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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第11章「トーナメント編」
243/302

Lv243「俺の賃金を超えてゆけ」




 ――父は泣きながら許してくれすまないといいました。

 ジュディ――姓は必要ないだろう。彼女は、銀貨十二枚である富裕な商家に奴隷として売られたのだから。

 十四歳である彼女を買った小麦商人のジョルダン・マスカールは取り立てて異常性癖をあげつらうほど性格に瑕疵のある人物ではなかったが、それでもジュディが商家の納屋でマスカール家の資産となる証の焼印を右肩に印せられたときは、涙が出るほど憎らしかった。

 ジュディは下級貴族の生まれである。生来、家は貧しく、病がちな父の薬代を得るために身売りしたのは、このシルバーヴィラゴの街では特に珍しい話ではなかった。

 それでも、ひととおりの礼儀作法を身につけた彼女が、ほかの無教養な奴隷と同じく、家畜小屋のような場所で寝起きし、日々雑用に追われ、夜毎、主の性欲を満たすため枕元に侍るのは屈辱でしかなかった。

 ジョルダンは平凡な中年男であるが、金は唸るほど持っていた。ジュディは、主が申し訳なさそうに身体に触れてくる際、徐々にそれをなんとも思わなくなってゆくことに、ある日愕然とした。

 だが、奴隷として堕ちた自分は、もはやどうにもならない。日々、心が虚ろになってゆくのを、もうひとりの自分がどこか冷めた目で見ているのを感じ、ああこれはいよいよかな、と自然に薄ら寒い笑みが口の端に表れはじめたとき、あの事件が起きた。奴隷解放同盟と名乗る者どもの一斉蜂起だ。

 神さまは自分のことをお見捨てにならなかったのだ。喜色を浮かべるジュディとは対照的に、ほかの奴隷たちの反応は皆無に近かった。

 皆、この機に乗じるという覇気がないのである。それもそのはず、十数人いる男女のほとんどが、おしなべて、三十代、四十代ばかりで、彼らは現在の境遇にそれほど不満を持っていなかったのだ。

 ジュディは、やはり貧しくても貴族の端くれであり、彼ら彼女らよりもはるかに上質な生活に慣れていた。そう、ジュディにはわからなかったが、小麦商人ジョルダンの奴隷に対する待遇は悪いものではない、むしろ手厚すぎる部類だった。

 病気になれば作業を休ませてもらえるし、きちんと医者にも見せてもらえる。部屋は粗末であったが、一応の仕切りはあり、主人が許せば奴隷同士夫婦になることも許され、子供が生まれれば生活に必要最低限な物を買う祝い金も与えられていたのだ。

 そもそもが、奴隷に身を落とすような人間が、いい歳をして世間に放り出されても食ってゆく術がない。脱走奴隷を使うようなまともな商家はおらず、せいぜい食うに困って安い犯罪を行い、城の兵士や騎士団によって屠られるのがオチなのである。

 だが、ジュディにはそれがわからなかった。彼女は、主の逃げ去った屋敷にやってきた革命戦士たちの甘っちょろい妄想を鵜呑みにして、屋敷を逃げ出すことに決めたのだった。彼女は声を枯らして仲間たちに逃亡を説いた。が、同調するものは、ひとりもいなかった。

 逃げたいがひとりではやはり怖い。人間とは群れで生活する生物である。己の望みが強固に定まっていても、同調者がゼロではなかなか踏ん切りがつかない。

 その上、ジュディの性格や生まれもそうであった。貧しいなりに、まだ実家に金が余裕があった頃に生まれた貴族の彼女は、己の意思でなにかを決断したことは今まで一度もなかった。暗い小屋のなか、むしろジュディを非難するような目が、一斉に突き刺さってくる。

 なんで? なんでよ! みんなだって逃げたいっていっていたじゃないの。

「わたしもゆこう」

 ゆらりと、ひとつの影が動いた。ジュディはその場で旗幟を鮮明にした女を目にして、満面の笑みを浮かべた。

 彼女は剣闘奴隷プリヘリヤ。歳は、たぶんジュディより一回り上であったと記憶していた。彼女は、主が宴席で客人をもてなす際に、他家の奴隷や猛獣と殺し合いをさせられる「かわいそうな存在」としてか認識していなかった。

 プリヘリヤの容姿は悪くない。いや、奴隷のなかでも群を抜いてた。聞けば、ジュディが買われる前は、彼女が主の寵愛を一身に受けていたと聞いた。

 そもそも、妾替わりにする比較的若い女奴隷は、ジュディとプリヘリヤのほかにはいなかったのだ。プリヘリヤは母屋の武器庫から盗み出した長剣で、ジュディの首輪をいとも容易く両断した。革製のそれがボロキレのようにポトリと落ちたのを目にしたとき、じんわりと涙があふれた。

 やっと、ここから出られる。そのときばかりは、これからやってくるであろう苦しみのことなど微塵も思い浮かばず、ただ、光に包まれた外の世界しか見えなかった。






 蔵人は額に汗を浮かべながら、銀馬車亭のテーブルを懸命に拭き掃除していた。黒く艶のある年季の入ったそれは、夜毎のご乱行により酒精と脂が染みついている。

「ごーしごしごし。うし。綺麗になった」

「あら。珍しいじゃないクランド。なに、お掃除してくれてんの?」

 蔵人が背後をちらりと見やるとヘルプタレントであるマーヤが相変わらず男心を誘う格好でケタケタ笑っていた。彼女はレイシーの友人で、主に店を離れなければならなとき、ほぼ経営を一手に任せていた。その分給料はたっぷり支払っているのだが。

「うん。このテーブルを残らず綺麗にするとレイシーが十P(ポンドル)くれるのだ」

「なにそれー。ガキのこづかいじゃあるまいしー」

「近頃、小遣いを制限されててな。笑うなよ、こっちは死活問題なんだから……」

 蔵人はダンジョンから戻った次の日に、打ち上げとして野放図に金を使ったおかげでネリーに資金を凍結された。これでは、外に出ても茶の一杯も飲めない。

「ふーん。で、レイシーは?」

「上で顔作っとる」

 店に出るとき、レイシーの化粧は濃い目である。

「あ、そ。ね、ねね。今、ヒマ?」

「いや、説明したばっかだろ。これからだな、店の準備がだな」

「いいじゃんいいじゃん。そんなのぉ。ちょっと、こっちでお話しようよ。うふ」

 テーブルに腰かけていたマーヤは胸がほとんど半分見えている露出度の高いドレスをひらひらさせながら、とうっと飛び降りた。もの食う場所にケツを乗せるとは無作法なやつう。

 いや、むしろのそのデカ尻を僕の顔の上に乗せてください、ハァハァと思いながらも手にした布巾を、足元のバケツへと叩き込んだ。

「うふ、じゃねーよ。おまえもちっとは手伝えよ」

「えー。だってクランドがやってるじゃーん。だいたい、最近忙しすぎるんだよ! ヘルプの子たちも銀馬車亭に常駐してるわけじゃないしさー。人増やしてよー、ねえねえねえ」

 マーヤは蔵人にしなだれかかると胸元の手を突っ込んでくる。蔵人は、ムッとしながら、銭袋をまさぐっているマーヤの手のひらをぺしんと叩く。彼女は、ぷくっと頬を膨らませると不満そうに眉を八の字にした。

「だから、マジで金ねえっての! オメーは、なんでそう金遣い荒いかなー。だいたい、募集の張り紙はそこいらじゅうに嫌ってほど貼ってあるだろ! 店に女がいつかねーのは、マーヤがちくちくいじめるって聞いてんだぞ」

「だってだって。あの子たちさあ、あたしより若いしおっぱいも大きいんだもん。お客さんにチップたくさんもらうし。そーゆーのってさ、気に入らないじゃん。なーのーで! 代理店主の権限を発動して、追い出しちゃいましたっ」

 マーヤは長いまつ毛をパチパチさせると、なにがおかしかったのかケララッと大きな声で笑い出した。ホント、このラテン系なノリはついていけない。

 ピーナだ。彼女たちのノリはフィリピーナに似ているのだ。すぐに感情を爆発させるし、やたらに歌うは踊るはで、おまけに目を離すとすぐに仕事をサボろうとする。もう慣れたが、いかにレイシーがきちんとしていた性格だったのか、よくわかる一例であった。

「って。だから、人の懐をガサゴソやるんじゃないっての。マジで、今、金ねぇんだから」

「でもーでもー。クランドってすっごいデッカイお屋敷に住んでるじゃん。お妾さんもいっぱいだし! 子供もいっぱいいるしさー。どうせ、ちょっとくらいどうにかなるんでしょっ。あのねーあのねー、あたしぃ、今、欲しい服とアクセサリがあってさー。クランドをアテにしてたんだよねー。ね、お願いっ」

「なんで俺がおまえに貢がなきゃならんのだ。そういうのは自分の男に買ってもらえよ……」

「ええっ。男なんてできないよー。毎日ココでお仕事してるんだしさー。おまけに、クランド、ちょっとお客さんが口説こうとすると、すぐに睨むじゃんっ。アレ、あれでしょ? あたしにい、嫉妬してるんでしょ?」

「そんなことはないぞ。ただ、おまえにふさわしい男かどうか試しただけだ。おまいらが遊びでオモチャにされんのは我慢ならないからな。本気なら、睨み返すくらいするだろ。男ってのはそういう生きもんなんだよ。好きな女を手に入れるためなら命のひとつやふたつくらい賭けてみろ」

「そういうこというからあたしに馴染みができないじゃーん。補填してよー。ねえねえ、ねえ。今日じゃなくてもいいからさ。あたし、アッチのほうはかなーり自信があるヨ?」

「なんの自信なんだか……。オイ! ちょっ、いきなり跪くな、俺の息子を引っ張り出すなッ。世間の風が冷たいからぁ。って上にレイシーさんがいるから! らめなのおおおっ!」

 心がキュンキュンした。

「――なに、やってるのかな?」

 冷え冷えとした声に蔵人は肝が凍りついた。顔を上げると、そこにはバッチリと化粧を決めたレイシーが真紅のドレスをしゃなりしゃなりいわせながら、ゆっくりと降りてくるところだった。

 やや薄暗い店内で目立つために、少し濃い目に施したそれは、彼女の彫りの深い容貌の陰影をさらにくっきりと際立たせており、ありていにいえば、かなり迫力があった。

「え、あ。そのぉ、これはだなぁ。ご、誤解なんだ!」

 震えた声が出る。同時に、大事な部分が「しゅるるっ」とばかりに収縮した。慌ててマイサンをパンツのなかに収納する。ポジショニングも重要だ。

 なにげに陰嚢もシュッと縮まる。恥ずかしがりなやつめ。蔵人はレイシーの温度の感じられない視線に晒されながら、少しづつ後ずさった。つま先立ちになると、木目の浮いた床板がみしりと鳴いた。

 マーヤもさぞや怖がっていると思えば、彼女は平気のへいざで指の爪の尖りようを確認している。こういう場合において、蔵人はヘタレであった。

「ねえ、クランド。あたし、お店のお掃除をお願いしたつもりだったのになぁ。なーんで、そんなおかしなものを放り出してるのかなぁ。ここ、おトイレじゃないよね? そんなの小さな子でもわかると思うんだけど。おかしいなぁ。クランド。頭のなかだけちっちゃな子になっちゃったのかなぁ。ねえ。ねえ! ちょっと、聞いてるの!」

「買い出しに行ってきますっ」

「あ、こら! 待ちなさーい!」

 蔵人は素早く身を翻すと外套をばたばた風に波打たせて、凄まじい速さでその場を逃げ出した。

 そろそろ夕暮れどきか、工場や出先の仕事を終えて家路につくお職人衆をうまくすり抜けながら、駆けに駆けた。こういうときは相手も頭に血が上っている。

 時間をおいたほうが、お互いにいいに決まっている。ヒルダに続いてレイシーまでヘタを打った日には目も当てられない。心臓がバクバクいって、額から汗がとめどなく流れ落ちる。とんだ道化だ。蔵人は、橋の欄干に背中を預けながら、ときおり吹いてくる涼風に全身を晒しながら、汗を引かせた。

「ふっ。すーずしいっ。さて、どうやってご機嫌を取ろうかね。困った困った」

 蔵人は自分がそれほど思い悩むタチではないと思い込んでいたが、それでもヒルダのことはマズかったと、思う。彼女はワリと洒落が通じる部類の相手であったが、昨日のことは本気で恐怖を感じたのか、夫婦の営みのときも本番最中はいつもどおりの熱さであったが、事後は必ずとりとめもない話を振ってくるのだが、どこかぎこちない様子があった。

 武闘大会なんぞはくだらないと本気で思っている。賞金は確かに一千万P(ポンドル)と巨額であるが、こういうお祭りごとは、自らが参加するのではなく、傍から見物して酒の肴にして楽しむくらいがちょうどよい。

 ネリーに聞くところによると、大会の運営は冒険者ギルドが主として担うらしく、基本は物騒極まりないもとのことだった。

 道具は刃引きの得物を用いるにせよ、鉄の棒っきれそのものだ。重量もあり、人を殺傷する能力を有して余りある。急所を突かれれば当然のことながら、よくて大怪我、悪くて即死である。

 血の気の多いシズカやヴィクトワール、ドロテアなどは嬉々として出場することを「善し」としていたが、神官騎士であるアルテミシアは武芸を見世物にすることに難色を示し、レイシーに至っては断固としてNOを唱え、カレンやリザも金のために身を削ることは愚かであるというスタンスであった。

 蔵人も、はじめから出ないと公言していただけあって、今更ノコノコと出場を表明すれば痛くもない腹を探られることになる。軽く憂鬱であった。

「けど、黙ってジッとしてたらあのバカは、脳筋小僧になびきそうな雰囲気だしな。ここは、ビシッとカッコいいところを見せにゃあ、どえりゃあ結末が待っておるかもしれんでなぁ」

 買い出しにいくといったのは、もちろんあの場を逃げ出すための方便である。手持ちの銭は、昨日、下町の少年から紙袋を買い取った分で使い果たした。通りの向こうを、数人の子供たちが元気よく駆け回っている。

 そのうち、年かさの少女が屋台を見つけ、年少の子供たちの分も合わせて串肉の焼き物を購った。肉とタレの焦げる香ばしい匂いが鼻腔をくすぐり、ぐうと腹の虫が大きくなった。羨ましいが、今の自分には、ただの一枚の銅貨もないのだ。

「おとなしく戻ってレイシーに詫びを入れよう……」

 そしてなにか食べさせてもらおう。そう思いつつ、トボトボと下を向いて歩く。気づけば銀馬車亭の前には、なかへ立ち入れないほどに人垣で囲まれていた。

「なんじゃあ、こりゃあ」

 蔵人はつい先日謎の騎士からちょうだいした懐中時計に目をやった。先ほどの悶着からまだ一時間も経過していない。

 そもそもまだ宵の口で、あたりにはチラホラと銀馬車亭の常連客の顔も見えた。

 なにもかもが謎すぎる。店が混むにしても、こうして周りだけを囲んでいるのもおかしな話だ。

「クランド! 大変だ! 銀馬車亭に物盗りが入った! レイシーちゃんたちが人質だ!」

「ん、にゃんだとう?」

 アホみたいに立っていると顔見知りである鋳掛屋のボギーが真っ赤な髪を振り乱して叫んだ。

 ――冗談じゃねえ。まったく、次から次へと……!

「おい、テメェらどいてくれっ。前に通してくれよっ」

 ほとんどが近所の連中だ。誰もが不安そうな顔していたが、蔵人を見ると喜色を露わにした。 

 なんだかんだいって蔵人が抜群に腕が立つことは誰もが知っている。近所の衆や下町のおカミさん及び酌婦や女給たちが「しっかりやれよ!」「待ってたんだ!」「なんとかしてくれえ!」と肩を叩いてくる。人垣よりさらに数歩店に近づいた場所でスイングドアを前にへっぴり腰になっている男が目に入った。このあたりの地区を担当する自警団員のヒューゴという中年だ。

「状況は?」

「くくく、クランドッ! 遅いよおおっ。どこいったたんだァ! れれれ、レイシーとマーヤがああっ! 殺されちまうよおッ!」

「落ち着けって。まずはどんな具合なんだ」

 ヒューゴはレイシーを幼い頃から見知っており動揺するのはわかるが、それは蔵人とて同じこと。いや、むしろ不安や突如として起きた事件の理不尽さに覚える怒りは並大抵ではない。

 蔵人は胸の奥で、一から十までをゆっくりと数えた。こうすることによって、怒りを幾らか鎮めて物事を大局的に見ることができる。ジェファーソン効果というやつだ。ヒューゴは、レイシーの旦那である蔵人の冷静な態度を見るにつけ、徐々に動揺から立ち直りつつあった。

「なかにいるのは女の逃亡奴隷だ。人数はふたりで大女と小娘だ。小娘のほうは見るからに華奢だが、もう片割れはゴツイ剣を持っていやがる。ありゃ、相当に使うぞ」

「オーケイ。情報サンクス。そいつらはなにを要求している?」

「いや、オレも今きたとこなんだが。ちっこいほうがキャンキャン喚き散らしてデカ女がそれに従ってるってふうだったな。ありゃ、肉のつき方や足運びから剣闘奴隷だろう。隙を見て斬りかかるっていうようにはちょっとできそうもない。

 今、鳳凰騎士団に連絡したが、間の悪いことに、東地区で貧民の一部が蜂起したらしい。なんでも、工人たちが商工ギルドの賃金不払いからカッとなって爆発したらしいが。ほとんどはちゃんとした市民だから、交渉次第ですぐに収まるだろうけど、ちょっとすぐにということは」

「なんともはぁ、政情不安定な地域だこと。ここはもう、俺らでやるしかねえなぁ。悪いが、任せてくれるか。アンタの顔を潰しちまうようで悪いが」

「いや、助かるよ。正直近頃腰が悪くてさ。それに情けないことだが、あの剣闘奴隷を取り押さえてくれっていわれても、どうにもオレの腕じゃあ無理そうだわ」

 蔵人はヒューゴの耳元に、姫屋敷へと渡りをつけるよう伝言を頼むと、店の前までズカズカ大股で歩み寄った。

「――と、いうわけでこれから交渉をかわりまーすっ! いいか、今からカッコいいお兄さんがなかに入ってくから、おとなしくしてくれよっ!」

「ゆっくりとだ! 妙な真似をしてみろ、この女の首が飛ぶぞ!」

 よく通る実に美麗な声であった。

 思わず「ほう」と唸ってしまうほど品のよいそれでいて力強くもある音だ。蔵人が、ぎいとスイングドアを押しのけて片脚を入れると、ランタンの明かりに照らされながら、首に長剣を突きつけられているレイシーの蒼白な顔が飛び込んできて、思わず頭のなかが激しく白熱した。

「クランドぉ」

 綺麗に紅で彩られた唇がわなないている。クソッタレが! 蔵人の全身から膨れ上がった殺気を感じ取った剣闘奴隷の女が無表情のまままわずかにカカトを浮かせるのが見えた。

 なるほど長身ではある。ヒューゴはデカ女と称したが、カウンターと剣闘奴隷の腰の位置から、せいぜいヴィクトワールと同じか、拳ひとつ大きいといった程度であろう。

 賊に対する恐れからか、実像以上に大きくヒューゴの目には映ったのだ。ちょうど、強い光源を背にしているので、広くなった影が彼女の背丈をさらに助長させてみせたのだ。

 こうして落ち着いて観察すると、肌は荒れて垢じみているが作りはそれほど悪くない。いや、美形の部類に入るだろうが、目の昏さが異様だった。蔵人はかつてのシズカが目に宿していたものと同種のものを感じたが憐れみは表に出さなかった。見れば、マーヤは背中を椅子に布切れで縛られたまま目をつむっている。おそらく、剣闘奴隷の手によって気絶させられたのであろう。

「落ち着け。まずは武器を置いてじっくり話し合おうじゃないか。君たちはまだ若い。青春は」

「持ってる武器を全部捨ててっ。じゃないと、この娘がどうなっても知らないからっ!」

 カウンターの影から耳にギンギン響く金切り声が響いた。見れば、剣闘奴隷よりも、はるかに年若い少女が目を真っ赤にして、フォークをレイシーの目に突きつけていた。性格な年齢はよくわからないが、十二、三くらいだろうか。こちらは、かなり髪の毛や肌の色艶がいい。

(どっちにしても頭をカッカさせてやがる。下手に動いてレイシーを傷モノになんざできねえぞ)

「わかった。武器は捨てる。だから、そっちも武器を捨ててくれ」

「こっちは囲まれてるのよ! そんなことできるわけないでしょうっ」

 ちょっとでも隙を見せたらドッと押し入られると思っているのか、若いほうは目をギラギラさせて戸口を注視している。

 対して、二十代半ば程度に見える剣闘奴隷は、ここまで追いつめられているというのに、かなり冷静であった。

 いや、内心はどうこうよりも、動揺を微塵も表に出さない。それは、クールであるといよりもどこか投げ遣りのような態度に思えて、むしろキンキン少女よりも危険なふうに思えた。

「俺はクランド。ここの一応オーナーだ。そんで、今アンタさんたちが捕らえてんのが女房のレイシー。転がってるのがマーヤだ。さ、名乗ったぜ。名前くらい教えてくれてもいいだろう」

「私はジュディ・アンダーソ――ジュディよ。そっちはプリヘリヤ」

「そうか、ジュディにプリヘリヤか。なかなかかわいい名前だな。仲よくしよう」

 蔵人はまず、賊たちに自分たちの名前を教えた。人間、名前を知り、その人物の背景を知っていると容易に傷つけにくくなる。

 その上、蔵人は落ち着き払った様子でレイシーと自分が夫婦であると印象づけた。これは、明らかに効果があったのか、ジュディと名乗った少女のほうが明らかに態度を軟化させたのだ。その上、彼女は途中まで家名を名乗った。つまり、その律儀な態度からいって、名乗ったら名乗り返す程度の礼儀はある階級の人間であるということだ。

 観察すると一見イニシアチブを取っているのはきゃあきゃあ喚いている小娘のほうに思えるが、事実は、異様な瞳の昏さを持つプリヘリヤがこの場のカギを握っている。彼女の、女性にしてよく鍛えられている腕がわずかに動いただけでレイシーの首は胴体と泣き別れになってしまうだろう。マーヤもあの位置では、おまけに気を失った状態では攻撃をさける術はない。

 ――いけるか? と自問自答する。無論、一撃で剣闘奴隷の首を刎ねて場を制圧できるかということだ。ひとりでは少し難しい。

 こういう日に限って、ルールーは月のものが酷く自宅待機である。カレンか、リザを呼べば、彼女たちの遠距離射撃や土魔術でレイシーたちに毛ほどの傷もつけず救出することは可能であろうが。そこまで考えたところで、プリヘリヤがカサカサにひび割れた唇を舐めながらいった。

「捨てろ。これが最後だ」

「わかった」

 目が異様なほど燃え滾っていた。あれは、殺意を隠さない真実のものだ。蔵人はプリヘリヤのいわれるまま、長剣“黒獅子”を腰から引き抜くと、足元に置いた。

「蹴ってこっちに寄越せ。ジュディ、頼む」

「う、うんっ」

「ほらよ」

 蔵人は長剣の鞘を蹴りつけると、床板の上をすべらせた。ジュディがパッと飛びついて剣をすかさず抱きかかえる。目の前の男から武器を取り上げたことで、気をゆるめたのか、にへらっと微笑む。行為にそぐわない、実に素朴な表情だった。

「要求はなんだ。金か? 金なら奥に銭函がある。全部持ってけ」

「わたしたちは盗賊ではない」

「そうよっ。プリヘリヤのいうとおり、私たちは盗賊じゃない。お金は城外に出るまで、ちょっと借ります。もちろん、証文も書きます。利息も、働いたらちゃんと上乗せしてお返ししますし」

「よーするに、アンタラはこの城から出ようとするのが目的なんだな。可能だと思ってるのか」

「うるさいっ。うるさいっ。ぜったいに、私たちはここから逃げるんですからっ。もお、奴隷になんか戻るのは死んでもいやっ!」

「わかった。わかったから落ち着いてくれ。人質ならレイシーに代わって俺がなる。頼む。ようやくいっしょになれた恋女房なんだよ! 俺はどうなってもかまわねーから、レイシーと関係ねえマーヤだけは解放してやってくれよっ。わかるだろっ。囚われの身の辛さは!」

「ど、どうしよう?」

「騙されるな。そんな大男を連れ歩けるはずもない。また、御せる自信もない。人質は女のほうがいいに決まってる」

「そ、そうよ! プリヘリヤが正しいっ。あやうく騙されところでしたっ。とにかく、人質交換はできませんっ。さ! クランドさん。早く、外の人たちを遠ざけてくださいっ。それと逃走用の馬車と着替えと。それと水と食料ね!」

「外にあてはあるのかよ。闇雲に逃げてもその日のうちに騎士団に捕まるぞ」

「そこまで心配してもらう必要はない。城の外に出るまでだ。この女も、城門のそばで解放してやる。馬車だ。それと水と食料。でなければ、殺す」

「殺す殺すって勘弁してくれよ。じゃあ、せめてマーヤだけでも逃がしてやってくれ。彼女はタダの従業員だ。頼むぜ、このとおりだ」

 蔵人は、頭を床板にこすりつけて無防備な首筋と背中を見せた。目には映らないが、ふたりが動揺する空気の流れを感じ取った。レイシーが声を震わせてしゃくりあげている。しばらくそうやっていると、ゴソゴソと物をこすり合わせる音が聞こえた。

「顔を上げろ。その女は逃がしてやろう。その代わり、おまえが人質になってもらうぞ」

「恩に着るぜ!」

 蔵人は心底ホッとして思わず微笑んだ。これでレイシーも少しは気が軽いだろう。プリヘリヤと目が合う。濃い青の瞳が、ほんの少しだけ揺らめいたように思えた。

 マーヤは、顔に水をかけて頬を数度叩くと、ようやく気を取り戻した。彼女だけ先に逃がす話をすると、マーヤは本気で怒り、泣いた。ジュディやプリヘリヤもたじろくほどだ。蔵人に思いきり抱きつくと、涙をボロボロこぼす。

 まあ、どう見てもタダの雇用主と従業員の関係とは思われないが、レイシーも感極まって泣いていたので、これはそれほど問題ではない。

 蔵人はプリヘリヤに剣を突きつけられながら、店の軒先まで這いずると、自警団員のヒューゴに向かって彼女の要求通り馬車と物資を手配するよう頼んだ。物見高い群衆が手にした灯火で、外は昼間のように明るかった。

 ――ふたりの解放奴隷に深く楔を打ち込んだ。彼女たちは、上手く人質を保持していると考えているが、内実は違った。こちらとしては、ヒューゴに屋敷まで知らせを出すよう伝言を頼んである。時間が経てば経つほど、有利ではあった。

「早くマーヤを逃がしてやれよ」

「そのタイミングはこちらで決める」

 プリヘリヤは情に流されたように見えて、なかなかにしたたかだ。マーヤもレイシーと抱き合ったまま少しも動こうとしない。蔵人が息を詰めて冷徹な顔の剣闘奴隷を眺めていると、彼女のほうから話しかけてきた。

「本当に、馬車と物資はすぐに用意するんだろうな」

「ああ。任せろ。ヒューゴはバカじゃない。必ず君らの要求通りにする」

「そうか」

 荒縄でぐるぐる巻きにされていたが、プリヘリヤは用心を重ねて飛びかかれる位置には決して不用意に近づかない。彼女は、抜き身の剣を捧げ持ち、いつでも蔵人を斬り殺せるのであるが、慎重すぎるほどの警戒心は微塵もゆるんでいなかった。

「なあ」

「なんだ?」

「なぜ、先ほどあのような真似を。あれは、相当に屈辱なことだろう」

「あんなのなんでもねえよ」

「所詮、誇りもない平民か」

 プリヘリヤが挑発するように薄く唇を歪めて見せる。が、正味違うのだ。

「違うって。レイシーのためなら土下座くらいなんともねえ。靴を舐めろというなら靴を。ケツの穴を舐めろっていうんなら、いくらでも舐めるよ。俺にとっては誇りなんてそんなものなんだ。レイシーに比べれば、どんなものだって軽いに決まってらぁ」

「クランド……!」

 レイシーが目を真っ赤にして叫ぶ。同時に、無感情であったプリヘリヤの目に、はじめて強い感情が宿り、一気に燃え盛ったように見えた。

「面白い。じゃあ、今すぐわたしの靴を舐めてみろ。それも卑しい剣闘奴隷の靴だ! どうせ、男など口だけだ? ああ、そうかっ。ここなら誰にも恥を見られずにすむもんなぁ! 戸口まで来い。外には物見高いバカどもがうじゃうじゃいるだろうっ。どうせ口だけのくせに」

 プリヘリヤの感情の爆発は突然だった。相棒のジュディも目を丸くして驚いている。蔵人は、彼女が感情を露にすればするほど、己の心を平静に保つよう努力した。

「いいぜ」

 蔵人はぐるぐる巻きの状態で無理やり立とうと身を起こした。

「やめてよクランドッ」

 レイシーが首を上げて途方もない声量を出した。

「ちょっとプリヘリヤ、なに考えてるの? 外に出るなんてあぶないわ!」

「来い!」

 プリヘリヤはジュディの言葉などまるで聞こえない様子で動けなくなった蔵人を外まで連れ出した。ヒューゴや近所衆が好奇心と憐憫の入り混じった様子で蔵人と剣闘奴隷に視線をそそぐ。

「さあ!」

 もはや引っ込みがつかなくなったのかプリヘリヤは女王さまよろしく、切れ込みの入ったスリットから白く、美しい脚を伸ばした。蔵人は躊躇することなく跪くと、泥靴に顔を近づける。

 群衆がドッと沸くと、プリヘリヤが慌てて脚を引いた。

 彼女は、再び蔵人を店内に引きずり込むと、真っ赤な顔をして怒鳴った。

「バカか! おまえは、本気でやろうとするなんてっ。そんなっ!」

 プリヘリヤの表情。それは男が自分に屈したことを誇るでもなく、どこか裏切られたような実に弱々しいはかなげなものだった。






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