↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第7章「魔王の藩屏」
175/302

Lv175「負け犬なんかじゃない」





 蔵人は荒い息を長く吐くと、剣を怪物から引き抜いた。無銘であるが、愛用している聖剣“黒獅子”に勝るとも劣らぬ業物である。

 リンクスの記憶は、その後、途切れ途切れであるが、蔵人の脳に流れ込んできた。ドラクールの死徒となったルーシアによって、彼女の従者である屍鬼にされたこと。ルーシアは、その後のドラクールによる激しい調教で、記憶のほとんどを喪失してしまったこと。真祖に造反して、地下牢獄から彼女を助け出した日のこと。ルーシアが、リンクスをかつて愛した幼なじみではなく、名前にすら興味をもたない理由。蔵人は思う。リンクスがその気になれば、ルーシアはかつての記憶を取り戻す機会はいくらでもあったはずだ。だが、それを敢えてしなかったのは、彼女に対して与えられた陵辱が、確実にフィードバックされるからである。カタチは変わったとしても、リンクスの思いはカケラも変わらず在り続ける。ルーシアが吸血欲に負けて、ほかの男にしなだれかかるのを、指をくわえてみることは、彼にとってどれほどの苦痛をしいたのであろうか。

 それを思えば、リンクスの苦悩は尋常ならざるものであろう。灰化せずに、部屋のあちこちで転がっているのは、ルーシアの屍鬼であろう。彼らは人間ではないので、放っておいてもある程度自己修復する。

 蔵人がウェンディゴの巨体から飛び降りると、ようやく上半身を起こしかけた騎士と目が合った。彼は、蔵人がリースを運ぶ際に背中に使う当て布を分けてくれた気のいい男であった。

「頼む。ルーシアさまを、なんとか逃がしてくれ」

 リンクスの記憶から男の顔を探る。彼は、ルーシアの家に代々仕える騎士であった。彼らは、望んでルーシアの屍鬼となり、仕えることを望んだのだった。

 蔵人は大きくうなずくと、外套を翻して走り出した。腰の黒獅子のほかに、柄が赤茶けた名剣を手にして、扉を幾つも蹴破った。そして、もっとも広く、豪華な大扉を見つけると躊躇せず左右に押し開いた。

「ほう。とうとう客人の到着か。それなりに早いとは、感心感心」

 ドラクールは、巨大な革張りの椅子に座りながら、膝に乗せたルーシアの胸をまさぐり続けている。反吐が出る光景だ。

 こいつは、細切れになるまで叩き斬らにゃ、腹の虫が収まらねえ。蔵人は、外套の前を合わせたまま、ゆっくりと中央に進み出る。

「悪趣味な部屋だな大将。けど、ゲスな悪党にゃ、似合いの場所だ」

「ま、そういうな若き冒険者よ。この広さはこの広さで、それなりに役に立つ。礼儀知らずを叩きのめすには、ちょうどいい」

「ルーシアから汚ねぇ手をどけろ。カマ野郎。その、なまっ白いツラをスクラップに変形させてやんぜ」

「我に一撃で屠られた人間風情が、吠える吠える。どれ。いまだ、ギャラリーも足りぬようだし。ここは、ひとつ主催の我が踊って見せようぜ」

「足がもつれて転んでも泣くんじゃねーぞ」

「その、軽口。どこまで続くかな」

 ドラクールは、黒マントを跳ね上げながら椅子から立ち上がると、瞬時に、全身を黒い靄に変化させた。

「“黒霧”」

 魔王を守るために選び抜かれた精鋭の座を持つ十三公の力は、蔵人がいままで戦ってきた敵とはまるで次元の違う存在である。そもそもが、人間種ではない。どんな部位が弱点で、どんな攻撃に弱いかなど、一切の前情報がないのだ。それでも、戦い抜かなくてはならない。いいや。絶対に勝って、やつの息の根を止めねば気がすまない。

 当然、己の命は軽視された。初見で敵の攻撃は骨の髄まで味わった。早々、同じ手を喰らうようでは、ドラクールの打倒など夢物語である。

 もっとも、剣と度胸だけですべてを切り抜けてきた蔵人の戦法には限界がある。肉体を霧状にしての攻撃に対処法など存在しない。稚拙な対処法として、肩の外套を取り外すと、素早く折りたたんで持ちやすくし、それを振り回しながら、なんとか迫り来る霧に防戦をおこなった。

 魔族であるドラクールは、己の身体を霧状に変えて、いともたやすく蔵人を押し包んだ。

 肉体のない敵とはさすがに戦ったことがない。

 右手でリンクスの長剣を、左手で畳んだ外套を必死に振り回すさまは、無数の蜂の群れを追い払うようで、どこか滑稽味を帯びていた。

 黒い霧は、あらゆる装甲を無力にし、微細な隙間から入り込んで敵の五体を喰らうヴァンパイアの王にふさわしい絶対不可避の攻撃である。

 蔵人は、全身を細かく切り刻まれ、悶絶した。

 霧が、潮のように去ったあとには、惨めに倒れ伏した男の姿が見えるだけであった。

「どうした、若き挑戦者よ。今度は、先ほどとは違って手加減しておいた。おまえは、どうやら相当に打たれ強いらしいからな。我の攻撃は、回復魔術でも治りはしない。あの深手を負うて、ここまでどうやってたどり着いたか。それだけでも、奇跡的なことよ。さあ、立ち上がって見せてくれ。それとも、お目当てのルーシアが目の前で嬲られねば、やる気も起きんか」

「ふ、ざけんな。勝負は、まだ、はじまったばっかだぜ」

 蔵人は床に手を突くと、よろめきながら立ち上がった。ドラクールが手加減をしていたのは事実だ。さもなければ、いまの攻撃で蔵人は戦闘不能になっていたであろう。

(だが、どうする。やつは、身体を自在に霧へと変える。物理攻撃でダメージを与えられないのでは、俺の負けは決まったも同然だ……)

「ふふふ。怯えているな、クランドよ。では、もう少しやる気になれるよう、活を入れてやろうか。ルーシア。その場に這え。淫乱なメス犬らしく、それ相応にな」

「……はい。ドラクールさま」

 ルーシアは、虚ろな瞳のまま、立ち上がるとためらいも見せず、床に這った。

 ドラクールは、たちまち身体を霧から人間体に戻すと、ルーシアの背を椅子に見立ててどっかと尻を落とした。背骨に重みをずしりと受けて、ルーシアは眉間に眉根を寄せて、切なげにうめいた。黒のベビードールを突いて、垂れ下がった重たげな乳房がゆれた。

「見ろ。おまえが望んでいる娘の身体で、我が触れたことのない場所などもはや微塵も存在せぬぞ。悔しかろう。許せなかろう。おまえがこの娘にどのような感情を持ち合わせているか知らぬが、我にとっては使い古した玩具に過ぎぬ。もし、これ以上、おまえがその場で木偶のように突っ立っているつもりならば、破落戸をこの場に掻き集めて、ルーシアを代わる代わる穢させるぞ。その貧弱な脳みそを働かせてみよ。このお高くとまった姫君が、淫売並みに歓喜の声で鳴き叫ぶさまを思い浮かべ、哀れと感じるならば、少しはやる気になるだろう。うん?」

「テメーはいちいち人の怒りをあおる天才だな」

 蔵人は、腰の聖剣“黒獅子”を引き抜いて、ドラクールに突貫した。

「そう! その意気だよ、道化!! 我を、もっと我を楽しませてくれッ!!」

 ドラクールは人間椅子から飛び降りると、再び身体を黒い霧上に変化させた。

 黒い霧は、床をすべるように動くと、その一点から、鋭い突起物を形成させ、その槍の尖端は、迫り来る蔵人に向かって勢いよく放たれた。

「“黒錐”」

 靄から飛び出した錐は真っ直ぐ伸びると凄まじいスピードで飛来した。蔵人は、左に向かって素早く飛んだ。錐。伸びた穂先は、蔵人のいた場所を寸分違わず駆け抜けると、背後の壁まで疾駆し、ウエハースを突き破るように破壊した。真っ白な破片が、硬質な音を立てて飛び散る。だが、それで終わりではない。終わるはずもない。

 ドラクールの攻撃は、単発ではなかった。蔵人が着地すると同時に、悪魔の錐は次々に発射された。その場に留まることは死を意味した。のけ反ってかわす。剣を振るって軌道をそらす。肩をかすめただけで、ごっそりと肉がもぎ取られた。裂けた傷口が燃えるように熱い。回避に全力をそそぐ。もはや攻撃方法を考える余裕もない。狩猟者が逃げ惑うウサギを高笑いしながら追い詰めているのと同じであった。

「どうした、どうした。踊れ、踊れよ、道化ッ!!」

 ドラクールは余裕を残している。逃げ惑う蔵人の動きを読んで、ギリギリでかわせるように射出した錐のスピードを調整までしていた。肩に、脇腹に、大腿部に赤い筋が走った。切り裂かれた肉の一部から血潮が吹き出し、白い床を汚していく。

「どうやらこの動きには慣れたようだね。それでは、これはどうかな――“黒槌”」

 ドラクールは錐を靄の中に引っ込めると、今度は巨大な槌を霧で形成させて放った。

「かわしてくれよ、道化。我の楽しみを終わらせるではないぞ!」

 空を切り裂きながら、巨大なハンマーが蔵人を襲う。

 その素早さは、いままでの比ではない。蔵人は、脇腹に一抱えもありそうな鉄槌の一撃を受けて、軽々と吹き飛ばされた。猛スピードで走る車両の鼻先を突っ込まれたのと同程度の打撃力である。

 目の前に星がチカチカと瞬いたかと思うと、壁際に叩きつけられた。

 全身をイヤというほどぶつけて、視界が白く濁った。

 喉元に、真っ赤な熱の塊が競り上がってくる。耐え切れず吐いた。吐瀉物は、ビタビタと床を叩き、真っ赤に汚した。よろばうて立った。

 頭の奥で、割れんばかりの警鐘が鳴っている。痛みを感じる暇もない。全身から神経が消え去ったようになにも感じなくなっている。

「ほう! 立ったかね。それでは、次はこれだ! “黒鎌”」

 ドラクールは、霧状の身体から半月板のような鎌を作り出すと、矢継ぎ早に撃ち放つ。

 反射的にかがんでかわした。速度はそれほどでもないが、切れ味は言語を絶した。

 半月状の黒い鎌は、ゆるゆると虚空を飛ぶと、背後の壁を立て続けに切り裂いて、完全に破壊した。瓦礫が轟音を鳴らして崩れていく。背後を見やる。隣室の中が丸々と見えた。

「かわしてくれたか。そうではなくては。では、次は華麗にダンスと行こうか!!」

 しゃがみこんでいた蔵人を、霧から伸びてきた無数の触手が襲う。ぬらぬらと赤黒く濡れた奇怪な縄は、瞬く間に蔵人の身体を縛りつけ、上下左右といわずに振り回しだした。

 過剰なGがかかり意識は喪失する。

 蔵人は室内のあちこちに身体を打ちつけられながら血反吐を吐き散らし、悶えた。

 ドラクールは、子供が紐先に縛った人形で遊ぶように、蔵人の身体を蹂躙した。ほどほどでこの趣向に満足したのか、ドラクールはようやく解放した。

「クランドさまッ……!」

 ドラクールは悲痛な顔でうつむいたルーシアの後頭部を力任せに蹴り込んだ。鈍い音が鳴って、床にひと筋の血が流れる。鼻先をぶつけたルーシアが血塗れになった顔をゆっくりと上げた。虚ろな瞳から流れ出した涙で、口紅が溶けている。ドラクールは、再び彼女を椅子に見立てて、その背に腰を下ろすと、長い両足を組んだ。蔵人から表情が消える。ドラクールは、長い腕を伸ばすと、水蜜桃のような白い臀部を力強く張った。肉を打つ音がパンと鳴った。満足げにうなずくと、ルーシアの髪を片手で引っ張り上げ、顔を上向きにさせる。ドラクールは女のように整った唇を艶かしく動かすと、さも楽しそうに持論を語りだした。

「ルーシアよ。苦しいか? この男はおまえのせいでかような痛みを味わわなければならないのだ。この男はおまえとなんぞ会わなければ、このような地獄の責め苦を受けず、日常を過ごせたはずなのに。おまえが悪いのだよ。我に叛意を抱き、あまつさえ、親殺しなどという大罪に手を染めようとするのだから。少しは、己の罪を自覚したらどうだ? あの村にしてもそうだ。最初に我がおまえを望んだときに、逆いなどしなければ、無意味に村人が死ぬこともなかっただろう。ああ、苦しかっただろうな。愚かな領主を持った領民ほど不幸なことはない。おまえは、なんだ? ルーシアという女はなんだ!? 我にわかるよう説明しろッ!! うん?」

「わ、私は。愚かな、いやらしいメス豚で……世界すべての害悪です」

「それから?」

「私、ルーシアは、ドラクールさまの……玩具が似合いの……惨めな、負け犬――」

「負け犬なんかじゃない」

 おや、とドラクールが顔を上げる前に、蔵人の身体は移動していた。

 胸元の紋章が白く輝きだしている。光がドラクールの視界を焼いた。

 同時に、蔵人は座ったままのドラクールの胸元へと、黒獅子を突き立てていた。

「は?」

 刃は、ドラクールの背を抜けて半ばが顔を覗かせていた。

 それは、真に不自然な動きであった。ドラクールも、ルーシアも、動いた本人ですら知覚できない、空間を捻じ曲げたような動作である。

 蔵人が素早く剣を引き抜くと、霧化が間に合わなかったドラクールは、驚愕の表情でよろばいて、数歩後退った。

 腹の部分に黒々とした穴がぽっかり空いている。握りこぶし程度の黒い空洞。ドラクールは、信じられないといった表情でジッと傷口を見やっていた。

 間を置かず、鉄拳が降った。

 蔵人の丼茶碗ほどある握り拳が華奢な右頬を思いきり叩いたのだ。

 男としては厚みのない身体が紙風船のように吹き飛んでいく。蔵人は、ルーシアを座らせると、胸元にあった懐中時計を握らせた。

「いま、君を人間に戻してやる」

「……それは、無理ですわ」

 ルーシアは銀造りの懐中時計に視線をやると、悲しげに首を振った。

「――大丈夫だ! これは、時戻しといって、時間を巻き戻す魔術道具だ。これさえあれば、君は死徒になる前の身体に戻れる」

「だから、それが嘘なんですの。そもそも、この()()は、私がリンクスの手に入るように取り計らったものですの」

「なん、だって!?」

「あえて、そうしたのです。彼が、それを使わずに隠し持っていたことも知っています。だって、希望のない人生なんて耐えられないものでしょう? 私たちは、人間ならざる力を手に入れたところでしょせんは、成り立ての冒険者。あてどもない、迷宮を駆けずり回っても、この呪縛から我が身を解き放つ便利な道具が見つかるなんて保証はありませんの」

「だから、わざと希望を与えたっていうのかよ」

「いつでも、戻せるとわかっているのと、そうでないのとは心の余裕が違いますからね。それに、彼は、心がやさしすぎたから……。私がなにもかも覚えていると知ったら、きっと悲しみで前が見えなくなってしまう」

 ルーシアは両手で顔を覆うと声を殺して泣きじゃくりだした。

 ――逃げて欲しかった。あの人だけは。こんな私に愛想尽かしをして。

 深い悲しみの声は、人の胸を打つ。蔵人は呆然としながら、彼女を慰める言葉も知らず、木偶のようにただ佇立しているだけであった。いまならわかる。彼女は、リンクスがそばに控えていることを知っていて、あのような蓮っ葉な態度に出ていたのであった。滅びがそこまで迫っていたのを知っていたから。その螺旋から、彼だけでも逃れて欲しくて、あえて無理難題を立て続けに突きつけたのだ。ドラクールの討伐もそう。彼女は、わざと不可能な提案を行って、つき従う騎士のすべてを自分の下から開放したかった。

 だが、忠実なる下僕は、ただのひとりも彼女から離れていかなかった。ルーシアは、ドラクールの呪縛に囚われて身動きが取れず、騎士たちは地獄の底へ真っ逆さま。最悪の結末だけが、彼女たちを待ち受けていた。

 ルーシアは、突如として顔を上げると、袖へと遮二無二すがりついてきた。その瞳には、もはやなんの感情も読み取ることはできない。虚ろな瞳は深淵を覗き込んだように、どこまでも底がなかった。

「クランドさま。ころして……」

 憔悴が濃い。はじめて会ったときの印象的な目の輝きはもう、思い出せそうになかった。

 全身が悔恨と苦渋に満ち、一気に幾つも歳をとったように縮んで見えた。

 バキバキと乾いた音が鳴る。知らず、噛み締めた奥歯の音であった。

「滑稽だ! 滑稽だな、ルーシアよ。だが、我はおまえをそう簡単に手放しはしないぞ。まだまだ、遊び足りぬわ。おまえこそは、まったくもって、我のツボをここぞと突いてくれる最高の道具ぞ!」

 ドラクールの哄笑が響き渡る。吸血鬼の魔人は、胸元のベストをわずかに汚しながら、なにごともなかったように白い歯を剥き出しにして鋭く吠え立てていた。さすがに回復力は高位魔族とでもいうべきであった。

 蔵人は視線だけを動かすと、完全に感情を消した顔つきでドラクールを見やった。瞳は凍れる銀のように冷たく輝いている。手にした長剣のツバが強風にあおられるように、カタカタと鳴っていた。睨むでもなく、ただ、ものを観察するように、美貌の魔人を視界の中に捉え続けていた。

「ドラクール。いったい、おまえはなにを考えて彼女たちを絶望の淵に突き落とした」

「余興よ。すべての生きとし生けるものは、この我の楽しみのためにある」

「それが答えか……」

「さあ、収穫の季節だ。我にありったけの絶望と苦悶を見せよ!」

 ドラクールは全身を黒い霧に変えると、高らかに笑いつつ猛烈な勢いで迫り来る。

 胸元の紋章が輝きを増して青白く燃えた。

「ドラクール。てめぇは、ここで死ななきゃならねぇ。たったいま、そうと決まった」

 言葉が途切れるまえに、蔵人は風を巻いて駆け出した。






 アレクセイは吸血鬼三騎士最後のひとりである、“鋼鉄”のアルマンと対峙していた。

 アルマンは、教会の執行者、天園騎士団百人長であるエセルバートを一撃で屠ると、紅に染まった拳を軽く振り、独特の構えを取った。上半身は肌脱ぎになっており、鍛え抜かれた大胸筋は恐ろしく分厚い。生半可な攻撃は通じない硬さと、柔軟な動きに耐えるやわらかさを混在させた筋肉である。

「待たせたようだな。さて、エトリアの勇者よ。存分に死合おうか」

「能書きはええんじゃ。わしも、ちぃと急いどるんじゃ。早めにカタつけにゃならん」

「ふふ。勇者の称号か。オレのコレクションに、また新たな伝説が刻まれるときがきたようだな。アレクセイよ。おまえの首を戦利品(トロフィー)として、ドラクール公に捧げてくれようぞ」

「どうでもいいからこんかい。わしゃ、待ちくたびれたぞ」

 アルマンの巨体は重力を無視したスピードで移動をはじめた。巨躯には似合わぬ足さばきで、彼我の距離を一瞬でゼロにする。握りこまれた拳は赤黒く、唸りを上げて迫り来る。

「鉄豪」

 気合の集中と共に、アルマンの指先が鋼鉄化する。

 アレクセイは長剣を両手持ちに握り替えると重心を低くして迎え撃った。アルマンは両の五指を押し広げると、首筋を狙って凄まじい速度で左右から掴みかかった。戦車同士が激突したような音が部屋中に響き渡った。両者は互いに位置を入れ替えたまま、やや離れた位置で固着する。アルマンの踏み込みは床石を砕き、白煙を濛々と立ち昇らせていた。

 固唾を呑んで見守っていたコルドゥラの瞳が大きく瞬く。アルマンは口髭を蠢かせながら苦悶の表情を浮かべていた。やや前かがみになりながら両手を下方に突き出したまま静止している。そのすぐ真下の床へと、パラパラとイモ虫が転がったように、小さな肉片が紅の衣をまとったまま、ひとつ、ふたつと落ちていく。

「ば、馬鹿な……! いつだ! いつやったッ!!」

 アルマンは、もはや余裕をなくした表情で顔中に細かな汗を浮かび上がらせて、引きつった声で鋭く叫んだ。アレクセイの白刃が、刹那の瞬間に、すれ違ったアルマンの両手の指を、残らず切断したのである。

「決まっとる。いま、やったんじゃ」

「なにを――ッ!?」

 アルマンが怒りを込めて振り返ろうと身体をよじる。同時に、両肩のつけ根に、紅の斜線が素早く走った。筋は、みるみるうちに太さを増して、真っ赤な血潮を噴出させた。

 ごとり、と、鈍い音を立てて、男の両肩から二本の腕が床へと転がった。

 目にも止まらぬ速さの剣撃。

 吸血鬼三騎士の中で無敵を誇った男にとって、それは想像し得なかった悪夢であった。

「勝負ありじゃ。わしゃ、弱いものいじめはせん。ドラクールから離れて二度と悪さをせんと誓うなら見逃してやってもええぞ」

 アレクセイは肩に剣を担ぐと、もれ出た生あくびを噛み殺しながら、至極つまらなそうにいった。

「このオレに対し、見逃してやる、だと!?」

 アルマンは額にくっきりと青筋を浮かべつつ、目尻を決してくぐもった声を出した。

 本来、そのような言葉は強者であるはずの、アルマンがいうべき言葉である。

 それを、あきらかに格下である人間のアレクセイが。死徒である自分に対して、まるで幼子を諭すように述べたのだ。

「ふざけるなよぉおお。人間風情がぁあああ!!」

 アルマンを支えているのは、魔王十三公であるドラクールから、直接、死徒という幕下に迎え入れられたという強烈な自負心である。

 それが、たかだか人間という、この大陸の中でももっともひ弱な種族に根底から覆されるような態度を取られたのであった。

 彼の全身は、怒りで炎のように燃え立った。死徒はすぐれた再生能力を持ち、魔族の中でも高い不死性を持っている。その能力が後天性なだけに、己を一段高く見るのは、コンプレックスの裏返しだといえた。

 アルマンは、唸りながら精神を集中させると、即座に失った二本の腕を、肩口から新たに再生させた。粘った体液に濡れそぼった腕が奇妙に蠢く。緑色の液体が指先を伝って床をじくじくと汚した。

「なくなった腕がッ!」

「ほああ。ずいぶんと便利な身体じゃのう」

 コルドゥラは半ば怯えた声を上げ、アレクセイは物珍しげに口笛を吹き鳴らした。

「ほざけ、劣等種がッ! おまえは、この超越種たるこのオレを完全に怒らせたのだッ! 見せてやろう。鋼鉄の二つ名が伊達ではないということをな。はああッ!!」

 アルマンは聞くものを畏怖させるような怒号を放つと、全身の肌を赤黒く変化させた。

 “超鉄豪”。

 これは、闘気の集中によって、身体の表面を鋼鉄以上の強度へと強制的に書き換える、近接格闘の奥義である。

 同時にアルマンはシオマネキのように、両腕を不格好に肥大化させ、素早く打ち振るって足元の床板を粉々に砕いてみせた。

 小柄なコルドゥラの下半身がすっぽり入ってしまいそうなほど、大きなクレーターがその場に形成され、異様な熱気がアルマンの上半身から激しく立ち昇る。

 憎悪に燃えた男の瞳が釣り上がり、いつものようにぼうっと突っ立っているアレクセイへと殺意のオーラを激しく放射させた。

「見ろッ! このオレさまの力をッ!! もはや、原型を留めてはやらんぞ! 勇者アレクセイよ。おまえの身体をミンチにして、呼び寄せた屍鬼どもの朝食がわりにしてやろう」

「だから、能書きはええ。わしゃ、忙しいんじゃ」

「それが最期の言葉かッ! 死ね、アレクセイッ!!」

 真っ赤な巨弾が呪詛を激しくほとばしらせながら真正面から突っ込んでくる。

 アレクセイは、やや半身に身体を開くと長剣を水平に寝かせて迎え撃った。

 アルマンの表情。己の術に絶対の自信があるのか笑みさえ浮かべていた。

 超高速度で射出された砲弾のように再生したばかりの両腕が真っ直ぐ突きの構えを取っている。

 空間がゆがみながら激しくうねる。

 アレクセイの長剣。半月を描くように虚空を舞った。

 鉄の塊がぶつかり合ったような甲高い音が高らかに鳴り響いた。

 ――それは永遠に思えるような静寂であった。

 張り詰めた空間が、その声によって、真っ二つに割れた。

「バカ、な――」

「わしの勝ちじゃな」

 アレクセイは長剣を上方に振り抜いた姿勢でつぶやくと、野卑な笑みを頬に浮かべた。

 鋼鉄をはるかにしのぐ硬度を誇る鉄壁の巨体へ、斜めに青白い線が走った。

 ほとんど芸術的なまでの斬撃が、見事にアルマンの巨体を袈裟懸けに切り裂いていた。

 アルマンは肩口から脇腹にまで走った切り口を見ながら呆然とした顔で目を瞬かせた。

 巨体は神話のごとく塩の柱と貸して、真っ白な粉をゆっくり吹きはじめた。

 灰化現象。

 死徒の内包した現世に対する矛盾点が彼らにあたりまえの死を迎えさせない。

 アレクセイが長剣を鞘に収めたと同時に、巨体の切り口へ青白い炎が疾駆し、人の形を残していた灰の塊はザラザラと音を立て崩れ落ちていった。

 とりあえずひと仕事終えたと、うんと伸びをしていると、口をOの字にしているコルドゥラと視線がかち合った。アレクセイは照れくさそうにほほ笑むと、わざとなんでもないことのように、ライトな感じで話しだした。けれどその程度では、コルドゥラの内に芽生えた密かな畏敬の念が消えることはなかったが。

「よっしゃ! サクっと片づけてやったわ。っと、シスター。あの、執行者のお姉ちゃんはどこへいったんじゃ?」

 アレクセイが額の上に手のひらをかざしてあたりを見回すと、トモエの姿は消えていた。

 コルドゥラは腰に手を当てたまま、ふうとため息を吐きながら、人差し指をくるくると回して円を描き、背後の階段へと向けた。

「いや。あなたがアルマンと睨み合ってる間にとっとと抜けてったけど」

「……そりゃま、ずいぶんと情のない」

「いってる場合じゃない。早く、クランドを追わないと!」

 シスターは裾をからげて、慌てて走り出した。

「ちょ! 待ってくれや!! いま、わし大殊勲あげたんじゃぞ? んべっ」

 ウサギのように階段を飛び跳ねてコルドゥラが駆ける。アレクセイは遅れじとあとに続くが、今しがた倒したアルマンの灰に蹴躓きひっくり返った。裾を翻して走るシスターのあられもない部分が視界に飛び込んでくる。

「白、か」

 アレクセイは赤くなった鼻をこすりながら床に手を突くと、今度は慎重に足場を確かめてから、遠くなったコルドゥラの背中を追うのだった。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
どうやら10年前の当時もノクターンで読みたい、みたいな感想を書いてたみたいです、当時は若かった… それにしても、10年前かぁ…
今でも好きな作品です、全年齢のこっちに移行してきた時のことが懐かしく感じます このエピソードはあっちで連載してたらどうだったのかと想像が捗る好きなエピソードです
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。