ポルディナの父は、生前、弱いくせに必ずつぶれるまで飲まねば気がすまない、極度の酒好きだった。母と力をあわせて酔いつぶれた父をよく寝所に運んだ記憶がよみがえる。     

 種族も歳もまるで違う男を見ているうちに、自然に憐憫の情が湧いたのだろうか。自分でも不思議だった。正直なところ、売却されてから男性に興味を持ったのは初めてだった。

「ん、ぐおぅ」

「さ、飲みなさい。少しづつです」

 男の頭を起こして上げると、口元に手ずから水差しを寄せて飲ませる。青年の顔は、汚れてはいたがどことなく愛嬌のあるものだった。

「もうそれぐらいで、いいにしやしょうや。ほら、旦那がお待ちですぜ」

 兵士の顔が嫉妬で醜く歪む。

 ポルディナが、水差しを置いて立ち上がろうとすると、先程まで熟睡していたはずの男が、バネじかけの人形のように上半身を起こした。

 なにをするのか、とポルディナは考える余地もなかった。

「っ!?」

 男はあたりまえのように顔を近づけると、ポルディナにくちびるをあわせた。

「んんんっ! んんむっ」

 ポルディナは身をよじって逃げようとするが、男のたくましい両腕は背中にがっしりとまわされて固定されている。酒精の匂いと、混乱と、羞恥心が一挙に襲ってきた。

 戦狼族であるポルディナの膂力は通常の人間族の男など及びもしないほど強靭である。だが、この時ばかりは不思議なくらいに力が抜けて、身体が蕩けるようにふにゃふにゃだった。

「うおおおおっ!! なにやっとんじゃああ、このチンカスがあああっ!!」

 拘束は一瞬で解かれた。怒り狂った兵士たちが男に殺到すると、猛烈な勢いで殴り始めたのだ。

「死ねええええっ!」

「貧乏人がっ、貧民がっ、最下層民がっ、ドブネズミがっ!」

「おらああっ、ハラワタ引き裂いて車輪に巻きつけてやるぅうっ」

 屈強なよりすぐりの男たちが、槍や盾を振り回しながら酔漢をメッタ打ちにしている。ポルディナは口元をおさえながら走り出すと、馬車のタラップを駆け上がって、元の席に座り込む。すぐ横では、会頭のシャイロックが膝を打ち鳴らしながら、さもおかしそうに哄笑していた。

「いやー笑った、笑った。実におかしい。ここまで笑ったのは何年ぶりでしょうか。いや、今夜は最後の最後でいいものを見せていただきました」

「会頭、笑い事じゃないですよ。ポルディナはウチが手塩にかけて育て上げたいわば娘みたいなもんですぜ。それをあんな酔っ払いに」

 同じ馬車に乗り込んでいた、番頭のアントンがくちびるを突き出しながら不平を漏らす。

 アントンは、商会一のキレ者でシャイロックの懐刀と呼ばれている。今年で三十五になる油の乗り切った年齢だった。

「今日のような遊びをシルバーヴィラゴで度々されちゃあたまりませんよ。お店に傷がつくばかりじゃすまされません」

「あいも変わらず堅いことばかりをいいますね。アントン、おまえさんにはまだ、少し遊びが足りませんね。そんなことじゃあ、まだ一人前になったとはいえませんよ」

「会頭、またそういう屁理屈を。あたしゃ、商いをやってる時が一番楽しいんで。そもそも、高値のついてる娘たちを、気分転換だなんだでポンポン表に出されちゃ困りますよ」

「おいおい、売り物とはいえ、彼女たちだってたまには外の空気を吸わなきゃ気がおかしくなってしまいますよ。なあ、おまえたち」

 商会の主直々に聞かれ、周りの女たちは苦笑を浮かべる。パッと見は、美しい側仕えにしか見えないが、彼女たちの首には奴隷であることを示す、シャイロック製の燦然たる豪奢な首輪がきちんと嵌めこまれて、夜の淡い光を反射していた。

「おや、怒りましたかな。ポルディナ。はは、でももしかしたらさっきの男が、あなたの主人になるかもしれませんね」

「会頭!!」

「おぉ、怖い」

 間髪入れずにアントンの怒声が馬車内に響き渡る。これではどちらが主で、どちらが雇われものかわからない状態だった。

 アントンは若い手代をどやしつけると、早々に馬車を出させた。

 ポルディナは無表情のまま、くちびるを指先でおさえ、窓の外に流れる景色を見入っていた。湖畔が近づいてきたのか、水の匂いが濃くなった。

「ね、ポル。ハンカチと水差し、いる」

 ポルディナの真横に座っている娘が、気の毒そうに声をかけた。が、目は笑っている。彼女たちは所詮奴隷女であるが、それぞれがロムレスの大貴族へと身請けが決まっていた。

 唯一、買取先が決まっていないのはポルディナひとり。

 奴隷は奴隷でそれぞれの首輪自慢をする。たとえ、それぞれの事情があって売られたにせよ、女として低く値をつけられるのは我慢ができない。彼女たちは自分がひときわ美しいということに誇りを持っていた。

 美しい容姿、美しい仕草。一流の礼儀作法に、夜の奉仕の技術。

 とかく差をつけたがる彼女たちにとって、ポルディナは敗北者であり、気遣って見せたのも勝者の余裕だった。

 ポルディナは、首を横に振って辞退すると、ふたたびくちびるを指先でそっと触れて、自分の初めてを奪った男の顔を強く脳裏に刻みつけた。






「ぼうええええっ」

「こらーっ、ウチの裏ではくんじゃねぇっ、この酔っぱらいどもがああっ」

 蔵人は、こめかみの血管をぶちきれそうにして怒鳴りつけている中年男を無視して、石壁に片手をついて、胃の内容物をすべて吐き出した。

「ここにはくなって書いてあるだろうがっ、このろくでなしがっ」

 中年男が、壁の張り紙に指を指して吠える。蔵人は、真っ赤な目をこすりながら張り紙に目を凝らすが、やがて両手を頭上に突き上げへらへらと笑った。

「わ、ワリー。俺は字が読めねえんだ」

「そうだと思ったよ。さ、せめて自分の吐いたもんくらい始末していきやがれっ」

「あー、うん。そうするわ」

 蔵人は、中年男に手渡されたモップとバケツを受け取ると、自分の反吐の始末にとり掛かった。

「にしても、身体中がいやにズキズキすんなあ。あの店で、変なモンでも飲まされたか? ったく、いきなり目ェがつぶれたらどうしようか。ムカつくぜ、ファンタジー世界の分際で」

 蔵人は、先ほどの奴隷娘とのやりとりをすべて忘れていた。

 いわゆる泥酔である。

 だが、勇者の能力は蔵人の肝臓にも及んでいた。すなわち、酒精のアセトアルデヒドを猛スピードで分解していくのである。飲み会ではヒーローになれるが、飲み屋にとっては金の続く限りいいカモであった。

「さーて、吐いたらスッキリしちゃった。そろそろ下の方もスコーンと一発抜いちゃおっかな」

 蔵人は、両腕をワキワキさせながら、色町らしき場所へと移動していく。

「よーし、まーだ銭は余裕があるな。船賃も残しとかないとな」

 銅貨と銀貨をじゃりじゃりいわせながら袋にしまいこむと、さっそく辺りを物色し始めた。

「あら、こちら男前なお兄さん。楽しんでかない? アタシの舌使いはロムレス一よ」

「ねーん、こんだけでいいよん。サービスするから、寄ってって」

「きゃっ、かっこいいね、君。あたし、お兄さんみたいに男らしい方がタイプなの! はいはい、男なら決めた決めた。ムーランルージュのイリスが天国に連れてったげる!」

 蔵人は、道行く売春婦に両手をとられながら、顔をゆるみっぱなしにさせてフラフラと千鳥足のまま店を冷やかしている。女たちは、ひとりでも客をとるためには手段を選ばない。中には、道の真ん中でしゃがみこみおしゃぶりをはじめようとする豪の者もいる。蔵人にとっては、ここが探し求めていた別天地だった。

「どぅうっふふ。ここぞ、女の迷宮。俺は、迷宮を牛耳る王になるのじゃ」

 危うくこの物語の真ルートが解放されそうになったとき、目の前で大きな騒ぎらしきものがはじまった。

「おいおい。そりゃねえだろ、坊さんよ。さんざん遊んどいて、銭が足りない? 舐めとんのか、ワレぇこらっ!」

「べ、べべべ別に拙僧は最初からタダ乗りするつもりなどは毛頭なく、ただ思っていたより楽しさのあまり弾けすぎちゃってー足りなくなっちゃった、みたいな。てへり」

「てへりじゃねえっ!」

「あいいっ!?」

 スキンヘッドは客の腹におもいきり前蹴りをぶち込んだ。客は、鞠のようにポーンとすっ飛ぶと、塀にぶつかって崩れ落ちる。

 女郎屋の前で、用心棒と客らしき男が争っていた。

 大柄でスキンヘッドの男が、僧衣を纏った四十くらいの中年男を殴りつけている。蔵人は、激しいデジャヴュを感じた。

 僧侶は痩せぎすで背丈は中くらい、濃紺色のローブをまとい、腰の部分はひもで簡素に結わえている。頭には白い帽子をかぶっていた。

「なんか、やな予感。って、こっち来たよ」

「ひいいっ、そ、そうです。お金は、この僕の友人が払いますっ、払いますからああっ」

 僧侶は蔵人の腰にすがりつくと、追いすがる女郎屋の用心棒にそういい放った。

「おいあんた、ふざけたこといってんじゃ――」

 蔵人が腰を華麗にスイングして僧侶をはじき飛ばそうとしたとき、彼は顔面のあらゆる穴から体液を出して哀願した。

 それがロムレス聖教シルバーヴィラゴ教区、司教マルコ・ベルナールとの最初の出会いだった。






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