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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第5章「エトリア遠征」
151/302

Lv151「再び山頂へ」



 蒼竜の怒りがついに顕現した。かの伝説の怪物は、ひとたび長く吠えると、折りたたまれていた翼を左右に無理やり押し広げた。

 それまでが、まるで、わざと無力を装っていたような、自然かつ力みのない動きである。

 これには、縄をかけていた兵士たちもたまらずたたらを踏み、小蝿が烈風に吹き飛ばされるよう、コロコロとたわいもなく谷底へ転がっていった。幾人かの膂力ずば抜けた衆だけが、漁りした魚を逃がさないようにと、筋骨から魂を振り絞って踏みとどまっている。

 これが、第二の悲劇である。青竜ズメイは、青く澄んだ瞳をぴかりと光らせると、凍てつく波動を全身からほとばしらせた。

 綱引きのように、かけていた縄へと取りすがっていた兵士たちは、たちどころに伝わってきた冷気に打たれ、液体窒素をかけられたように、まばたきする暇もなく冷え切った。

 この攻撃で、背後に回っていた百名のうち、ほとんどが動きを止められた格好になった。

 青竜は、凍てついて脆くなった身体の綱を、たやすく引き千切るとひとつ身震いをして、それから鈍重な動きで前進した。

 あっという間に、後衛を壊滅させられ、さすがに気を呑まれたのか、兵士の足並みが乱れ切った。

 フリストフォルは栗毛に鞭を入れると、前面に押し出て声を枯らして突撃を命じた。

 ――あいつ、笑っているのか?

 青竜の瞳。蔑むように、こちらを見下している。

 蔵人は、額にじっとりと汗をかきながら、ほとんど反射的に飛び出していった。

 参候、とばかりにぬかるんだ雪混じりの土を蹴って進む。その背後に、ポルディナ、ドロテア、カレン、リザ、ルールーが遅れじとばかりに続く。

 砂糖の塊に群がる蟻のごとく、真っ黒な兵士たちが、ズメイの足元で押し合いへし合い兵器を振り回している。あざ笑うがごとく、青竜のあぎとが開いた。

「伏せろッ」

 誰が叫んだかはわからない。蔵人は、身体を押しつけるようにして、両脇にポルディナとドロテアを抱え込み、雪の中へと身体を埋没させた。

 蔵人を一息で仕留めた、凄まじい威力のブレスが放たれたのだ。

 身体の芯まで凍るような冷気の嵐が辺りを蹂躙した。

 一瞬で、まつ毛が凍りつき、分厚い毛皮の帽子が真っ白に変わった。

 暴風が過ぎ去った後、顔を上げると、そこには雪の塊となった兵士たちが、打ち落とされた羽虫のように、散乱していた。

「大丈夫か、おいっ。しっかりしろよ」

 蔵人はそばにいた男を抱え起こして頬を張った。男は、しおっ垂れたモヤシのようにくたっと伸びたまま、返答をしない。手首の筋を確かめると脈はあり、かろうじて生きてはいるようだった。

(攻撃が弱い……?)

 蔵人が受けたブレスの威力はたぶんこんなものではなかった。あえて手加減をした攻撃の意図をはかりかねているうちに、剣を腰から引き抜いたドロテアが猛然とした勢いで打ちかかっていくのが見えた。

「わらわはゴチャゴチャ考えるのはめんどくさいんじゃ! 意味なんぞは、あの竜をブチ倒してから考えても遅くはないじゃろう!!」

 ドロテアはアスカロンを構えると、鋭く跳躍した。足のケガはほぼ治っている。

 むしろたっぷり休んだことで、鋭気は以前よりも増しているかのような惚れ惚れとした動きだった。飛び上がって無防備同然に見えるドロテアに、青竜から冷気をまとったブレスが吹きつけられた。

「火炎弾(フレイムボール)!」

 ドロテアは左手を天にかざしながら、火属性の魔術を解き放った。

 一抱えもあろうかという大きさの火球が真っ直ぐに尾を引いて飛んでいった。冷気と火球は、虚空でぶつかり合って反応し、激しく爆発した。音を立てて辺り一面が白い蒸気の渦で包み込まれる。視界を失ったまま、ドロテアの消えた方向を見やっていると、ガキンと堅い金属音が打ち鳴らされた。

「つつ、なんという硬さじゃ。これが竜かえ!?」

 とっ、と軽やかに地上へと降り立ったドロテアは手にしたアスカロンを震わせながら鋭くバックステップをして竜の一撃をかわした。青竜のウロコ。そう安々と打ち砕けるほどヤワな代物ではないらしい。

 白い蒸気の霧が立ち篭める中を、素早く駆けていく一陣の風を目にした。

 ポルディナだ。

 彼女は、巨大なウォーハンマーを後方に流しながら、竜へとまっしぐらに進んでいく。

「おおおおォ!!」

 狼の雄叫びを思わせる怒号がメイド服を着た少女の口から割れんばかりに上がった。

 巨大な戦鎚が大気を割って繰り出される。

 大鐘を突いたような鈍い音が、ごおんと、響いた。ポルディナが、青竜の脇腹に、特大の一撃を叩き込んだのだ。わずかに、青竜の上体が右にブレた。

「大地竜牙(アースジャベリン)!!」

「風王連弾(ウィンドブレット)!!」

 リザとカレンが続けざまに地属性と風属性の魔術を解き放った。

 雪をかき分けて、鋭く尖った岩の槍が、青竜の腹を突き上げる。遅れて、空気の塊が鋭く射出され、強烈な砲弾のようにズメイの前面をこれでもかとばかりに叩いた。

「ば、バカな」

 隣に立っていた兵士が剣のツバをカタカタと鳴らせて、怯えた声を出した。

 雪煙が消え去って、再び眼前に青竜の輪郭があらわになる。そこには、傷ひとつなく、微動だにしない怪物が、巌のようにそびえ立っていたのだった。

(まただ。また、あの目だ)

 蔵人は、白煙の向こう側にどっしりと腰を下ろし、戦場を俯瞰する歴戦の古豪のような青竜の佇まいを己の瞳にとらえて、唾を嚥下し乾いた喉を震わせた。

 かの竜からは、かつて戦った邪竜王ヴリトラにはなかった深い知性を感じ取った。蔵人は、一度、この怪物によって死の淵をさまよいながらも、なぜか再び対峙したいまをもって、深い憎悪を胸の内に覚えることがなかった。間違いなく強敵だ。軽々にかかることはできない。同時に、機を見て悠々と大上段に構えている余裕がないことも確かであった。

 蔵人が、時間にして、わずか数秒逡巡しているうちに、後方に控えていたリザがリズミカルにステップを刻みつつ、土属性の魔術を青竜に放った。泥沼(ブラックボグ)。指定したポイントを、泥の海へと変質させる初級魔術である。青竜の足元がみるみるうちに、真っ黒な泥で溶解した。その巨体が斜めに傾きつつあるが、微塵も動揺を見せない様子に、蔵人は激しく胸の内を掻きむしられた。サークル状に広がった泥土から素早くバックステップでドロテアが遠のくのが見えた。

「炎よッ! 集えッ!!」

 ドロテアはアスカロンを頭上に構えると、魔術詠唱を開始した。

 戦士イカロスから譲り受けた名剣はずば抜けた強度を誇っている。ドロテアは、大気のマナを剣に集約させ、威力を倍加させて放つ魔導剣士である。これには、さすがの青竜も身じろぎ、巨大なあぎとを開けて、冷気のブレスを激しく放射した。一旦、詠唱に入れば、わずかな身体の硬直は避けられない。ドロテアの表情が引きつった。

「風王の槍(エアロジャベリン)!」

 彼女の命を救ったのは、カレンの魔術であった。ドロテアを呑み込もうとした冷気の渦を、風で構成された大きな槍が、たちまち相殺したのである。言語を絶する風量が、カレンの指先から放出し続けている。

「早くしなさいよっ! もう、もう、もうたないっ!!」

 カレンの顔色がみるみるうちに生気を失っていく。泥の海を形成し続けるリザが片膝を突いた。エルフは他種族に比べて魔術適性にすぐれているが、これほどの多量の魔力を短時間で消費すれば命に関わるレベルである。

「待たせたなッ。これで決まりじゃ! 魔導剣――炎王大斬撃(フレイムソリダス)!!」

 ドロテアは凄まじい形相で鬼神のごとく雄叫ぶと、火炎の熱で真っ白に輝くアスカロンを上段から斜めに打ち下ろした。

 瞬間、周囲の雪が残らず蒸気と化した。泥の海が凝り固まって砕け飛ぶ。空間が斜めに断裂する錯覚。裂けた世界が、再び接着される。ドロテアの斬撃が、熱波のごとく唸りを上げて、青竜ズメイの巨体を斜めに駆け下りた。

 誰もが、ズメイを打ち倒した。そう、確信した。それくらいに、ドロテアの一撃は、美しいほどまでに完成された攻撃であった。

 だが、現実は違った。

 白煙と共に、姿をあらわした青竜は、首から胸元にかけて、薄く白い線を残したまま、微塵もゆるがない。

 蔵人は、倒せないまでも、ある程度のダメージは与えられているだろうと、半ば、彼女の攻撃力を盲信していたのだった。蔵人は魔術も使えないし、ドロテアほどの身軽な動きも堂に入った剣さばきも真似ができない。特に、貫通力の高い火属性の魔術を上乗せした魔導剣の威力は、ケルベロスという魔獣を一撃で仕留めた実績確かなものであった。

 リザの土魔術で足を止め、カレンの風魔術で氷のブレスを防ぎ、ドロテアの炎熱でズメイを撃つ。三エルフの流れるようなコンビネーションは、打ち合わせて行ったかと思えるような完成された連携であった。

 蔵人の目に、棒立ちになったドロテアの後ろ姿が見えた。無理もない。驚愕の度合いは彼女の反射神経を阻害し、動きを固着させるのに充分だった。

 青竜が、おもむろに飛び上がるのが見えた。白々とした陽光が青く静謐なウロコに照り映え、視界を鋭く灼いた。太く巨大な尾が、真上からドロテアに向かって打ち下ろされる。脳裏に、彼女が押しつぶされ、雪原が真っ赤に染まるイメージが鮮やかに映し出される。

 駆けた。

 世界が、ときが、あらゆる事象が、瞬間、停止した。

 身体から感覚が消え去る。

 あの、ギリギリの際に、どこからともなくやってくる力があふれ出した。

 地を蹴って、蔵人は崩れた足場をもろともせず、宙をすべるように前進した。

 胸元の紋章が発光する。己の筋肉が限界まで躍動するのを確認し、前のめりに飛びながら、ドロテアを抱え込んだ。

 コンマゼロ秒の差だ。

 ずしん、と振り下ろされた尾の一撃が深々と地上を抉り取る音を聞いた。

 転がりながら、聖剣“黒獅子”を引き抜いた。

 ドロテアを左腕で抱えつ膝立ちに起き上がる。

「あ――あ?」

 目にした光景が理解できなかった。確かに、いまのいままで、目の前の空間に巨大な竜がいたはずだった。

 だが、網膜を通して飛び込んできた映像は、そこにいるのが竜ではなく、ただの人間であることを事実としてとらえ、脳に伝達していた。

 齢は、おおよそ二十代前半くらいだろう。ほっそりとした、白い肌の女性だった。身体にピッタリとした、澄み切った青いドレスのようなものを身につけている。胸の襟ぐりは深く、たっぷりとした乳房の上半分が目にまぶしかった。髪も瞳も空のような青さだ。人間の生臭さをまるで感じず、完成した一種の工芸品を見るような無機質さが強かった。

「だ、誰だ。おまえは」

 蔵人が、その場すべての人間に代わって代弁した。

 ドロテアも、目の前で起きたことが理解できないといった風に、ポカンと口を開けたままにしている。蔵人は、この男として珍しく、事態の輪郭をとらえようと、頭を回転させて犀利な分析を試みた。単純な加減算である。

 青竜は消えた。残るは目の前の女ただひとり。

「いや、違う。おまえが青竜ズメイなんだな」

 臈長(ろうた)けた美貌の女は白磁のような頬をわずかにゆらし、くすりとほほ笑んだ。

「そこなるますらおは、ほかの人間とは違い、一段、聡いな」

 しっとりとした古琴鳴らすような声である。動揺からいち早く立ち直ったドロテアが、よろめきながら、いった。

「いにしえの伝承に聞いたことがある。長寿を誇る竜種は、堅牢な理性と深い知性に富み、あらゆる言葉を操り、かつ竜にしか使えぬ古き時代の魔術をよく使うと」

「エルフの女よ。その通りだ。私は、ズメイ。この大陸に古くから棲まう一族の裔である」

 ズメイは途中で言葉を切った。背後から乾いた泥を蹴って、ポルディナが戦鎚を片手に激しく打ちかかったのである。

 アポイタカラという超金属で造られたウォーハンマーは、ぶおん、と異様な風切り音を上げてズメイの後頭部に迫る。

 この瞬間を狙って気配を消していたのであろう。

 見事、といわざるを得ない会心の一撃である。

 ――が。

「ふむ。中々素晴らしき気配の遮断ではあるが。いかんせん、鈍重すぎる」

「な――!?」

 ズメイは振り返らずに、右手を後ろにやると、ひとさし指でその攻撃をぴたり、と止めたのであった。ポルディナの耳が恐怖で逆立つのが見えた。蔵人が前に乗り出したと同時に、ズメイの身体がゆっくりと、左右にゆれた。

 きゅん、と子犬が叫ぶような悲鳴が一瞬で遠のく。ポルディナの身体が虚空を舞って、遥か後方へと飛んでいった。かすかに見えた。ズメイが右腕でポルディナの腹に拳を突き入れたのだ。

 激昂した蔵人は、瞬間、理性を失った。弾丸のように駆け寄ると、真っ向から長剣を振り下ろそうとして、止まった。

 ズメイの右手。

 己に向かって、つい、と差し伸ばされている。途方もない、けた違いの圧力を感じた。

「殺してはいない。見よ」

 ズメイの声に視線を転じると、遠方でポルディナが立ち上がるのが見えた。

「お主も、力の差が分からぬほど愚かな人間ではあるまい。勇者クランドよ」

「じゃあ、なんで」

「力を試してみたのだ。この私と話し合う位階に足る男かどうか、見極めたかった。それに、我が弟が世話になったようだしな」

「おとうと、だと」

「ヴリトラのことよ」

 邪竜王ヴリトラとの悪夢のような戦いを思い出し、背筋が凍った。間違いなく、目の前のズメイはあの赤竜より格上だ。

 蔵人が言葉に詰まっていると、ズメイは両腕を組んで薄い唇を皮肉げにゆがませた。紅をさしたような紅い口元が蠱惑的ですらある。むにょ、と形のいい乳房が腕で奇妙にゆがんでいる。蔵人は不謹慎にも、脊髄反射で、その白い丸もちに反応し、咳払いをした。

「この状況でそのようなことに思い至るとは。さすがに、あれを討ったる豪傑よ」

「青竜ズメイに物申すッ」

 離れた場所で指揮を執っていたフリストフォルが栗毛を責め立てながら駆け寄ってきた。

 黒い甲冑を鳴らしながら、馬を降りると戦場で鍛えた銅鑼声を割れんばかりに響かせた。

「我は、エトリア王国騎士団長にして、第一軍元帥フリストフォル・ロバーノフである。ズメイよ。貴殿はなにゆえ、我が軍を戮するか存念をお聞きしたい」

「王国の騎士よ。私はいま、この男と話をしている。いらぬ差し出口を入れるのであれば、少々痛い目に合ってもらう」

「ならば、かなわぬまでも、一太刀つかまつる」

「案外と愚かなだな。私は、おまえたちを憐れんで命ばかりは助けてやった。無駄な殺生は好まぬ。見よ。王軍の兵士たちは、いますぐ手当をすれば、助かる程度の浅傷だ。人間程度が力を尽くしても、竜族にはかなわぬと、なぜ悟らぬ? 私は、おまえたちを、もう嫌というほど屠った。これ以上、それをさせるな。胸が苦しい。消えよ。話は、このクランドのみとする」

「押して申す。自分も王より、大命を受けて馳走に参った。貴殿が、なぜ世界樹に我らを近づかせぬか、せめて理由すら聞かねば、生きては戻れん」

「頑固な男だ。こんな殺風景なところでは、落ち着いてゆっくり話もできん。まあよい、場所を移すぞ」

 ズメイは、人差し指を空間でくるくる回すと、たちまち次元に切れ目を使った。

(これは、マリカと同じ能力なのか……)

 かつて、蔵人が共に戦ったハイエルフのマリカは次元に裂け目を造ることによって、空間の跳躍を可能としていた。それと同様に、目の前には、人が通れる程度の空間の裂け目ができていた。ズメイは、とことこと、歩いて裂け目に手をかける。

「ちょっと待った! この先は罠でした、なんてオチじゃねえだろうな!?」

「用心深いのは結構だが、おまえたちに選択肢はないぞ。ひとつ、私の話を聞いてなにもかも得心する。ふたつ、話を聞かず無意味に抗って私の忍耐の緒を切り結果殺される。どちらを選ぶ?」

「クランドよ。悔しいが、わらわたちよりも、ズメイの方が地力は上じゃ。ここは、話を聞いておいて損はないと思うぞ。別に、王軍とは違ってわらわたちは、どうしても殺し合いせねばならないという理由はない。世界樹の枝さえ手に入ればいいのじゃ。妥協点を見出すのじゃ」

「そ、そうだな」

 ズメイに続こうとすると、ドロテアをはじめとする女たちがわらわらと寄ってくる。

「待て。女風情が話し合いに口を出すな。おまえたちは、去れ」

 ぴしゃり、とズメイが釘を刺した。

「んなっ、なんじゃとっ」

「横暴だー、横暴なのだー。自分だって女のくせにー」

「そうよ、そうよ。もっといってやんなさいよっ。だいたい、あたしを誰だと思ってるの? 知らないでしたじゃ、すまされないんだからねっ。ま、あたしは寛大な心の持ち主だから、素直に謝るなら許してあげないこともないんだからねっ」

 これには三エルフたちも黙ってはいない。わんわんぎゃあぎゃあ、蜂の巣をつついたように、たちまち大騒ぎとなった。金属的なブーイングの嵐に、ズメイのこめかみに、ピキッと青筋が浮いた。

(あ、アホかこいつら。な、なぜいきなり調子に乗るんだっ。俺が甘やかしすぎたからかっ? めっ、カレン、めっ。リザ、めっ。あああ、もおおっ)

 蔵人は両脇にカレンとリザを挟み込むと、えいや、とばかりに放り投げた。

「うにゃっ」

「いたいのだー」

「ポルディナ、あとの始末は頼む」

 この従順な奴隷は、承知しましたとばかりに無言でうなずくと、うつ伏せになったふたりの腰へと両足を開いて乗った。むぎゅっ、と妙な声が聞こえたが、気にしている暇はない。背後にしゃがんだルールーが、蔵人の外套についた塵を懸命に払っている。ひとり、残されたドロテアが憂い顔で瞳を真っ赤にしている。そばで見ていた、マルクが進み出た。

「ドロテアさん、心配しないでください。こいつの面倒はオレが見ておきますよ。な、青竜ズメイよ。男のオレなら文句はないだろう」

「そなた……」

「理解しているのか。話の進み具合によっては、ここから生きては戻れぬのだぞ」

「マルク」

「なに、クランド。いいってことよ。ここまでたいして活躍してねえし。それに、竜のすみかってやつも冥土の土産に目に焼きつけておきたいのさ」

「酔狂なやつだな」

「さ、ついてこよ。私は寒いのは案外苦手だ」

 青竜ズメイがかなり違和感のある言葉を吐いて、次元の扉をくぐっていく。

 迷いのない足どりである。当然のことながら、つき従うのが当たり前。といったなんの警戒もない、背を見せている。並んで見送る女たちと目があった。驟雨に立ちすくむ、行き場のない子犬のように、瞳を不安で塗りつぶしている。

 ――是非もない。そもそもが、断れば死ぬのは必定。

 負けに不思議の負けなし。現に、ズメイと自分たちの力量は隔絶している。我を張って、命を粗末にするには、少しばかり早いような気がする。

 男たちは、無言で言葉をかわすと、覚悟を決めた。

 ズメイの姿が、次元の狭間に吸い込まれていく。

 蔵人、フリストフォル、マルクがその後に続き、そして消えた。






 たどり着いた先は、静謐な空間だった。

 白い敷石が、地面へと規則正しく埋め込まれ、一種、幾何学模様を描いている。遠くには、これも白い石で組み上げられた、美しい古城が目に映った。不思議なほど、あらゆる音が聞こえない。周囲は、透き通った青一色で、自分たちは、空に浮かんだ盤へと、ぽつねんと立ち尽くしている感があった。

 だだっ広い空間のかなたに、小さな四阿(あずまや)がある。マルクがヒクヒクと鼻を蠢かしている。馥郁たる茶の匂いが、うっすら漂ってきた。

 見れば、白いテーブルの前に立ったズメイが貴婦人よろしく、上品な手つきで茶会の支度をしている。

 誰となく、歩き出し、自然主客が決まった。先程まで、死闘を繰り返していたというのに、殺意が洗われたように、清々しい気が流れている。

「どうした。冷めてしまっては、せっかくの香気が薄れてしまう」

 フリストフォルが警戒をあらわに、神経質そうな目でズメイを睨んだ。

(こいつは、毒殺なぞせんだろう。殺すなら、俺たちなど、どうせひとひねりだろうな)

 蔵人は、コンマゼロ秒で素早くカップを持つと、中身を口に含んだ。

「お、おいっ」

 マルクが目を丸くして、無警戒な行動に対する非難の色を顔に浮き上がらせた。

 茶は、まろやかかつ、身体に染み入るようなうまさだった。蔵人が純粋に喜んでいるのを見て、ズメイが頬をかすかにゆるませる。続けて、青磁の盆から焼き菓子を手づかみで取って口の中に放り込んだ。バリバリと音を立てるのを聞き、ズメイは満足げに耳元にかかった自分の髪を払う。

「安心しろ。見ての通り、毒など入ってはいない。だから、安堵して味わえ。クランドに比べて、なんとも胆の小さな男たちよ」

「むっ」

「な、なんだって? 別に、オレたちゃビクついているわけじゃない。用心深いといって欲しいね」

「同じだろう。なに、気にするな。人間は、傷つきやすく脆い生き物だ。どちらかといえば、その男が野放図すぎるのよ」

 小心者、と評されて負けじ魂に火がついたのか、フリストフォルはカップを取ると、ひと息に中身を煽り、続けて菓子を頬袋に詰め込んで、勢いよく噛み砕く。

「オレだって……!」

 マルクが続けば様相は早食い大会を呈した。

「私は味わえといったのだが。男とは真に度し難い生き物よ」

「んで、茶飲み話をするために、ここに呼んだわけじゃないだろう」

「ふむ」

 フリストフォルとマルクが手を止める。

「そのまえに、だ。ズメイ、でいいんだな。あんた、さっき妙なことをいったよな。弟がどうとうか、こうとか。そもそも、なんで俺のこと知っているんだ」

「なにも不都合はないだろう。あれは、私の弟で、それを殺した男くらいちゃんと(・・・・)調べて知っている」

「話が、つかめないのだが。クランド。貴殿は、ズメイの舎弟殿と旧知の仲なのか?」

「旧知も旧知。このクランドこそ、我が弟、赤竜ヴリトラを斃した唯一無二の男よ」

「赤竜を」

「斃した、だって……!?」

 ふたりの男が席を立って色めき立った。

「ヴリトラとは、あの邪竜王で知られた、あの伝説の赤竜か?」

「それを、こいつが討っただってッ!? 嘘だろ!!」

 どうやら、蔵人が思っていたよりも、かの赤竜の悪名は各国に名高いものであった。先ほどの、ズメイの手並みを見れば、あれを個人で鏖殺しうるとは到底考え至ることは不可能であろう。

(だけど、目の前のズメイはおそらく、あのヴリトラよりはるかに、強い!!)

 狂気という点では、かつて戦った赤竜のほうが上であったが、ズメイの戦闘力は、それと比べ物にならないくらい、厚みがあり、練達された技巧を感じさせた。

 そもそも、離れてブレスを使えば、ほぼこちら側からダメージを与えることはできない硬さなのだ。

 ズメイは、澄ました顔で、手元に引き寄せたカップの中身をすすっている。

 こうしてみれば、武張ったこととは無縁の上品な婦人にしか見えない。

 現に、彼女の腕や腰はほっそりとしていて、手を添えただけで脆く、折れそうなものであった。

「復讐か?」

 まず考え至ったのはその一点だった。弟を討たれたならば、その相手を恨みに思うのは当然であろう。

 さて、この不思議な場所におびき出したのも、無慈悲に自分を屠る手順のひとつだとすれば、まったく不用意な選択をしたとしかいえない。

 ――己は、後世に伝えるべき大馬鹿者だ。まったく。

「私にはな、妹がひとり、弟がふたりいる」

「オイ、いきなり語りだしたぞ」

「黙っていろ」

 即座にマルクが混ぜっ返し、フリストフォルがツッコミを入れる。こいつら、敵味方のくせに、結構息が合う。ズメイは目をつぶったまま、眉間にシワを寄せた。蔵人は軽く咳払いして、話を促した。大人のマナーというやつだ。

「妹の白竜ユラン、上の弟黒竜ヨルム、そしてクランドが討った下の弟赤竜ヴリトラ。私たちは、長きに渡りこの竜帝閣にて暮らしていた。それこそ、地上にて人間たちがこんにちのように栄えるはるかいにしえの昔からだ」

「ん、地上?」

「気づかなかったのか。ここは、空の上だ」

「ええ?」

「マジかよ!?」

 フリストフォルが、素早くその場を駆け出した。蔵人とマルクも遅れて後を追う。大きく広がる庭園のはしまで来て、ようやく自分たちがどこにいるか、気づいた。たなびく、白雲の下に広がる大地が延々と続く。大陸の南方に青白い海が見える。まさしく、ここは雲の上。はるか天空にそびえる竜族の古城だった。

「……たまげたな」

 蔵人がつぶやくと、マルクが膝を折ってペタンと座り込んだ。さしもの、フリストフォルも額に細かな汗を浮かべ、動揺を隠せない。

 どういった原理かはわからないが、古城を載せた大地が地上の重力から解き放たれて空を漂っているのである。

「これ、なんで浮いてるんだ」

「知らない。オレに聞かないでくれ……」

 四阿(あずまや)から満足気な表情でズメイがゆったりと近づいてきた。

 どうやら、この淑女、見た目以上にお茶目な性格かもしれない。

「さ、驚くのはそれくらいにして、話の続きをさせてもらおうか。勇敢な人間族の戦士たちよ」







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