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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第9章「奴隷解放同盟」
207/302

Lv207「汝、我に試練を」




「彼女たちがわたしを責めるのは当然のことなのです。いわゆる、自浄作用のようなものですから。そう、そうですね。まず、よくされたのは、ものを隠されることです。わたしは、着の身着のままで教会に来ましたから。ええ。実家はありましたけど、名義はすでに叔母夫婦のものになっておりまして。

 基本的に、生活費は、兄が日雇いで稼いできてくれました。わたしは、兄の苦しみなどなにひとつ理解することなく、ただ、子供のようにねだることしかありませんでした。裕福。そんなわけあるはずないじゃないですか。お金はいつもなかったんです。

 ただ、わたしは、兄がねだれば、なんでも買い与えてくれたので。勘違いしていました。ええ。あの、オークにすがったのも、わたしは常々、女の操は、一生添い遂げる相手にしか捧げてはならないときつく戒められていましたから。

 だから、彼にすがるしかなかった。子供だったんですよ。それに、周りは怖い大人ばかりで、誰かにすがりたかったんです。それに、いじめのことですが、着替えや下着、歯ブラシや櫛とか、お布施でもらった菓子とか。些細なものまで隠されたり、奪われたりしました。

 特に、甘いものは、キツかったです。司教も、無理をいってわたしを引き取った手前、ほかのシスターたちのケジメもあって、堂々と特別扱いするわけにもいかないので。

 わたし、教会では年下の方で、礼拝に来る年配の方から可愛がられて。それで、お姉さま方、わたしのこと余計に気に入らなかったみたいで。奉仕活動では特にキツい作業を任されました。でも、それに関しては、なんと思ってません。

 だって、わたしは汚れているから。ほかの誰よりも汚れているから、少しでも神の御心に近づきたくて。作業は嫌いではありません。清掃とか食事の用意とか。ぜんぜん、やったことがなくて、苦労しましたけど。でも、ああいうの、嫌いじゃないです。いえ、好き、かな。

 わたし、この教会に来て気づきました。誰かに奉仕することが好きなんですよ。苦しくて苦しくて。でも、ほかの誰かがわたしのやったことで喜んでもらえると。こう、胸の中がジワっとあたたかくなるんです。こういうの、向いてるみたいなんです。自分が苦しめば苦しむほど、この身体の中の汚れが、みんな綺麗になっていくような気がして。

 作業は、どうということはないんですけど。夜、眠らせてもらえないのは、苦しかったです。でも、これがわたしに科せられた罰なら。受けなくてはと。でも、わたしが従順になればなるほど、最後は作業時以外口を利いてくれなくなって。

 ええ、全員じゃないですけど。同室のお姉様方に無視されるのは。寂しくて寂しくて。それで、今日は、夜間の癈兵院の慰問に出たところを、置いていかれてしまって。帰らなくちゃって思ってウロウロしているところを。悪い人たちに囲まれて。

 でも、クランドさまが助けてくだすって。ああ、やっぱり神さまっているのだなって。わたしの祈りは通じていたってわかると、もう、うれしくてうれしくて」

 クレアの瞳が場末の連れ込み宿でわずかに灯る光にあぶりだされ、妖しく照り映えていた。

 彼女は、蔵人の膝にちょこんと腰かけたまま、まるで恋人に甘えるかのように、安心しきった表情で語り続けている。うれしい、といっているのに、クレアの眼の中に、どこか昏いものが澱んでいる。澱みは、表面上、深く沈んでいるが退廃的な香気を放ち続けている。どうて見ても、誰が見ても幼い。その幼さに隠された、陵辱の爪痕は深く根づいている。

「夢を見るのです。わたしが、処女を失ったときの夢を」

「クレア。無理に話す必要はない」

「いいのです。聞いて欲しいから。あのとき、わたしは、抗いようもない、男の力で組み伏せられ、無理やり処女を散らされました。あんな、野卑な男たちの前で、存分にねぶられ。あろうことか、感じはじめていただなんて。はしたないほど、濡れていましたの。声が、頭の奥底に焼きついて離れない。あのオークに貫かれたときの衝撃は、忘れられないのです。忌まわしい記憶なのに。いいですか。逃げないでくださいまし。わたし、あれを思い出すと、眠れなくなるのです。それこそ、一晩中。身体が火のように火照って。夢の中では、殿方にお仕えしているのです。身体には布ひとつ纏わず。あられもない格好で、屈辱的に。でも、苦しくてみじめで、もう二度と思い出したくもないはずなのに。それを、幾度でも、欲しいと思ってしまうなんて……!」

 クレアが震えながら抱きついてくる。蔵人が、細く小さな肩をそっと抱きしめる。彼女は、ゾッとするような色気のある瞳で、真正面から覗き込んでくる。いささか、気が遠くなった。

「転がされて、獣のように背後から、正面から巨体に押し潰されるように、夢の中の男はわたしを責め続けるのです。教会のお姉さま方が、わたしのような異常者を嫌うのも当然です。こんなこと、お世話になった司教さまにも話せない、です。でも、不思議。クランドさまなら、なぜか受け入れてくれるような気がして。ねえ、嫌わないでくださいまし。クレアのことを、こんなクレアのことを。ねえ、わたしの身体はどうなってしまったのでしょうか」

 思うに、クレアは男の濁った欲望を魂の底まで転写されてしまったのだ。異常な初体験によって、人間を人間たらしめる規範や倫理観が崩壊している。蔵人が冷えた眼でクレアを見ていることにも気づかず、彼女の声は次第に熱を帯び、高くなった。

 彼女は、自分がいかにオークの男根に仕え、屈辱的な姿態で奉仕したかを克明に語った。いや、湖賊がレッドファランクス号を占拠した期間はそれほど長くない。

 ほとんどは、彼女の妄想だろうと判断できた。彼女は、己に辛い作業量を与えることによって、精神の均衡をようやく得ているに過ぎない。

 蔵人は、クレアにとって格好の吐き出し口に過ぎなかった。人間は、過剰なストレスを感じると、口数が多くなるといわれているが、クレアは澱んだ妄想を誰にも吐き出せずにここまで来てしまった。

 下手に止めては、彼女はおかしくなってしまうかもしれない。放置しているうちに、彼女は電流に打たれたように、身体をびくんと跳ねさせると、なんともいえない男の心を蕩かすような、歓喜と愉悦が混じった声を上げた。うう、とか、ああ、とか蔵人が閨でよく聞く嫁たちの嗚咽のようなよろこびと同質のものだった。

 じっとりと、蔵人の腿のあたりにあたたかいものが広がっていく。ただの失禁だけではなく、粘りや匂いから、彼女が妄想だけで達したことに気づき、反射的に顔をゆがめた。

 ハァハァ、と荒い息を吐いていたクレアは、身体の力を抜くとそのまま気絶してしまった。あまりの異常事態に困惑しかない。このまま、クレアを放り出すわけにもいかない。

「自分だけ気持ちよくなりやがって、このお。俺は、どうすりゃいいんですかねえ」

 もはや夜明けまでそれほど時間もない。蔵人は、クレアの下着の始末をすると、幼子を抱きかけるようにしてベッドに引き込み、湯たんぽ代わりにして寝ることにした。飲みまくった酒精で、身体中がカッカッと火照っているが、そんなことはどうでもよかった。脳イキした淫乱小娘の先行きなど、精神科医でもない蔵人にはどうにもできないし、したくもない。

「お互いに大事な穴がユルいこと。まったく、困ったもんだ」

 とろとろと意識が沈んでいく。夢は見なかった。






 すごい、とつぶやく若い女の声で目が覚めた。すごい。なにが凄いんだって。湿っぽい毛布から顔を上げると、乱れた部分から隆起した股間が天高く突き上げていた。

 いつものアレだ。ことに、昨晩は、中途半端に高ぶった上で出していない。三割増しで硬かった。石のように鋼鉄のように。ま、バカなこといっちゃあいられない。

「あ。おはようございます、クランドさま」

「お、おはよう」

 目の前には、ぴっちりと厚めのローブで身体を覆い隠したクレアがこちらをジッと見つめていた。すごい、といっていたのは彼女のつぶやきだったのだ。当たり前だ。この歳で朝勃ちしていなければ不能でしかないだろう。

「クランドさま。宿の方に、火を借りまして、紅茶とリゾットを作りました。よろしければ」

「ああ、悪いな。てか。結局寝ちまったのか」

「はい……」

 クレアはフードで顔を隠しながら、ポットの中身をカップにあけてゆく。頬は桜色にほんのり染まっていた。それから、やっぱりすごい、とつぶやいている声をかすかに聞き取ったが、とりあえず聞かなかったことにした。さすがに、この歳の子には手を出せん。

「どう、ですか。お口に合いませんでしょうか」

「いや。酒をしこたま飲んだあとだから、ちょうどいいや。クレアは料理がうまいな」

「そんな。恐縮です。昔は、しようとも思いませんでしたから。教会に、感謝です」

 蔵人はベッドに腰かけながら、リゾットとチーズ、スープと紅茶の朝食をばくばくと平らげた。

 クレアは、子リスのように、パンとチーズをかじっただけだった。

 まったりとした空気が流れる。そこには抱き合って寝た男女間に生まれる独特の空気が漂っていた。厳密にいえば、違うのであるが、枕をかわしたということはゆるぎなかった。

「昨晩は、すまなかったな。寝ちまって」

「いいえ。わたしも、久しぶりにぐっすり眠れました。こんなこと、この街に来てはじめて」

「おい、泣くなよ」

「ごめんなさい。うれしくて。ねえ、クランドさま。お兄さまって、一度だけ呼んでもいい」

 クレアの瞳は、昨晩とは違って馴れるような輝きがあった。だいたいが拒む理由もない。静かにうなずくと、彼女は胸板に顔を埋めるように飛び込んできた。とくとくと、互いの心音を、しばらくの時間聞いた。

「ね。クランドさま。つらいこと、たくさんあるけど。これで、もう少し、耐えられる気がするの。また、こうして会ってもらえないかしら?」

「あ、ああ……」

 ここで「ノン」といえば、彼女の拙い最後の希望まで打ち砕くこととなる。寮内のいじめは、部外者であり、男でもある蔵人にはどうしようもないことである。

 後で、それとなくマルコやコルドゥラ、イルゼに相談しようと思い、ほわほわしたクレアの金髪を撫ぜた。

「俺にできることはたぶん、あんまないけど。ピンチになったら、心の底で願ってくれ。いつでも、きっと駆けつける」

「クランドさまったら」

 クレアはクスクスとおかしそうに笑うと、袖を振って、ぶつ真似をした。

 どうやら、また心配事を抱え込んだらしい。

 ちなみに、蔵人はこの後、クレアをそっと教会の傍まで送り届けたら。待ち構えていたコルドゥラにきゃんきゃん噛みつかれた。悲劇である。

 教会を去った後、蔵人は突如として帰宅恐怖症という不知の病に陥った。なまっ白い若造に対する不覚。それと不可抗力の軟便射出事件である。

「ヤだなぁ。おうち帰りたくないなぁ。うんこ漏らし野郎とかいわれたらどうしよう」

 ダンジョン攻略という予定も迫っているのに、このような不安定な気持ちでは、思わぬ事故にも繋がりかねない。これというのも、あの、なまっ白い青瓢箪がすべて悪いのだ。

「アイツ、俺がいない間に、アルに手ェ出したりしてねーだろうな」

 妄想は膨らむ。アルテミシアは、際立った長身がゆえに、ほとんど男からお姫さま扱いされたことがない。蔵人からしてみれば、スーパーモデルのようにスラッとした長い脚も、母性そのものを体現した爆乳も彼女にとっては生きてゆく上での足枷でしかなかった。

 たとえばそこを突かれれば、案外、あっさりと落ちてしまうのではないだろうか。

 ラファエロというあの男、上手い具合に、徒手格闘術の訓練だと丸め込み、これはこういう型であると、いやらしい手つきで、腰や胸をまさぐりつつ、合理的にコトに及ぼうとしているのではないかと、黒い疑念がむくむくと膨らんでいった。

「アルゥ、アルよう」

 悶々としながら街路を歩いていると、中央の目抜き通りに差しかかった。時刻はちょうどひるどきだろうか、屋台が直線道路に沿ってズラリと伸びている。肉や香辛料が焦げるいい匂いが食欲をそそった。

「おいもホクホク、お肉ジュウジュウ。お腹すいたなぁ」

「へい、いらっしゃい。旦那! シルバーヴィラゴ名物ポコポコ鳥の串焼きはいかがっすか!」

「ぬう、食べたいのう」

 蔵人は、ごくりと生唾を飲み込むと、ミンチにした上で甘辛いタレをたっぷりと塗りたくったつくねを見ながら、飢えた狼のような瞳を光らせた。ぐーぎゅるる、と腹の虫が鳴いている。

「ひとつ、五P(ポンドル)になりやす」

「……ダメだ。ぜんぜん足りない」

 財布代わりの革袋を漁ると、出てきたのは糸くずとどこかで拾った石ころ、それに珍しい貝殻であった。ちなみに、貝殻はルシルたちハーフエルフの子供たちがプレゼントしてくれたものだ。思いでを捨てられない男、蔵人。だが、貝殻は通貨の意味をなさない。

「ね。おっちゃん、これで……」

「ああ! ダメだ、ダメだ。銭のないやつはお呼びじゃないよ。さ、帰った帰った」

「しどい」

 蔵人は石畳の街路に崩れ落ちると、膝小僧を抱えて横に寝た。腹が減りすぎて、動く気力もない。自分の殻に閉じ篭るポーズだ。商売人にしてみれば物乞いよりタチが悪い。

「おいいいっ。アンタ、そんなところで寝っ転がられちゃ困るよおおっ」

「もおいいんだ。俺は、この道の一部として生きてゆく。そして、三百万年後に化石として発掘されるんだ……」

「それってただの行路病死だよね!? やめてくんない。営業妨害は」

「おやおや。確か、以前にも似たようなことがありましたなぁ」

 目尻に涙を溜めて、横倒しに身を縮めている蔵人へと、奇特にも声をかける中年の紳士がいた。

 影をそっと見上げる。そこには、三十半ばの連れを従えて、身を屈めている、ロムレス屈指の奴隷商人、リドリー・シャイロックの姿があった。






「このご時勢に行き倒れは珍しくはないが。それが知った顔であれば、もう、驚かずにはいられませんで」

「もう、そのくらいで勘弁してくれよ……」

 ポルディナは、主の蔵人がシャイロックを含む数人の豪商となごやかに談話しているのを、背後からそっと見守っていた。

 主の蔵人は、よく、行先を告げずにぷいと飛び出してゆく。こちらとしては心配なので、必ず行先を尋ねるが、それをすると彼は必ず癇癪を起こすのであった。ほとんどのことに寛容な蔵人であったが、なぜか外出先を聞かれると火がついたように怒り出すのだ。

 ポルディナをはじめとする屋敷の女たちは、いっしょに暮らしはじめたとき、てっきりよそで女遊びをしているからそれを詮索されたくなくて、怒っているのだと思っていたが、主たる理由はそこにない。

 いや、その中にも、女、という色の成分も含まれているが、怒りを恐れながら聞いたところによると、子供のようにいちいち居場所を告げるのが、果てしなく不愉快だ、ということであった。

 主としても、男としても変わった部類の人間である。心配、といっても城外に出ることはいままで一度もなかったので、探そうと思えばたちどころに居場所はつきとめられるのであるが、前回のように、妙な事件に巻き込まれて、身体に不自由を覚えたり、怪我をすることも多々ある。

 どこで女遊びをしようが、博打を打とうが、喧嘩をしようが、それは男の甲斐性だと割り切っているので気にもならないが、いざというとき居所がわからないのは、そばにいけないので困るのだ。

 できれば、ポルディナは常に、四六時中蔵人と寄り添っていたい。かつて、生まれた村で暮らしていたときは、ポルディナの父母は、傍から見ていても赤面するほど、常に寄り添って生きていた。

 いつか、自分も夫を持つようになれば、あのようにべったりくっついて過ごすのが当たり前。そう思って生きてきた。現実には、部族間のいくさに敗れ、この身は賠償奴隷として、故郷よりはるか遠くに売り飛ばされた。ポルディナは誇り高い戦狼族(ウェアウルフ)だ。

 戦闘力なら、素手だけであっても隙を突いて逃げ出すことは可能であったが、それは、部族間の約定を破ることになる。ひいては、故郷で暮らしているベル・ベーラ族の名を汚すこととなる。

 それだけはできなかった。本能としてつがいはいっしょにいたがるものだ。

 が、そこは、どうしても埋めきれない人間族と亜人との種族間の差というものだろう。

「お宅のご主人を保護しています」と、ケット・シーのメール便を玄関口で受け取ったとき、ポルディナは仰天した。ほとんど、着の身着のまま飛び出してゆき、門扉の前でサボっていたヴィクトワールとハナが追ってきたことにも気づかなかった。

(けど、心配が杞憂に終わってよかった)

 見覚えのあるシャイロック邸に着いたとき、これはなにかの罠かと、勘ぐらなくもなかったが、蔵人を思う気持ちが勝った。

 案内に屋敷の中へ通されると、豪商で知られるシャイロックをはじめとする、大商人たちが私的なパーティーを開いている最中であった。要するに、主の蔵人は、シャイロック邸へ数日滞在するため身の回りの世話をする人間を欲していたのであった。

 豪奢な調度品で埋め尽くされている客間には、蔵人を含めた六人ほどの紳士たちが席を占めていた。いずれもシャイロックの商売相手で、年配の男ばかりである。皆、正当な商売をしている名の知れた人間であった。

 彼らと蔵人では、孫ほど歳が違うが、蔵人はそつなく男たちと打ち解けている。仕える者としては、浮いてはいないかと心配であったが問題はないようである。ポルディナの気分は、我が子が友達と馴染めるかどうか心配する母親のようなものであった。

「まったく、いまどき行き倒れ云々とは恥を知れ恥を」

「あの、この方はどなたで……」

 どこからどう見てもメイドにしか見えないヴィクトワールはちゃっかりと席を一角を占め、優雅に茶などを啜っている。

 彼女は、ダミーとはいえ売買奴隷の証である首輪を嵌めて、格好もメイドそのものであるから不審に思われてもあたりまえだ。

 紳士のひとりが、シャイロックに耳打ちし、案の定、彼女が領主の娘であると知ると、手のひらを返したように態度を変えるのは滑稽だった。

 ポルディナは無知でも傲岸でもない。蔵人の妻として正式に認められている中で、もっとも高貴な身分なのは、このヴィクトワールである。ポルディナも、妻として儀式を正式に行っているので、本来であれば彼女を立てて「奥さま」とでも呼び、仕えなければならないのだが、どうにもそうする気が起きないのであった。

「クランドさん。あなた、遊びにおいでと誘っても一向に来てくださらない。市で会ったのはなにかの縁。数日はつきあってもらいますぞ」

「いやいや、それはこっちとしてもお願いします、というか」

「はは。リドリーの友ならば、儂の友だ。ここンところ同じ顔ぶれで飽き飽きしてたところだ。聞くところによると、君はあの悪名高き冒険者というじゃないか。ひとつ、珍しい話でも聞かせてもらいたいものだな」

「こら、ヨーラン。クランドさんに失礼だぞ」

 ヨーランと呼ばれた六十過ぎのでっぷりと太った老爺は、太鼓腹を叩きながら人懐こそうな顔で微笑んだ。

「失礼。儂はヨーラン。リドリーとは古いつきあいでね。馴れ馴れしいのが玉に瑕な年寄りだが嫌わんでくれるとうれしい」

「なに、馴れ馴れしいのはこちらも同じ」

「それにしても、自分の屋敷に帰りづらいとは、なにかあったのかね。女か? 博打か?」

「いや、ちょっと衆目で粗相を。つまりは、ドバっと漏らしちゃったわけで……」

「なんだ! そんなことを気に病んでたのか! 気にするな気にするな若いの。どうせ、アンタが糞漏らしたことを笑ったやつだって、そのうち自分だって漏らすようになる。人を呪わば穴ふたつ。ん? これは、ちょっと違ったか。とにかく、気にするな気にするな。糞のひとつやふたつ。儂なんぞ、しょっちゅう漏らしとる。そのたんびに、サラには世話をかけとる。の」

「もう、旦那さまったら」

 ヨーランは背後に控えていた奴隷女に親しく呼びかけると、豪快に笑い飛ばした。

(ご主人さま。そのことを恥じて、お戻りにならなかったのですね……)

「クランド。おまえ、どこか悪いのか? 医者に見てもらわなくて平気か?」

 無言だったヴィクトワールが、突然会話に入ってきた。

「しんぱいしないでわたしはへいき」

「なぜ、カタコトになるんだ」

 ヴィクトワールがカップを置いて、さも心配そうに眉をしかめる。ポルディナは、余計なことを蒸し返して蔵人の苦しい記憶を掘り返すんじゃない、と心の中で拳を握り締めた。

 後で、折檻しようと、鼻を小さく鳴らす。ふと、ヨーランの背後に立っていた奴隷、サラと目が合った。彼女も珍しいことに、ポルディナと同じく、戦狼族(ウェアウルフ)であった。

 なんにせよ無事でよかった。ポルディナは、陽気に騒ぐ蔵人たちから離れて、使用人の控えの間で、わずかな休息を取った。実際、疲れなどなにもなく、寸分も離れず寄り添っていたかったのだが、男は男だけで話がある、ということで、人払いをされたのだった。

 控えの間には、それぞれの商人が連れていた奴隷たちが顔を揃えていた。

 一応、宴席ということで、奴隷たちにも過分な料理が出されている。だが、女たちは、初対面だけあって緊張が解けず、場を探り合っていた。

 主の前では私語は当然慎むべきであり、互いの名前すら知らない。ポルディナが部屋に入ってすぐ、誰からともなく、流れで自己紹介をはじめることになった。

 奴隷たちは、それぞれ順に、ヘルカ、アンマ、サラ、ピルヨと名乗った。ポルディナを含めた五人のうち、亜人はポルディナとサラだけだった。戦狼族(ウェアウルフ)は数が少ないといっても、必ずしも親戚同士とは限らない。が、やはりそこは先祖を同じうする同士。歳もサラがみっつ上でそれほど離れていない。ふたりは、奴隷仲間でもすぐに打ち解けた。

 しばし雑談をかわす。彼女は言葉を濁していたが、奉公先の主人を助ける形で身売りしたらしい。主は、老爺といっていい歳のヨーランだが、あの脂臭さからいって、女を卒業したとは思えない。奴隷は、主を選べないが、傲慢さや人の悪さを感じなかったのがせめてもの救いだろう。

 サラは、ぽつんと、主は優しい男だと寂しそうにつぶやいた。どこか、儚げな、影のある女であった。

「ね。ポルディナっていったけ? ねえねえ、あなたの主人。なにをなさっているのかしら」

「ご主人さまは、冒険者です」

 物怖じしないピルヨというはたちそこそこの女が、興味深げに聞いてきた。なんで、そんなことを聞くのか、と一瞬思ったが、彼女らの主人はおしなべて年配の男性がほとんどだった。

 つまりは、蔵人の年齢は稀有な若さであった。

「ポルディナさん。あなたのご主人さま、ずいぶんとお若くていらっしゃる。おいくつになられるか、お聞きしてもよろしいでしょうか」

 妖艶な色香を放つ、グラマー系美女のヘルカが尋ねる。特に隠す必要もないので、応えた。

「今年で御年二十一歳になられます」

「二十一!」

「うっそ!」

「めちゃ、若いですね!」

 女たちが残らず色めき立った。

 日頃は意識しないのであるが、やはり美しく若い奴隷女を購入できる年代といえば限られてしまう。貴族や大商人でもなければ、伊達や酔狂で、高級奴隷を買い上げることはできない。

 話の端々で、嫌でも耳にしたのであるが、彼女たちは自分につけられた値段を誇りに思っているらしい。

 己につけられた価格は、基本は財産や名誉と無縁な、買われた女の最後の砦であるといえた。

 ヘルカは二百万。

 アンマは百六十万。

 サラは三百二十万。

 ピルヨは四百七十万、とのことだった。

 ほぼ、平均して数百万P(ポンドル)であり、自分だけ話を振っただけあって、ピルヨの値はずば抜けて高かった。

 それもそのはず。彼女は、十四歳と一番高い値がつくときで、おまけに白銀のような長い髪がまぶしい超一流の美少女であった。

 女奴隷に要求されるのは、ありとあらゆる礼儀作法に、磨かれた肉体。ときには不必要と思われるほどの学識や知性まで求められた。

 その上で、男を徹底的に蕩かす閨房術も修めなければならない。高級娼婦ですら到達できない技術を、処女のまま体得するというのは、訓練や努力だけでは絶対に不可能である。

 色の道にもそれなりのセンスが必要なのだ。

 さらには、生まれつきの名器を持ち合わせていなければならない。これだけ完璧に近い女でも、中々五百万に達する人材は稀である。

 が、ポルディナは彼女たちとは格が違った。

 一千万P(ポンドル)。

 日本円にして、億である。

 年齢にこだわらない。たとえば、二十代半ばくらいまで妥協できれば、ハリウッド女優程度の美女なら、数万で買える世界なのだ。一千万という値段は狂気の沙汰としかいいようがない。

「あ、あなたが、あの伝説の……」

 昨年のオークションで、古今東西稀に見る値段がついた奴隷がいると、風の噂で知っていた彼女たちは、驚愕していた。

「はわー。あたし、自信あったのに。霞んじゃうなぁ」

「ポルディナ姉さんと呼ばせていただいてもよろしいですか」

「ねえっねえっ。記念に髪の毛もらってもいいかなっ」

「ふふふ。ご自由に」

 ポルディナはコップの中の争いだとわかっていても、頬がゆるむのを抑えられなかった。

 戦狼族(ウェアウルフ)特に仲間内で格づけをするのが好きな種族であり、彼女もこの悪癖からは逃れることはできなかった。他者より明確に自分が優れている勝っていると知らしめたがる。これは本能的なものであり、遺伝子に刻まれた戦狼族(ウェアウルフ)の根幹をなすものであった。

 なので、自然にしっぽの振りが大きくなる。しっぽの勢いは元気のバロメーターなのである。

 絶好調なポルディナを中心にして、会話は弾んだ。今日は、シャイロック家を上げての宴であり、使用人や奴隷にも、振る舞い酒が出されていた。陽気な気分で、ついつい酒盃に手が伸びる。

 だが、宴を終わらせたのは、突如として近づいてきた男たちの、怒声と荒れ狂うような足音であった。






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