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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第9章「奴隷解放同盟」
217/302

Lv217「終わりなき闇」





 ラファエロ・プライセル、という男について詳述しておかなければならない。

 彼は、王都近郊の名もない農村で生まれた。家は、豪農に毛が生えた程度の富力であるが、一応は下級貴族の範疇にかろうじて入るものだった。

 兄妹は多く、彼は、父が五十を過ぎて、下女に産ませた子であった。実母は下女とはいえ、際立って優れた容姿を持っていた。貴婦人が戯れに農婦の姿を真似ているといわれても信じてしまう清楚さを生まれつき備えていた。父は、ラファエロの母を溺愛し、不思議と腹違いの兄妹も彼のことを、まるで蔑んだりせず、一応は幸せな少年時代を過ごしたといっていい。

 彼には、幼馴染がひとりいた。彼女の名はユリアネといい、小貴族の末の娘で、ラファエロに負けず劣らずの素晴らしい美貌を持っていたが、生まれつきの盲、であった。

 ユリアネは心根が優しく、草木や花を愛する少女で、ラファエロは彼女といると常に幸福な気持ちでいられることに人生の喜びを見出し、いつしか成人した際には、彼女を妻として迎え入れることを夢見ていた。

 人生の転換がはじまったのは、彼が十歳になった歳の春であった。

 ユリアネの家が火を出したのである。事実は、家人による火の不始末であったが、折しも強風が吹き荒れる深更、周囲の家々を巻き込んで膨れ上がった炎は、勢いとどまることを知らず、あらゆるものを舐めて舐めて舐め尽くした。被害は甚大なものであった。ユリアネの家は、補償のため、祖父伝来の田畑を手放し、大傷を負った両親と共に、故郷を立ち退いていった。

 ――いつか、立派な男となって、君を迎えにゆく。

 別れの日、ラファエロは旅立つユリアネに向かって告げたが、彼女はすべてを諦め切った表情で、ただ寂しげに笑うだけであった。

 この日から、ラファエロの己を刻苦練磨する日々がはじまった。愛するユリアネを必ず、絶望の渦から救い出さなければならない。父母兄妹が心配するほどに、学業と武芸に打ち込んだ。元々は大柄だったラファエロは、日を重ねるごとに、成長を続け、腹違いの姉妹が陶然とするような美丈夫に育ちつつあった。

 ユリアネと再会したのは、彼女が故郷を離れて五年が過ぎ去った夏の日であった。風の噂で聞くところ、親族がいる王都のどこかに移り住んだということは知っていたが、養われるままの身では気ままに探しにゆくこともできない。再び、出会ったユリアネの美しさは、まるで妖精のようでラファエロの気持ちは、乱れに乱れた。

 彼女は、あるひとりの神父と行動を共にしていた。盲人である彼女は、治癒士として修行を積んでおり、神父の仕事を手伝う隙を見て、野山に入って薬草を摘み、かつての罪滅ぼしというように、故郷の貧しい人々に、無料で薬を分け与えた。

 ラファエロの彼女を思う気持ちは日増しに強くなった。が、実直である彼は仲介人を通さぬ野合など考えられず、あくまで彼女と会うときは余人をまじえ、世間に指をさされることのないよう、常に細心の注意を払っていた。彼は、このときまで、どこに出しても恥ずかしくない敬虔なロムレス教徒であった。

 彼は、若く、健康な肉体を持つ十五歳である。ひとつ年上の、匂うようなユリアネのむっちりと発達した乳房や、草むらから立ち上がりかけたときに見せる臀部の豊かさに、欲心を抱かぬはずがない。ラファエロは、彼女と会った次の日は、必ずベッドのシーツを汚し、己の節操のなさを強く恥じた。ロムレス教では、妊娠を伴わない射精は罪悪だとされており、自慰や夢精は強く戒められていたからであった。

 ラファエロは、恥を忍んで、長兄にユリアネとの婚姻を仲介してくれるよう頼んだ。もっとも、兄弟とはいえ、末子のラファエロと長兄では歳が三十も違う。

 この兄は、自分の息子と同い年の弟を溺愛しており、婚儀は問題なく進むよう取り計らうと快諾され、ラファエロは天にも昇るような気持ちで舞い上がった。

 が、数日して、長兄の態度が変わった。ラファエロの顔を見ても、なぜか悲しそうにため息を吐き、ことの顛末をいつまで経っても話そうとはしないのだ。

 ラファエロは激しく焦れた。結果として、問い詰めるように長兄に食ってかかり、事実を耳にしたときは天地が消滅したかのように錯覚した。

 ――あの女はダメだ。あれは、神父の情婦である。

「不憫ではあるが……」

 嘘だ。あの天使のようなユリアネが、仮にも実父のように慕う、かの神父とそのような穢らわしい仲になっているはずがない。

 激しく泣き叫ぶラファエロを長兄は強く抱きしめながら、優しく滾滾と説いた。実は、長兄も知らなかったことだが、これは、半ば村の中では常識的なことであった。

 それだけではない。神父は、日々の生計を立てるために、ユリアネに客を取らせているとのことであった。

 ラファエロは激しく悩乱した。それは、彼の中では絶対にあってはならないことであった。

 彼は、村の悪童にそのことを聞いて回ると、彼らは一様に目を伏せた。噂によれば、ユリアネを買いに来るのは、ほとんどが、この村に立ち寄った旅人や、峠の向こうに住んでいる村の若い衆ばかりらしい。

 考えてみれば、いくら美しいとはいえ、彼女は幼い頃はこの村に住んでいたのだ。さすがに、彼女を平然と買える無軌道な人間は、同じ故郷にはいなかった。

 俄然、真実味を帯びた噂を否定するため、ラファエロは、売買の場になっているとされる炭焼小屋を、夜半、静かに訪ねた。むせ返るような、蒸し暑い夏の夜である。頭上には、死神の鎌のように細くなった月が、白々と光っている。

 ――まるで、盗人のようだ。おれは。

 噂話を真に受けて、このような破廉恥な行為に手を染めることこそ、ユリアネを侮辱する行為にほかならないのではなだろうか。ラファエロは、激しく脈打つ胸を、ギュッと強く押さえながら、悪童たちに教えられた隙間の穴に顔を近づけた。そして、その目で、地獄を見た。

 炭焼小屋の中は、灯された幾つものロウソクの火によって、真昼のように明るくなっていた。

 中央には、蠢く、白い裸身が、幾つもの日焼けした男たちの肉によって、蹂躙されていた。

 汗と脂と情欲の体液でぬるぬると、彼らは肉を求め蠕動している。肉と肉とをまじわらせながら、それらは、法悦の声をケダモノのように上げて、終わることのない狂宴を繰り広げていた。

 ラファエロは涙を流しながら、自然と怒張する己の股間を恥じた。しばらくすると、僧衣を着込んだ悪魔が、男たちから銅貨を受け取ると、卑しい笑みを浮かべながら、残らず懐に仕舞い込み、あまつさえ下履きを脱ぐと、自分もユリアネに伸しかかるようにして、襲いかかった。

 ――もう、これ以上はたくさんだ。

 全身の肉体が激しく震えている。人間はこれほどまでに怒り狂えるのか、と心の中は煮えたぎっているのに、頭の中は恐ろしく冷え切っていた。

 手にした棍を握り締めると、割り折れそうなほど、みきみきと異様な音が鳴った。

 炭焼小屋の扉を開く。

 ポカンとした、男たちの表情が、戯画めいて滑稽だった。

 あとは、一気呵成だった。

 このときばかりと、ラファエロは荒れ狂った。逃げまどう男たちを、散々に打ちのめし、喉を突き、いままで習った秘術の限りを尽くして、人体という人体を残らず肉塊に変えた。

 屠殺される豚のような声が、小屋の中を劈いた。盲であるユリアネはなにが起こっているのかわからず、頭を抱えて震えているだけである。

 諸悪の根源。神父の皮をかぶった悪魔は、特に念入りに退治した。まず、両手足をへし折ると、服を剥いで、その醜い身体を露呈させた。棍を使って、丁寧に肋の一本一本をへし折ってゆく。

 ここで、注意するのは本数を間違えないことだ。肋は折りすぎると肺を圧迫して、簡単に絶命させてしまう。そんな慈悲をかけるほど、自分は迂闊ではない。

 ラファエロは、泣き叫ぶ神父を、年季の入った拷問官のようにいたぶりながら、どうしてこのような次第に陥ったか語らせた。

 聞けば、神父はユリアネの美貌につけ入って、何年もの間、その肉を貪っていたそうだった。

 ありとあらゆる、考えられる背徳的な行為をしいる内に、彼女の精神は半ば壊れ、ある日、それが度を過ぎて市民の通報を受け、王都を逃れて、この地へと舞い戻ったらしい。

 神父は趣味と実益を兼ねて、夜な夜な銭を取っては、村の若者たちや旅人にユリアネを抱かせていた。ユリアネがはじめて会った男たちに輪姦されるさまを見ると、加齢のせいで勢いを失った神父のものに力が戻り、異常な行為は日を追うごとにエスカレートしていったらしい。

 そこまで聞くと、ラファエロは、神父の口内に棍を突き入れて、残らず歯をへし折った。散らばった歯をかき集めると、ひとつずつ時間をかけて、両眼へと押し込んでゆく。

 絶叫は小屋の中を荒れ狂ったが、しばらくすると、神父はピクリとも動かなくなった。痛みのあまり、心臓が耐え切れなかったのだ。

 こんなものじゃない。こんなものでは俺の闇は晴れない。掻痒感にも似た怒りが皮膚の内側を駆け巡っている。口惜しさで全身がバラバラになりそうだった。

「誰がくたばっていいといった」

 自分でもゾッとするような、地の底から響くような声だった。

「ラファエロ、なの?」

 いままで耳を押さえていたユリアネがそろりそろりと不安そうな様子で近づいてくる。どうやら、彼女は、いままでの行為は、ラファエロではなく、他の誰かが行ったというふうに認識していたのだった。再び、激しい悪寒に似た電流が全身に走った。

「僕がいる。もう、だいじょうぶだよ、ユリアネ」

 彼女は助かった、という風に泣き叫びながら、抱きついてきた。人は、自分の見たいものしか見ないようにできている。彼女は、ラファエロを殺人鬼からの解放者と見てとったのだ。

 ユリアネを強く抱きしめながら、ラファエロは自分の尖りきった怒張を彼女に握らせた。それから、強く唇を吸うと、その場に押し倒した。

 ラファエロは長年の思いを果たすと、ユリアネを連れて村を出奔した。

 ここから、彼の、苦悩の旅がはじまった。

 故郷から離れた街に居を構え、自らの才覚で仕事を見つけた彼は、怠放を見せず与えられた業務をこなすことで瞬く間に雇用主から信を得た。

 が、神はこの男をどこまで厭うのであろうか。神父に調教されていたユリアネは結論からいうと、回復することはなかった。

 彼女は、夫であるラファエロを送り出すと、暇を見つけては男を引き込み、愉悦に浸った。ユリアネを愛するラファエロは、妻の裏切りに憤ることはあっても、処断を下すことはどうしてもできなかった。間男を誅して、街から街を飛び回る日々。頑健な精神と肉体は衰えを知らず、次第に、疲弊していったのはユリアネであった。

 ある朝。夜勤から戻ったラファエロが目にしたのは、自ら首を切り落として、冷たくなっているユリアネの姿であった。彼は、仕事道具を放り出すと、よろばうようにしてその場に座り込んだ。それからどのくらいそうしていたのだろうか。立ち上がってテーブルの上を目にすると、そこには疲れて帰宅した夫を思って作られた朝食がいつものように整然と並べられていた。

 思えば彼女も改造されてしまった自分の身体を持て余し、長らく苦しんでいたのであろう。

 ラファエロは己の中の愛憎を昇華しきれなくなって、ついには、邪教で知られるゴドラム教団の門戸を叩いた。ゴドラムの教えは単純明快である。

 人は、生まれつき思うままに行動するのが自然なのである、と。ゴドラムは、基本、教団の位階を厳格に守り、儀式と礼拝さえ行っていれば、あらゆる地上の悪徳が許容された。そこには、善意も信頼も清廉さも求められない。生のままの自分が、神の名のもとに祝福された。

 ラファエロの中には強い女性不信と善徳への怒りが埋没された。彼が、教団の指令を受けて、大聖堂の中にまんまと潜り込めたのも、敬虔なロムレス教の信徒として生きた経験が、あらゆる欺瞞を糊塗し、胡乱さを脱臭してくれたおかげである。

 彼は、あらゆる秩序を敵とし、平穏や団欒、一般的な幸福というものを憎みに憎みきっていた。

 ここまで、世間というものに憎悪を持って歯向かう信徒も、ゴドラムの中には数少ない。位階が絶対である教団の中では、世俗的な政治力を駆使してステージを上げようとする生臭き人間があまりにも多すぎたからであった。

 ――まずは、聖人ヨナスとかいう紛いものを、壇上から引きずり下ろして徹底的に辱める。

 怒っていた。恨んでいた。目につくものすべてが忌まわしい。ラファエロは、すでに、どこかしら人間としての基部が著しく破損していたのだった。

 本人にも、胸の中でわだかまっている澱のような仄くらい影の正体が、なんなのかも理解できずに憤っている。このような怪物に狙われてしまった教会こそ、悲劇そのものであった。

 ラファエロは力戦してホテルを脱出すると、大聖堂に向かって歩を進めた。かねてより打ち合わせて、市中に潜ませておいた精鋭に手駒三十を従えると、朝靄の中を駆けに駆けた。

 予定通り大聖堂を守る護衛の騎士は、その数を五十程度に減じられていた。装備こそは、教会側が優っているが、

「奇襲が成功すれば容易く勝てる」

 と判断し、部下たちに矢をつがえさせた。市内の混乱を恐れてか、教会に続く広々とした道には、市民の姿は見かけない。

「ひとりも零すな。ゴドラムの恩寵を信ぜよ」

 いうが早いか、ラファエロは真っ先に弓を引き絞って、ひょう、と切って放った。

 磨き抜かれた矢竹は鋭く空間を引き裂いて飛翔し、正面で騎馬に乗っていた指揮官の目庇目がけて吸い込まれ、見事なばかりに射倒した。

 ゴドラムの戦士たちは、揃って喊声を上げると、喚きながら次々に矢を放った。

 途端に、教会の門前は目を覆うばかりの戦場へあっという間に変貌を遂げた。血を見れば、人は興奮せずにはいられない。数こそ少なけれど、ラファエロが選び抜いたゴドラムの精鋭は、ひとりで騎士三人ほどの強さが間違いなくあった。

 はじめの矢戦で、十人近くを打ち倒された白十字騎士団(サンクトゥス・ナイツ)の騎士たちは、実戦に投入されないだけあって、実力的には本隊よりはるかに劣っていたことも敗因のひとつであった。

 ラファエロは、真っ先に駆けて、手にした杖を思うさま振るった。先端には赤ん坊の頭ほどある宝玉が嵌め込まれており、一撃すればするほどに、騎士たちの鉢を兜ごと割り捨てた。

 ゴッ、と鈍い音が鳴ると、屈強な騎士たちが次から次へと絶命してゆく。怒声をほとばしらせながら、静謐な回廊を押し進み、ついには礼拝堂へと到達した。

「誰ですか、あなたたちは」

 聖壇に向かって静かに祈りを捧げていた修道女たちは、覆面の男たちにそう呼びかけてから、彼らの背後に見知ったラファエロの姿を認め、激しく困惑した。

「神父さま。いったい、これはなにごと……」

 無警戒に近づいてくるシスターの顔を見て、吐き気をこらえた。僧衣をかぶっていたとしても、所詮は女である。余程、心細かったのであろうか、媚を隠そうともせず擦り寄ってくる有様にむらむらと制御できない怒りを覚え、自然と腕が動いた。

 杖を真正面から振り下ろした。重たげな宝玉はあっさりと女の鉢を割ると、ぬらぬらとした新鮮な血を浴びて妖しく輝いた。

「私に質問するな。黙って、聖骸布の在り処を教えれば、そう、苦しまずに済むぞ」

 状況をようやく理解したのか、女たちの口から同音の絶叫が礼拝堂に響き渡った。

 ラファエロは、配下たちに目配せをすると、まず逃げられぬように、三方の出入口を封鎖した。

 ――こちらには、聖骸布を収めてある、櫃の鍵は用意してある。

 礼拝堂の中に見当たらぬとすれば、どうせ知恵浅い坊主たちのことだ。きっとどこぞに隠し通路のひとつやふたつあるに違いない。

 シスターたちも、いまは口をつぐんでいるが、やわやわと締め上げてやれば、直に根を上げるであろう。もはや邪魔をする騎士も僧兵もここにはいない。

「さて、私に残された時間はそれほど多くはない。最初に、口を開いた者にはきちんと考慮はいたしますよ。慈悲と寛容は宗教者にとって欠くべからざるものですからな」

「アンタたち。その格好に、そのいい草。堂々と教会に押し入ってくることを考えれば、ゴドラム以外に考えられないわね」

「ほう。ひと目で見破るとは、感心感心。で、聖骸布のある場所を教えてくれる気になったかね」

「誰が……! いまから、アンタのドタマを叩き割って、ケツの穴に突っ込んでやるわ」

 燃え盛るような闘志と気迫を隠そうともせず進み出た女は、確かコルドゥラといったか。シスターにしては珍しく、かなり腕前に自信がありそうな立ち居振る舞いであった。

 なによりも、この集団を見て、恐れようとする気配すら見せない。他のシスターたちは、震えてひとつところに固まっているというのに、拍手を送りたくなるような胆力を持っている。

(そういう気が強い女を力で真っ向からねじ伏せるのが、俺の趣味でな……)

「これはこれは手厳しい。それにしても、勇ましいシスターだ。私たちが、ゴドラム教団の戦士と知ってなお歯向かうとは。我らは、ロムレス教徒など塵芥程度にしか思っていない。逆らえば、手心を加える慈悲も消し飛ぶとは想像もできないのか?」

「冗談。ここまで、あからさまにやるってことは、そもそもあたしらを、ひとりたりとも見逃そうとは思ってないってことでしょ。それにね。あたしは、気が短いのよ! おしゃべりなら、よそでやりなッ!」

 コルドゥラは僧衣を翻しながら疾風のように跳躍した。

 想像していた以上に、素早い動きであった。彼女は、解き放たれた矢のような勢いで、飛び蹴りを浴びせてきた。

 杖を振るう暇もない。左腕を上げて、カバーするのが精一杯だ。小柄な身体から繰り出されたとは思えないほど強烈な一撃であった。

 ラファエロは、ジンジンと痺れる腕をだらんと垂れ下げながら、誘いを打った。

 が、敵もさるもの。容易には誘いに乗らず、腰を低く落とすと、猫のようにしなやかな動作と目で、こちらの一挙一動を観察している。

「君は中々賢いな」

「あいにくと、そんなバレバレの手に乗るほど甘ちゃんじゃないのよ」

「面白い。実に面白い。是が非でも、君を跪かせたくなったよ」

「その前に、アンタのなまっちょろい顔を、二目と見れないモンにしてやるわ」

「そいつは、たいそう楽しみだよ。君が、口だけで終わらないと、期待している……!」

 杖を握り直して胸の前で両端を持ち、前方に突き出す。これは、左右どちらからの攻撃にも対応できる正面の構えである。

 杖の間合いを嫌ってか、彼女は、気づかぬ程度の動きで、ジリジリと後退していく。

 それは、一瞬、自然のようにも思えるが、先ほど自分が行った行為のように、作った誘いである可能性も捨てきれない。

 釣り上がったアーモンド型の瞳も、しなやかな全身の筋肉も涎が出るほどに美しい女だ。

 ――だから、そういうのを見ると、無性に壊したくなって仕方がない。

 ふたりが対峙しているのは礼拝堂の聖壇に続く狭い通路の中である。周囲には、固定された無数の長机が林立し、自由に動き回れる広い場所ではない。

 自然、攻防は限定されたものとなった。基本は前後にしか動くことができないので、思った以上に技の範囲が狭まっている。動き回って敵の背後を取る、といったことは、長机が邪魔をして機敏には行えそうにない。

 戦いの潮合が、自然と極まった。

 コルドゥラは恐ろしく低い姿勢のまま、海面を魚が走るように駆け寄ってきた。

 低い。思った以上に低すぎるのだ。

 ガードが間に合わない。膝を屈めようとした瞬間、素早い前蹴りが鳩尾に決まっていた。

 薄い靴を通して指の配置までわかるような衝撃を受けて、顎が下がった。

 これは敢えて受けた。彼女は、すばしこいタイプの武闘家だ。いちいち機を窺って叩いていたら、闘いがいつになれば決着がつくのか予想はつかない。

 よって、受けた。いわば、これはひとつの賭けだった。鼻っ柱の強さを表すような強烈な前蹴りだった。あらかじめ、受ける部位に守護の魔術をかけておかねば、悶絶ものであっただろう。

 それよりもなによりも、魔術を併用した上でガードしてこの体たらくである。

 コルドゥラよ。君は誇っていい。自分以外の敵であるならば、いまの一撃で、ほぼ勝敗は決していただろう。現に、内蔵の幾つかは甚大な損傷を受けている。

 ラファエロは、杖を素早く手放すと、伸びきったコルドゥラの右足を両腕で掴んだ。

「しまっ――!」

「残念」

 折った。これでもかとばかりに、へし折った。

 ぼきり、と骨が砕ける音が、確かに聞こえた。それからの彼女の反応は素晴らしいものだった。

 痛みを意に介さず、残った左足を踵から振り下ろしてきたのであった。

 狙いは、彼女の足を掴んでいる、ラファエロの腕である。

 自然、彼女の上半身は宙に浮いた形となった。命を賭けた戦いの中で、自分の身体を敵にそっくり預けるというのは、並大抵の心臓では決断できるものではない。

 だが、彼女はそれをやった。  

 そして、運が悪いことに、ラファエロはそれをすべて読み切っていた。

 折り割ったコルドゥラの足から左腕を放すと、即座に手のひらで落ちてきた踵を防いだ。

 同時に、彼女の小さな踵を、人間の構造上曲がらない方向へと捻じ曲げた。

「おや、再び残念」

 コルドゥラは声にならない絶叫を上げると、頭を思いきり床に打ちつけて、鋭く呻いた。ラファエロは薄く笑うと、ふわりと宙に舞って、大の字に広がったコルドゥラへと馬乗りになった。

 こうなれば、両足の機能をほぼ破壊され、体重からしてはるかに違う彼女にしてみれば、ブリッジで弾き飛ばすことも不可能であった。

 コルドゥラは苦痛に呻くと、それでも気丈に眼を怒らせて睨んでくる。

 ラファエロは、その表情がたまらなく好きだった。だから、壊すことにした。

 まず、自分の太い腕を彼女の両肩にかけて、関節を外した。コルドゥラは眉間にシワを寄せて悲鳴を無理やり噛み殺している。官能にあえぐようなせつない吐息は、ラファエロのゆがんだ性癖をますます掻き立てるエッセンスにしかすぎない。

 勃起した怒張の存在を、己の胸のあたりで感じたのか、彼女は蔑んだ顔で、これまで以上に壮絶な罵りの言葉を発した。

「黙れ」

 マウントポジションを取っているラファエロは、この場合に神と同等の存在である。それを認めず反抗する彼女の存在が、かわいくて仕方ない。

(面白い。どこまで耐えられるのか。この女狐が)

 打った。打ち据えた。これ以上ない、速度と威力を調節して、絶え間なく平手打ちを浴びせた。

 大人が聞き分けのない子供を叱るように、ラファエロは、コルドゥラの白くてすべすべした頬を、己の無骨な手のひらで散々に打って打って打ちまくった。

 甲高い頬を打つ音が流れるたびに、シスターたちの泣き声がさらに勢いを増してゆくのが楽しくてならない。

 コルドゥラは端正な顔を引きつらせながら、呻く。

 彼女は、ラファエロの前では暴風に耐える若木のように無力な存在であった。

 ぱん、ぱん、ぱん、と。甲高い平手打ちの音だけが虚しく響く。ゴドラム教の戦士たちはというと、無言のまま、この地獄の狂宴を熱を孕んだ昏い目でジッと見つめ続けていた。

 いまや、コルドゥラの顔はパンパンに膨れ上がっていた。ラファエロの力であれば、彼女の細首程度、一撃にしてねじ切れるだろうが、それでは面白くない。

(耐えろ。耐えてくれよ。いま、君の信仰が試されているのだ)

 コルドゥラの細く整った鼻は奇妙にひしゃげ血が吹き出ている。目元や頬は黒く染まり、激しく内出血しているのがわかった。ラファエロは、ここまでされて、声すら立てないシスターの頑張りように、ある種の畏敬の念すら覚えはじめていた。

 ピタリと、平手を止めていった。

「どうだい。そろそろ考えを改める気持ちにはなりましたかな?」

 恋人にそうするように、そっと顔を近づけて息がかかるくらいまで接近する。コルドゥラの長い金色のまつ毛が、朱に濡れて黒く輝いている。

 同時に、頬へと血の混じったツバキを吐きかけられた。驚いて、上体を起こすと、ぼろきれ同然となったシスターは、裂けた唇をゆがませて、さもおかしそうにカラカラと笑って見せた。

「――キンタマ引き抜いてケツの穴に突っ込んでやる。カマ野郎」

「面白いじゃないか。気に入った。実に気に入ったよ」

 ラファエロは、両手をコルドゥラの首に回して、ぎゅうぎゅうと締め上げた。彼女は、真っ赤な舌を口元から放り出しながら、白目を剥いてあえいでいる。

「信仰か? それは信仰なのか? 君を支えているものの真実。是非とも確かめたくなった」

 腹の下で蠢いている肉の苦痛が、衣服を通して伝わってくるようだった。ラファエロは、信仰という言葉を口にして、この瞬間まで、自分がゴドラムのことをカケラも思わなかったことに、半ば、安堵していた。

 そうだ。元々自分は、教義も神の世界も地上の栄誉も必要ないのだ。聖骸布を手に入れる使命ですら、もはやどうでもいいと考えている。

 これらは、すべて自分が殺戮を楽しむための舞台装置にしか過ぎない。

(おっと、これ以上やりすぎては大切なオモチャを壊してしまう)

 そっと手を離すと、女が激しく咳き込んでいるのが見えた。ラファエロは、馬乗りの状態から立ち上がると、コルドゥラの背中に腕を入れて、ぐるんと、ひっくり返し、うつ伏せにした。

「な、なにを……!」

「いやね。君は苦痛に強いみたいだから、今度は別方面からアプローチをかけようと思ってね。さあ、そこで遠巻きにしているシスターの諸君。もそっと、前に進み出たまえ。これから、世にも楽しいショーをはじめるよ。ん。なにを遠慮しているんだい。このような退屈しのぎ、大好物のはずだろうが」

「神父さま。もう、そこまでに、そこまでにしてください。このままでは、シスター・コルドゥラがあんまりです! わたしが、わたしが代わりますから! 彼女に代わってわたしが……!」

(ほほう、これはこれは。彼女の名前は、なんといったか。確か)

 記憶の襞をゆっくりと探る。この教会に潜入してから日が浅く、まだ、全員の顔と名は一致しない。そもそも、女などは、すべて色と欲に塗れた薄汚い肉塊だ。区別などつくはずもなかろう。

「クレア、あんたは、関係ないッ。ひっこんで、いな、さい」

「ほう。君の名はクレアか。勇敢にも、そこらの有象無象とは違って、同胞の代わりに痛みを分かち合う清廉な魂が君の中にあると誇示したいのだね」

「そんなんじゃありません。ただ、わたしは、他の人と違って穢れていますから……」

 少女が青い瞳を伏せて寂しげにうつむく。その仕草が、どこか、ユリアネの面影と重なり、ラファエロは胸の動悸が激しく高まっていることに気づき、狼狽した。

「君の健気な申し出。受けようじゃないか。さ、そこの肉塊どもから離れて、こっちに来るんだ」

「はい……」

 自ら、いいだしたものの、恐怖に身体が囚われているためか、彼女の歩みは歯噛みするほど遅々として進まなかった。コツコツと、大聖堂を清げでかわいらしい小さな音が渡っている。

「クレア、きちゃダメ。きちゃダメだったら! アンタが、ハズレくじ引く必要、ない」

「シスター・コルドゥラ。少し、黙っていてくれないか。君の発言は、いささか興を削ぐ」

「この、悪魔……!」

「おいおい、口の利き方には気をつけたほうが、いいッ」

「あぎっ!?」

 細く、くびれた腰をつま先でコジった。コルドゥラの口から屠殺された家畜のような、奇妙な声がほとばしり、様子を見守っていたシスターたちから、さらなる悲鳴の渦が生まれた。

「やめて、やめてくださいっ。いま、いま行きますからッ」

「シスター・クレア。君が、あまりに遅すぎるから、彼女が余計な痛苦を味わうハメになったんだよ。そこのところ、キチンと理解してもらわないと、困る。さ、脱ぎなさい。その抹香臭いローブを脱いで生まれたままの姿になるんだ。と、それと、頭巾はそのままにしておいて。そうでなければ、清廉な修道女を辱めているという一体感が、生まれないからね。周囲の、男たちを見なさい。君の若く、美しい肉体がこれからどのように、汚辱へと塗れてゆくか、期待した眼で見ているのだ。ゴドラムはこのようなイベントを通じてグルーヴ感を得るのだよ」

 ラファエロは靴の底で、コルドゥラが悔し紛れに身をよじるのを感じ、たとえようもないほどの多幸感に包まれ、これから行なう自らの悪魔的所業に陶然となった。








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