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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第8章「ダンジョン攻略戦」
193/302

Lv193「銀馬車亭の危機」




 銀馬車亭はリースフィールド街にある古い木造建築の酒場であった。市の、商工ギルドに登録してある正式な所有者名は「クランド・シモン」とあり、レイシー・アップルヤードの名はあくまで配偶者として記載されてあった。

 ロムレスの法においては、基本的に、女性が表立って、土地家屋を所有することはできない。夫を亡くした妻が、各種の店を経営する場合は、親族の中で主だった男性に名前を借りて登録するのが、通例とされていた。

 繰り返していうが、この広いとはいえないが、中々に味があり、それなりに立地条件もいい物件を所有する蔵人は、一般的に見て、かなり「上手くやった」と思われていた。

 レイシーは今年で十八になる。すごく若いというわけではないが、この世界では脂の乗り切った、「まさに食べごろ」といった年齢である。彼女の父であるバーンハードが没したのち、レイシーを狙ってモーションをかける男は、それこそ車に積んで升ではかるほど、現れた。

 無論、レイシー自体が男の好き心を誘う、類まれなる美女であったことも理由のひとつであるが、それよりも大きかったのは、やはり、この銀馬車亭という優良物件であった。

 食い物商売は日銭が入る。特に、この酒場は、なぜか知らぬが人を呼ぶ魔力のようなものがあり、実質的な女主人であるレイシーが店に出ない日でも、周辺の職人や商店主たちのサロンと化し、それなりに実入りが常にあった。

 色と欲。二重の業に身を焼かれて、男たちはレイシーにアタックをかけたが、それを阻んだのは、一代の快男児、志門蔵人であった。

 蔵人はよそ者である。ただでさえ、新規の人間を拒む風土の中で、彼はスルスルとレイシーの懐に入り、いまや、結果として、正式に婚姻を行い、すべてをかっ攫っていった。

 レイシーが面倒見がいいのは、街の誰しもが知っていたが、彼女は異常なまでに身持ちが固いことで知られていた。今回も、「ちょっとした同情程度だろう……」と、タカをくくっていた男たちは、トンビに油揚げをさらわれる思いで、呆然と結果を凝視するしかなかった。なかには、諦めが悪く、レイシーを無理にでも孕ませてしまえば、彼女も得心するだろうと、襲いかかる無思慮な者もあったが、すべて蔵人の手によって撃退された。

 腕を折る、足を折る、脇腹を抉る。腕自慢の男も、大力無双の戦士も、美貌のイケメンも残らず蔵人の無慈悲な暴力によって淘汰された。

 ここにひとりの男がいる。ラッセル・パールという鋳掛職人の男である。彼は、レイシーの幼なじみのひとりであり、彼女のことを子供の頃からずっと好いていた。悲劇はここに起こる。突如として現れた、ほとんど無法者としか思えない蔵人の出現である。

 心底惚れ抜いて、一人前の仕事ができるようになったら、結婚を申込もうと思っていた――そんな矢先に、愛する女を寝取られたのであった。

 その日、ラッセルは、数ヶ月ぶりに、奉公先の店から戻り、久々にレイシーの顔を見ようと心を弾ませていた。

(レイシー、喜んでくれるかな?)

 彼は、街で買った柄にもない花束を持って、初夏の日差しがぬるんできた、夕暮れの街を駆けていた。

 その前の年、帰省した際、ラッセルは勇気を出してレイシーを川遊びに誘い、それなりに楽しく過ごした。レイシーは、もう何年も前から男に遊びに誘われても決してついていくことはなく、身持ちが固いことで有名であった。

 どうせ、誘っても断られる。そのように思い込んでいた際のオーケーである。ラッセルにとっては天にも昇るうれしさであった。

 その上、あろうことか「来年、また、会ったときに、僕は君に大切な話をしたい。これからの将来の話だ」といい放ち、レイシーに承諾させた、という思いがあった。

 事実としては、両者の間にかなり激しい温度差があったのだが、ラッセルはそれを婚約の誓いと勝手に思い込み、仲間にも吹聴していた。

 周囲は、詳しいことは知らずとも、レイシーとラッセルが子供の頃から仲よしだったことは知っていた。

 その延長線上で、そういうこともあるかも、と半ば暗黙の形で認知されていた部分もあり、それがラッセルのいびつな思い込みを助長させることに繋がっていたのであったが、人々には悪意はなかった。

 ラッセルが人生の苦しみを骨の髄まで味わうのは、それからあまりかからなかった。

 銀馬車亭の営業は、日が暮れてからである。勝手知ったる、幼なじみの家。彼は、もはや気持ちの上では、婚約者も同然であり、特に訪いを告げずとも非礼に当たらないだろうと、早合点し、ぎしっぎしっと、階段を軋ませながら大部屋のある二階に近づいていった。

 はじめ、その声はなんなのかわからなかった。

 いや、理解したくない、と、脳がラッセルの心を自己防衛したのである。

「あ、か、はっ……!」

 目に飛び込んできた光景は、あまりにもラッセルにとって残酷であった。

 将来、妻となるべき女が、肌に銀色の汗を浮かべながら懸命に踊っているのだ。

 先ほど聞こえた艶やかな嬌声は、すべて愛するレイシーのものであった。

 白い肉と、引き締まった大きな肉が、二匹の蛇のようにもつれ合い絡まっている。

 あえぎは、さらに高く。

 レイシーが、喜び打ち震えながら腰を振っているさまは、ラッセルの精神を破壊するには充分であった。

 愛する妻が、身も知らぬ男と肌をまじ合わせ、腰を振り、嬉しそうに声を上げている。

 無理やりではなく、自ら受け入れていた。

 ――それは、ラッセルにとって絶望以外のなにものでもなかった。

 彼は花束を路傍のドブにブチ込むと、実家には立ち寄らず、安宿に飛び込んで、浴びるように酒を飲んだ。飲んで飲んで。身体の髄までに酒精に漬けても、屈辱の炎は消えることなく、さらにゴーゴーと火の粉を撒き散らし燃え盛っている。薄汚れたシーツの上で七転八倒し、身悶えしながら、怒気を吐き散らした。

 彼が、最初に行ったのは、所帯を持とうと懸命に貯めた金でならず者を雇い、あの男を消すことであった。

 が、その策は、あっさりと打ち砕かれた。

 頼もしと思っていた男たちは、残らず斃されて四辻に骸を晒される始末となった。

 単純な暴力がまるで通用しないと知ると、ラッセルは情に訴える作戦に出た。レイシーは昔から、押しに弱い娘である。無理矢理でも泣き落とせばなんとかなる。そのような甘い考えは、無様に打ち砕かれることとなった。

 蔵人、という男に関しては、レイシーは気が違ったように冷酷になり、非を打ち鳴らすラッセルを汚物を見るような目で平手打ちにすると、もはや一瞥することもなく、ぷいと去っていった。

 ここまで自尊心を打ち砕かれて、黙っているラッセルではなかった。

 かわいさ余って憎さ百倍。

 無理やり押して不義に持ち込もうとしたところ、街角で揉み合う場所を、鳳凰騎士団に捕らえられ、獄に送られることとなった。

 この件は、無数にあったレイシーの苦難の中では危険度の低い、取るに足らないどうでもいい事象であったはずだが。

 数ヵ月後、ラッセルは、再び、街に姿を現す。

 ――復讐のはじまりであった。







「そーいや、店に顔出すのも久々だなぁ」

「うん。ずっと気になってたんだけどね。いつもは、そのマーヤとか友だちに任せっきりになってたんだけど……」

 レイシーは、冒険で店に出れない間は、友人であるマーヤをはじめとする数人に任せきりにしていた。

 無論、報酬はそれなりに弾んである。彼女たちも、人に酌をするだけよりも、擬似的に一軒の店を運営する方がよほどやる気が出るのか、ここ数ヵ月かなり身を入れてやっているとのことだった。報告される収支報告もまずまずというものであり、その分オーナーであるレイシーの足も遠のきがちになっていた。 

「あれー、なんのお店だろう」

「んあ? ああ。そういえば、前はこんな店じゃなかったよな。雑貨屋だったっけか?」

 レイシーの不思議そうな声に顔を向けると、銀馬車亭の正面には、かつてなかった真新しい木材の香りがする、なんらかの店ができていた。

 一見すると、なにかの食べ物屋のように思える瀟洒な造りである。全体的に古臭い造作の目立つこの周辺では異質さが際立っていた。時刻は、昼前ということだが、人気はまるで感じられない。レイシーが、お向かいであることから、とりあえずあいさつをしようと近寄って、扉に手をやったが、中からカンヌキがかけてあるようでビクともしない。

「すいませーん。誰かいませんかー。あたし、向かいの銀馬車亭のものなんですがー」

 レイシーは、戸口に耳を当てて、形のよい眉をしかめた。彼女のぷるんとした唇が、徐々にへの字に曲がっていく。蔵人は懐手をしたまま近寄って、まわりの様子を探るが、中の窓には鎧戸が落とされていて、窺うことができなかった。

「おかしいなぁ。誰かいないのかなぁ。夜から開ける店なのかしら」

「よくわかんねーなら、近所衆に聞いてみちゃどうだ?」

「それもそうね。あ、おじさん。お久しぶりですっ」

「ああ、レイシーちゃんかそれにクランドも久しぶりだね」

 蔵人たちが、謎の店のデッキで首をかしげていると、角店でタバコを商っている隠居が見えたので声をかける。隠居は、もうすぐ七十をすぎるが矍鑠としていて肌艶もよい。

 暇を持て余したのだろうか、人懐っこい顔で寄ってくると、すきっ歯だらけの口を大きく開いて、元気そうに哄笑した。

「おう、爺さん。元気かね」

「おうよ。元気元気、といいたいところだが、最近寒さが骨に染みてな。ま、出歩くの今日みたいにおひさんが出てるときだけにしとるよ。なんじゃ、レイシー。その店に入ろうとしとるんか。なんでも、夜じゃないとやっとらんそうだぜ」

「ルーファスお爺さん。ここってなんのお店をやってるか知ってるかなぁ」

「さあ。儂は日が暮れる前にメシ食って寝ちまうからなぁ。だが、若いもんは、夜中に行ってるようだが。メシ屋かのう。ここいらあたりにゃ、おまえさんとこも含めて、飲み屋なんぞいくらでもあるしのう。いまさら、あとから店、建てても旨みはなかろうて」

「うーん。銀馬車亭と同じく、酒場なのかなぁ。なら、同業者としてやっぱりあいさつしておきたかったんだけどねえ」

「レイシー。とりあえず、店に入ろうぜ。日が暮れてから顔出しゃいいじゃねぇか。おらぁ、そろそろ寒くなってきたぜ。早いとこ、熱いのでも一本つけちくりぃ」

「あーはいはい。もう。まだ、日が高いっていうのに、あいかわらず意気地がからっきしないんだからねぇ、クランドは。もお、ダメだなあ。やっぱり。あ! じゃ、お爺さん。ウチのがごねだしたんで、このへんで。あ。それとも、いっしょにどう? お茶くらい出すけど」

「いやいやお誘いはありがたいけんども、これから街衆の寄り合いがあってのう。ジジィどものツラなんざ見たくないんじゃがな。また、誘ってくれや」

 蔵人たちはルーファス老を見送ると、たったか、素早い足取りで銀馬車亭に入った。

「う。なんか、カビ臭い……」

「なんじゃあ、このありさまは」

 店内に入った途端、モワッとした異臭が鼻を突いた。店の中は、どことなく雑然としており、テーブルの上に置き散らかした皿や食い残しの残飯に、コバエが多量にたかっていた。しばらく換気もしていないのか、ジメジメした空気が肌にまとわりついてくる。レイシーは、ワナワナと怒りを露わにすると、自慢の喉を使ってけたたましく怒声を放った。

「マーヤ! ミリア! アンジェ!! いったいどこにいるのっ!! これっていったいどういうことなのよーッ!!」

「んんがっ!?」

 隣に立っていた蔵人は、超音波じみた高音をもろに喰らって、三半規管に致命的ダメージを受けたのか、立っていられなくなり、フラフラと踊りだすと、その場に座り込んだ。

「あ! ご、ごめんなさいっ! だって、お店の中こんなんなってるなんて思いもしなかったんだもん。それにしても、あいつらー。どこにいんのよっ! んもおおっ。ぜったいのぜったいに許さないんだからねっ!! 覚悟しなさいよー!」

「ちょ。ちょっと待って」

 レイシーは蔵人を抱き起こして椅子に座らせると、荒れ狂った奔馬のように駆け出し、たちまちのうちに二階に向かって突撃していく。

 蔵人はめまいをこらえながら、深く息を吐くと、雑然とした店内を見渡した。かつて、レイシーがこまめに掃除していた、カウンターもテーブルも床板も、暴風雨に見舞われたあとのように、グチャグチャに散らかっている。

 それは、なにかを怠けてそうなっていったには違いないが、往時を知る蔵人からすれば嘆かわしい限りであった。

 レイシーは留守の間、店をマーヤに任せていたといった。彼女は、レイシーの友人で蔵人も見知っているが、いつも小奇麗に身を繕っていて、グラスの指紋ひとつ許さない、どちらかといえば神経質な性格に分類された。

 つまりは、なにか起きない限りここまで荒れ果てた店を放置しておくとは思えないのだ。

 ひとつ、大きなくしゃみをしてからゆっくりと二階に向かうと、キンキンした激しい罵声が聞こえてきた。レイシーである。慌てて、かつて蔵人が使っていた大部屋に行くと、そこには酒瓶の山に埋もれながらだらしなくシーツにくるまるマーヤの目を覆う寝姿と、それを弾劾する鬼のような顔をした、レイシーの姿があった。

 レイシーは基本、寛恕の人である。

 どれほど完璧に思える人間でも必ずミスをすることがある。

 それは、不完全に生まれついた、克服し得ない性であると知っているからであった。

 その反面、意図的なサボタージュに関しては、平時より、むしろ苛烈な言葉が目立った。

 彼女のポリシーからしてみれば、やってできなければ仕方がないが、まるでやろうとせず最初から投げ出すという行為は論外なのだ。

 レイシーは、肉体的にも精神的にも、他者の懈怠及び放棄を認めない厳しさがあった。

 彼女は長い間、父とふたりで母の思い出が残る銀馬車亭を盛り立ててきた実績がある。

 まがりなりにも、バーンハード亡きあと、店を潰すことなく維持してきたのだ。

 ゆえに、信頼してすべてを任せた友人がそれを裏切った事実がなお許せなかった。

 マーヤは、はじめ、レイシーの言葉をふてくされた様子で寝転がって聞いていたが、レイシーの声が涙まじりになると、とうとうこらえきれずに、わんわんと子供のように泣き出してしまった。

 このままでは、収拾がつかないと、状況を見計らって蔵人が間に入った。

 実のところ、マーヤにはマーヤなりのいいぶんがあったのだった。

「いやがらせ!?」

「そうなの。ここ最近、ずっと。お店の納品物を外に置いといたら、盗られたり、汚物をぶちまけられたり。それに、よくわからない怖いお客さんがいっぱいやってきて、お店の中をムチャクチャにしたりして。ミリアもアンジェも怖がって出勤しなくなって。でも、あたしだけでも頑張ってお店を開けてたんだけど、そのうち、真ん前によくわかんないお店ができて。常連さんは、なんか、そっちの方にみんな取られちゃったの。外に出ようとすると、変な人がついてきて。路地で襲われかけたり。助けを呼ぼうにも、出られなくて。ごめん、ごめんね、レイシー。あたし、お店任されたのに、まともに切り盛りできなくて。怒るのも無理ないよ。ぜんぶ、あたしが悪いんだもん」

「ごめ、ごめんねええ。あたし、そんなの、そんなのぜんぜん知らなかったのに……!」

 レイシーはマーヤと抱き合うと、幼児のようにふえええっ、と滂沱のごとく涙を流しながら身を震わせた。蔵人は、小指で耳糞をほじりながら、いま、マーヤがいっていたことをぼんやりと考えていた。

「いつまで泣いててもしゃーない。とりあえず、手分けして片づけよーぜ」

 蔵人は散々泣き喚いてストレスを発散させたふたりを追い立てるようにして階下に向かい、店内を片づけはじめた。いま泣いたカラスが笑ったではないが、久々に友だちに会えたことで、折れかけた精神を立て直せたのか、ふたりの女たちに笑みが戻った。

 いいだしっぺの蔵人であったが、彼の家事能力は惨憺たるものであった。手際も悪く、最終的にはレイシーとマーヤがほとんどの掃除を完了させたのだが、その点、特に文句などいわれないところは、彼独特の「徳」といったところか。蔵人だから許される、個性でもあろう。ふたりは、ロクに掃除もできないくせに、率先して店を片づけようと表明し、実際、挑戦した彼の行為を評価していたのであった。夕暮れ前にはなんとか、一通り片がついたが、食材の関係で店を開けることはできそうもなかった。銀馬車亭は酒場であり、取り揃えてある種類も量も、なかなか一朝一夕には真似できないレベルであるが、ツマミのひとつも出せないとなれば、営業することは、はばかられた。

「あいつら、また来るかもしれないよ」

「マーヤ……」

 綺麗どころふたり。

 とりあえず顔をつくってドレスを着込んでいるが、表情は暗かった。

「陽気なやつでもやろうや」

「うんっ」

 蔵人が、酒瓶の口を開けながらいうと、レイシーは気を取り直したように、顔を上げ、店内の中で一段高くなった台の上に立つと、よく通る声で唄いだした。酒精をグラスにそそぎ、香りを楽しんだのち、琥珀色の液体をグッと流し込んだ。度数の高い酒である。鼻を突くえもいわれぬ香気に頭をじんわり痺れさせながら、液体を嚥下する。喉を焼くような、カッとした熱が走り、それが食道をつたって胃の腑にすべり落ちると、腸を火にくべたような、快いあたたかさが全身を駆け巡った。

 見れば、化粧を濃い目に施したマーヤが、胸がこぼれ出そうなほど切れ込みを入れたドレスを、ややきわどい角度に倒し、空になったグラスへとおかわりをそそいでいる。アイシャドウで巧みに隠しているが、目元は泣きわめいたせいで幾分腫れぼったい。彼女も、本当は逃げ出したかっただろうに、それでもレイシーをひとりで待ち続けたのは、はかなく健気であった。愁い顔のまま、もの欲しげに上目遣いをする彼女に、背筋が震えるような色気を感じ、気持ち椅子から腰を引いた。

「ね。クランド」

「なんだ」

「レイシーと来てくれてありがと。やっぱり、女だけじゃ心細くってさ」

「いいんだよ、ばーか。いつもの調子はどうした。おまえらしくねーぜ」

「あ、ひどいんだー」

 マーヤが元気を取り戻したのか、ややカールした黒髪を指先でもてあそびながら、カラカラと笑った。

「な。これからもレイシーと仲良くしてやってくれな」

「いわれなくてもそうするよーっだ!」

「元気、出たみてーだな」

「うん。やっぱ、ありがと」

 マーヤの笑顔。いきなり、蹴り破られた轟音に、激しく引きつった。

「あ、あ、あ。ま、また来たよう。あいつら……」

「よし。面倒事は任せな。さ、レイシーといっしょに後ろに隠れてろ」

 入り口のスイングドアを蹴り飛ばして、人相の悪い男が、まとめて五人ほど姿を現した。

「いよおおっ。マーヤちゃん、今夜もいじめに、もとい遊びに来たぜぇええ!!」

「おいおい、なんだなんだ。今夜は、えらい色っペえお友達もいるじゃねえか!」

「あららあっ? せーっかく、オイラたちが見栄えがよくなるように、店の中を飾りつけてあげたのに、ダメじゃんかあああっ。こりゃ、今夜こそ、お代を身体で払ってもらわにゃなあああっ! ええっ、おいっ!」

「ふざけないでよっ。毎日毎日、タダで飲み食いしてビタイチ払わずやりたい放題しやがって! けど、今夜はいつもどおりみたいにいかないよっ! こっちには、強い味方がついてるんだからねっ!」

 マーヤは、いままでこらえてきた鬱憤を晴らすように、思いきり怒鳴りつけると、蔵人の肩から顔を出したまま、無頼の男たちをキッと睨みつけた。

 レイシーは、幾多の冒険で腹が据わっているのか特に怖がりもせず、唄うのをやめると、静かに移動して蔵人の隣に佇立した。

「おうおう。こうして近くで見ると、一段と上物さがかげんがわかるってもんだぜ。おめぇ、名前なんてんだ。え! へへ。ことによっちゃ、いい値で勝手やってもいいんだぜ。もっとも、俺のモノが気に入ったら、おまえさんから銭を払いたいっていいたくなるかもしれねーけどな! なんせ、俺のは、仲間内でもとびきりでよ! どんだけ、スレた淫売も、一度味わえば、夢に見るってほどだからなッ!」

 男の中で、おそらくはリーダー格と思われる、三十前後の赤髪は、そこまでいうと、レイシーの線がぴったりと浮き出たドレスを舐めるように見て、哄笑した。

「お帰りください」

「へ?」

「ここは、あなたたちのように、女と見れば淫売扱いするような方が出入りする場所ではありません。銀馬車亭の主人になりかわり、正式にお断りします!」

「へえええっ! おい、オメーら聞いたか!? この姉ちゃん、俺らがこの店に出入りするにはふさわしくないってよ! たーかが、飲み屋の淫売風情がデカイ口叩きやがってよおおっ! オメー、よう。よう、ネーチャン。なにさまのつもりだ! あ!?」

「なんかよう、なんかムカつかねえか? よう、みんな!!」

「ああ、ムカつくねえ。こりゃ、また暴れたくなってきちったよ。キシシ」

「オレはよう、暴れたあとに、女が欲しくなるんだよう。このふたりにゃ、責任もって朝まで面倒見てもらわにゃ、勘弁ならねーよな。おう!」

 調子に乗った男が、ズイと一歩前に出る。同時に、蔵人が、レイシーをかばうように、外套の前を割って右手を水平に突き出した。

「なんだぁ、この兄ちゃん。人が、せっかく無視してやっておいたのに!」

「いままで、ブルっちまって、ひとこともしゃべんなかったクセにいいかっこしいかよ! やめなやめな! 生兵法はケガの元ってな! オレたちゃ、腕っ節にかけちゃ、かなりのもんだからよ。あ? いっぺん死んでみるか、なあ!」

 男のひとり。蔵人を舐めきって、胸ぐらを掴もうと腕を無警戒に前へ突き出した。

 確かに男は、百八十三ある蔵人よりも、頭ひとつぶんは高い、大男である。

 腕も、木の幹のように節くれだって、肉厚であった。

 蔵人は、伸ばされた男の手首を掴むと、グイと勢いよく上に捻じ曲げた。

 ぼぎっ、と。

 硬く、鈍い音が、奇妙に鳴った。

「あ?」

 男の間抜けな声。ほぼ同時に、彼の手首は、自分の腕に、甲がぴったりくっつくくらいに曲げられ、白い骨の一部が、皮膚を突き破って露出していた。

「あ! あ! あ! あ! ああああっ!?」

 男は顔面を蒼白にすると、自分の右手首を抱えながらしゃがみ込み、泣き喚きながら激しく悶絶した。

「え、あ! てめぇえええ! いきなり、なにしやがるっ! なんてことしやがんだっ!」

 狼狽した仲間のひとりが、甲高い声で蔵人の行為に対して非を鳴らした。

「オイオイ。喧嘩売りに来てそりゃねえだろうよ。それに、ゴチャゴチャおしゃべりするより、こっちの方がずっとわかりやすいだろ? な?」

「ふっざけんな!」

「ぶっ殺すッ!!」

 頭に血が上ったふたりの男。真正面から、掴みかかってくる。蔵人は、体を開いてかわすと同時に、サッと左足をかけた。蹴躓いた男たちは、絡み合いながらすっ転ぶと、床板に顔面を打ちつけ、惨めったらしい負け犬のように、一際高く鳴いた。

 蔵人がニタニタしながら手招きするように、おいでおいでをすると、ひとりの男が懐から短刀を引き抜き、殺気に満ちた瞳を炯々と光らせた。

 もはや、舐めきった油断はない。

 男はいくらか、武術の心得があるようで、身を低くしたまま猫脚で距離を詰めてくる。

「兄ちゃん。オレたちゃここまでやるつもりはなかった。これから先は、もう泣いて謝っても、取り返しはつかないぜ」

「そうかい」

 蔵人は鞘ごと長剣を腰から抜くと肩に担ぐようにして、無造作に一歩前に進み出た。

 短刀の男。虚仮威しと決めつけて、腰の入らない動きで腕を前に突き出してきた。

 切っ先はあきらかに身体の中心ではなく、腕を狙っている。命まで取る気はない。

 身体のどこか一部分を傷つければ戦意喪失するだろうという、中途半端な攻撃であった。

 対する蔵人は、素早く刀身を鞘から引き抜くと、峰を返して躊躇なく斬撃を放った。

 聖剣“黒獅子”はそれ自体が重量のある長剣である。

 刃のない峰を使ったとはいえ、それで思いきり打ち据えられれば、人体の強度で抗しうるものではなかった。

 ゴッ、と骨が砕ける鈍い音が鳴った。

 短刀を持った男の手首は見事に打ち砕かれて、あらぬ方向へと折り曲がった。

 男は長い悲鳴を喉から吐き出し続け、床に転がりながら、激しく苦悶した。

「冗談じゃねえ! あれっぽっちの銭で殺し合いができるかいっ!!」

「逃がすかッ!!」

 残った最後のひとりが捨て台詞と共に踵を返した。

 蔵人は、鋭く息を吐き出すと左手に持っていた鞘を男の脚目がけて投擲した。

 ピュっと回転しながら投げつけられた鞘は、男の足に絡まって自由を奪い転倒させた。

 だんっ、と床板を蹴ってうつ伏せになった男の背中に舞い降りる。

 膝を屈曲させ、無防備な背骨の真ん中へと、ミサイルのように叩き込んだ。

「おげえっ!!」

 ぼぎり、と濁った音が流れ、男は発狂した猿のようにもがき苦しんだ。

 蔵人の膝蹴りが男の背骨を、ものの見事にへし折ったのであった。

 後ろを振り返ると、絡まって転んだふたりの男を、レイシーとマーヤが椅子を逆さに持って、激しく打ち据えている。

 血だらけになった男のひとりが失禁しながら、涙と血で顔じゅうをべったり濡らし、命乞いをしていた。

「た、たしゅ。たしゅけてええっ! わるかったよううッ!!」

「だめっ。ぜったいにゆるさないんだからっ!」

 トドメとばかりにマーヤが振り下ろした椅子の脚が、男の口腔に突き入れられた。

 黄ばんだ歯が、弾け飛び、床板をすべって周囲に四散する。

 呆然とその行為を見ていた蔵人とマーヤの視線が交錯した。

「見てみて! やった、やった! ぶいっ」

 マーヤは満足げに、汗ばんだ額を拳でぬぐうと、蔵人に向かって艶然とほほ笑んだ。






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