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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第3章「ステップエルフ戦役」
101/302

Lv101「逃避行」



 

 蔵人が肩で息をしているとふたつの足音が近づいてきた。

 歩幅と音の軽さから、容易に既知のものであると知れた。

「ニンゲン! 大丈夫なのっ!?」

「おまえたちは、ったく。逃げろっていったじゃねえか」

 たいまつの光に照らし出されたのは予測通り、カレンとルールーのふたりであった。

 足を負傷しているルールーは、片足立ちでけんけんをしながら飛び跳ねながら近づいてくる。カレンは蔵人を見つけると飛び込むようにして駆け寄った。

「ニンゲンんんっ。なんで、こんな無茶ばかりするのよ。もおおっ」

 カレンは涙目になりながら蔵人の胸をポカポカ叩いた。細い腕を掴んで、額を指先で弾く。カレンは歯を剥き出しにすると、手のひらにかぷっと噛みついてきた。

「いだっ、別に勝ったからいいじゃねえか」

「ふ、フン。勝ち方にも品位というものがある。が、よくこんな化物を倒せたな。ニンゲンのゴミクズにしては、まあ中々頑張った方じゃないのか? ほ、褒めてやろうと、姫さまのおおせだ! ありがたく思えよ」

 ルールーは木立に背を預けたまま、顔を横に向けたままいった。

「うわー。めんどくせぇ。ツンデレが増えたよ」

「ばかばかっニンゲンのばかっ」

 なんとなく和やかな雰囲気が流れる。

 弛緩した空気をぶち破りながら、草むらからカサついた声が飛び出した。

「……おおおっ。お三方ァ」

「ひっ、誰!?」

 カレンが驚いて蔵人の背に隠れる。ルールーは目を三角にして身をこわばらせた。

「アレクセイ。無理すんなよ」

 声の主が蔵人の知り合いだとわかると、エルフたちはホッとして身体の緊張を解いた。

「ほのぼのもいいじゃろうが、この場に留まるのは少しばかり危険じゃなかろうか? おおっ……まだっ……ほかにも……刺客がっ……あひいっ!! いるやも知れんて……おおおっ、またキタああああっ!! あああっ、わし死んじゃうう!!」

 濁った軟便が放出される音が響き、カレン達は即座に察した。ルールーが嫌悪感を露わにして自分の鼻をつまんだ。

「姫さま。そこな下郎の申すとおりでございます。ゴミクランドも回収できたことですし、早く安全な場所へ避難しましょう」

 ルールーは茂みで踏ん張るアレクセイに侮蔑の視線をやりながら、この場の退避をうながした。みちみちっと聞くに堪えない卑猥な音が再び鳴り響いた。

「おい、なにげに人の名前を素敵に魔改造したな?」

「急ぎましょう。ひあああっ!?」

 ルールーに無視された蔵人は、悔し紛れにカレンの乳房を鷲掴みにした。

「貴様っ、褒めた先からその所業舐めておるのかっ!?」

 蔵人はカレンを後ろから抱きかかえるようにして、両胸を揉みしだく。乙女の柔らかな乳房が奇妙に歪んだ。あきらかにセクハラといえる領域を飛び越えていた。

「なっ、やっ……どこ触ってんのよっ!!」

「パイオツ」

「ぱ、ぱ、ぱ。バカじゃないのっ!! エロっ、ドスケベっ、色魔っ!!」

 蔵人が冷静に答えると、カレンは顔を真っ赤にして腕を振り回す。だが、キッチリと肩を決められているのか、ホールドは崩せなかった。

「ふん。俺のことが好きなくせに。無理すんなよ」

「はああっ。ふ、ふざけないでよおっ。あんたのことなんかぜんっぜんこれっぽっちも好きなんかじゃないんだからねっ! だいたい、どうして唐突にあたしの、胸、触ったりするのよ!!」

「臣下の罪は主の罪だ。これからルールーが暴言をひとつ吐くたびに、おまえの乳房はもにゅもにゅされる運命にあるのだ。あれっ? 知らないの? 世間では一般常識なんだよ、これ」

「えっ!? そ、そうだったの。ご、ごめんなさい」

「あっさり騙されないでくださいっ。こいつのいうことは大嘘です!」

「えええっ!? 嘘なの?」

「いや、嘘じゃねえよ。そのルールーがいってるのはステップエルフの常識だろう。俺ら人間ではこれがスタンダードでインターナショナルフォーマットなんだ」

「え、え? ねえ、ルールー嘘なの? 本当なの?」

「こいつはそれっぽいこといってるだけですっ!! 簡単に騙されないでくださいっ」

「ねえ、ニンゲン。でも、よくよく考えてみると、ルールーのミスなら罰はルールーに与えればいいんじゃないの?」

「姫さまもあおらないでくださいっ」

「いや、こいつ揉むほどないじゃん」

「殺す――!」

 ルールーが飛びかかろうと身構えたとき、背後の物陰から音が聞こえた。蔵人が即座にカレンを背に隠し、長剣に手をかけた。

「あはー、だいぶ盛り上がってるみたいだったので、ちょっと出にくかったんですが」

「なんだ、おまえか……」

 白のヘッドドレスが闇夜にも眩しい少女は、黒のお仕着せを品良く着こなしいつの間にかすぐそばに立っていた。蔵人が屋敷で使っているメイドのハナである。

「なに、知り合いなの」

「ああ、ウチのメイドだよ。んで、なんだ? マジでこのあたりは危ねーぜ。よし、ちょっと待ってろ。いま、安全な場所に送ってやるからな。まったく、いい子はこんな時間にひとりでうろついてちゃダメなんだぞ」

「ふう。本当に勇者さまは善人なんですね。ちょっと、心が痛んじゃいますよ」

 ハナは長いまつ毛を伏せて両手を胸の前で組むと、ドキリとするような大人びた視線で瞳を合わせてきた。

「なんの話だ」

「送りは必要ありません。そもそもが、そこのおふた方は冒険者組合(ギルド)の中に入ることももはやかなわないでしょう。先に結論からいいます。いましがた、城将であったオレール・ド・バルテルミー閣下がステップエルフの刺客によって殺害されました。事前に予期していたのか、フレーザー将軍や主だった者たちはとっくに城を逃げ出しています。議会は、賛成十二票、反対一票の決によって、使者の代表であるカレン・ロコロコの処刑を決定したのです」

「なんだって……ふざけんなよ」

「あー。ちなみに、ヴィクトリアさまは断然処刑に反対したのですが、全員に押し切られてはどうにもならなかったみたいです。使者を処刑するなど、通常ではありえない決定ですが、オレール公を殺害した犯人が、お歴々の方々をあおるような強烈な遺言を一席ぶったみたいで。どうにも頭に血が登ったお年寄りたちは狂った猛牛のように周りが見えなくなっちゃったみたいです」

「カレンを、殺すだと!?」

 蔵人はハナがいった言葉を上手く咀嚼できないうちに怒鳴っていた。感情がぶすぶすと煙を上げて徐々に煮え立っていく。目前の少女にはなんの罪もないが、淡々と事務的に話す顔色も八つ当たりに気味に神経を逆立てた。

「正確には、生贄として首を刎ね軍神に祀るそうです。やー気の毒ですねー」

 蔵人はこのときはじめてハナの異常性を目の当たりにし、背筋を凍らせた。彼女は頭の回転が速く洞察力もすぐれており、目の前で怯えている銀髪のエルフがとうの本人であると気づいていなはずないのだ。それでいて、まるでコンビニへ金を下ろしに行くような気安さで本人の命の話を平然としているのだった。

「俺がそんなことさせると思ったのか」

「ニンゲンっ!」

「おまえっ!?」

 まさか蔵人がかばうとは思っていなかったのか、カレンに続きルールーまでもが驚きの声を上げた。

「あーあー。ハナは勇者さまがもちろんそういうと思ったから、この役目引き受けたくなかったんですよう。ぶうぶう。ハナだって、お姫さまには気の毒だなーと思っていますけどしょうがないじゃないですか。敵の大将をサクッと殺っちゃったんですから。ああ、殺し屋さんは、確かゴドラムとかいう邪教の人でしたっけ? 中々有能ですね。もっともすぐに雇い主のことをしゃべったのは、おそらくそう指示されていたからでしょう。ふんふんふーん。オレール公なんておじさんは勇者さまは知らないだろうけど、一応ハナにとっては主筋に当たるんですよね。だから、表立って反対することもできなければ、あえてエルフを擁護することもしないのです。ああ、そうじゃなくて話が脱線してしまいましたね。ヴィクトリアさまの伝言を先にお伝えせねばなりませんのに。ハナは勇者さまに久々にあえてけっこううれしいんですよ。だって、かなりラブ、ですからっ。きゃっ、いっちゃった」

「はやく続けろ」

「ううん。なんかいつもと違ってノリが悪いですねぇ。えーと、要するにヴィクトリアさまが伝えたかったのは、そのカレン姫を連れて城のどこかに隠れていて欲しい、とのことです。たとえ、どんな形であれ、決定的に交戦に繋がるような愚は犯したくないらしいです。身代わり用のエルフちゃんはすでに捕らえてあるらしいですし。その身代わりちゃんの首を刎ねてある程度お茶を濁すつもりなんじゃないんでしょうかね。時間が経てば、お歴々たちの頭も冷えるでしょうし」

 身代わりの言葉が出ると同時に、カレンの顔が真っ青に青ざめた。

「リーアだ。たぶん」

「影武者か。おまえに似てるのか?」

 カレンは口元に手を当てると顔を伏せてうなずいた。ルールがそっと彼女の肩に手を置いて代わりに答えた。

「リーアは姫さまの世話係のひとりだ。身分が低すぎて、普通は遠征になど連れてこられるはずもないのは、たぶんまさかのおりに使うつもりだとは思っていたが」

「うそ、うそよ、だって、あたしとリーアは、子供の頃からそっくりで、まるで姉妹みたいだねって。……そんな」

「けどここまではヴィクトリアさまのお気持ちです。ハナとしては、勇者さまを彼女たちといっしょに行かせるわけにはいかないんですよね」

 その言葉が終わると同時にハナの身体が風のように動いた。

「かひゅっ」

 ハナの拳は素早くルールーの水月を的確に打ち据えると、一瞬で彼女を昏倒させることに成功した。蔵人はカレンを横抱きにすると、素早く背後に飛んで距離を取った。

「あれー、なんで逃げちゃうんですか。ハナ、悲しいですよ」

「おまえ、いったい何者だ!」

「ただのメイドですよ。ただ、お嬢さまがこの場で勇者さまを失うことを憂いているだけです」

 気づけば空間が歪むほどの闘気がハナの小柄な身体から立ち昇っていた。

 ハナは両手を徐々に左右へと分け開くと心気を横溢させ、やがては両手のひらを内側に向けて大樹を抱えるように腰をゆっくりと落とした。

 蔵人は彼女の練りに練られた奇妙な動きに記憶の彼方を刺激され、ゆっくりと過去を掘り起こしていった。

「その構え。太極拳か」

「えーっ! さすが勇者さま!! この業を知ってるんですかっ。なんか、すっごくうれしいですよ! これは、かつて昔に召喚された古代の勇者がロムレスに伝えた拳法で“ハッキョク”っていうんです。その後色々実戦で改良を重ねたせいで、元のものとは大きく隔たったって聞きましたけど」

「八極拳かよ。もはや、なんでもありだな」

 蔵人は軽口を叩きながらも、すでに額に細かな汗が浮かんでいた。

 ハナの闘気はもはや隠しようがないほど膨れ上がっている。

 無傷ですみそうなレベルの相手ではなかった。

「ハッキョクケン、ですか! わー、オリジナルを知ってる方に会えただけでもう思い残すことはありませんっ。てなわけで、おとなしくそのエルフちゃんたちは放っておいてハナとランデブーしませんかっ」

「しませんよっ」

「むう。じゃあ、もおいいです。力づくで、いうこと聞かせちゃいますからね」

「おもしれえ。やってみろよ」

 蔵人が真っ黒な外套を跳ねのける。蝙蝠が禍々しい翼を広げたように見えた。

 ハナは無言のまま地を蹴ると弾丸のようなスピードで真っ直ぐ突き進んでくる。

 あっ、と思ったときにはもう遅かった。

 胃の腑に鉄の玉を叩きつけたような激しい痛みを感じた。

 世界がたわんだ瞬間、後頭部に目も眩む一撃を受けた。

 視界は瞬く間に真っ白に染まる。

 両手を握りこんだハナが凝然と見下ろしている姿が映った。

「油断しすぎです。よく、この程度で生き残れてきましたね」

 一発だった。

 誤魔化しようのない実力差である。ハナの動きは人知を超えた力だった。

 冗談だろう。

「あれ。もすこし、手加減したほうがよろしかったですか?」

 口調は普段と変わらず、舌っ足らずな少女のままだが、それだけに恐ろしい対比が浮き彫りになった。

 蔵人は両手を地に押し付けて立ち上がろうとするが、膝はくり抜かれたようにまるで力が入らず、指先は自分のものではないように痺れが残っていた。

 なんとか顔だけを上向きにしてハナを仰ぎ見た。

 別段、敵愾心を露わにしている様子もない。彼女はいつもどおりニュートラルで、小動物のような愛くるしさで小首までかしげて見せた。

「手加減はしましたが、纏絲勁てんしけいを打ちこみました。今日は起き上がることはできないでしょう。さ、わがままをいわずハナと行きましょう。ね」

「ニンゲン!!」

 蔵人はカレンを制してなんとか膝を起こした。

 視界が二重三重にブレる。

 壊れたカメラのように焦点が定まらない。

 後頭部に鋭い痛みが走り、ぼおっと意識が遠のきはじめた。

 しこたま酒を食らって二日酔いになったときと同様の強い不快感だ。

「あらー。立っちゃいましたか。正直、驚きですね。ハナとしては立たないで欲しかったのですが」

「る、せえ」

 蔵人は両腕を持ち上げてなんとかファイティングポーズを取った。

 ハナはむしろ哀しそうに無言で顔を歪めた。

「もう一度だけ聞きます。彼女と行動するのはやめていただけませんか? 同情だけで行動するなど、真実自殺行為です。いま、あなたを失うわけにはいかないのです」

「どうして、そこまで俺にこだわるか、……わからねえが、好きにさせてもらうぜ」

 蔵人は両手を挙げてハナにつかみかかった。格闘の技術はないが、いままでの経験上どんな化物と組合ってもそうそう引けを取らなかった自信はある。

 まして、ハナの体格や筋力はあきらかに自分より劣っているのだ。

 組み伏せて絞り上げる。技術が隔絶している以上、力押し以外に勝ち目はない。

 怒号を上げて地を蹴った。目の前のハナ。姿が一瞬で煙のように消えた。両肩に、少女の細い腕が触れたかと思うと、途端に感覚が失われた。蔵人は再び顔から地面に突っこむと、遅れて襲ってきた激痛に耐え切れず叫んでいた。目の前が痛みで真っ赤に染まる。意識が、ぼやけて、ところどころ寸断された。

「両肩を外させてもらいました。単純に傷ではないので、紋章の力は発動しません」

 背後から冷然としたハナの声が降りてきた。

 いまなら間違いなく断言できる。ハナの格闘技術は本物だ。蔵人は全身に汗をびっしりかきながら、なんとか声を出した。

「……ただの、メイドじゃ、ねぇと、思ってたが」

「ハナはお嬢さまの護衛も兼ねて旅をしてきたのですよ。少なくともハナの一族は先祖代々から、バルテルミー家をお守りしてきた由緒ある武の家柄なのです」

 言葉の途中で、激しい風切り音が耳元で響いた。ハナは抜く手も見せず、胸元を払う仕草をすると、一本の矢をつかみ取っていた。至近距離でカレンが矢を放ったのである。

 タイミングを計っていたのであろう。必殺の一撃をいとも簡単に捌かれ、カレンは顔を歪ませ歯噛みした。

「危ないじゃないですか。ああ、お役目とはいえ、そもそもどうしてハナが勇者さまに嫌われるようなことをしなければならないのですか。これというのも、あなたたちエルフが無闇に攻めかかってくるからじゃないですか。ああ、もお! 頭にくるなあ!! それに、勇者さまはこのお城の中でカレン姫を連れて逃げ回るつもりなんか毛頭ないでしょう!!」

「え、そうなの。ニンゲン?」

 蔵人は無言のまま脱臼した両肩の痛みを無視し、身体を起こすことに集中していた。

「……この城の中にいれば、いずれカレンは見つかって八つ裂きにされるだろうな。だから、俺が、カレンを送り届けてやるしかねえだろう」

「あああっ。もお、どうせそのようなおかしな発想にたどり着くと思っていましたよっ。殺気立った三十万の敵陣に入りこんで、カレン姫はともかく勇者さまが無事で戻れるわけないでしょう! 八つ裂きですよ! 八つ裂き!! あなたが死ねば、お嬢さまは二度と都に戻れません。それはいいのですが、これからハナたちはいったいどのような顔をして生きていけばいいのですかっ!!」

「ハナ、おまえ……」

「勇者さまが死ねば、ヴィクトワールお嬢さまは絶対に悲しみます。当然、ポルディナもそれに私だって!! あのお屋敷は本当に居心地がよいのです。お嬢さまは不満ばかりこぼしているけど、毎日すごく楽しそうで、キラキラしていたんです。でも、勇者さまがいなくなってしまえば、それもきっと失ってしまう。いやだ、そんなのいやだ。ハナはまだまだ失いたくないっ!!」

 ハナは涙をこぼしながら、再び構えを取った。

 正直なところ、蔵人はそこまでハナがあの屋敷の生活に思い入れを持っていたなどとは思いもしていなかったのであった。

 ポルディナはともかくヴィクトワールに首輪をかけたのは、ただの奴隷ごっこに過ぎない。彼女たちが本当にやらなければならないことが出来たら、案外あっさり屋敷を去っていくものだと決めつけてほかならなかった。泣きじゃくるハナの顔はいつも以上に幼く見え、ただの子どもそのものだった。

 蔵人はふらついた身体でようやく立ち上がると、真っ青な顔をして立ち尽くしているカレンを見た。彼女のくちびるがわずかに震える前に声を張り上げた。

「俺は死なねえっ!!」

 あらん限りの怒号を放った。ハナは涙も拭かず呆然としてこちらを見つめていた。

 こうしなければ。心根はやさしいカレンのことだ。きっと、憎まれ口を叩いて自分の本心を隠そうとするはずだった。ルールーは右足を負傷している。お姫さまひとりでは城内の地理もよくわからず、ウロウロするうちに追っ手に道を訊ねかねない人のよさだ。

 なら、この俺自身がお姫さまを逃がしてやるしかないだろう。

「俺はカレンをこの城から逃がすっ! どんなことがあろうとだっ!!」

 ハナは傷ついたように両耳を手で押さえ、いやいやをするように顔を振った。彼女が悲痛に身悶えするのを目の当たりにし、蔵人の胸は張り裂けそうなほど強く痛んだ。

「ハナたちを捨てるのですか? エルフの姫君を連れて逃げれば、この城の人たちに裏切り者呼ばわりされかねないですよ!!」

「上手くごまかしてくれよ。それに、俺はきっと戻ってくる」

 ハナは顔を伏せると両の拳を強く握って顔を左右に振った。流れる涙は水滴となって地面に落ち、次々と吸いこまれていく。

「きらい! きらい!! だいっきらい!! 勇者さまのばかぁ!!」

 ハナは素早く反転すると駆け足で闇の中に消え去っていった。

「いちち、やりたい放題しやがって。ワガママなメイドちゃんだ」

「クランド。いいのか?」

 覚醒したルールーが心配気に訊ねてくる。

 蔵人は困ったように苦笑すると、顎を動かして己の肩を見やった。

 脱臼に気づいたルールーは慌てたように近づくと、両手を使って肩の関節の整復を行った。鋭い痛みに耐えながら両肩が元の位置に戻るとようやくひと息つけた。

「クランド。話はとりあえず聞かせてもらったけえ、あとは上手くわしがとりつくろっておく。こかぁ任せて、姫さん連れてさっさと逃げえ」

 ようやく下痢便が治まったのか、青い顔つきをしたアレクセイが茂みからふらつきながら這い出してきていった。

「いいのかよ」

「いいもなにもないじゃろうが。城の馬鹿どもは見境がつかないけえのう。無意味にいくさなどわしも反対じゃ。ただ、本当に命懸けじゃぞ。男なら、気張るんじゃ」

「すまねえ。感謝する。それと、もらったもんはなんでも口にするんじゃねえ」

「今度からそうするけえ」

 蔵人は呆然と立ち尽くすカレンの腕を引くと歩き出した。当然のようにルールーがそのあとに続く。ちょっとした針の振れ具合で、このシルバーヴィラゴにおいて築き上げてきたすべてを失うかもしれない。蔵人たちの命をかけた逃避行がはじまったのだ。

「ねえ、だいじょうぶなの?」

「だいじょうぶなわけねぇだろうが」

 蔵人は目を潤ませて背中をさすってくるカレンを振り払うと、街中の塀に手をかけて胃の中身を残らずぶちまけた。ハナの拳打は本物だった。胃の中身を丸ごとひっくり返したような不快感がよくなるどころか時間を追うごとにひどくなっていった。

「そんなことよりも、これからどうするかだ」

 街中には闇夜を埋め尽くすように、カレンたちを探して走り回る兵たちの姿があった。

 城を守る総司令官が暗殺されたのである。

 たたでさえ、攻めかけられて苦境に陥っている状態である。

 ここはひとつ、敵の首魁の娘を討ち取って華々しく戦意を高揚させたいと意識が誰しもあるのであろう。シルバーヴィラゴに住む亜人は少なくないとはいえ、こんな夜更けにうろつくエルフは皆無に近いだろう。いまは、かぶりもので特徴的な耳を隠しているが、見るものが見ればすぐにバレるだろう。厳重な包囲網を脱出し、城壁を乗り越えて敵陣に到達する。ルールーがこの状況で営業している地下酒場でなんとか仕入れた情報によると、ステップエルフの軍は、シルバーヴィラゴ側の強襲を嫌って城外百里(※ロムレス里=一里約千メートル)の場所に陣を移動させたらしい。

 つまりは、上手く城を脱出したあと、百キロ近く西進して本陣にカレンを送り届けなければならない。蔵人ひとりであれば一日で到達出来る近さであるが、カレンがどの程度の速度で動けるかどうかすらわからない状況では、三日はかかると思ったほうが自然だった。

 蔵人たちはなんとか城壁そばまでたどり着くと、一息ついた。壁の上に登る階段のすぐ脇には、防備のために兵たちが居住する簡易的な詰所が存在している。彼らは、現在、三交代で城壁の守護を行っており、ひとつの区画ごとに多数の兵が隙間なく等間隔で佇立していた。内側から突破されるとは思っていないのか、階段を上がって城壁に達することはそれほど難しくはない。

 しかし、下の空堀まで優に三十メートルはある。

 縄を垂らして降下するのはそれなりに時間がかかるし、人目につく可能性が高かった。

「城兵の視線をそらす必要があるな」

 蔵人が腕を組みながら深く思案していると、驚いたことにルールーが自ら囮役に志願したのだった。

「ありふれた策だが」

 兵隊たちは女に飢えている。娼婦を装って注意を引いて降下ポイントから引き離すのはそれほど難しくはない作戦だった。

「けど、いいのか? おまえが貧乏くじを引くハメになるんだぜ」

「勘違いするな。私ひとりなら、このような城で隠れているのは造作もない。それに、この足では姫さまのお役に立てそうにもないしな」

 娼婦の格好をしたルールーは匂いたつような色気を振り撒きながら自嘲した。

「ルールー。城から出たら、あたしたちのこと探さなくていいから。真っ先に王のもとへ向かいなさい」

「しかし」

「これは命令よ。お願い」

 ルールーは悲しそうにうなずくと鼻を鳴らした。

 なんとなくしんみりした空気が流れた。

 これで別れと思うとなんとなく物悲しい。蔵人はルールーに視線を転じた。

 ざっくりと胸元がよく見えるような黒いドレスから、白い胸が輝くようにかがり火に照り映えていた。さんざん薄いだのぺったんだの馬鹿にしてきたが、こう間近に見せつけられると、これはこれで五感に訴えるものがあった。

 ルールーは悲しげな顔で蔵人に近寄ると、切なそうな瞳で真っ直ぐ覗きこんできた。

 そばにいたカレンが口を強く引き結び、眉間にシワを寄せた。

「クランド。姫さまをお頼みする。いまとなっては、お前だけが頼りだ」

「お、おう」

「敵のおまえにこのようなことを頼むのが筋違いだと理解している。おまえにも、この城に家族がいるのにな。すべてを捨てさせるようなことを決断させて、すまない」

「いや、いいのさ」

 罵倒されると思いこんでいたのか、ルールーは呆気に取られたように目を見開くと、わずかに恥じらって口元を指先で隠した。

「私は、おまえを勘違いしていたようだ。これがたぶん、最後になるだろう。……その、少しかがんでくれるか」

「んあ? おおっ!」

 ルールーは蔵人の頬へとついばむようなキスをかわすと、ドレスの裾を持って背を向け駆け出していた。

「ああああっ!! ちょっ、ななななっ。なにやってるのよ!!」

「ば、バカ!! デケー声出すんじゃねえ。しー」

 ルールーは城壁に登ると、歩哨に近づき言葉巧みに兵たちを誘導して一箇所に集めはじめた。蔵人はその隙をついて城壁の天端に縄を引っかけると、カレンを横抱きにして素早く降下をはじめた。視線を下ろせば真っ黒な暗渠がぽっかりと口を開けている。墨を塗した縄はカモフラージュになって朝になるまでは見つかることはないだろう。石組みの煉瓦の所々に存在する数センチの足場を器用に使ってクライミングよろしく徐々に高度を下げていく。

 当初は、カレン自身に風力浮揚魔術(エアロレビテーション)を使って降りてもらおうと考えていた。蔵人ひとりなら、城門の兵に金をつかませ城外に出ることはそれほど難しくはない。血眼になって兵たちが探しているのは亜人のエルフなのだから。

 しかし、件の魔術はあくまで一定の場所に風の足場を作り上げるだけであり、一定の速度で高度を徐々に下げていくのはかなり集中力と器用さが必要とされるらしい。カレンはそれほど自信がなさそうだったので、あえてマンパワーに頼った手法を取らざるを得なかったのだった。背中にじっとり汗をにじませながら、どうにか大地に降り立つ。万が一城兵に見咎められて矢を射かけられては災難である。

 蔵人とカレンは素早く空堀をよじ登るとシルバーヴィラゴから遠ざかった。

 目指すはステップエルフの本陣である。到着は早ければ早いほどよかった。

 諸説あるが、人間一日でも最低二リットル程度の水分を必要とする。もちろん、常に身体を動かしていれば、その必要量はとうてい二リットル程度では足りるはずもない。蔵人の持ち歩く水筒には常に一リットル程度しか入っておらず、ふたりが三日間行動するとすれば、到底足りない分量だった。

 これがダンジョンに潜る前提であれば、マジックアイテムである空間圧縮ザックの存在で物資の問題は解決したが、緊急時ゆえなにも持ち出せていない。道程のあちこちで随時補給するしかなかった。

「ダメだ。どこもかしこも、毒が投げこまれてる」

 蔵人は城を離れて一番近い寒村で水を補充しようとしたとき、井戸水に毒が投げこまれているのに気づき顔をしかめた。

「水? 水なんてお店で買えばいいじゃない」

 お姫さま育ちのカレンは井戸そのものが使えないと知っても、それほど落胆はしなかった。無理もない。常に物資を満載した荷馬車と移動していたのだ。

 それに比べ、王都からシルバーヴィラゴまで徒歩で旅を続けた蔵人には飲み水の確保で常に頭を悩ましていた経験があった。街から離れたはるか西にはかなり水量の豊富な大河が流れているが、そこに行き着くまでは村々の井戸で水を調達しようと考えていた前提条件は崩れた。

 となれば、後は移動スピードを上げるしかない。

 空を見上げると、雲一つない秋晴れだった。

「カレン。これからはちょっとキツくなるぞ。頑張れ」

「ん。がんばる」

 蔵人は焼けつくような日差しに目を細めながら空を見上げた。

 一日はまだ、はじまったばかりだった。






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