Lv164「愛は惜しみなく勝ち取れ」
グレンドルは怪鳥のような声を上げると素早い動きで槍を突き出してきた。
両手を広げた長さの単槍である。
剣のように短くなく、通常の槍のような長さでもない。
蔵人がいままで対峙したことのない中途半端な間合いである。
瞬間、対応にとまどった。
立ち合いは、刹那のときをもって勝敗を決する。
あっ、と思ったときにはすでに遅かった。グレンドルの槍は間近に迫ると、蛇のようにグンと鎌首をもたげて唸るように胸元へと飛び込んできた。磨き抜かれた鏡のような穂先が白々と光った。剣を立て、防ぐ暇はない。頭より先に、身体が後方へとのけ反った。胸元の衣が音を立てて裂け、次いで目もくらむような痛みが電流のように全身を駆け抜けた。
――やられた。
だが、傷は浅い。
考える前に攻撃に移るべきだと頭の奥底で警鐘が激しく打ち鳴らされた。蔵人は握った柄に力を込めると狙いを定めず無茶苦茶に振り回した。
これが功を奏したのか槍に当たった擦過音が軋んだように響いた。転がりながら距離を取る。グレンドルの姿。もうそこまで来ていた。怒りとも恐怖とも取れない感情が身体の芯で紅蓮の炎のように荒れ狂った。胸元へ熱い血がジクジクと広がっていくのがわかった。
グレンドルが短槍を正確無比な突きで真っ直ぐ放ってくる。
吠えた。吠え立てながら長剣を水平に振るった。ガンと鉄板を殴りつけたようなイヤな手応えが残った。グレンドルは咄嗟に左手の丸盾で長剣の一撃を防いだのだ。
と、なればあとはひたすら手数で圧倒するしかない。黒獅子を両手に持ちかえると満身の力を込めて、右に左にと激しく打ち振るった。蔵人は正規の剣術に精通しているわけではない。幼少時、祖父に初歩を教わった程度だ。彼が持ち得る技のほとんどが、この世界で骨身を削って勝ち得た実践剣法である。戦場で必要とされるのは細かな型や足さばきではなく、力とスピードだ。斬り合いになれば、先に敵を傷つけて戦闘能力を少しでも奪ったほうが必ずといっていいほど生き残っている。人間は、痛みに弱いものだ。事実、身体の欠損がそれほど深くない場合でも、痛みで簡単にショック死することが多い。殺し合いになれば少々の痛みは脳内で分泌されるアドレナリンで麻痺してしまうが、身体があたたまる前に受けた手傷は、相手に大きなアドバンテージを与えることになってしまう。身体の神経は特に指先に多く集中し、誰もが思っている以上に鋭敏だ。刃物を使って命のやり取りをする斬り合いにおいて、ちょっとした感覚のズレが勝負を分けることも多々ある。その点でいえば、蔵人は格別、痛みには強かった。昆虫などは、死に瀕すると全身から痛みに対する感覚をシャットアウトする場合もあるが、これはいけない。痛みは、命ある生物にとって重要な信号である。これをおろそかにするということは、生きることを投げ出すことと同義であるといえよう。痛みは、訓練して慣れることができるようなものではない。
耐える。
その一点において、蔵人はあらゆる人間よりすぐれていたといえよう。
――痛いものは痛いのだ。
だからといって、子供のように傷を抱え込んでその場でうずくまれば、敵が攻撃をやめるはずもない。己の命が潰えるのみだ。痛みを消し去るためには、まず、目前の敵を屠る以外に方法はない。
蔵人は、ほとんど無呼吸のまま、荒れ狂う颶風のように斬撃を繰り出した。
重たい鉄の塊である刃物を連続で振るうことは、それだけで筋肉へと過酷な負担をしいることにほかならない。
もっともそれは、受け手にもいえることであった。
グレンドルは丸盾で必死に攻撃を防ぎながら焦燥に駆られていた。
その表情には出さずとも。
蔵人の技は、構えもなにもない無茶苦茶な斬撃である。
けれども、その一撃一撃が必殺の闘気をまとっていた。
蔵人が剣を振るえば、グレンドルが返しの一撃を放つ。
エルフの戦士の槍術は熟練された確かなものだが、蔵人の身体の中心。
いわゆる、真芯を捉えきることができず、肩や腕や頬の一部を裂くだけにとどまった。
互いに足をピタリと大地に吸いつけて近距離で撃ち合った。
グレンドルのすぐれた技量の差を、蔵人の力とスピードが埋めた。
このままで埒があかないと判断したのか。
グレンドルは、風のように斜め右へと動くと、大振りで打ちかかる、と見せた。
巧妙なフェイントである。
瞬間的に受けに回ったのは蔵人の失策であった。
黒獅子の刃を水平に寝かせる。
つまりは防御の重点を上部に移したのである。
刹那、グレンドルの左腕に装着されていた丸盾が飛燕のように投擲された。
恐怖感を覚える暇もなかった。
本能的に避けようと、瞬時に身体を捻るが間に合わない。
鉄の塊は真っ直ぐ胴へと深々と突き刺さると肋骨をまとめて数本へし折った。
眼球が燃え立つような衝撃。呼吸が止まる。心臓が止まる。
つまりは、身体が硬直する。
その隙を見逃すグレンドルではない。
垂直に振るわれた槍の穂先が脳天に迫る。
寝かせた長剣の腹でなんとか受け止めた。
が、秘密は柄の部分に隠されていた。
単槍の半ば部分は二つに割れると分離した。
舌を巻く巧妙な偽装。心理の隙を突く、魔術的なギミックだった。
握られていた下半分からもうひとつの穂先が顔を覗かせた。
受太刀に回った蔵人は両腕を突き上げた格好で無防備な腹を晒したのだ。
「しまっ――!」
「もらったぞ!!」
七十センチほどに縮まった槍が、蔵人の下腹を深々と刺し貫いた。
ルールーの絶叫。甲高くわんわんと頭の中で反響した。
固唾を呑んで立ち合いを見守っていた男たちから鯨波の声が上がった。
槍の穂先は、最初冷たく、次の瞬間、熱く燃え立った。
視界の枠が煮られた飴のように激しくたわんだ。
世界がみるみるうちに焼け焦げて灰になった。
喉元からマグマのようなものが込み上げてくる。己の血液が逆流したのだ。
全身から力や気迫がこぼれ落ちていく。
この機を見逃すということは、絶対にありえない。
グレンドルは歴戦の勇士である。必ずトドメを刺そうとするはずだ。
蔵人はその瞬間を待ち焦がれ、数瞬のち、それは来た。
無防備な顔面。いかな慎重な性格の者でも驕らずにはいられない。
侮りの影に、極小の勝機を見出した。
蔵人は、唇を筒に見立て、口内の血潮を激しく吹きかけた。
血糊は想像以上に粘つき、これが目に入ればとてもではないが目を開けていられない。
すなわちそれは、戦闘継続能力を失うということだ。
グレンドルが咄嗟に左手を上げて顔をかばうのが見えた。矢のように放たれた血液は、男の手のひらから染み透り、顔を激しく濡らした。低いうめき声が聞こえる。狙いを定めず繰り出された槍の穂先に、ギリギリに命をかけていた先ほどの精彩はない。肩先をかすめて虚空を穿つのみ。
それが、グレンドル生涯最後の攻撃だった。
蔵人は痛みに抗わない。無理に立とうとせず、重力に引かれるまま、倒れ込みつつも長剣を素早くグレンドルの脚に向かって叩きつけた。
骨を断ち割る鈍い手応え。
必殺の脛斬りがグレンドルの左足に決まったのだ。
耳朶を弄する絶叫が長く響いた。
同時に背中へと槍の穂先が突き立てられた。己の背骨を砕かれる音を確かに聞いたのだ。
蔵人はピンに張りつけられた虫のように足掻きながら、それでも残った力を振り絞ってすくい撃ちを上方に放った。
幸いだったのが、このときのグレンドルの単槍はふたつに分離しており、長さとスピードは共に必殺の威力には足らず、それほど強い力で背中に食い込まなかったことがあった。
このことが、蔵人に反撃の余力を残し、この勝敗を決める一部となった。
蔵人の片手突きは、グレンドルの無防備な喉笛を深々と抉り、貫いた。
濡れた障子紙を突き破る勢いで、刃は白い肉塊を切り裂いた。
黒獅子の冷たい刀身は、グレンドルの喉仏から盆の窪辺りへと綺麗に突き抜けたのだ。
確実に勝利を確信していたのか、グレンドルには驚愕の表情が張りついていた。
瞳を限界まで見開き、大口を開けた男は、槍を指先からすべり落とすと、もがくような動作を見せ、虚空を睨んだまま正面に倒れ込んで絶命した。
驚天動地の逆転劇である。その場にいる誰もが、グレンドルの勝利を疑っていなかった。
蔵人は、その場に凍りついた男たちを尻目に、顔からうつ伏せに倒れ込むと、剣を握ったまま動かなくなった。同時に黙っていられないのが、バトルシークの残党たちである。彼らは、蔵人を抱き起こすルールーとバスチアンを取り囲むと、それぞれの得物を引き抜いて粘ついた殺気を辺りに充満させた。
(こうなると、思っていたぜ。やつら、俺が勝とうが負けようが、どっちみち生かして返す気なんてさらさらなかったんだ……)
蔵人の胸元に刻まれた不死の紋章が傷口をたちまち修復していく。致命傷ではないにせよ、失われた体力が大きすぎた。このまま立ち上がれなければ、寄ってたかって膾にされるのは目に見えている。ルールーは、蔵人をかばうように己の胸へと主の頭を抱き寄せると、ジリジリと詰め寄る男たちに向かって、まるで我が子を守る母熊のように鋭く凶暴に咆吼した。
「貴様らの大将はクランドさまに討ち取られたッ! もはや勝敗は決したのだ。それとも敗軍の兵は、群れから放り出されれば本物の野良犬のように草原の誇りすら失って、約定ひとつ守れぬのかッ!!」
「は。冗談じゃねえや。このまま、おめおめとテメェらを生かして返すとでも思うたかよ」
「頼みの綱のクランドは虫の息。そっちのジジィは名将だろうが、歳には勝てねぇだろう。労せず首を上げれば、俺たちを雇う先なんぞいくらでも見つかるってもんよ」
「それよりも、ルールー。人さまのことより、自分の頭のハエを追えよ。おまえさんは、歴とした裏切りもんなんだぜぇ……! 名誉ある草原エルフの名を穢し、のうのうと人間の主に仕えやがって」
「いきがけの駄賃だ。おまえを捕まえたら、ここにいる全員で代わる代わるおもちゃにしてやらァ! 俺たちゃ、負け戦以降、長いこと食うや食わず。それこそ、女の肌なんぞしばらく嗅いじゃいなかった。この意味をよく考えるんだな」
「こうして向き合ってるだけでよう。下っ腹に自慢のモノが当たって苦しくて仕方がねえや……! 跪かせて、しゃぶらせて、後ろから突き殺してやるぜ。覚悟しろよ」
鬱憤が溜まっていたのか、男たちは堰を切ったかのように叫びだした。どうやら、彼らが望むのは、首よりも目の前にぶら下がったルールーというご馳走に力点を置かれているようであった。
「へ。ずいぶんと、大人気じゃねぇか。ルールー」
「クランドさま、無理にお話なされませんよう。お身体に触ります」
「時間、稼げるか」
「命を賭しても」
ルールーは、蔵人をバスチアンに託すと、ゆっくりとした足取りで進み出た。彼女は、ほとんど迷いのない手つきで、腰のパンツをゆるめると、地上に落として下半身を露わにした。薄いショーツにスラリとした脚が、青白い朝焼けに照らされ蠱惑的な美しさを醸し出している。男たちは、よほど女に飢えていたのか、手にした得物から意識を乖離させ生唾を呑み込んだ。
「どう。私のカラダ。ご要望にお応えしたけど、どうかしら」
「い、今更命乞いか? 遅いぜ!」
「だ、だけどな。テメェは元は同族。ここにいる、全員に心から仕えるというなら、なあ。どうだい、皆の衆?」
「へ、へへ。そりゃ、イヤイヤ抱かれる女より、誠心誠意サービスしてくれるっていうのなら、その方が気合が入るってもんよ」
「ねえ。なら、私だけでも助けてくれるの?」
「し、下だけじゃねえ。う、上も脱げよ! む、胸も見せろ」
ルールーは、いかにも仕方がないといった様子で、両手を頭の後ろに伸ばした。
一見すると、艶めいたその動きは、男たちの隙を突いた反撃の狼煙でもあった。
刹那の瞬間。
ルールーは、背中に隠していたナイフを掴み出すと、ほとんど拍手を送りたくなるほどの精密さで、同時に四本ほど投擲した。投げナイフは、放射状に広がると、間抜けヅラを晒していた、男たちの額へと綺麗に吸い込まれると血煙をパッと吹き上げさせた。
「ふざけやがって!」
「ぶっ殺してやるッ!!」
ルールーに向かって五人の男が殺到してくる。蔵人はバスチアンを突き飛ばすようにして立ち上がると、ふらつきながらも足元の石ころを拾い上げ投げつけた。真正面から襲いかかってきた男は顔面を砕かれると嗚咽を上げて前のめりに倒れた。障害物となった仲間に足を取られて、ふたりほどが無様に転ぶ。ルールーは身の厚い短剣を素早く振って、男の喉笛と右側頭部を著しく傷つけた。突破口を開いたのはバスチアンだった。彼は自慢の膂力を活かした剛剣で、瞬く間に三人を斬り伏せ、馬上で呆然と突っ立っていた男を引きずり下ろし、蔵人を小脇に抱え軽々と飛び乗った。
「しっかり掴まっておれよ!」
ルールーは、老将の後ろへひらりと飛び乗ると、追いすがるエルフたちに短剣を続けざま投げつけた。ふたつの影が、地に転がった。朝陽が差しはじめた大地に、うっすらとした乳色のもやがかかっている。八人ほどは倒した。残りは十二といったところか。背後を、七つほどの騎馬が追いすがってくる。となれば、ステップエルフ自慢の弓が唸りを上げる。
風を切って放たれた矢が正確無比にバスチアンの肩へと突き立った。件の老将は低くうめくとそれでも手綱を手放さず馬を駆けさせる。ルールーは最後のナイフを追っ手に投げつけると、キンキンした声でヒステリックに叫んだ。
「将軍!」
「だいじょうぶじゃ。とはいえ、このまま騎馬で戦っても勝ち目はない。とりあえずは、あそこに逃げ込むぞ」
バスチアンの指し示す小高い丘の上に、小さな建築物が見えた。それは、土を掻き上げて造った古代の砦であった。狭苦しい、土塀で四方を囲まれた。半ば朽ちた遺跡である。
三人は馬を降りると、その中に逃げ込んだ。
土を押し固めて作った砦の間口は狭く、ひとりがようやく通れるといった広さである。
ここならば、弓で狙い撃ちにされる心配はない。
が、粗末な小屋は退路もなく、前方から迫り来る敵影はひたひたと息を殺して近づいてくるのが有り有りと知れた。長い間、浮浪人が棲まっていたのか、やけに生活感のある雑多な日用品がそこかしこに転がっている。
蔵人は、目を閉じたまま、突かれた腹を素手で押さえていた。ルールーが、腰の袋から布を取り出して傷口に当てようとするのを手を振ってやめさせた。紋章の力で出血は止まっている。とはいえ、失われた体力は時間を置くほかに取り戻す道はない。
血が出すぎている。グレンドルは中々の強敵だった。一歩間違えれば、骸となっていたのはこちらかもしれない。
「クランド殿。動けそうか?」
「なんとか、な。無理でもやらにゃあなるまい」
戸口で剣を構えていたバスチアンが低い声で気遣わしげに訊ねてきた。
実際のところ、いまの体力で十人以上の敵をひとりで片づけるのは難しいが、ふたりのサポートがあれば、なんとかなるだろう。こうして、追い詰めた自分たちを攻めあぐねているところからいって、敵にはそれほど度胸がある男はひとりもいなそうだった。猟師が傷ついたウサギを巣穴の前でぼんやりと待ち受けているのに似ている。そんなことを考えていると、寄り添っていたルールーの長い耳がヒクヒクと蠢くのが見えた。視線を戸口に動かすと、白煙がもくもくと遠慮なしに部屋の中へと流れ込んでくる。
「やつら、儂たちをいぶり出す気じゃ」
「朝食はスモークサーモンってか?」
蔵人は、立ち上がると外套を脱いでルールーにかけた。このままでは、視界を完全に奪われたまま不利な状況で戦わなければならない。目を潰される前に、決着をつける。佩刀を引き抜くとなんとか立ち上がった。
「爺さん、ルールー。援護してくれ。一気にカタをつける」
いうが早いか、下段の構えを取ったまま、駆け出した。
腹と背が多少痛むがやむを得ない。
敵は、ある程度時間を置いた上で飛び出してくると予想しているだろう。その虚を突くしか活路はない。エルフは人間に比べてはるかに聴覚がすぐれている。視界を遮られた煙の中では、向こうの方が確実に有利であろう。
ならば、機先を制するのみ。
息を詰めたまま、腰を折って駆けた。目を開ける必要はない。敵が放射する殺気は、眼で見なくても容易に理解できた。
右に、ふたり。左にひとり。
蔵人は、黒獅子を握り締めると、斬撃を左右に繰り出した。無駄な力が抜けていたことで、とある境地に達していたのか。寸分の無駄もなく繰り出された攻撃は、朝露がこぼれ落ちるわずかなときの間に、三人のエルフを殺傷していた。煙のあちこちで、悲鳴や嗚咽が流れはじめた。
それは、バスチアンやルールーが戦闘を開始した合図であった。
(これで敵は的を俺ひとりに絞りきれないはずだ……!)
右斜め後方から、鋭い剣気を感じ取った。長剣を逆手に持ち帰ると後方へすかさず繰り出した。肉を抉る手応え。どう、と崩れ落ちた男へと誰かが伸しかかる空気の流れを読んだ。おそらくは、ルールーがトドメを刺したのであろう。白煙の中を移動していると、やがて向こう側に出た。
「わっ」
ほとんど出会い頭に男とぶつかった。蔵人は、反射的に長剣を繰り出すと、目の前の男の胴を薙いだ。革の胸当てごと断ち割られた男は、頭から後方に倒れ込むと、すぐに動かなくなった。見れば、四人ほどの男が、木切れを集めて焚いていた。ここまでやってくるとは思っていなかったのだろうか、ポカンとした表情はあどけなく、幼げに見えた。
「俺はサケの燻製じゃねぇぞ!」
蔵人は地を蹴って跳躍すると長剣を水平に振るった。
ひとりは喉首、もうひとりは顔面を断ち割られて血煙を上げて絶命した。泡を食って逃げ出した男の背に足をかけ、動きを封じる。長剣を両手で握って垂直に落とした。切っ先は、背中の正中線に突き立って血飛沫を上げると地面まで縫いつけた。残ったひとりは、後も見ずに逃げ出している。蔵人は、拾った剣を振りかぶって投げた。刃は男の脇腹から見事に前へと抜け、逃さず屠った。蔵人は呼吸を整えながら、焚き火をかき消すと、膝を地面に突いて、荒々しくあえいだ。しばらくすると、砦を包んでいた煙は晴れて視界が明らかになった。
「クランドさま!」
「ルールー、爺さん。無事か……」
「ああ、なんとか」
晴れた丘には、十二の骸が累々と転がっていた。完全勝利である。
――とはいえ、さすがに疲れたぜ。
バスチアンは長い髭をぐいとしごくと、蔵人の前にしゃがみこんで背を向けた。
おぶってやろうという気遣いであろうが、丁重に断った。
「なぜだ、そのケガでは街まで帰れまい」
「あのな、爺さん。この掃除は、想定外の時間潰しだが、そもそも俺たちがなんでここにやってきたのか思い出してくれよ」
バスチアンは苦り切った様子で立ち上がると、両手を広げて大声で怒鳴った。
「そんな場合ではないじゃろう!」
「いいや、そんな場合なのさ。さ、ルールー。おまえは、そこいら辺りの百姓を叩き起こして、ティラート山まで道案内させろ。おい、そんな顔をするんじゃねぇ。あのな、爺さんよ。いくら俺がいい男だからって考え違いするんじゃねえぜ。いま、あんたが手に入れなきゃならねぇのは、俺のハートじゃなくて、お山のてっぺんに咲いてるちっぽけなお花さんなんだ。さ、俺のケツが臆病風に吹かれる前にとっとと行ってくれ。ああ、そうだ。ルールー、お前も爺さんについていってやってくれ。俺は、一足お先に街へ戻って、酒場でレベッカとイチャついてゆっくり待ってることにするよ。ああ、それとな。爺さん置き捨てて先に帰ってきたら、もう口きいてやんねーからな。はは、泣くな。泣くんじゃねえ。このくらいの傷、なんてことねぇ。男にとって一番ツレぇってのはな。惚れた女を取られることなんだ。歳なんざ関係ない。いい女を見れば、自分のものにしたくなるってのは、男のサガってもんだからな」
どこをどうやって街まで戻ったのかは覚えていない。おそらくはエルフたちの逃した馬を拾って駆けさせ、シルバーヴィラゴの城門にたどり着いたときは、すでに日が暮れかかっていた。フラフラになって、人いきれのする街中を移動して、酒店“胡蝶”に着いたときは、宵の口、ぐらいであった。
「あんた、どうしたのよ、その傷!?」
「悪い。少しだけ、休ませてくれ」
蔵人は、泥のような身体をテーブルの上にもたれかけさせると、いびきをかいて眠りはじめた。完全に意識を失った。それこそ、マシンのスイッチをオフにしたかのように。どれほどの時間が経過したのか、店の中はほどほどに賑わっていた。見れば、肩に薄い毛布がかけてある。レベッカの気遣いだろうか。蔵人は、ボロ毛布から顔を出すと、職人風の男たちのテーブルに着いているレベッカに向けて手を振った。彼女は、若い男に愛想笑いをすると、席を立ち、蔵人に向かって近づいてきた。脂粉の濃い匂いが、ぷんと鼻先を突いた。
「毛布、あんがとな」
「いいえ、どーいたしまして。あんたってば、席料も払わずいきなり店ん中で寝こけるし。最悪の客よね、まったく。で、どーなのよ」
「どーなのって。なにが」
「だから、そのケガ! どこでこさえてきたの? あああ、なんで、あたしがあんたみたいなろくでなしのことを心配しなきゃなんないのかなぁ、もおおっ」
「別に、頼んでないだろ」
「そういうところが腹立つのよ! なにより! なんで、カラッケツでなんの得にもなりはしないあんたを気にしちまってる、自分自身に腹が立ってるの!」
「し、知らねーよ。ところで、爺さんはまだ来てねーか?」
「お爺ちゃん? って、もしかして、あんたたちマジでロムレススミレを探しに行ったの?
だからその大ケガこさえてきたってことなの? んもー、ホントバカじゃないの? 死ぬの? いやいや、ホントに死んじゃうんだからね!!」
「うるせーな。ほっとけよ……」
レベッカが怒涛のように蔵人の行動に関して批判をはじめた。理由はわかる。彼は、看板を出す前に、一度しか来たことのない店の中へとずかずかと入り込み、我が物顔で高いびきをかきはじめたのだ。事情もくだらない男同士の意地の張り合いで、営業妨害甚だしい。蔵人は貝になった。無言の行を貫いていると、レベッカが耳たぶをぎゅうと引っ張る。これは中々、地味に痛い。女相手に本気で怒るわけにもいかない。蔵人は、再びテーブルに突っ伏すと寝たふりをはじめた。
「でも、ママをめぐっての賭けをマジにやってるっていうんなら、お爺ちゃんには悪いけど、アドルフのひとり勝ちかな」
「え」
レベッカの言葉に、くるりとカウンターを眺めればそこには、山積みにされたロムレススミレが、どっかりと鎮座していた。蔵人は、あんぐりと口を開けたまま、思わず白目にならざるを得ない。花々の向こうには、困惑した顔つきのソフィアが静かに佇んでいる。
アドルフは、勝ち誇った顔で蔵人に近づくと、なにかをやり遂げた男の顔で、さも楽しそうにほほ笑んだ。
「と、まあこれが男の力というものだよ、小僧さん。これでもなにか、文句があるかね」
蔵人は激しく脱力すると、がっくり両肩を落としてうな垂れた。これには、アドルフも溜飲を下げたのか、愉快そうにがははと怪気炎を上げた。
――しょせん、金の力には勝てないのか。
季節外れといえど、財力をもってして、一両日にこれだけの量を集めるとは並大抵のことではない。
「ちくしょお。ちきしょう!」
「あんた、なんで自分のことでもないのに、そんなに」
蔵人は、うつむいてテーブルを叩くと、そのまま突っ伏した。
あれだけ大口を叩いた上に完封負けである。
なんかみじめすぎて泣けてきた。
蔵人がそのままの姿勢でいると、背後に影が差した。
手元にスっとなにかが差し出される。
レベッカが気を利かせて、ハンカチでも寄越したのだろう。情けなさに拍車がかかった。
「気の利かねぇやつだなぁ。ほっといてくれよ」
「いや、そうじゃなくて……」
「じゃ、なんだよ!」
「おととい飲み食いした分の請求書」
「……」
蔵人は請求書を受け取ると、クシャクシャに丸めて鼻を威勢よくかんだ。
「あっ、なんてことすんのよ! このバカ!」
「うるせー! 俺に構うんじゃねー!」
「なんなのよ、もおおっ」
掴みかかってくるレベッカと格闘していると、入口の扉が音を立てて開いた。
バスチアンとルールーである。
特に、バスチアンは戦場から帰ってきたばかりのように、荒廃した顔つきでカウンターの花々を眺めていた。彼が手にしていたのは、確かにロムレススミレであったが、肉屋のアドルフが金に物をいわせて都合したものに比べれば、なんともみすぼらしい大きさと色合いであった。そばにいたルールーは、蔵人の姿を見つけると、トトっと靴音を鳴らして駆け寄った。
「申し訳ございません。将軍と苦労して探したのですが、あんなものしか見つからず」
「いや。おまえは、よくやってくれたよ」
バスチアンは見るからに憔悴した顔つきで、それでもソフィアに一礼をすると悔しそうに唇を噛み締めながら、手にした一輪の華を差し出した。
「ソフィア殿。情けないことに、こんなものしか見つからんかったわい」
「……バスチアンさま。こんなもの受け取れません」
ソフィアの言葉。バスチアンの顔が絶望の色に染まる。対して、かたわらのアドルフは満面の笑みを浮かべた。この世の春、といったところか。
「そうじゃろう。そうじゃろうな。このような年寄りに花を贈られても迷惑千万というものじゃろう。気分を害してすまなかった。もう、この店には金輪際近づかぬ」
バスチアンは背中を丸めて、いましがた入ってきた扉へと再び戻っていく。手にしたロムレススミレは、力なく床に落ちる。ソフィアはジッとその花を見つめていたかと思うと、さっと駆け出すと、背後からバスチアンの背中へと飛びついた。
「ソフィア殿……?」
「あなたたちは勝手です! 人の気持ちを顧みず、勝手に賭けものになんかして! わたしの気持ちを、わたしの気持ちを考えてくれたことはあるのですかっ!!」
「す、すまぬ……」
「こんなにたくさんケガをして……! ひどい、ひどい傷。大丈夫たるもの、こんなくだらないことで命を賭けてどうするのですか! あなたが、街を出て行ってから、わたしがどんな気持ちで過ごしてきたのかおわかりにならないでしょう!? わたしが、欲しいのは、こんなちっぽけな花じゃなくってよ!」
バスチアンは向き直ってソフィアを正面から抱きしめると、そのまま力強く引き寄せて唇を合わせた。肉屋のアドルフは、彫像のように固まったままピクリともしない。静まり返って話の成り行きを見守っていた店内の酔っぱらいどもが、割れんばかりの歓声をどっと上げた。
「ソフィア、お主が好きだ。儂といっしょになってくれ!」
「はいっ」
――これじゃあ、おせっかいの必要なんざなかったかな。
蔵人は手を取り合って二階に引き上げていくふたりを見ながら、呆然と両手を突いて座り込むアドルフを見下ろした。
「なんでだ、なんでだ。ありえない、こんなことは絶対にっ」
肉屋のアドルフは、大粒の涙を流しながら男泣きに泣いていた。考えてみれば、目の前の男もソフィアに心底惚れていたのは事実だろう。季節はずれの花をどうこう、というのはきっかけに過ぎない。そういった意味で、愛に臆病だったバスチアンの背を押す役目を果たしたのはこの男の存在が一番だったのだ。
――なんだか、ひどくかわいそうに思えた。
「あんたも、ソフィアさんに惚れてたんだな」
「そうだ。好きだったんだ――! 僕はソフィアを愛していたんだ」
蔵人は丸まった子豚のような中年の背をやさしく、ぽんと叩くと目を細めていった。
「河岸を変えて呑み直さねぇか。一杯おごるぜ。銀馬車亭っていう、いい店知ってんだ」
蔵人は顔をクシャクシャにして泣き喚く中年男に肩を貸しながら、そっと店を出ていく。喧騒に消えゆくふたつの影を、淡い月の光とルールーがどこまでもつき従っていった。




