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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第1章「遥かなる旅路」
17/302

Lv17「奴隷買います」






 蔵人は朝食後、腹ごなしも兼ねて、小屋の周りを散策していた。皆が寝起きする場所は小高い丘になっており、斜面の裾はささやかな野菜が植えてあった。

 彼女たちは、基本的に人目を避けて暮らしているので里で購入する最小限の物資以外は、山野で手に入れるか自分たちで賄う他はない。

 ここでは、年齢に別なくそれぞれが仕事を持ち、日々働いているのであった。空を流れる雲を見ながら歩いていると、不意に裾を引かれた。ルシルだ。彼女は、金色の瞳を曇らせながら、しきりに足元を指さしている。

「なになに? この先は、沼になっているから足を踏み入れないほうがいい?」

 顔を上げると、いつの間にか小川の近くまで足を伸ばしていた。周囲は、蔵人の頭上に迫るほど丈のある葦が生い茂っていた。そっと右足を水面に差し入れると、ズブズブと沈んでいく。革のブーツが、七分目まで汚れた所で足を引き上げた。

 そうやって、蔵人が半ば面白がって沼地の水面で戯れていると、ルシルはあからさまにシラケた顔で冷たい目線を向けていた。

「……すまん、つい楽しくて。え? なんで、そんな子供みたいなことで楽しめるのかって? いや、意味はいないんだよ、特に意味は。ああ、だからそんな冷たい目で見なくたっていいじゃねえか。俺は永遠に少年の心を忘れない男なんだよ」

 ルシルは、男ってしょうがない生きものなのね、といわんばかりに大人びた顔でため息をこれみよがしについた。蔵人は決まり悪げに頬を掻くと、咳払いをした。

「さ、そろそろ戻って午前の仕事の割り振りをしなきゃな。って、おい。押すなって」

 ルシルは、世話女房よろしく蔵人の背をグイグイ押しながら沼地を後にするのであった。

 小屋の前まで戻ると、ハーフエルフの子供たちは幾つかの塊になって話し込んでいた。

「あ、クランドさん」

 蔵人の姿に気づいたリネットが声を上げて近寄ってくる。統率者を求めていたのか、子供たちもそれに従った。隠れ里の中で、唯一の成人男性である蔵人の求心力は、なにひとつ役に立ってないなくても抜群であった。彼女たちは生物的な本能で、力強い父性を求めているのだ。あとは、その欲求に従って指示を下せばいい。全員の顔を見回すと、厳かに告げた。 

「それでは本日の行動命令を伝える。エミリア隊は水汲み。クリスタ隊は耕作及び雑草駆除。ロミルダ隊は家屋の清掃及び洗濯。ラドミラ隊は年少者の育成。それぞれが、己の任務を怠ることなく励むように。リネット参謀から注意点があれば、なにか」

「あの、あたしはいつから参謀になったのでしょうか」

 水を向けられたリネットは困ったように手を振ると、目の前に隊列を組んだ子供たちを眺めた。食事時とはうって変わって真剣な面持ちである。あまりの滑稽さに吹き出すのをこらえるが、蔵人をはじめ、全員はマジ顔だった。

「あたしからは、特にないです」

「では、作戦開始!!」

 蔵人の声に、子供たちが一斉に駆け出した。

 そして、案の定、ころんだ。しかも、ロクに起伏のない場所で。

 蔵人は横を向いて、噴き出した。ルシルが怒りながら、腰にチョップを入れてくる。

「不可抗力だ、許せよ」

「あーあ、転んじゃった。もう」

 リネットがいつもの癖で助け起こそうと身を乗り出すが、蔵人は手を挙げて制した。

 転んだ娘はまだ幼稚園児程度だったが、同じくらい幼い子が駆け寄って助け起こす。

 ふたりは、振り返ってリネットを見ると微笑みを浮かべた。

「あの泣き虫リリスがころんでも、泣かないなんて」

「我が隊員たちは日々成長している。相互に助け合う、この美しさよ」

 蔵人が、薄っぺらい言葉を述べたがリネットはしきりに感心した。

「そういえば、リネットは今日は街に買い出しか」

「ええ、先日売れたうさぎさんの角のお代がまだありますから」

 リネットは、下げていた籐つるで編んだ籠を指差すと、顔の前で振ってみせた。

 ちゃりちゃりと金属の擦れ合う音がする。

 中には、この国の代表的な貨幣であるロムレス銅貨が入れてある。通貨単位は、(ポンドル)であらわされ、庶民の日常では銅貨と銀貨が主に併用された。金貨は額が大きく、使用するのは大商人か貴族くらいであった。(ポンドル)の下がD(ドルクマ)であり、一(ポンドル)およそ日本円にして、十円程度である。百D(ドルクマ)が一(ポンドル)に相当した。

「ドロテアといっしょに行くんだろ。って、あいつまだ起きてこないのかよ。もう、かなり陽が高いぜ。あいかわらずの寝起きの悪さだな」

「ええ、だから困ってしまって。ひとりでは、ちょっと街に行くのは無用心でして」

 リネットは眉を八の字にし、ため息をつく。

「俺はお嬢さんたちのお世話があるからなぁ、ん? なんだ、ルシル二等兵。どうした、おしっこか?」

 袖を引かれて視線を下げると、ルシルが手招きをしてみせる。

「ん? なに、ドロテアの件はわたしにまかせて? そうか、じゃあいっしょにねぼすけさんを起こしに行くか」

 ルシルは、ふむーと腰に両手を当てて鼻息を荒くし、首を縦にこくこく振った。

「この子ぜんぜんしゃべらないのに、よくいってることがわかりますねぇ」

「ああ、なんとなくだ」

「なんとなくですか、じゃあお任せしちゃっていいですかね。あたし、もう引っかかれたりするのイヤですから」

「おう、任せとけ。行くぞぉお、とりゃっ」






 リネットは、ルシルを抱きかかえながら走り出した蔵人の後ろ姿を見ながら、自然に頬がゆるんでしまうのを止められなかった。

 あの青年がここに来てから、毎日が楽しくなった。

 思えば自分はハーフエルフとして生を受けてから常に迫害を受けてきた。

 元居た村では同じような年頃の少年たちには毎日のようにいじめられ、顔を見れば罵倒され、小突き回され、軽い男性恐怖症になっていた。

 ときには、面白半分に下着をまくられ、裸のまま大通りを歩かされたこともあった。

 あと何年か経ってあのまま村にいたら、間違いなく彼らの性欲のはけ口になっていただろうと思うとゾッとする。

 人間とエルフの混血である。人間としてもエルフとしても生きることは許されない。そうして、村の男に玩具のように扱われ、子を孕み、絶望のまま首を吊ったり身を投げたりした女性を数え切れないほど見てきた。誰の庇護も受けられない女の行き着く場所は、玩具にされるか奴隷として叩き売られるかどちらかと相場は決まっていた。

 リネットは頭上に高々と昇った太陽に目を細める。

 夏が近づいているのか、汗ばむほどの陽気だ。

 自分が村の総意で売却されると決まったのも、こんな青空が澄み渡った日だった。

 顔見知りの組頭が、怒ったような顔で告げた。

 リネットのそばにいた母は終始うつむき、そのあと族長の館に連れて行かれるまでとうとう一度も顔を上げることはなかった。これは奴隷市に荷馬車で送られる最中に商人から聞かされた話だが、母は族長の妾になることが決まっていたのだった。母の幸せのためには、間の子(あいのこ)の存在など足かせに過ぎない。

 どうせ、この先生きていてもしあわせになどなれない。

 そもそも幸せの意味などよくわからない。

 聞けば、これから自分の売られていく先は奴隷の入れ替わりが非常に激しいらしい。

 それは、明確な自分の死を意味していた。

 どうせなら苦しみは短いほうがずっといい。

 半ばすべてをあきらめていたときに、現れたのがドロテアであった。

 ハーフエルフだけの里をつくる。 そこには差別もなく苦しみもない。

 目を輝かせながら理想を語るドロテアを前に、なんの希望も持てなかった。

 この里に差別がないわけではない。

 ここが、差別そのものを煮詰めた鍋そのものなのだ。リネットは、はじめ、自分より傷ついた幼い同胞たちを見ながら、半ば同情し半ば嫌悪した。彼女たちのいちいち自分に対して媚びへつらうような態度や、なにかを尋ねるときに見せる機嫌を伺うような視線を目にするたびに、羞恥にも似た怒りがふつふつと沸き起こり、理性を制御できなかった。

 それは、かつての自分を鏡で見るように滑稽で惨めだったからだ。機嫌を伺い、なるべく怒りを買わぬように目をそらし、ときには面白くもないのに追従笑いすら反射的にしていた自分そのものなのだ。所詮、理想と現実は違うのである。当初、この里には仲間とも家族とも到底いいがたい違和感しかなかった。腫れ物に触るように接し、子どもたちを扱いかねるドロテア。年端もいかぬ子たちの媚びた態度や隠しきれない恐怖感。毎日のようにそれらを見るにつけ、リネットは徐々に感情が死んでいくのを感じた。

 どうして、助けたんだ。

 どうして、放っておいてくれないのだ。

 どうして、こんな場所に連れてきたんだ。

 どうして、自分はこんなに苦しまなければならないのだ。

 朝おきて、言葉を交わすこともなく食事をとり、ドロテアにうながされて外に出る。

 広場には、遊び回る場所も、綺麗な草花も、寝転がる芝生さえあるのに、誰ひとりとして笑顔を見せなかった。

 それぞれが離れて、互いに怯えながら座り込んでいる。

 まどろむような日差しの中で、空回りするドロテアの張り上げる声が酷く空虚に響いた。

 ドロテアがルシルを連れてきたのは、そんな名前のない一日のうちのどれかだった。

 まだ歩き始めたくらいの歳のルシルの瞳は、誰よりも虚無を宿していた。

 感情の揺れが無い瞳は、底の見えない闇をそのまま映しとったように澱んでいた。

 他の子どもたちは怯えの色が濃いとはいえ、一番年かさのリネットが声をかければ返事くらいはした。

 だが、彼女にはそれすらない。

 生物としてのあたたかみすら感じない。

 薄気味悪さを感じたリネットは、努めて彼女を視界に入れないように過ごした。とはいっても、ここでは特になにをしなくても、ぶたれることもなければ痛罵されることもない。

 朝おきて、排泄をして、食事をとり、時間が経ち、時には身体を洗い、就寝する。

 目を閉じてしまえば、どこにいようと変わらない。リネットはそれでも健康的に寝息を立てる子どもたちを遠ざけようとして、薄い毛布にくるまり瞳を強く閉じた。

 毎日のように夢を見る。

 どこか知らない道をひとりで歩いてる。

 空には雲一つなく、白い光が地面を照らしている。

 身体は熱を感じない。自分以外には誰もいない。

 リネットを害するものは誰もいないのだ。

 安堵そのものだ。これこそが自分が望んでいた平穏な世界である。

 それがうれしいはずなのに。起き抜けはいつも涙のあとが頬に残った。

 幾度夜を泣いて過ごしたのだろう。

 その、物音は隅から聞こえた。

 いつもなら気にならないはずなのに、妙にそれが耳に残り気になって寝つけなかった。

 リネットたちが寝起きする大部屋は、板の間に古ぼけた絨毯を引き、それぞれが毛布にくるまっている。中には、まだ母親の乳を恋しがる歳の幼児の顔すら見えた。窓からぼんやりと月明かりが差している。

 リネットは物音のする部屋の隅へと、ゆっくり毛布を引きずりながら移動した。

 そこには苦痛の表情を浮かべながら悶えているルシルとそれをいたわるように手を握る数人の少女たちがいた。リネットと視線が合う。少女たちは怒られると思ったのか、恐怖を顔に滲ませながら身を寄せ合っていた。少女といっても、まだ五つかそこらだ。リネットとは倍近く歳が違う。この年代の数歳差は、大人と子供ほどの開きがあるものだ。常に忍従を強いられ生きてきた彼女たちの背には、諦めと哀しみの影が骨の髄まで染み込んでいる。

 リネットが様子を見ようと身を寄せると、少女たちはそれでもかばい合いながら、震えながらも勇気をこめて懸命に訴えたのだ。

「おねがい、ルシルをぶたないで」

 愕然とした。それから、ようやくリネットは自分がいままでなにをしてきたか悟った。

 こんな小さな子たちですら、自分より弱いものを守ろうとする心を持っている。

 この傷ついて生きてきた少女たちにとって、殴打や罵声は日常的なものだったのだろう。

 彼女たちにとってリネットは、自分たちを傷つける恐怖そのものなのであった。

 それでも、彼女たちは、恐れて涙をこらえながらもそれでも逃げなかった。

 ルシルという自分より、かよわい存在を守るため、恐怖を押し殺して懇願したのだ。

 リネットは、いままでの自分の態度や振る舞いを思い起こし、愕然とした。

 自分のそっけない態度や、冷たい振る舞いに彼女たちはどれだけ怯えていたのだろうか。

 反応の鈍い彼女たちに、声を荒げたり不機嫌そうにしたことが幾度あっただろうか。

 いや、事実、口に出していなくとも、敏感な子供たちは悪意を自然と察するのだ。

 リネット自身がそうであったように。

 涙がこぼれた。

 リネットの心に彼女たちを愛おしく思う感情がはじめて生まれた。

 震える彼女たちに手を回し、ぎゅっと抱きしめる。きょとんとした表情で立ちすくむ少女たちを見ながら、もう一度、ここからはじめようと決めた。

 その日から、彼女たちは家族をはじめたのだった。

 そして、今日という日に続いていく。

 リネットは、籠を抱きながら感情が豊かになりつつあるルシルのことを想った。

 いつか、彼女が話せるようになれば、きっとそれは一番大切な日になるだろうと。






「ようし、ルシルよ。まずはゆっくりと中に潜入するんだ。そうだ、中途半端に起きてると引っかかれるからな。なに、ひっかかれてもクランドはいい男だって? まったく、おまえは俺のことが大好きだな。俺も愛してるぜベイビー」

 蔵人はルシルとアイコンタクトをかわしながら、未だに白河夜船であろうドロテアの寝室に潜入した。

 ドロテアの部屋は至って簡素な造作で、中央のベッドを除けば、窓際に小さな文机と椅子、化粧用の鏡台、それに衣装箱があるだけだった。

 蔵人はいざりながら徐々に距離を詰めると、そっと視線をベッドの上に向ける。

 そこには、年頃の女性とは思われない寝相で目を閉じるエルフの姿があった。

「……うわっ。さすがにこれは百年の恋も覚めるわ」

 ドロテアは、下着姿でベッドの中央部にへの字型に突っ伏していた。

 まるで、しゃくとり虫のような格好である。

 腹の部分には毛布を巻き込み枕に顔を埋め込んで膝立ちになっている。

 きちんと敷かれていたシーツは爆撃機の波状攻撃を受けたように捻れまくっていた。

 後背位をせがむように突き出されたぷりんとした臀部。

 ショーツが半ばズレ落ち、大事な部分が丸見えになっていった。

「なんだルシル? こんなところを殿方に見られたらわたしなら自殺してる? そう手酷くこき下ろすな。とにかく、このままではお嬢さんの観音様が常時御開帳でお風邪を召されてしまうやもしれん。うん、そうだ。ここからは赤ちゃんの産まれてくるかなり大事な部分だから丁寧に扱わんと。気づいた人間が保護してやらんと。そうね、おまえのいうとおりおそらく未使用だ。よし、とりあえずひっくりかえそう。いち、に、の、さん!」

 蔵人たちは協力してドロテアをひっくり返した。ドロテアのしがみついていた枕がすぽーんと床に飛び、いつもはまとめている髪が孔雀のように拡散した。

「うっわ、こいつこんなに髪の量があったのか。うん、そうだね。おっぱいでっかいね。って、ルシルさん。いくのかい、軽くいっとく?」

 ルシルは、仰向けになってあらわになったドロテアの大きな乳房を指さし、うなずく。

 ドロテアの胸は、横になってものぺっと極端に水平にならず、かなりの弾力を有していることを証明していた。

 ルシルがちいさな指先でちょんとつつくと、ボリュームのある双丘はぼよんとたわむ。

 とんでもないものを触ってしまった、というように少女は自分の頬を両手で押さえ込み、目をまん丸にして蔵人を注視した。

「まあ、びっくりするよな」

 ルシルは、自分の胸元をひっぱって覗き込むが、膨らみがないことにがっかりしてうつむく。それから、癇癪を起こして乱暴にドロテアのたわわな水風船もどきをぺちぺちんと叩き出した。

「う、うん。や、やめい」

「おいおいおい、起きちまうぞっていいのか。それが最初の趣旨だもんな」

 次第に鬱陶しくなったのか、ドロテアの腕が蚊を追い払うように無意識に振られる。

 避けようと、のけ反ってベッドから落ちようとしたルシルを受け止めると、蔵人は重要なことに気づいた。

 乳首が見えている。

 ルシルの傍若無人な行動のせいか、彼女のブラは完全にずれて双丘が露出していた。

 ドロテアの上を向いた桜色のポッチがぷっくりと尖って見えた。

「これは、教育上非常に良くない。だが、ちょっとつまんでみたい。そうは、思わんかね」

 ルシルは小首をかしげて眉をひそめるが特に止める気はないようだった。

「さて、同意は得られたようだ。では」

 蔵人の両手の指がドロテアのふたつの蕾を同時につまみ上げると同時に悲劇は起きた。

「な、ななななな」

 ドロテアは両目を見開いたまま、自分の胸と目の前の男の顔を交互に見比べる。

 次第に意識が覚醒していったのか、寝起きで青白い頬が燃え上がるように紅潮した。

「おはよう、いい朝だな」

「で、でていけー! この愚か者がぁあああっ!!」

 蔵人はドロテアの往復ビンタを思いっきり喰らって、尻を蹴上げられて部屋から叩き出された。






「あんなにぶつことないのにな」

「いたずらばかりするからですよ」

 蔵人は真っ赤になった頬をさすりながら、ウィンプルを深くかぶって歩くリネットにつき従い、背負子に日用品を満載して移動する。

 エルフの隠れ里から一番近い、パープルベイの街である。

 街といっても、戸数は百足らず。人口は四百をかける程度の、見るべき特産品もないロムレスではありふれたひとつだ。

 蔵人がゆっくり街を歩く機会を得て、幾つか気づいたことがある。

 やたらに痩せこけた人間が多い。

 飽食が当たり前だった日本とは違い、この世界では飢えは常に庶民の生活と隣り合わせだった。年齢や性別を分けることなく、街を歩いていると肥えた人間がひとりもいない。ここでは、一日でひとりの人間がとれるカロリーは常に限定される。そのくせ、交通機関は基本自前の足以外存在しないのである。乗合馬車のようなものがあるとリネットには聞いたが、買い物を終えるまでについぞそんなものは出くわさなかった。通りらしきものは、当たり前だが舗装はされておらず、地肌が見えていた。晴れの日はともかく、雨が少しでも降ればぬかるんでとても歩けたものではないだろう。肩に食い込む荷物の重さが、心なしか増したような気分にすらなった。

「しかし、こんなものを女手でいつも運んでたのは大変だっただろう」

「いえ、買いだめするのは日用品とか塩とかお薬とか、そんなものばかりですから。基本は里の畑や狩りでとれるもので賄えます。でも、男の方がいると助かりますよ。小麦粉もたくさん買えたから。たまには甘いものもあの子たちに食べさせてあげられますし」

 会話をしながら歩き続けていると、短い市場の通りを抜けて、街の入口にさしかかった。

 街に入って最初に立ち寄った雑貨屋の老爺が、店の軒先でぼんやりタバコをふかしているのが見えた。

「ここで一息入れましょうか。お弁当つくってきたんです。これ食べたら、帰りましょうね」

「そうだな。ヘタるまえに腹になにか入れとこうか」

 蔵人は、里の隠されている山の中腹を見上げながら背負子を下ろした。

 ずっしりとした袋の重みで、ぎしりと軋んだ音が聞こえる。

 辺りを見回すと腰を下ろすのにちょうど良い草むらがあった。

「えーと、おじいさん。あたしたち、ここ使わせてもらってもよろしいですか」

「なんじゃ、リネットか。別にメシ食うくらいかまわんよ」

 七十すぎくらいの老爺はしわだらけで節くれだった指を曲げると、孫をいたわるような笑みを浮かべた。

「おい、じいさんもいっしょにどうだ。なあ」

 蔵人の招きに内心うずうずしていたのだろうか、老爺は杖を突きながら弁当を囲むふたりに加わると、歯のほとんど抜けきった口を大きく開けて、サンドイッチを放り込んでいく。年の割には驚く程の健啖ぶりだった。

 しばらく、よもやま話に興じるが、不意になにかを思い出したかのように、あ、と老爺が大声を上げる。

 蔵人は水の入った竹筒から口を離すとくちびるについた水滴をぬぐった。

「どうしたじいさん、ションベンか」

「もお」

「違うぞ、若造。そういえば、おまえらにいっておこうと思ったんじゃが、先ほどタチの悪そうな奴らが、そうさの、十人ほど連れ立って山に登っていったぞ。あの目つきの悪いのはたぶん冒険者くずれじゃな。リネットたちの村は山の向こうなんじゃろ。気をつけたほうがええ。悪さなんぞされた日にゃ、死んでも死にきれんわい」

「ああ、じいさんの忠告忘れねーよ。ところでさ、そいつら他になんか特徴があったか」

「そうよの、オークの兄弟を二匹ほど連れてたかの」

「オーク」

 リネットは身体を震わせると、頭布で隠れているはずの長耳をおさえて、口をもごもごさせる。

 オークとは豚に似た頭部と巨大な身体を持つ亜人の一族で、例外なく並外れた膂力を持つとされている。力の割には知能は随分と低く、好んでエルフの女性とまじわるらしい。孕んだ雌は例外なくオークの雄を出産する。リネットは本能的にオークと聞くと怯えざるを得なかったのだろうか、表情は蒼白だった。

「リネットや、そっちの若僧も今日は一晩泊まっていけい。山ン中であんな連中に出会ったらたまらんぞ。のう」

「いえ、大丈夫ですよ。それにあたしの妹たちがお腹をすかせて待ってますから」

 リネットは気丈にも微笑んで見せるが手首の震えがとまらない。

 蔵人がそっと彼女の手のひらを握ると、少女は頬を染めて頭巾を下げた。

「それと、もうひとつ。あれは若い男のエルフじゃったかの、最初は女かと見間違えたんだが、随分と華奢なやつだったか。確か、まわりの取り巻きが名前を呼んでたのぉ。うむ、そいつがひとりだけ男だったから間違いない。たしか、そう、たしか、ラ、ラ、ラ、なんじゃったかの、続きが」

「ラルフか」

「そうじゃ。若造、おまえの知り合いじゃったんか」

 蔵人は表情のない顔で立ち上がると、荷物をその場に置き捨てて走り出した。

 リネットは呆然としたまま老爺に荷物を頼むとそのあとを転がるようにして追う。

 街道に土煙が舞って、強い陽光の中に影が大きく伸びていった。






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