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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第1章「遥かなる旅路」
22/302

Lv22「獅子」




 

 ヘレンを責めることは出来ない。彼女は、夫のアルフレッドが仰臥をするようになってから、その身を挺して一家を支えてきたのだ。

 だが、一片、農民衆たちの話にも理がないわけではない。健康な女の身体では、一人寝はおそらくこたえたであろう。

 愛する夫が居て、例え子を成した間柄であっても、所詮は他人である。常に肌を合わせ、金穀を都合し、甘い愛を囁かれていればこころなど、都合の良い理屈をつけてすぐに処理されるものである。

 夫と子の為という免罪符を振りかざしながら、背徳的な関係に身を震わせる。

 村人もとっくに気づいている。それは、侮蔑と嫉妬が混じったものなのだ。

 結果、混血であるドミニクにあたえられる差別は、強く長く続くのは必定だった。

 蔵人にとっては、アルフレッドが間抜けな寝取られ男であることに関して同情の余地があるが、真実を話してどうにかなるだろうか。持っていたわずかばかりの路銀をすべて手渡しても、根本的な解決にはならない。

 それに、おそらくアルフレッドが劇的に回復することはありえないだろう。

 専門家ではないので、確実なことはいえないが、おそらく汚染創からの感染症でかなりの毒が全身にまわっているのだ。抗生剤も際立った外科手術も望めないこの世界では致命的だった。

 ゆるやかな死が一家に迫っている。

 避けようのないものだった。

 この時代の避妊に関する知識が一般にどの程度広まっているかはわからないが、ヘレンの行為はフェデリコの子種を進んで受け入れていた。

 夫は死に体で、頼るべき身よりもない。

 彼女の頭の中にあるのは、ひどく現実的なこれからのことだけだろう。混血児であるドミニクを育てるには、庇護者が必要だ。名主であるフェデリコも、ヘレンが子を孕めばそうそう捨てることも出来ないだろう。他人任せすぎる自分の考えに吐き気がした。かといって深く同情したとしても、自分になにかできるわけではないのだ。

「考え違いをしちゃあいけねえぜ、蔵人。おめえには、なにもできやしねぇんだ」

 強く、自嘲した。

 激しく舌打ちをすると、強く足元の石ころを蹴った。かつん、と虚しい音が響いた。





 屋敷からの帰途、アルフレッドにゆきあった。

 蔵人は、誘われるままに足を動かすと、やがて村の出口である吊り橋を見渡せる小高い丘に到着した。

「昔、儂がアレとこの村に来たばかりの頃、よくここからあの橋を眺めたもんじゃ」

 燃えるような茜色の空と対比するように、真っ逆さまに陽が沈んでいく。

 そびえ立つ遠方の峰が霞んで、向き合った互いの顔すら判別できない。眼下に映る、植物のツルで両岸から本体を支えている吊り橋が、みるみるうちに闇の中へ沈んでいった。

「儂はなんとなく物悲しいこの景色に妙に気が引かれての。嫌がる妻を連れて、あの夕日を眺めたものじゃ」

 アルフレッドは、くすんだ金色のたてがみを震わせると、眉をしかめた。

「気分が悪いなら無理はしないほうがいいんじゃねえか」

「いや、大丈夫じゃ。これでも儂は、誇り高き騎士。そのつもりじゃった」

 アルフレッドは、腰から白鞘ごと長剣をとって両手で残光の中に掲げた。

 美しい装飾と、白金で造られたそれは神々しくもあった。

 アルフレッドの表情。もうわからなかった。

「妻が村じゅうでどんなふうにいわれておるか知っておる。だがの、儂は信じておるのだ。いや、信じることしかできないのだよ。妻は、ヘレンは気立てがよくて美しい娘じゃった。だから、儂の仕えていた放蕩息子に手篭めにされそうになっての。儂はいい歳じゃったし、あのような歳の離れた娘に本気で懸想するとは自分でも思っていなかった。気づけば、屋敷の中で暴れまわって都落ちじゃ。生まれの部族にすら戻れぬし、ヘレンのつたない縁にすがるしかなかったわ。その挙句が、この身体で、妻子すらろくに養えぬ。クランド殿、恥ずかしい話じゃが、一瞬そなたたちを川べりで見つけたとき、見なかったことにしようと思った。だがな、あの婦人を守るように抱きしめていたクランド殿の横顔がどうしても頭から離れんでのう。気づけば、ふたりを担ぎ上げていたのじゃ。この身体のどこにそんな力が残っていたのか、自分でも不思議じゃよ。妻子も養えぬくせに、生意気だと人は思うじゃろうが、誰しも誰かの役に立てると思いたいのかもしれぬ。そなたは、最初に気がついたときに、まずあの娘の無事を確認した。あの娘が気がつく三日の間、熱が出れば、お主は我が子のように身体を拭き、薬湯が飲めぬようであれば口移しで与えた。なんとなく、昔のことを思い出して、懐かしくて、そして悲しくなったわ。こんな年寄りになるとは、昔は思いもしなかったのにのう。なんでじゃろうか、クランド殿を前にすると、自分を取り繕うことができなくなる。不思議じゃのう。いや、とりとめのない話ばかりをしてしもうて、申し訳ない」

 アルフレッドは肩を震わせながら低くうめいた。彼自身が信じていると口先では述べても、薄々自分の妻が行っていることに気づいているのだ。

 妻に娼婦まがいのことをさせねば一日だって暮らしていけない自分と、過去の栄光に包まれていた自分とのギャップに苦しんでいる。

 傲慢な苦しみといえばそれまでだが、自分に自信があったものほど、落ちぶれた現実を見据えられないものである。

 そして、それは蔵人にとってどうしてやることもできない事柄だった。

 ただでさえ世話のかけ通しの妻にはいえないし、村落ではつまはじきだ。いずれここから去っていく蔵人にしか思ったこともいえないのだろう。それは、寂しすぎる男の胸の内だった。






 とりとめのない愚痴を聞くぐらいしかできないことが歯がゆかった。

 蔵人は、アルフレッドの悲しみを包み込むようにただ傍らで立ち尽くした。

 それから、二ケ月近く、蔵人は物置小屋でシズカの世話をして暮らした。

 動けないシズカの代わりに食事を運び、毎日のように身体をふき清め、時には退屈にならずに済むように話し相手になった。はじめは貝のように口をつぐんでいたシズカだったが、毎日献身的に尽くすうちに、ぼつぼつと受け答えくらいはするようになっていた。

 シズカは、ほとんどの場合自分から語りかけようとはしなかった。ほとんどは蔵人が一方的に喋り、それをシズカが耳を傾けるといった具合だった。彼女はほとんどの話題には無言の行を決め込んでいたが、蔵人が日本の学校制度のことについて話したときだけは、やたらに興味を示した。

 特に、小・中・高・大学の、六、三、三、四年の計一六年制の長さについては驚愕していた。蔵人が大学生だと話したときには、切れ長の目を見開き口元に手を当てていたのが、印象的だった。

「おまえは、学者だったのか」

「いや、普通の学生だが」

 この世界では、学校制度というものは存在しない。貴族や大商人は、一定の知識や文字を学ぶために個人的な家庭教師をつけたりすることはあるが、ひとつの教室に一定数の人間を集めて講義を行うことなど、想定外の方法であった。

「それでも、十二年もの間、どんなことを学んでいたのだ」

「そりゃ、いろいろあるだろう。国語、数学、物理、科学、地理、歴史、倫理、英語、あといろいろ」

「なんてことだ、帝王学じゃないか。王族でも、それほどの多岐にわたって知識を習得したりしない。ん、まさか、また私をからかってるんじゃないだろうな! そうだ、そもそもおまえは、字も読めないじゃないか!」

「あー、字、字ってこの国の字ね」

 蔵人は以前、ドミニクが絵本を持ってきて読むようにせがまれた時、ロムレス語がまったく読めなかったことを思い出した。その時、シズカはさんざん蔵人を見下したあとに、文盲が、と罵ったのである。

「話し言葉は不思議に通じるんだが、なぜか字は読めないんだよなぁ」

 蔵人は召喚による契約によって、意思疎通のための会話は可能だったが、文字までは読み取ることができなかった。この世界の識字率は十パーセント以下であり、庶民は文字の読み書きができないのは普通だった。

 元騎士のアルフレッドや侍女だったヘレンは文字が読めるし、ドミニクも簡単なものなら可能だった。

 この世界では神聖文字といわれ、アルファベットと同数である二十六から成り立ち、それらを組み合わせて単語を作るという形であったが、蔵人は習得をほとんど拒否していた。

 アラビア文字に酷似したミミズがのたくったような模様は、見るたびに吐き気を催させるのが常だった。

「シズカだって他の国の字は読めないだろうが。俺は、自分の国の文字なら書けるぞ。そら」

 “志門蔵人”

 箱に敷いた砂の上に、さらさらと自分の名前を書いてみせる。シズカは、目を細めてその字を読むと、疑わしそうに眉をひそめた。

「なにか記号のような。ふ、ふん。どうせ、私がわかりもしないと思って、適当に模様を書いただけだろうが」

「模様みたいに見えるのか。確か最初の漢字は鳥の足跡から作ったっていわれてるし。そんじゃ、こんなのはどうだ」

 “私、シズカは淫売の牝豚です”

「……なにかあきらかに違う形の文字が混じっているような」

「日本語は、漢字、ひらがな、カタカナの三つの文字を使って構成されている。ひらがな四十八、カタカナ四十六、そして漢字は」

「漢字は?」

「漢字は、恐ろしいことに十万字以上あるといわれている。二千字書けて、一万字読めれば優秀な部類だろう。ちなみに、俺は漢字の読みには自信があるぞ」

「う、嘘つけ! そんな膨大な文字を組み合わせてつくる言葉などありえない!」

「残念ながら、ありえるんだな、これが」

「この文章の意味は?」

「シズカは優しくてかわいい俺の嫁です」

 少女は頬を染めてうつむき、恥じらいを見せた。至極、自然な情景だった。






 そして、シズカの両足首は九分通り快癒した。

 小屋まで経過を見に来た馬医者は、徐々に慣らしていくことを勧めると、嗄れた声で太鼓判を押して去っていった。

 折れた骨を固定していた当て板が外れたとしても、直ちに以前のような足に戻ったわけではなかった。長い間動かさなかったせいで筋肉が落ちきっている。元通りの運動機能を取り戻すにはリハビリが必要だった。

 蔵人は、手製の松葉杖と底が均等な雪駄に似た手製の履物をシズカに渡した。

「これは」

「足を折ったあとだからな。底が均等なモノのほうがいいんじゃねーかと思ってな。ほら、足だせ」

「ん」

 シズカは寝台に座ったまま素直に足を差し出す。

 蔵人は、足首の包帯を取ると、緑色の粘度の高い膏薬を張り替えた。中身の薬はドミニクが摘んできた薬草を乾かし煎じたものである。薬効成分がどんなものかはわからないが、この民間療法は覿面に作用した。

「ぬりぬり、と。さ、まだ傷に触るかもしれないが、徐々に歩く練習しなきゃな」

「ん」

 シズカは殊勝な顔つきで渡された松葉杖を手に取ると、おぼつかない足取りで歩き出した。両腕に力をこめて、一歩一歩前進する。不意にバランスが崩れ、振り子のように左右に大きく振れた。

「危ねぇ」

「あ」

 蔵人は駆け寄ると前のめりに倒れそうになった身体を後ろから抱きとめた。

「間一髪ってとこだったな」

「す、すまない。私としたことが」

 抱きとめた少女の背中は、両手の中にすっぽり収まるほど小さかった。目の前にしっとりとした輝くような黒髪が波打っている。蔵人の鼻先を、果物のような甘い香りがわずかにかすめた。女の体臭と混ざり合ったそれは、蠱惑的な匂いで理性を幻惑させた。

「シズカ、おまえ香水でもつけてるのか」

「香を少し。あ、その、不快だっただろうか」

 顔だけ振り向いたシズカの瞳に不安そうな色が宿っている。怯えの中にも期待の混じった視線に打ち抜かれ、その場に押し倒したくなる衝動を全力でこらえた。

「いや、すっごくいいぜ。果物みたいでさわやかだな。俺は好きだ」

「好き!? い、いや香の話だったな、うん。そうか、これは私も好きなのだ。ははは」

「と、とりあえずリハビリを続けようぜ。外はいい天気だ」

「そうだな! その、りはびりというのはよくわからないが、とにかく外に出よう。うん」

 ふたりはなんとなくぎこちない空気を無理やり払拭すると、運動機能回復のために戸外を歩き回った。基本は、シズカが両手で二本の松葉杖を操作し、倒れそうになると蔵人がサポートした。

 季節は夏が近いのか、頭上には水がしたたり落ちそうなほど青い空が広がっていた。周囲の山々には濃い緑が茂り目前に迫りそうな立体感が浮き上がってくる。青の果てには、真っ白な入道雲が大きく立ちのぼっていた。

 村人たちは野良に励み、農道を歩くふたり以外に人影はなかった。

 時折、道端に手頃な木陰を見つけると、足をとめて周囲の風景に見入る。涼やかな風が気まぐれに吹き付け、シズカの美しい黒髪が横に流れた。満足そうに切れ長の目を細める少女の横顔に、もはや初めて会った時の険はなかった。

 時折、蔵人は日本の鄙びた田舎を恋人同士で散策しているような気持ちになった。

 けど、ありえねんだよな、そんなことは。

 こころの中でつぶやく。彼女が蔵人の命を狙っていることは変わらない。

「いい風だな、クランド」

「ああ」

 お互いに決定的な事実を認めることを避けようとしている。そもそもが、シズカとの休戦は怪我が治るまでという区切りだった。おまけに、まだ彼女からはなにひとつ黒幕についての情報を聞き出せていない。

 蔵人が、二歩三歩歩いたところで、シズカがぴたりと足をとめ、いった。

「この先に茶屋があったな。少し休んでいこう」

 すべてから解放されたような憂いのない笑顔を見やった。蔵人は、息を呑むと同時に度胸のない自分を少しだけ呪った。

 異変に気づいたのはシズカが先だった。

 村に一件だけある茶屋の軒先で、何人かの男たちがひしめいていた。

 住民である農夫たちとはあきらかに一線を画した、革の鎧や槍、剣で武装した人相の悪い男たちが、五人ほど店の前でひとりの身分ある騎士風の男と口論になっていた。

「ありゃあ、名主さまのところでたむろしてたならずもんたちだぎゃぁ」

「若いお貴族様はこの辺りのもんじゃねえずら。なんぞ、連れの奥さまが難癖つけられて往生してるみてえだやい」

「あの随分と色っぺー奥さまかやい」

「んだんだ。あの、悪党どもを、なんでば名主さまが養おうてるかわからんが、あんな婆あが一匹居る店じゃ、酒を飲んでも面白くねっぺ」

「そんで、たまたま通りがかったお貴族さまの奥方に酌のひとつでもさせべえって寸法かやい。まったく、こらえらい災難だばな」

「もっとも、あの男たちの気持ちもわかるべ。見てみい、あの奥さまの尻や胸の張り出し具合といったら。悪心が出てても無理もねえ」

「そうだなや、歳は三十くれぇか、だいぶ年増だけんどもふるいつきたくなるような色気があるべ」

「こんな田舎じゃ、目立つこと目立つこと。運が悪かっただ」

「おら、見ろ! ジェフ、ついに刀抜いたぞ!」

 蔵人たちが農夫の話を盗み聞きすると、どうやら旅の途中茶屋に立ち寄った貴族とその妻が悪党どもに難癖をつけられていたようだ。

 最初は穏便に済まそうとしていた四十年配の貴族だったが、なにか妻の方を卑猥な言葉で罵倒されたうえ、遠目にもわかるほど不意に婦人のスカートがうしろにまわっていた男にまくり上げられたのだった。

「おいおい、マジぃんじゃねえの?」

「あいつは……」

 それまで微動だにしなかったシズカの表情が不意に険しいものに変わった。

 いままで、茶屋の中に隠れていたのか、ひときわ大きな身体つきをした獣人が軒先に姿を見せた。赤錆のような茶色いたてがみに、獰猛そのものといった血走った瞳がきらきらと血に飢えて光っている。

 獅子の頭と人間の身体を持つ亜人、まごうことなき獅子族(ライオス)の特徴だった。





「無礼者が、我が妻を差し出せと? そのようなことが承服できるはずもなかろう!」

「だーからよう。オレたちゃ、別に取って喰おうっていってるわけじゃねーんだ。ただ、この店にや枯れ木みたいな婆あしか居らんでよ、若くて美しいご婦人に酌のひとつもしてもらえりゃ、このド僻地のクソ不味い酒の味もマシになるかと思ってこうして頼んでるわけじゃねーか」

「エステル、僕の後ろに」

 剣を構えたまま貴族が背後の女性に告げた。

 貴族にエステルと呼ばれた三十ほどの貴婦人は、顔色を紙のように真っ白にして夫の背中に隠れた。

 エステルは歳こそ若くはないが、ならず者たちが襲いたくなるほどの成熟した色気を充満させていた。

 明るい茶の髪は軽くウェーブがかかり、背中の中程で切り揃えられている。  

 ぱっと見は、キツそうな感じであるが、ぼってりとした厚めなくちびるが実に官能的だった。実に男の嗜虐心を誘うような雰囲気を醸し出している。高く張った胸元も、やや大きすぎるきらいのある臀部も男たちの獣欲をとらえて離さない部類のものだった。

「ふん。エステルか。いい名前じゃねーか」

「無礼な、わたしの名前を呼んでも良いのは主人だけです、獣人風情が!」

「あ?」

 それまで余裕を持ってからかっていた獅子族(ライオス)の男の雰囲気が変わった。

「や、やべえよ」

「大将に向かってそれは禁句だってのに」

 取り巻きの悪党どもがいっせいに顔色を青くして怯え出す。

 獅子族(ライオス)の男。

 身体がひとまわり大きくなったような錯覚を周囲に与えた。

「あーむかつく。なんか、むかつくんだよなぁー」

 獅子族(ライオス)の男は両手首をブラブラさせながら、配下の男たちをチラ見した。

「大将、大将の手を煩わせることもありませんて」

「こんな腐れ騎士もどき、俺らだけで」

「だれが、騎士もどきだって?」

 貴族の言葉に弾かれたようにして、ふたりの男が剣を持って踊りかかった。

「うるせえええ!」

「おまえは黙って女を置いていきゃいいんだよおお!!」

 貴族は冷静を保ったままサーベルを構えなおすと、まっしぐらに向かってくる男に向かって水平に薙いだ。銀線が素早くふたすじ走った。

 ひとりは剣を振りかぶったまま喉を割られ、もうひとりは膝頭を断ち切られると剣を放り投げて苦悶の声を上げた。

「ほう」

 獅子族(ライオス)の男は片眉を上げると感嘆のつぶやきをもらした。

「このチェストミール、若い頃から剣にかけてはちょっとしたものでな。おまえらのような若造にはまだまだ負けぬよ」

 チェストミールと名乗った貴族は、おそらく若い頃から正当な剣を習い、鍛錬を積み重ねてきたのだろう。剣線の速さや腕は誰にでもわかりやすいくらい綺麗な型を習得していた。

 あっという間に仲間をふたりも斬り殺された男たちはあからさまに怯えはじめた。

 所詮際立った腕はなく、数だけが頼りなのだろうか、次はこの凄腕の貴族に自分が挑む番だと思うとそれだけで立っていられないほど震えが来るのだった。

「ちっ。オドオドするんじゃねーよ。さて、お貴族さま。次はこのギリーさま直々にお相手しましょうかね。おまえら! オレの得物を持ってこいや!」

 獅子族(ライオス)の男に怒鳴られると、男たちは慌てて茶屋の奥に引っ込んだかと思うと、ひと振りの大斧を持ってきた。三人がかりでなければ持ち上げられないのだろうか、その大斧は誰もが見たことのないほど長大なものだった。柄は赤樫で造られているのだろうか、長年の手垢で赤黒く妖しく光っていた。特徴的な刃の部分は長大で、横にすればそのまま身体の前面の胴体を覆うほどのものだった。

「思い出した、あいつ血塗れギリーだ」

 黙りこんでいたシズカが不意につぶやいた。

「なんだ、有名なやつなのか」

 蔵人は、目前で起きている突如とした斬り合いに視線を向けたまま先をうながした。

「王都では名うての盗賊だった。確か、討伐に来た三十人近い憲兵隊をひとりで追い返したこともある化物だ。最近はまるで名を聞かなかったが、こんなところに潜伏していたとは」

「嘘だろ、おい」

 あまりの荒唐無稽さに蔵人は反射的に叫んだ。だが、シズカはそれに取りあわず、人差し指を口に当てそっと人垣の向こうを指した。

 ギリーは、重さが百キロ近い戦斧を小枝を扱うように両手で唸りを上げて旋回させはじめた。轟々という異様な風切り音に、戦いを眺めていた農夫たちが腰を抜かし座り込んだ。

「どーした、お貴族さま。顔色が青いぜェ。そんなんで、大丈夫かよぉお」

 元々獣人の筋力は人間より遥かに上である。

 巨大な戦斧を子供の玩具のように扱う膂力から見てもそれらは明白だった。

 チェストミールの額から汗が流れて、口元の髭に伝った。

 両者の潮合が極まる。

 先に仕掛けたのはチェストミールだ。彼は、基本通りにサーベルを右手で構えると、低い姿勢のまま必殺の突きを放った。切っ先が閃く。

「け!」

 ギリーは反射的に足を狙われたことを察知したのか素早く後方に飛び退き、風車のように回していた戦斧を片手に持ち替え、真正面から打ち下ろした。

 軽い金属音が空に響く。

 チェストミールは突きの姿勢のままその場に固着すると、自分の右腕に視線を動かす。

「あ、あああ」

 そこには皮一枚残して切り落とされた右腕がサーベルを持ったまま垂れ下がっていた。

 一拍、置いて鮮血がほとばしった。

「あなた!」

 絶叫を上げながら座り込むチェストミールを見ながら、ギリーは高らかに勝利の雄叫びを上げた。

「大将、どうして殺しちまわなかたっんでさ」

「なに、旦那の方をあっさり殺しちまったら面白くねえだろ、おう」

 ギリーは悶えながら地を這うチェストミールとそのそばで蒼白な顔をしているエステルに顎をしゃくると、ニタリと笑みを浮かべた。

「ははん。さっすが、大将。味づけってのをわかってらっしゃる」

「褒めるねい、褒めるねい。さっさと、女を連れてこい。当然旦那の方もだ」

 ギリーの部下が泣き喚く男女を無理やり立たせ、室内に連れて行く。貴婦人の横顔。そこにはすべてを諦め切った絶望の色が刷かれていた。蔵人はこみ上げてくる苦いものを飲み下そうとし、失敗した。

 知らず、身を乗り出そうとしていた蔵人をシズカが引き止める。

 シズカの声は怒りよりも、哀しみの色が濃かった。

「おまえは、なにをしている。私の話を聞いていなかったのか」

「けど」

「あの夫婦がどうなるかなど関係ないだろう。まったく、クランド。おまえは、いつもそうやって余計なことばかりに首を突っ込みたがる。バカで助平でお人好しなんて一番長生きできんぞ。ほら、来い!」

 勝負はついたと察したのか、殺し合いを眺めていた村の農夫たちが誰ともなく散り始める。

 所詮、旅の貴族の不幸や亜人のギリーの凶悪さも彼らにとっては人ごとであった。

 むしろ、これらのたまに起こる騒動は自分たちに関わりがなければ、人生の憂さを晴らすイベントでありただの見世物であった。生涯を村の耕作のみについやされる農民にとって殺しあいすら見世物の範疇に過ぎなかったのだった。

「おい、ちょっとそこの男。待て」

 不意にギリーの声が掛けられた。蔵人は無視するわけにもいかず、うっそりと近づくと亜人の前に立った。シズカも慣れない松葉杖を使ってその横に佇む。

「おまえはさっきからオレのやることを見て、気に入らねぇってツラだな」

「いや」

「誰が、口答えしていいっていった! ああっ!?」

 ギリーは蔵人の頬を力いっぱい拳固で殴りつけた。大柄な蔵人の身体は横に吹っ飛ぶと、茶屋の軒先に置いてある水甕に叩きつけられ盛大な音が響いた。

「貴様」

 その声からは、女らしい甘さが無くなっていた。

 シズカの顔から表情が消えた。

「ああ?」

 蔵人は、ギリーが彼女の殺気に気づく前に立ち上がると、咄嗟に駆け出して身体をふたつに折り頭を下げた。

「なんだ、おめえこの女おまえのかよ」

「はい」

「てめえのカカァか。腰抜けの旦那にしちゃあ、随分と気合が入ってるじゃねえか。よし、気に入った。このギリーさまが今日から世話してやる。女は置いていけ」

「どうかそれだけは」

「それだけは許して欲しいってか。ああん。随分と都合のいいことを。このオレさまが気に入ったってことは、すべてオレさまのものにするってことだ。そんなこともわからねえのか」

 無茶苦茶ないいぶんだった。当然ながら、シズカをこのケダモノたちに差し出すわけにはいかない。蔵人は完全に感情のスイッチを切ると、無言で頭を下げ続けた。しばらくすると、茶屋の室内に夫婦を押し込んだ男のひとりが戻り、シズカに向かって下卑た視線を這わした。

「大将、おれっちはさっきの人妻よりこっちの娘のほうが断然好みでさあ。見てください、この器量。貴族のお姫さまっていっても誰も疑いやしないですぜ」

「待て、よし。こういうのはどうだ。おい、おまえ。オレは少々暴れたりない。そこでだ、十発おまえを殴っても立っていられたら、今回に関しては勘弁してやってもいい。実に寛大だろう、人間よ」

「はい」

「クランド!」

 シズカの口から悲痛な叫びが飛び出した。

 獣人の力は人間とは比べ物にならない。特に、血塗れギリーとくれば、この男は拳の一撃で何十人と屠ってきたのであった。先ほどの一撃でも下手をすれば頓死しかねない。

 それを十回も行うというのは、文字通り死刑宣告に他ならなかった。

 死ぬ、クランドが。

 シズカの中に、いままで感じたことのない感情が湧き上がってきた。

 同時に目の前のギリーにかつて感じたことのない殺意が溢れ出してきた。

 だが、いまの自分はどうすることもできない。悔しさのあまり、頭がどうにかなりそうだった。

 蔵人は、そっとシズカに手を伸ばして制止した。

 自分には、不死の紋章イモータリティ・レッドがある。痛みに慣れるわけではないが、目の前でシズカを傷つけられるのは我慢できそうもなかった。

「そんじゃいくぜぇ、ひとーっつう!」

 蔵人の頭の中に電光が走った。気づけば、口の中の歯が何本が折れていた。

 たった一撃でこの有様である。男たちのニヤニヤとしたいやらしい笑みが周りを取り囲んでいる。

「ふたーっつぅ!」

 二発目。鼻先がへし折られた。焼けた火箸を突っこまれたようだ。鼻腔から逆流してきた血が喉を塞ぐ。

「みいーっつぅ!」

 むせる間もなく次弾が打ち下ろされる。一瞬、視界が途切れた。だが、両足はまだ大地を踏みしめている。膝が笑い始めた。自然に流れる涙で、頬が熱かった。

「よーっおっつう!!」

 顎先に力が入らなくなった。既に痛みを感じなくなっている。

 自然と、シズカの姿を探した。

 まだ、倒れない。倒れるわけにはいかない。

 蔵人が意識を保てたのはそこまでだった。正直なところ獣人の腕力を舐めていた。そもそも、奴らの私刑に耐えたとしても約束を守るとは限らないのだ。

 愚かなことをしている。

 蔵人は、そもそもがシズカが自分の命を狙っていることを思い出し、可笑しくなった。

 幾度となく、電光のように巨大な拳の一撃が意識を刈り取らんと猛追する。

 頭の中で鋭く雷鳴が轟く度に、自分が自分でなくなっていく。

 最後の瞬間に残ったのは、絶対に曲げないと決めた己の意思と男としての矜持のみだった。






「に、しても大将。あの男随分と耐えましたね」

 男は裸身も露わのまま、ギリーに話しかけた。

「んん? ああ、オレさまの拳に十発も耐えるとは中々楽しめたな」

 薄暗い茶屋の室内では、人妻であるエステルが裸身のまま倒れていた。暴虐の限りを尽くされたのか、瞳は虚ろのまま天井に視点を据え、微動だにしない。

 チェストミールをひと思いに殺さなかったのは、妻であるエステルを夫の目の前でじわじわと責めながら楽しもうという趣向を戦闘中に思いついたからである。

 だが、現実チェストミールは腕の出血が激しすぎてすぐに息を引きとってしまった。

 趣向は台無しである。

「面白くねえのは、この貴族女だ。とんだ、大洞穴だぜ」

「へい。見かけ以上に使い古しでやんしたね」

「その辺の淫売女のがまだマシだったな」

「へへ、そのようで。特に大将の槍には耐えられようもねえでしょう」

 エステルは夫の前で辱められるというプレッシャーに耐えられず、即効で壊れてしまった。身体こそかなりの肉付きでそこそこだったが、こうも簡単に自我喪失させてしまえば、人形と変わらない。

 人形など必要ない。ギリーは普通の快楽には飽き飽きしていた。

 仰向けになりながら、壊れた人形のように転がる女を見て、ギリーは激しい虚無感にとらわれはじめた。

「貴族だけにテクもイマイチだったし、つまらんなあ……」

 ギリーは、煙管に火をつけると気だるい表情で煙を更かし、次の狩場を探す算段をつけはじめていた。





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