Lv16「小エルフがいっぱい」
王都の北に位置するエルフ族の村でも、ドロテアの家は族長に連なる一門にあたり栄華を誇っていた。年頃の彼女には幼い頃から決められた許嫁がいた。
男の名は、ラルフ。
先ほど山道を登っていった男たちを先導していたエルフである。
美男で優しい婚約者と名誉ある家柄。
とりわけドロテアには、優れた容姿だけではなく剣と魔術の才能もあり、その技術は並ぶものがないと称されるほどだった。
繁栄を誇った一族に陰りが見え始めたのは、婚礼を行う予定の春だった。
今や凋落を見せ始めたロムレス王家の徴税官が、突如として税率を上げたことに端を発した。ドロテアの一族が住む地域は、いわゆるロムレス王領の属州であり、税金を収めることによってある程度の自治権を認められていた。
形としては、王都から派遣される官吏が政治を行っているのだが、代替わりした総督は商人上がりのがめつさで、いかにその土地を繁栄させて国庫を増やすということにはまるで興味がなく、己の蓄財にのみ執着する小人物であった。
このような人間では属州が治まることもなく、ちょっとしたきっかけが争いの火種を爆発させた。
財に任せて装備を強化した国軍と五百に満たぬ一部族では勝負にすらならない。
鎧袖一触。
一度の会戦で七割の死傷者を出した一族は、巨額の賠償金を贖うことになり、特に族長に連なるラルフやドロテアの家は負担が重く婚礼は無期延期になった。
ドロテアとラルフの仲が決定的になったのは、今回の戦の責任を互いに押しつけ合い、自分たちだけは一族の権威を保とうとする醜い内訌だった。
ラルフは次第にドロテアといっしょになれないストレスから、お決まりの酒や女や博打に嵌っていった。
それは中々肌を許さないドロテア本人にも向けられるようになった。
「わらわも別にラルフが嫌いだから受け入れぬわけではなかったのじゃ。身体を合わせて安易に慰めれば、きっと、もう彼は二度と立ち直れぬ。そう思ったから。だから、らわたちのこの先のためにも、もう一度奮起して、立ち直って欲しかったのじゃ。じゃが、あいつは、あいつは」
ラルフの美しさは、少々の酒や乱れた生活では、霞むようなものではなかった。
ドロテアが身体を絶対に許さないと理解すると、この男は堂々と女を作り、ところかまわず愛し合うようになった。
「それぐらいなら、まだ我慢できたのじゃ。だが、次第にあいつはわらわの前で、見せつけるように女を抱き、またわらわも負い目もあったか、その行為を咎めることができんようになっていたのじゃ。次第に歯止めが効かなくなったのか、さすがに一族の長老たちが咎めたときには、もう元の関係には戻れなかった」
ラルフの放蕩が止んだのは他にも理由があった。
戦の賠償金の問題であった。
物理的に家財を蕩尽できないと知ると、今度は再びよりを戻そうと婚約者に近づきはじめたのだった。
「わらわはこんな性格で、こまい時分から男を呑んでかかることがあっての。ふふ、これでも随分とモテたものじゃが、どいつもこいつもわらわを剣で負かせて組み敷いてやるという気が見え見えでの。エルフは、基本的に女も男も気位が高いからの。その点、ラルフは素直にわらわを褒めてくれたし、どんな時でも優しかった。理解しておらなかったのだ。その優しさは、全部みせかけのもだなんて」
ドロテアがその噂を最初に聞いた時は、嘘だと思い完全に聞き流していた。
その噂は、ラルフが戦によって産まれた戦災孤児や、侵略してきた兵士たちによって出来たハーフエルフたちを奴隷商人に売却しているというものだ。
「奴隷の存在を云々するつもりはない。わらわの家でも使っていたし、戦があれば戦利品として男どもが売り払っている事実も。そして、それで得た財でいままで生きてきたことも。だが、信じられなかったのだ。まさか、同胞でもあるあんな幼き子らを」
ドロテアは顔を覆って唇を強く噛み締める。流れ出た血が、ひとすじ糸のように流れた。
「所詮この世は不平等じゃ。勝ち続ければすべてを手に入れられるし、敗北はたった一度きりでなにもかも奪い去っていく。幼い頃から働く奴隷などザラにいる。けれど、あの子たちが売られた先は」
ドロテアの脳裏に、ようやく突き止めた子どもたちが売られた先の貴族の庭が明滅していく。
ゴミを捨てられるように大きく穿たれた穴。
人形のように打ち捨てられた幼児たちの身体を、冷たく黒い雨が降り注いでいる。
彼女たちが纏っていた上質な生地には、前夜に行われたであろう放逸な性欲の残滓がくっきりとこびりついていた。
うつろなガラス玉のような瞳は意志を持たず、造りもののように虚空を睨んでいる。
立ちすくむドロテアの脇を、無感情な石像のように、貴族の下男たちが使い終わった道具を穴へと放り込んでいくのが見えた。
「幼い処女を抱けば、病が治ると、長命を得られると。ヤツらはそういっておった。男が女を欲しがるのは仕方がない。だが、なにもわからない幼き子を使い捨てのゴミのように、あんなふうに。いうにことかいて、ラルフは。いったんじゃ。混血なら、別にかまわないだろう、と。だから、だから」
ドロテアは、棄民政策である売買に承服することができなかった。
また、それを半ば黙認する形で認めていた一族の有力者たちにも。
「すべてを救うことなんぞできない。だから、わらわはラルフの父を切り捨て、子らを奴隷商人から奪って、ここまで逃げてきたのじゃ。のう、クランド。最初は、おまえのことは商人どもが差し向けてきたならずものだと思ったのじゃ。見捨てようとした。非道な女じゃ。わらわには、もう戻る故郷もない。お父さまやお母さま、妹たちも会えぬ。怖いのじゃ、わらわは。ラルフを前にすれば、なにもできなくなってしまいそうな気がして」
胸元から、さも大事そうに真っ白な真珠の首飾りを取り出すと、目の前で掲げる。
「これは、ラルフが婚約前にわらわにくれた月のしずくじゃ。今となっては、我ながら女々しいと思ってもどうしても捨てられなくての。時々自分が殺してやりたくなるくらい嫌いになるのじゃ。あんな、あんな男を。わらわは」
ドロテアはすべてを諦め切ったような顔で微笑んでみせた。まとめていた髪がほつれ、横顔に流れる。もて遊ぶ白く細い指先がひどくさびしげに見えた。
奴隷制度のない現代日本から来た蔵人にとって彼女の苦しみはまるで現実感がなかった。
奴隷は肯定するがその扱いがひどすぎたということだろう。
古代ローマ帝国においても公然とした奴隷制度はあったが、それは生活に必要不可欠であり、無意味に傷つければペナルティがあった。
だが、この世界にはそんなものはないのだ。
ドロテアの言葉から推察すれば、非道な行為は忌避されるものの、それに対する罰則というものはおそらく法に規定されていない。
なんの証拠もなく投獄され、あと一歩で処刑されていたかもしれない蔵人にとって、この世界の法は権力者の恣意により改変されるあってないものと同じであることを誰よりも身にしみて実感している。
蔵人は、無言のままドロテアを強く抱き寄せると肩を抱いた。
ドロテアのやわらかい身体がいっそう強くしがみついてくる。
随分長い間そうしていたが、ドロテアが涙を流すことはなかった。
唇の端を噛んでこらえる彼女の顔が、ただ悲しく見えた。
蔵人は、帰路の道筋にあった天然温泉の場所を教えてもらうと、そこで入浴することを勧められドロテアと別れた。
努めて平静にふるまおうとする姿は、蔵人にとって痛々しく映った。
温泉は沢の流れと交差する比較的近い位置にあり、常時湯気が白い霧のようにあたりに漂っている。
蔵人は、衣服を脱ぐと折りたたみ、最初に足の指先を湯に近づけて温度をさぐった。
「こいつは適温」
ぬめった岩から転ばないようにゆっくりと身体を沈める。
じんわりとした地熱と湯のあたたかさが蔵人の全身へと染み入ってくる。
深い多幸感につつまれながら、脱力した。
うはー、と無意識の内に声が漏れた。
「ドロテア。なぜ断る。ここは一緒に入る流れだろ」
もちろん紳士として蔵人はドロテアと混浴を希望したのだが、すげなく断られた。
弱った部分を攻めるのは常套手段だが、先ほどの話を思い返すと無理押しするには残っていた良心が咎めた。
この天然温泉は、里から歩いて十分程度の場所なので、彼女たちは就寝する前に入浴するのが習慣になっているらしい。
絶対に覗きに来よう。強い決意を胸にひとりうなずく。
蔵人が下心を育てていると白い蒸気の向こうに、お湯の跳ねた音が聞こえた。
「ぬう、なにやつ」
蔵人は、物音のした場所へと、抜き手を切って平泳ぎで近づく。
ざぶざぶとお湯が泡立った。
前も隠さず湯壷から飛び出して岩場へと着地した。
「あ、え?」
白い華奢な背中がゆっくりと振り返る。
小ぶりな胸には、桜色の蕾がつつましやかに咲いていた。
髪は白いタオルで後ろにまとめてある。
リネットは、わけがわからないとったふうに、身体を隠すことも忘れ、呆然と立ちすくんでいた。
俺はロリコンではないので、特に問題はないだろう。
「あああ、ちがーう!」
「ひう」
蔵人は、一瞬反応しそうになった一物を鎮めるため、ゆっくりと湯船に肩まで浸かると平静を装った。なんでもない、というように世間話を振った。
「しかし、あれだな。温泉は疲れがとれるな」
「は、はい」
リネットは特に怯えるふうでもなく湯船に身体を沈めると、これでいいのか、と主を眺める仔犬のような目つきでじっと蔵人を見上げる。
「その、お背中流しましょうか」
「お、おう」
特に断る理由もなかったので、うながされるように岩場に腰掛けると背中を向ける。
リネットが特に前を隠さず立ち上がった時は、内心どきっとした蔵人であったが、彼女のふくらみかけの胸はやはり子供の域を出ないもので、思った以上に欲情をそそらず、結果自然体で振る舞えるゆとりが生まれた。
「わ」
「どうしたんだ」
「すごい、きずあとです」
「いろいろあったからな」
リネットは顔をくしゃくしゃにすると眉をしかめ、おどおどと視線をさまよわせる。
紋章の力で無限に回復するといっても、傷痕まで消せるものではない。
抉られたひきつれは全身に残り、それは闘争に程遠い少女には別次元のものに思えた。
「とりあえず痛みはないんで、思いっきりやってくれ、っていっても無理か」
「いえ、やります。やらせてください」
突如とした叫びに振り返ると、少女は大声を出したことを恥じるように目を伏せる。
「こんなことぐらいしか、できませんから」
「んん? よくわからんが、頼むぞ」
「はーい。んしょ、んしょ」
小さなてに握られたタオルが背中を上下に擦る。
誰かに身体を洗ってもらうなど子供の頃以来だろうか。
蔵人はそっと目を瞑ると、湯壷に流れる音に耳を澄まし、脱力した。
「わ、すごい」
ぼろぼろと背中から垢が落魄する感覚に、快感と羞恥が同時に沸き起こった。
リネットは、傷痕にも気を配りつつ、熱心に作業に集中している。
少女とはいえここまで女性に奉仕されたことはいままでの人生でなかった。
蔵人は、異様な背徳感を覚え、尻の穴から脳天まで突き抜けるような痺れを覚えた。
「あー、ずっと風呂なんぞ入ってなかったからな。これじゃ、ますます女に嫌われるな」
「そんなことないです」
「おいおい、大人をからかうんじゃないぜ」
「あの、先程はありがとうございました。その、かばってくれって。なのに、あたしったら、お礼もいわずに逃げだすみたいに。ひどいですよね」
「あー、あれか。あのうさぎちゃんな。別にいいって。俺は、あれだ! 丈夫だからな」
「怒ってませんか」
リネットの熱を孕んだ瞳が一心に見上げてくる。
くびすじの白さが夕暮れの中で際立って見えた。
瞬間、風が強く吹いて少女の襟元のおくれ毛がなまめかしく乱れる。
艶のある薄い唇がわずかに震えた。
「怒ってない。礼をいうならこっちのほうだ。メシも食わせてもらったり、おまけに今朝はみっともないことに下の始末までさせちまって。俺にできることは楯になることくらいだから。ま、どうしても礼がしたいってんなら、ドロテアの身体でしてもらうから、安心しろ」
蔵人は敢えて豪快に声を挙げて笑って見せる。
リネットのせわしなく動いていた手が止まった。
「あたしじゃ、だめですか?」
「へ、ダメですって、なにが……」
「お礼です。あたしが、クランドさんに身体で、します」
まさか、そう来るとは思わんかったわ。
蔵人は目を白黒させて咳きこんだフリをした。
「へ。あー、そうだなー。まだ、ちょっと早いかなぁ。ここが、もう少しふくらんだら頼むとするかぁ」
冗談めかした口調でいうと、リネットは思いつめた顔で視線を合わせてきた。
「あたし、平気です」
やべえ、ムラムラしてきた。ヤりてぇ。
リネットのうっとりした瞳がからみついてくる。触れなば落ちんといった風情だ。
無理強いするわけじゃない、こんな形の愛があってもいいじゃないか。
脳内の俺回路が唸りを上げて発動し、すべての倫理感が希薄になっていく。
某国なら、写真をFBIに永久保存され、なおかつすべての個人情報をネットに公表された上、常にGPSで位置を常時確認されつつ、行動区域が制限されるレベルの暴挙である。
「待て、俺はまだ性犯罪者になりたくない」
制止しようと右手を伸ばす。
リネットは、蔵人の手を取って己の胸に導くと、目を閉じた。
「んうっ」
幼い喘ぎ声がダイレクトに脳内麻薬を分泌させた。
蔵人が宇宙の成り立ちと、これからの行く末に思いを馳せ始めたとき、後方でもぞもぞと動くひとつの影があった。
「完全に出るタイミングを逃してしもうた。なにをやっておるのじゃ、あいつらは」
蔵人たちがいちゃつくのを岩陰からじっと見つめながら、ドロテアは理不尽な居心地の悪さに爪をかんでいた。
彼女は、かなり大胆な、燃えるような真紅のブラとショーツを着けながら、吹きつける風に鼻をすすりあげていた。
「わらわだって、リネットを咄嗟にかばったことは評価しておったよ。黙って話を聞いて、その、抱き寄せてくれたのも好印象だし。案外、男らしい肩と厚い胸も、その安心できたし」
ドロテアの鼻に皺が寄った。
「確かにちょーっとすげなくしたのも、あとでちょっとしたサプライズで喜ばせつつもイジリ倒そうという遠大な計画の一部だったのに。惚れたとかそんなんじゃなくて、いやいやいや。認めよう。認めよう、自分。けっこういい男だと思うんじゃが。それとは、まるで関係ないが、なんか知らんが、なんじゃ? この胸のムカつきは?」
「リネット」
「クランドさん」
ふたりのいい雰囲気が加速していく。
「なんだかゆるせーん!」
ドロテアは腰をかがめて、強化魔術を唱えると大人の頭ほどある岩石を担ぎ上げ、矢継ぎ早に、湯壷へと投げつけた。
「ぬおおっ」
「きゃあっ」
どぼん、と飛沫の連鎖が両者の傍で次々に立ち昇っていく。
「どうじゃ、思い知ったか!」
狼狽するふたりを眺めながら、ドロテアは一段高い岩場に仁王立ちする。
張り切った形の良い双丘がつんと大きく前に突き出された。
「ドロテアさん」
リネットがいらだちをあからさまに滲ませた声音で吐き出す。
「ドロテア、おまえはいったいどうしたいんだよ」
お預けをくらった形の蔵人が、唇を突き出して抗議した。
「う、うるさーい! おまえら、ここはみんなで一日の疲れをいやす神聖な場所なのじゃぁ。変な棒を入れたり出したりすることは断じてゆるさーん!」
「そんな格好で、説得力ないですよ」
「おおっ、気づかんかったが。かなりセクシーだぞ。さ、こっちへ」
「ふ、ふん。わかればよいのじゃ。さ、リネット。おまえはもう先に上がるが良い。この性獣の手綱はわらわのような大人ではなければつとまらん」
「クランドさんはそんな方じゃありません」
「ちょっと、おまえら」
「甘ったるい声を出しおってからに! いいからこっちへ来やれ!」
「いーやーでーす」
ドロテアが岩の上から飛び降りるとリネットの腕をひきながらヒステリックな金切り声をあげる。史記曰く、両雄並び立たず。或いは礼記曰く天に二日無し。千古の鉄則により両者のつかみ合いがはじまる中、蔵人は高まったリビドーを持て余しながら、既にパンツを履き始めていた。
蔵人が里に居ついてから七日が過ぎた。
元より行き場のない身の上である。なおかつ謎の刺客に狙われる青年にとって、目くらましの魔術がかかったこの里は居心地が良かった。
ちなみに、ドロテアは蔵人に剣術と魔術を叩き込もうと訓練を開始したが、あまりの才能の無さに、三日で匙を投げ尽くしていた。
まず、剣に関しては一朝一夕で習得できるものではない上に、立ち稽古で散々に叩きのめされた蔵人が継続をかたくなに拒んだからである。
蔵人にしてみれば、向かい合ってタプタプ揺れるメロンを見ながら、まともな稽古などできようもない。彼は、日々性欲に向き合わねばならないジレンマに陥っていた。
そして、魔術に関しては素養が一切なかった。
「俺は、指先から炎を出して半径百キロ四方を焼き尽くしたり、剣をちょいちょい振るっただけで敵がとろけるスライスチーズみたいに、スパパパーンと輪切りにしたりできないのか。激しく欝なんだが」
「そんなことができる人間は逃げ回ったりせんじゃろが」
ドロテアが剣技の習得やらなんやらと、やたらとおせっかいを焼いたのも、必要最低限の力がなければこの先絶対に苦労すると思ったからであろう。
「だが、断る」
「なんでじゃ! アホ! ……普通に死ぬじゃろが、実際」
蔵人は、嫌なことは進んで絶対にやらない主義だった。
彼は、自分を追いかけ回すドロテアに対し、成人男性とは思われないほどのなりふり構わぬ抵抗を見せて、ときにはベッドの毛布に潜り込み、リネットの背中に隠れ、ついには泣き叫ぶふりまでして、三、四歳ばかりの子どもたちまでに、「ドロテアおねえちゃん、クランドがかわいそだよぉ」といわせる程の才を顕した。
ここでドロテアが本当に蔵人のことを思えば、無理矢理にでも引きずって剣を取らせて鍛え上げなければいけなかったのだが、彼女にはその強引さが欠けていた。
「いざとなったらわらわがおるし、の。いやがるクランドに無理強いしてものう」
ドロテアは、男をダメにするタイプの女であった。
すなわち、男のわがままを容認してしまう脆さが常にあった。
世間一般にもダメな男を見るとどうしても放っておけなくて、どうしてあんな美女があんなクズと、というカップルが成立している事実はいくらでもある。
いま、まさにその負の連鎖が成立しはじめようとしていたが、ドロテアの貞操観念は鋼のように硬く、蔵人は彼女の砦を攻めあぐねていた。
「でも、よく考えるとここってハーレムじゃね」
この里の人口比率は、九九パーセントが女性で男性は蔵人ひとりである。
よく考えなくてもハーレムであった。
里の中で、大人といえるのは今年十八になるドロテアと蔵人のみである。
ドロテアが奴隷商人から奪還した子供たちで、一番年上なのは十二歳のリネットだけで、残りは一番上が九つ、一番下に至ってはようやく歩き始めたばかりの幼児であった。
そんな子どもたちばかりが四十人近くいるのに、不思議と大人は居らずとも一定の規律は保たれていた。現代日本ではこんな幼児がと思うような歳でも、感心するほど立派に年下の子の面倒を見ている。
蔵人は、八つになるマルチナという子から、朝夕の献立について意見を聞かれた際には、十八歳の子と話してるような錯覚すら覚えた。
自ずから役割分担も決まってくる。
狩りはドロテア。
里から降りての街への買い出しはリネット。
以外にも、面倒見のいい蔵人は子供たちの世話全般を総括して担当していた。
そして、なにより男手があるということは、ちょっとした力仕事の時にも重宝した。
ひとつの集団としても、バランスというものは重要である。
男だけという組織も、女だけという組織も固まっているとそれだけで、なんとなく空気が淀むのである。
ドロテアは、蔵人の前に出るときは必ず化粧を怠らなくなり、リネットも身なりに費やす時間が長くなった。平均寿命が短く、大人の自覚を持つのが早い中世並みの世界である。少女たちは軒並み早熟の傾向があった。それは、年若い男を目にした女性にとってあたりまえの反応でもあるといえた。蔵人は、いつしかマリカと別れて旅立った意味を忘れて、この閉じた世界に馴染んでいった。
「さぁ、お嬢さまがた、仲良くごはんをいただくが良い」
電気のない世界では、早寝早起きが常識である。
蔵人も日が落ちればすぐに就寝し、朝の日の出には起床していた。
食堂に集まった子供たちは、かけ声と共に神へと祈りを捧げる。
エルフ族に最も信者が多いとされるディアブリノ教である。蔵人は曹洞宗であったが特にこだわりもなく祈るふりをする。薄目を開けてちらりと周囲を見回すと、つかまり立ちが出来るようになったばかりの幼児すら神妙に祈っている。
アメージング。
時々、蔵人は自分がアメリカかヨーロッパのどこかの国にホームステイしている気分になるが、彼女たちの金色の髪から突き出した長い耳がそういった夢想をことごとく打ち砕いていく。当分、慣れそうもなかった。
「さー、おかわりもあるからどんどん食べてね。こら、ライラはよそ見しないの」
前かけをしたリネットがせわしなく卓の間を移動し世話を焼きはじめる。幼いとはいえ蔵人を除けばすべて女である。おしゃべりのやかましさは、かなりの騒音だった。
「おはようさん、リネット。毎朝大変だな。ドロテアは?」
「おはようございます、クランドさん。すいません、食事の支度であいさつが遅れて」
「いいって。にしても、ドロテアのやつ、やっぱ壊滅的に朝が弱いんだな。低血圧かな」
「ていけつあつ? なにかの病気かしら」
「あー、つまり低血圧ってのは、つまり朝に弱い人のことだ。副交感神経のバランスがよくないとか、なんとかかんとか。俺も医者じゃないから詳しくはないが。俗説だよ。そんなに大ごとに捉えないでくれ」
「へー、でもすごいですね。やっぱり、クランドさん学があります。大学ってところに行っていたんですよね。本当に、いろいろ知っているし、すごいです」
「いや、別にすごくないよ。こんなの誰でも知ってるだろ」
「あたし、知らなかったです! すごい! 本当は、学者さまになられるおつもりんだったんですよね!」
「いや、そんなことは」
「また、謙遜なすって。でも、自慢しないクランドさんて、すごく謙虚ですよ。あたしなら、皆が知らないことなら、へへん、て感じで威張っちゃいます」
目をうっとりさせながら、すごいを連発するリネットに蔵人は居心地の悪さを隠しきれなかった。無理もない。リネットから聞いた話ではこの世界の教育レベルは現代日本からすれば無きに等しいものらしい。
リネットは字が書けない。
いわゆる文盲である。字を書いて仕事をするのは、貴族か商人だけらしい。
事実、ロムレス王国のみならず、連合諸国すべてを合わせた国民の識字率は十パーセント以下であった。
彼女たちは例外的に村を出て生活をしているが、ほとんどの庶民は渡りの商人を除けば死ぬまで村から一歩も出ないのが普通なのだ。
(また、適当な説明をしてしまったというのに、この尊敬の眼差し。ダミだ。ここは居心地が良すぎる。この無垢なムスメ子たちはどんだけ俺をダメ人間にすればいいんだ)
リネットは低血圧の言葉の意味すら理解していない。
ただ、知らないことがらを聞いただけでなんとなく、一段自分が上等な人間になったような気がするだけなのだ。
しかも、自分がまるで理解できなければできないほどよい。
それは、生まれた時から系統だった学問を行うことが出来ない階層における人間の悲しみの一端だった。
「むー。リィ姉。いまは、わたしがクランドとおしゃべりしてるの。邪魔しないで」
「わ、なに。なによ、エル」
スプーンを咥えながらリネットをにらむ、エルことエルメントラウトという大層な名を持つ少女は、今年で八つになる栗色の巻き髪が美しいハーフエルフである。
なんでも、彼女は幼い頃から母親に、
おまえの本当の父は王国の名のある騎士で、いまは事情があって迎えに来れないがいつかは白馬に乗って私たちを都に連れて行ってくれるのよ、
と毎夜のように語られて育ったため、自分はこんなやつらとは違うオーラを出しまくりで、仲間からはちょっと敬遠気味にされていた部分があった。そして、聞きかじりでお嬢さまぶるのが好きな女の子であった。
「これだから庶民エルフは。さあ、お行きなさいな。あなたには、鍋を抱えてスープをつぎ回るのが良く似合ってよ、ほほほ、いったーい! なにすんのよぉ」
「エル、目上に対してそんな口の利き方しちゃダメよ」
リネットに高笑いの途中でお盆でこづかれ、エルメントラウトに早々に泣きが入る。
彼女は、素早く蔵人の膝の上に乗って首にしがみつく。
それからリネットに向けて糾弾するようにスプーンを突き出した。
「あああん、クランドぉ。リネットがわたしをいじめるのよお」
「おいおい、スープがこぼれるだろが」
「ちょっ、クランドさんから離れなさいっ。いまはごはん中でしょう!」
激昂するリネットを半目で見下しながら、エルメントラウトはことさら大げさに身をすくめると、蔵人の首筋に自分の鼻先をこすりつけ甘えるように猫なで声を出す。
「クランドぉ」
「リネットも落ち着けっての。子どものすることだろ。ほら、エルもごめんなさいしな、な」
「うん。わたしごめんなさいするぅ。ごめーんね」
「むかっ」
人を小馬鹿にした物言いに、リネットの表情が笑顔のまま硬化した。
「ちょっとちょっと、クランドさん。その子全然反省してないじゃないですか。ほらあっ、こっちくる!」
リネットの表情。確かな殺気を感じた。
そばにいた別の子が、口からパンを落とし、涙目になった。
「やだあ、こわいよおぅ」
エルメントラウトのあからさまな媚態にリネットは本能的に女を感じた。
「ほら、こっち!」
なので即刻排除にまわった。リネットは、襟首をつかもうと手を伸ばすが、エルメントラウトは猫のような身のこなしでするりと逃げると、ぱたぱた音を立てて食堂を出ていこうとする。
「まちなさーい!」
リネットは鍋のふたを振りかざすと、疾風のように駆け出す。
「おい、埃が立つだろうが、まったく。さあ、良い子のお嬢ちゃんたちは静かにお食事しようねー」
ふたりを見送った蔵人は、威儀を正して残りの子どもたちに食事を続けるようにうながすが、さざ波のような囁きは止まることはなかった。
「ひよった」
「……ダサ」
「日和クランド」
「さすがにリネットお姉ちゃんが」
やや年上の子どもたちのグループから冷たい視線を感じ、蔵人は視線をそらした。
やはり女は生まれた時から女なのだ。
誰かの金言を胸に刻みながら、硬くなったパンを咀嚼する。
蔵人は、大学時代にゼミで浴びせられた、女たちの蔑みきった視線を思いだし、軽く欝になった。
「ん?」
ズボンの裾を引かれ足元を見ると、蔵人の腰ぐらいまでしか背丈のないルシルがハンカチをそっと手渡してきた。
ルシルは無口な子だ。声を聞いたことがない。彼女は金色の目に慈愛を湛えながら、小さな手で、蔵人の膝をあやすようにぽんぽんと叩いた。
「慰めてくれてるのか」
ルシルは小首を傾げて、それから勢いよくうなずいた。
「おぉ。おまえはいい女や。おまえがおっきくなったら嫁さんにしてやるからな」
ルシルはしょうがないな、というふうに肩をすくめ、んしょんしょとばかりに膝から蔵人の身体によじ登ると、頭を撫でた。蔵人は泣きそうになった。
男はいくつになってもあやされ続ける生き物である。




