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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第3章「ステップエルフ戦役」
103/302

Lv103「だから私は夢を見る」

 





 夜会を終えて帰宅すると、シズカは自室へ引きこもった。ドレスも着替えないまま、ドレッサーの椅子に腰掛けたまま深く懊悩する。

 アルミエールの話は時間をかけて裏付けを取る必要もないほどに、貴族たちの間では周知の事実だった。シズカは敢えてほかの貴族たちとまじわらぬように距離を取っていたことをはじめて後悔した。会場でも、幾人かの軍人に誘い水をかければ、誰もが「ここだけの話ですが」と鼻腔を膨らませ、蛮族の侵攻をまるで話題の劇の演目を話すように語ってくれた。

 だが、無理もない話である。国の最南端であるシルバーヴィラゴと王都では距離が離れすぎている。都のロムレスガーデンには、最新鋭の武具を持った三十万の兵が防備を固めている。

 また、都をぐるりと囲むアラヤ・コート要塞は難攻不落であり、百万の兵を用いても落とせないといわれる鉄壁の守備体制が整っていた。冒険者の街と名高いシルバーヴィラゴも、首都に住む貴人たちにとっては、一地方の無頼の巣でしかなかった。他方、経済に長じる一部の商人だけが憂慮を露わにしていた。

(王都から主力の援軍を繰り出しても、おそらくシルバーヴィラゴに到達するまでに半月はかかるだろう。周囲の諸侯が兵をかき集めても、十万に足りず、そもそもそこまで他領のために己を損なうほど援兵に応じるはずもない……!!)

 シズカは憂悶に打ちひしがれながら、異様なスピードで脈打つ心臓に手を当てた。心の中にあるのは、愛する男のことだけである。クランドがシルバーヴィラゴで冒険者組合(ギルド)に所属しているのはアルミエールの話からすると間違いない。イヤな予感が、下っ腹から身体の中心を貫いて、頭のてっぺんに充満していく。

(クランドのことだ。きっと、城壁の内側で黙って隠れているなどということはないだろう。それどころか、あいつの性格では正面切って軍隊に斬りこみかねないっ。ばかっ。どうしておとなしくしていないのだっ。私が、私がこんなに心配しているというのにっ)

 目をつむって頭をブンブンと振ってイヤな妄想をかき消そうとする。それでも、一度湧き上がったマイナスのイメージがシズカの脳裏から払拭されることはなかった。

 蔵人の全身へと無数の矢が突き刺さる。

 馬蹄にかけられ、槍の穂先を胸元に受け、血だまりの中でうめいている。

「やだ、やだっ。そんなのっ!」

 自分はもはや、蔵人と添い遂げることなどあきらめた。そもそもが、この身は好き勝手に出来るものでもなく、ワガママを押し通せば、兄へと再び迷惑をかけることになるだろう。

 美しい衣装に、色とりどりの宝石たち。陽のあたる場所で、当たり前のようにほかの貴婦人たちと優雅に踊り、名家にふさわしい従僕を引き連れて華やかな世界で誰よりもしあわせな時間を楽しみたかった。 

 かつて幼きころに願った世界にようやく舞い戻ったのだ。

 もう、後ろ暗い世界で生きなくてもいい。

 肩肘張って仏頂面をする必要もない。

 傷つき、倒れ、ときには野草を噛んで、獣のように得物を狙い続ける必要もないのだ。

 シズカは豪華な姿見に己を映し、にっこりと微笑んで見せた。

 上等な絹の衣服で身を包み、絢爛豪華な装飾品を身につけた目の前の女は、紛うことなき貴婦人そのものであった。自画自賛ではない。自分はその辺りの女に劣っているとは露ほど思わない。

「私は、ぜんぶっ……手に入れたんだ……昔から……欲しかったもの……ぜんぶっ!!」

 かつて思い描いたものは残らずこの手の中にある。

 鏡に映った女の顔は、いともたやすく崩壊した。

「けど、おまえがいないっ。おまえがいないっ! 私の中には……一番大切なものがこぼれ落ちてるんだ……」

 シズカは目の前の鏡に映る女が異様に疎ましかった。どのように理屈を付けようと、結局心の底では、己の身がかわいいのではないか? もはや、忌まわしき剣を取り、己の血を流すことなど厭うてるだけではないのか。

「違う……違う」

 蔵人のことなど、すでに見捨てているのでないか、と自問する。火中の栗を拾う必要はない。このまま、なにも知らかなったことにして、目と耳を塞いだまま、人形のようになにも考えず、ギルバートに嫁いでしまえばいいのではないか。

「違う!!」

 知らず、拳を突き出していた。目の前にあった姿見へと無数の蜘蛛の巣のような亀裂がみるみるうちに走っていく。全身が火照るように熱い。細かな破片がざっくりと腕を切り刻んでいた。赤い血が白い二の腕を伝って流れ落ちる。呆然と立ち尽くしていると、時間だけが流れていった。

 そのまま、血が固まるまでそうしていたのだろう。部屋の訪いを告げるベルが鳴った。

 返事をしてから、慌てて洗面所に向かい腕の血を流す。

 この部屋に立ち入るのは兄のベルトラン以外ないだろう。

 壁時計に視線をやると、時刻はすでに日付を超えていた。

 兄らしからぬ行為である。

 ベルトランは礼儀作法にうるさく、たとえ兄妹といえど、日が落ちてからは妹とはいえ、女性の部屋を訪れることはいままで一度もなかった。

 控えの間から、おつきのメイドが現れ兄の訪問を告げた。彼女は、シズカの腕に巻いた白い包帯を見ると、声こそ上げなかったがいつになく狼狽した顔色で寄って来た。なんとか彼女に対し事態を取り繕うと下がらせた。

 予備の手鏡で化粧を直し、バラバラに砕けた鏡を布で覆い、寝室から出て客間に移動した。ベルトランはソファに腰掛けず立ったまま待っていた。案の定、シズカの腕を見ると、血相を変えて詰め寄ってくる。

「どうしたのだ、その腕は……!」

「いえ、少し手元が狂いまして」

「コリンの話は大げさすぎだと思うたが、これでは話どころではないわ! いますぐ医者を呼ぶぞ!!」

「本当になんでもございませぬ。兄上、大ごとにしないでくださいっ」

 シズカは忠義立てて兄に一報を入れたメイドのコリンを恨めしく思いながらも、上目遣いで兄の顔をジッと見上げた。

 シズカは経験上、自分がどのような顔をすれば、男が怯むかをよく知っていた。瞳を切なそうに潤ませてを覗きこめば、大抵の男は強く出ることはできない。血を分けた実の兄すら例外ではなかった。

「う、うむ。そんな顔をするな。まるで、わたしが虐めているようではないか。まったく、ずるいやつだおまえは。大ごとにはせぬよ。ただ、後で、ちゃんとコリンに手当を受けさせるぞ。いいな!」

「はい。いつもお気遣いありがとうございます、兄上」

「まったく、お前の目を見ているとたまに妙な気分になるわ。ん、んんっ。そうではなくてだな。実は、お前のことで少し気になる話を耳に入れてな。その真偽を確かめに参った」

「はあ」

「うむ。なんだ、兄妹でもかようなことは聞きづらいな。その、ギルバートとは仲良くやっておるか? お前たちは婚約者だ。仲良くやっていけそうか? んん?」

「まあ、それなりに」

 ベルトランは長い黒髪を左右に振り回すと、首を垂れて嘆息した。

「……なんじゃ、その気のない返事は。やはり、あの女がいっていたことは事実なのか」

「事実、とは?」

「シズカ。お前には、ギルバート以外の大切な想い人がいるということだ」

「はああっ!? な、いったいそれをどこで!!」

「否定もせぬのか、はあ」

 シズカは横をぷいと向くと視線をそらした。両手を背中で組み、ややうつむく。

「いつもの癖だな。お前は都合が悪くなると、子どもの自分からすぐそうやって横を向いて拗ねてみせる。丸わかりだ」

「いったい、そのようなことを誰から」

「夜会の帰り、馬車に乗り込む際、お前の友と名乗る金髪のご婦人がご親切にも教えてくれたわ」

「その婦人は、赤いローブを着ておりましたか?」

「やはり、事実なのか。はぁ」

(アルミエールのやつ。また余計なことを、兄上のお耳に)

「その者の戯言です。どうぞ、お気になさらぬよう」

「シズカ。兄にごまかしは通用せぬぞ。腹蔵のないところが知りたい。正直に話せ」

「だから……私は、別に」

「ギルバートのことはこの上考えず答えよ。口に出すのが嫌なら、……そうだな。了なら首を縦に、否ならば横に振るのだ。いいな」

 シズカは顔をしかめて目蓋を閉じた。目を合わせていたら、とてもではないが兄をごまかせそうになかったからだ。

「ギルバートのことは気に入らんか?」

 首を横に振った。

「兄は、おまえに余計なことを押しつけていたのか?」

 首を横に振る。

「ほかに誰か心に決めた男がおるのか?」

 シズカの動き。凍りつくしたように動かなくなった。

「その男のことを愛しているのか?」

 頷いてはならない。そう思えば思うほど、頭の中を男の顔が激しく明滅した。こうなってみれば、思い返すことのできる表情はいつも朗らかなで楽しそうな表情ばかりだった。

 そもそもが屈託のない男であった。彼はどんなときでも、人生に絶望せず自分に正直だったのだ。あらゆる悲しみを己の中に埋没させる。きっと、忘れ去ることは一生できないだろう。

 それでも、たったひとりの兄が手に入れた幸福を自分の手で粉々に砕くことを思えば、すべてを耐えるしか道はなかった。

 シズカは、知らず、涙を流していた。兄が心配すると思えば思うほど、頬に流れる熱いものを止めることはできなかった。

 自分の中で、兄に対する甘えもどこか残っていたのであろう。

 自分はこれほどに耐えている、悲しみをこらえて自己を押し殺している、と黙りながら涙を流すことで訴えているのだ。

 そんな自分の卑怯な行動に吐き気すら覚えた。頭の芯が、じんと痺れてくる。

 意識が遠のきそうになったとき、頭の上にあたたかい手がそっと乗せられた。

「……そうか。お前にそんな顔をさせるほど慕われるとは。男冥利に尽きた男よ」

 シズカは慈愛に満ちた兄の瞳を目の当たりにしたところで、ついに決壊した。






「――それでですね、クランドのやつはいったのです。無事だったんだな、よかったって。自分は傷ついていまにも死にそうなくせに、人のことばかり心配して。でも、すごく満足そうに笑ったのです。ねえ、私の話、ちゃんと聞いておられますか」

「お、おう。それにしても、やたらとキザな言葉を吐くのだな」

 ベルトランは気圧される風に受け答えをしている。口数少ない妹がここまで饒舌に話をするとは思っていなかった様子だった。

「すみません」

「なにを突然謝ることがある。もしや、そんな男などおらず、単にわたしを困らせるための作り話だったのか?」

「作り話じゃありません!」

「ほら、そのようにちゃんと自分の意見をいえるではないか」

「……でも、私が気ままな行動を取れば、兄上にご迷惑をおかけすることになります」

「なんだ。その男は、天下に禍をなす大物だとでもいう口ぶりだな」

「場合によっては」

「ふん。面白い、よいではないか」

「え」

「シズカ。兄は、生来のひ弱さだが、脳みそまで苔が生えているわけでも明き盲なわけでもない。おまえが、いままでわたしのためにどれだけ泥をかぶってきたか知らないわけではないのだ」

「私は……っ! そんなつもりではっ!!」

「わかっている。シズカ、おまえが誰よりもやさしいということは。だがの、わたしは自分の病弱さを理由にして、おまえのやさしさに寄りかかりすぎた。おまえのしあわせを願って慣れないおせっかいを焼いたのがことごとく裏目に出たようだ。これだけはいっておく。これ以上、わたしのことは気にしなくてもよい」

「そんなことが出来るわけないでしょう!」

「それでも、その男のそばに行きたいのだろう。おまえの愛するクランドの元へと」

 シズカは絶句すると、おののきながら兄を直視した。

 きっと、兄は自分の我侭さや貞淑とはいい難い行状にあきれ果てているだろう。

 公然と罵倒されればあきらめもつこうものだ。

 ――だが、現実は違った。

 兄の表情。屈託ない少年のように、澄み切った瞳で微笑んでいた。

「生きろ、おまえの好きなように」

「あに、うえ」

「亡くなった母上の言葉を思い出したよ。女は恋に生きるものだと。ゆけ、おまえの心の赴くままに。なに、後始末なら任せておけ。わたしの女房は、自分でもいうがぞっこんさ。少々、いや、天地がひっくり返りそうな騒動でも、上手く捌いてみせるさ。ダメならダメでも、いいじゃないか! 兄は、おまえを人形のように囲いこんで自分やこの家の繁栄のみを願ったりなどしない。なあ。一生に一度くらい、妹のワガママを叶えさせておくれ。この不甲斐ない兄に!!」

「だめ、ダメです。そんなの……」

 見た目は痩せこけたひ弱な貴族そのものだった。

 だが、シズカの目に映るベルトランの姿は、いつもよりはるかに大きな巨木のようにそびえ立って見えた。不意に、背後の扉からいい争うけたたましい物音が聞こえてきた。

「シズカ……!! ああっ、僕のシズカ!! 無事だったんだね!!」

 気づけば、扉を勢いよく開けて押し入ってきたギルバートの姿がそこにあった。

(そういえば、完全に忘れていたな)

「ああっ、僕のシズカ。よかった、本当に無事で!!」

 顔を腫らしてつえにすがっていた男は歓喜の表情で両手を広げ抱きついてくる。シズカが苦しげに顔をそむけると、遮るようにベルトランの小柄な身体が割って入った。


「ギルバート。その顔はいったいどうしたんだ」


「これは兄上。いや、はは。少しばかり、屋上で暴漢にシズカが絡まれましてね。いえ、ほんの十人程でしたが軽く捻ってやりましたよ。はは、なあ? そうだろう、シズカ?」


 ギルバートの表情。瞳に昏い炎が点っていた。余計なことをいうな、と。俺に恥をかかせるな、と歪んだプライドを先行させる肥大した自己意識が垣間見えた。

 この男はいつもそうだった。

 人前では、気のいいやわらかげな雰囲気を保っているが、こと己のメンツに関わる事柄になると、意味もなく我を押し通す。シズカも、男にとって建前がどれほど大事なものかは理解していたつもりだが、ギルバートの卑小な態度には閉口する。

「え、ええ。そうですわ」

 せり上がる苦いものを噛み下し、俯く。瞬間、前に立ちはだかった兄の背が燃え上がるように揺らめく錯覚を覚えた。

「嘘だな」

「――なっ!? はは、なにを根拠に。兄上。僕は、これでも結構な剣の達人なのですよ。なあ、シズカ。おまえも、見ていただろう!! まさか、おまえまで僕を嘘つきなどといわないだろうねえ!?」

「シズカ。わたしは、自分の栄達のために目が曇りきっていたようだ。善は急げ。いますぐにでも、出立しなさい。苦しい旅になるだろうが、おまえならきっとたどり着ける」

「どうして、そこまで……。アルミエール、あのおせっかい焼き!!」

「はは。友のことを悪くいうものではない。わたしが見るに、あの女性はおまえが思っている以上に誠の心がある方だと思うぞ」

「僕を無視するなあああっ!! へぐっ!?」

 ベルトランはわめき散らすギルバートの上顎をおもいきり殴りつけた。拳は真下から垂直に男の顔を突き上げ、のけぞらせた。

「これ以上は時間の無駄だ。さあ、行くんだ!! 人間は、思った通りに生きなければ嘘だ!!」

「けど、けど……」

「それとも。おまえの、気持ちは偽物なのか?」

 ベルトランの言葉。

 それですべてが定まった。

「偽物なんかじゃない! 私の愛は真実です!!」

 汚れ切った人生だった。

 人並みに幸せを願うなど、もはやこの身には過ぎたことだと、あきらめていた。

 けれど、ただひとつこの胸に残ったともしびを守ることが許されることならば。

 いま一度、夢を見たい。この手を伸ばし、夢を胸に抱き、もう離さないだろう。

「兄上。許してくださいと、慈悲も乞えません。外道に堕ちた女をお忘れください」

「なんのなんの。ベルトランは、それほどヤワな男ではないわ。おまえは、おまえの思ううままに生きよ。我が、妹よ」

 走った。

 後ろも振り返らずひたすら走った。

 もはや、今生で兄に見えることも、生まれ育った屋敷に戻ることもないだろう。

「ええいっ。このっ!!」

 足にまとわりつくドレスの裾を引きちぎると、夜の街を駆けに駆けた。

 そして、ある程度走りきって熱が冷めた時点で、現実的な問題点に直面するのであった。

 すなわち、金を持たずに家を出たことである。

 初秋とはいえ、夜にもなればそれなりに冷える。シズカは、王都の路地裏で壁に手を突きながら頭を抱えていた。

 ――どうしよう。今更屋敷に戻れない。

 あれだけ格好つけて家を飛び出したのである。

 今更、実は路銀がありません。などと、兄はもちろんこと、家人にもいい出しにくい。

 人のメンツのことをどうこういっておきながら、さすがに間の抜けた行動に嫌気がさしてきた。

(かといって、やり直しはできないし。本当、どうしよう?)

 金はともかく、いままで使用していた装備一式は、いくら金を積んでも揃えられるものでもない。

(仕方ない。とりあえずは、その辺りをうろついている男から路銀を拝借しよう)


 シズカの顔が、久々のダーティな作業のため、うれしそうにゆるむ。

「まったく。肝心なところで、間が抜けているですね」

「またおまえか」

 シズカはアルミエールを見つめながらいった。もっとも、その口調は、先ほど会ったときとは違い、幾分和らいだものだった。

「ごあいさつですね。でもでも、そんなあなたに気のつく女から素敵なプレゼントなのです」

「これは……」

 シズカはアルミエールから受け取った包みを広げて目を丸くした。

 それは、かつて仕事用に使っていた戦闘服と手に馴染んだ曲刀を含む装具の一式だった。

 シズカは物陰で素早くドレスを脱ぎ捨てるとそれらに着替えた。なんとも色気のない話だが、自分はこちらの方がしっくりする気がする。

 ふと、自分をあたたかく見やるアルミエールの視線に気づき、照れくさくなった。

 やはり、兄のいう通り、この女は意外に信のおける人間なのかもしれない。

 そう考えると、いままで突っ慳貪な態度をしてきた自分の狭量さが恥ずかしかった。

「ほ。シズカはその格好の方がずっと似合いますよ。お洒落な淑女も悪くはないのですがね。それと、これはシズカの兄上さまから預かってきた路銀とボクからの餞別なのです。着替え終わったら、城外から三里ほど離れた組織の隠し小屋にグリフォンが繋いであります。徒歩ではシルバーヴィラゴまで半月はかかるでしょうが、空の旅なら三日とかかりません。さ、急いで急いで」

「なぜだ」

「んん? なにがです?」

「なぜ、私にここまで親切にする? おまえに、いったいどんな見返りがあるというのだ?」

 シズカは顔を上げてアルミエールを真っ向から直視し、目を見張った。

 やつれたような顔つきはいつも通りだったが、そこには慈愛をたたえた、なんともいえないあたたかな光が確かにあったのだった。

「いつか。いつかシズカが思い出してくれたら……。んんん! なんでもないですよー!

 さ、ボクたちは友達なんですからっ!! 細かいことは気にしないでくださいなっ。それで、もしこれを借りだと思うならば、いつか返してくれればいいんじゃないっ!」

「すまない。感謝する」

 アルミエールの表情の意味は気になったが、もはやシズカの心の中は蔵人一色であった。

 夢にまで見た恋しい男に会えるのだ。ほかのことは一切が気にならなくなった。

 王都の城壁を軽々と乗り越えて、藪を突っ切り、指定された小屋に向かった。

 確かに、そこに、グリフォンはいた。

「だが、これは。本当に、飛べるのか?」

 グリフォン、とは鷲の頭と翼、獣の身体を持つ機動力に優れた獣である。

 古代から、馬千頭に匹敵するといわれており、近年人工養殖に成功して価値はやや下がったが、それでも貴族の中で所有している者は多くなかった。

 その頭数の少なさから、王室の発行する鑑札がなければ持ち主は没収の上に処罰されるという高級品であり、所持するだけで多額の税をかけられているのである。それらをすべて加味しても、グリフォンの機動能力はとびきりであり、手に入れるには、どれほどの労力がかかっているか知れた。

 だが、シズカの目の前で寝息を立てているグリフォンは、見るからに相当な老齢であった。

 かつて、王宮厩舎で見た壮年の個体とは違い、身体も一回り小さければ翼の色艶も相当に悪い。

 目尻には、黄土色の目やにが固着しており、獅子の貧弱さはだしがらのように頼りない細さだった。

「おい、起きろ。起きないか。ダメか……」

 シズカが剣の鏢でグリフォンの尻をグリグリとつつくが、なんの反応もない。

 そもそもが、この生き物は夜行性のはず。先行きが思いやられた。

「アルミエールめ。いっぱい食わせたな。よし、非常手段だ」

 シズカは深紺色の外套を翻すと、さっとグリフォンの鞍に跨った。

「チクッとするぞ」

 手綱を取って剣を引き抜く。

 それから、情け容赦なく切っ先をいまだ白河夜船である老体の尻へと突き刺した。

「ピイイッ!!」

「んんっ!?」

 グリフォンは金属的な悲鳴を高々と上げると、刹那の速さで地を蹴って夜空に飛び上がった。シズカの全身にたちまち締め付けるような荷重がかかった。

「やればできるじゃないか!」

 みるみるうちに、眼下の小屋が豆粒のように小さくなっていく。

 空気の薄さを感じる前に、手綱を握る腕に力をこめる。

 振り落とされれば即、死が待っている。

 無限の暗渠が眼下に広がった。

 否。

 視界の端で街明かりがキラキラと蠢いている。

 網膜にそれらが映りこんだと同時に、天地がひっくり返った。

 グリフォンが、いきなり急降下をはじめたのだ。

 身体が持ち上がる浮遊感に、背筋がゾクゾクする。

 これだ! この感覚を知っている!!

 命をやりとりするときのみに走る快楽に近い興奮が背筋に走る。

 全身が総毛立つ。手綱を取る手に意思をこめる。

 さあ、いまから私がおまえのすべてを制御する。

 シズカは下っ腹に力を入れて獣のように咆吼した。

 世界が無限に回転する。

 グリフォンの身体が弾丸のように錐揉み飛行を開始した。

 視界の向こう側には闇が広がっている。シズカは獣の背に身体をピタリとつけると、いとしい男のことを想った。

 人生なんて楽しんだ者の勝ちじゃないか、と彼はいった。

「ははっ。確かにそうだ。クランド、おまえは、存外に賢いな」

 シズカを振り落とせないと理解したのか、グリフォンは次第に手綱捌きに従順さを見せはじめた。街の灯火ははるか後方に消え去り、視界は大自然が占めた。

 黒と藍が交わる先にまだ見ぬこれから先があるように思えた。

 世界の可能性は無限大だ。

 しがらみや己の中に残った善性をすべて捨て去り、たとえ地獄に落ちたとしても、手に入れたいものがあると、ようやく自分に素直になれた気がした。

「だから、私は夢を見る。クランド、おまえともう一度」

 シズカは確かめようもない運命の螺旋の果てを目指し、真っ直ぐに飛び込んだ。


 




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[一言] 最近知って読みはじめました シズカが大好きな自分としては この展開になってホント良かった…
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