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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第1章「遥かなる旅路」
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Lv10「雪解魔女」



 蔵人が長剣を担ぐようにして斜面を駆け上がると、一番先頭の男が怒声を放ちながら突っ込んできた。

 身を低くして飛び込む。

 担いだ剣を全力で振るった。

 鈍い音と共に、剣の切っ先が折れて弾け飛んだ。

 なまくらだった刃の限界が突如として訪れたのだ。

 覆面の刺客の瞳が僅かにゆるんだ。それが、生死を分ける一瞬だった。

 蔵人は半ばまで残った長剣を無我夢中で真横に振るった。骨の折れる異様な音と、男の絶叫が入り混じって木霊した。蔵人の一撃が男の脛を骨ごと叩き割ったのだ。

 かぶさるように崩れ落ちる男の手首にしがみつく。

 額を思い切り男の鼻面に叩きつけた。鈍い音が鳴った。同時に奪った長剣を両手で構えた。男の脇腹を蹴りつけて、斜面の下へと叩き落とす。左右からふたりが迫った。

 蔵人は飛び上がって右方の男の顔面へ垂直に剣を振るった。

 長剣が白い軌跡を描く。

 男は顔面を真っ向から断ち割られ、後方にひっくり返った。

 瞬間、左脇腹に灼けるような痛みを覚えた。

 左手の男が手に持った剣で深々と抉ったのだ。喉に熱いものが込み上げてくる。痛みで目の前が真っ赤に明滅した。左手で刃を握った。ギョッとした男が顔を上げる。手に持った剣を斜めに振るった。刃は男の喉笛を斜めに抉るとドス黒い血を降らせた。

 残った無傷のひとりが踊りかかってくる。

 蔵人は両足でその場に踏ん張ると、両手に剣を持ち替えて正面に繰り出した。

 耳をかすめて左肩に刃が食い込んだ。痛みに歯を食いしばる。

 男の胸元へ、諸手突きが深々と決まった。

 蔵人が素早く刃を抜き取ると、男は両腕を激しく痙攣させてその場に倒れ込んだ。脛を断ち割られた男がなんとか逃げようと這いずっている。駆け寄ってトドメを刺した。

 蔵人はその場に片膝を突くと、激しくあえいだ。肩から流れ出る血が胸元をぐっしょり濡らしている。特に深いのが脇腹だった。左手で傷口を確かめる。やわらかなハラワタが指に触れた。痛みよりもショックで気を失いそうになった。このままにしておけば、中身がドンドン流出してしまう。腹腔からハラワタが出切れば、間違いなく助からない。発狂しそうになりながら、無理やり指で埋め戻した。

 ジッと座っているうちに、胸元の紋章が強く輝きだした。

 どのくらいそうしていたのだろうか、恐る恐る傷口に触れてみると、薄い膜のようなものが張っていた。慎重に峠道を降りる。

 時間に余裕があったはずなのに、気づけば日が落ちかかっていた。飛びそうになる意識を無理やり押さえつけ、小屋に転がるようにして飛び込んだ。

 寝室に向かうと、マリカは紙のような白い顔で寝入っていた。

 蔵人は、彼女が軍隊飛蝗(バッタ)に噛まれていたことを気づけなかった自分を恥じた。

 エントに作ってもらった毒消しを煎じて湯に混ぜた。マリカをどうにか起こして薬を飲ませようと試みるものの、もはや上手く嚥下できないらしい。

「許せよ、マリカ」

 蔵人は毒消しを口中に含むと、口移しで飲ませた。薬湯を口内に押し込んで舌を動かすと、ようやく飲み干してくれたのだ。たいした量ではなかったので不安であったが、効果は覿面だった。一時間も経たないうちに、マリカの顔色が赤みを帯びていく。

「やった。はは、やったぞ」

 蔵人はようやくやり遂げた達成感で安堵すると、意識していなかった疲労がドッと押し寄せてきた。傷を回復させたせいか、基本的な体力も必要以上に消費したのだろう。起きてられない。倒れ込むようにして寝台に上半身がのめった。シーツが血で汚れないかと不安になりながら、深い眠りに落ちていった。






 強く揺さぶれる感覚で意識が戻った。蔵人が顔を上げると、そこには真っ赤な瞳を大きく見開いたマリカの姿があった。

「よかった……」

 彼女はそういうと、顔を近づけて頬をすり寄せてきた。

 一瞬、状況が理解できない。

 気づけば、蔵人は寝台に突っ伏すようにして意識を失っていたことが理解できた。

 マリカの顔。

 長時間泣いていたらしく、目元から頬に白い涙の跡が残っていた。

 寝起きのため、乱れた髪がほつれている。

 波打った銀色の髪が放射状に伸び、クシャクシャになっていた。

「もう、死んでしまったのかと思った」

「知らん間に寝ちまってたのか」

 蔵人はマリカを救うためにエントの元へ走り、毒消しを作った後に山中で刺客とやりあったことをかいつまんで話した。

「もう、身体はいいのか」

「ええ。すっかり平気よ。ごめんなさい、この家にベッドはここしかないの。すぐ、空けるわ」

「おいおい。俺はもう、どうってことねえよ。それに、傷口はとっくに塞がってる。おまえは、少なくともあと二、三日は養生したほうがいい。ほら、な。ごろんしな。ごろーん」

 幼児にいい聞かせるよう擬態語で指示する。マリカは切なげな目で顔を左右に振った。

「でも、それじゃクランドが」

 しばらくは押し問答が続いたが、結局のところ、蔵人が押し勝った。部屋の中は、小さなロウソクがひとつ点いているだけで、明度は低い。妙にムーディな雰囲気である。

 マリカの瞳が、ずっと自分を見つめていることに気づき、蔵人は妙にくすぐったい気持ちになった。打って変わったしおらしげな態度だ。病のせいだろうと思い切った。

「ねえ、私の話覚えてる? 危なくなったら、逃げなさいっていったわ」

「覚えているさ」

「じゃあ、なんで。なんでなのよ。そこまで苦労して、なんで私なんか」

「なんで、なんでって俺はおまえの父ちゃんじゃねえからな。いろいろ聞くんじゃねえよ」

「だって」

「だっても、へったくれもない」

「ずるい」

「ずるくない。ああ、もお。そんな顔すんな。勘違いしているようだけど、おまえの薬をめぐって、黒覆面どもとやりあったわけじゃねえ。こいつは、あくまで私事ってやつだ。薬を取って帰った道で、もらい事故をしたようなもんさ。おまえさんが気に病むようなことじゃねえ」

「けど、クランドが私のことなんて気にしないで、放っておけば。少なくとも、そんなケガしないですんだのに」

「この話はおしまいにしよう。誰が悪いとかどうとか考えたって起きちまったことはどうしようもない。それよりも、早く寝ろよ。少しでも、俺に悪いと思ったら、早く動けるようになれ。それに、マリカを助けたのは、いちいち考えてやったわけじゃねえんだ」

「じゃ、なんでよ」

「俺がそうしたかっただけだ」

「やっぱり、あなたってかなりおバカさんね」

「知ってます」

「ねえ、私のおバカさん。ひとつ、お願いしていいかしら」

「ま、できることならな」

「その。私が眠っている間、手を……」

「まったく、とんだ甘ったれだ」

 蔵人はマリカの手を握ると不器用にウインクをした。

 彼女は、恥ずかしげに目元を伏せ、ありがとうとつぶやいた。






 翌朝、マリカは床上げをした。体調は万全とまでいかずとも、自立歩行できる程度には回復したのだった。さすがに、森の迷宮を探索することは不可能であった。

 蔵人が数日の静養を提言すると、彼女はおとなしくそれを呑んだ。

 昨日の晩から、マリカの態度は以前よりもはるかに軟化していた。

 悪いことではない。

 蔵人はワガママな女よりも、無個性で従順な女を好んでいた。

 これは、彼の女に対する嗜好がかなり偏っているのだが、この封建制の根づく世界ではそれほど奇異ではなく、むしろマッチしていた。男は、身を張って家族を守り、女はそれに仕える。一家が団結しなければ即座に崩壊へつながる生きにくい世の中なのだ。平穏の中にも、貧困、争い、病魔、天災と個人の才覚ではどうにもならないことが、取り揃っている。死は常に隣り合わせで手招きしながら薄笑いを浮かべているのだ。

「今日の昼食は、外で食べましょう」

 蔵人が戸外で平たな石に腰かけていると、マリカが鍋と食器を手にして寄ってきた。

 午後にもなれば春の日差しは強く、汗ばむほどである。

 マリカはいつもの魔女っぽいとんがり帽子ではなく、ヒラヒラのついた両頬を包む形の白いボンネットをかぶっている。薄緑のドレスを着てしとやかにしていると、まるで花の妖精のように可憐ではかなげだった。

「なに、ニヤニヤしてるの。気持ち悪いわね」

「あーはいはい」

 楡の木の根元にしいたシートの上に座った。鍋の中はよく煮込んだポトフである。蔵人がバスケットの中身に手を伸ばすと、ペチンと甲を叩かれた。

「食事の前は、ふきんで手を拭いて。お腹をこわしてしまうでしょう」

「おまえはオカンか……」

 器に盛られた鶏肉と野菜を口に運びながら、サンドイッチをついばんだ。マリカは、目を細めながら庭に生えているナツツバキをジッと見ていた。

「その花が好きなのか」

「ええ、サーラは大好きよ。お母さまとここに座ってよく眺めたわ」

 ナツツバキは梅雨どきに開花する落葉高木である。かつて、釈迦が入滅する際に、開花したといわれ沙羅双樹に例えられるが、本場インドに生えるものと、ナツツバキはまったくの別物であった。

「その花は、沙羅双樹といってな。俺の国では、古代の聖人が涅槃に入ったときに咲き乱れたとされる神聖な花、のオルタナティブだ」

「なにそれ。偽物を崇めてるの?」

「古代の聖人はお釈迦さまといって、うーんと暑いところの生まれでな。その教えは、俺が住んでた日本ていうずっと東の国に流れてきたんだけど、日本はお釈迦さまの国と違って、冬になるとバカ寒くなって、本物の沙羅双樹は自生していないんだ。そんで、代替品としてナツツバキが崇められるようになった、らしい」

「驚いた。あなたって、結構学があるのね。ずっと、冒険者をやっていた、にしてはそれほど旅慣れていなかったし。国ではなんの仕事をしていたのかしら」

「仕事はしていない」

「していない? 実家は裕福だったのね」

 マリカはキョトンとして、そういった、無理もない。この世界では、十代前半で立派な働き手の一員として数えられるし、そうでなければ蔵人ぐらいの歳でブラブラしているのはならず者か富裕階級と相場は決まっていた。

「いや、別に裕福だったなどということはない、むしろ、金にはいつも困ってたな」

「それじゃ、奥さんや子供を養うのも大変でしょう。あなたも、この国に呼び出されて、さぞ家のことが心配でしょう」

「またもや期待を裏切って悪いが、妻帯もしていないし、子供もいない。俺は、ただの学生だったよ」

 マリカは蔵人の言葉を聞いて、訝しげな顔をした。

 それから、激しく困惑しているようだった。二十歳くらいになれば、結婚して子供のひとりやふたりいるのがあたりまえである。

 ましてや、彼女の価値観は、千年前で止まっているのであった。

 社会常識としてその辺のことは母親に教え込まれていたのか、マリカは蔵人に対してどう接していいのかわからない様子だった。

「でも、いつかは国に帰るのでしょう」

 マリカは暗い目になると、唇をすぼませて鍋の中身をグチャグチャにかき回した。

 チラチラと、恨みがましい瞳で視線を送っている。

 そこには蔵人に対する無意識の甘えと馴れが見て取れた。

「帰る? それは、帰ることができればの話だがな」

 三日後、蔵人はマリカが復調したのを見届けると、再び邪神封印の為、森の迷宮踏破を再開した。空間歪曲ルームの魔術で先日探索を中座した場所まで戻った。

 マリカは、しばらく蔵人にその場で待つように頼むと、エントの居る野原の中央に行き、しばらく話をしていた。

 おそらく薬の礼をいっているのだろう。律儀なやつめ、とほくそ笑む。

「ところで邪神っていうのは、いったいぜんたいどんなやつなんだよ」

「私も詳しくは知らない。知らないけど、たぶん、生半可な相手ではないと、お母さまに聞いているわ」

 マリカはあまり邪神の存在に触れたくないのか、ところどころ言葉が沈みがちになる。

(といっても、俺は魔術の門外漢なのだ。封印云々は、マリカを信じて任せるしかねえ。どっちみち、顔を合わせりゃどんな相手かはイヤでもわかるだろうよ)

 マリカは病み上がりである。おまけに、魔術を使って飛ぶのも億劫なのか、浮揚したまま前進しているが、時折遅れがちになっていた。意識してスピードを落とす。彼女は、心苦しいといったていで眉を下げた。

「ごめんなさい、まだ本調子ではないのよ」

「わかってる。今日はゆっくり行こうか」

 風はそよとも吹かず、見渡す緑の木々は沈黙を続けている。蔵人は鞘から抜いた剣で前方の木々を払いながら、地図を頼りに前進をひたすら続けている。

「気をつけて。なにか、来たわ」

 マリカの長耳が接近する微細な音を捉えたのか、ピクピクと蠢いた。

 蔵人が油断なく剣を構える。木々の梢から、巨大かつ醜悪な化生が舞い降りてきた。

 チョンチョン。

 人間の頭だけの怪物である。

 胴体はなく、巨大な両耳を翼がわりにして、空を飛ぶモンスターである。

 コンコン、と奇怪な鳴き声を上げながらチョンチョンは蔵人たちの頭上をグルグルと回り続けている。

 顔つきは人間そのものだが、眼球は白い部分がなく、全体が黒く塗りつぶされており、見るものを不安定な気持ちにさせた。

「気をつけて。そいつは、チョンチョンといって、口から炎を吐き出すの」

「まったく、不快なことこの上ない化物ぞろいだな、この森は」

「否定しないわ」

 三体のチョンチョンは、蔵人に狙いを定めると、突如として急降下を始めた。

 真っ黒な歯を剥き出しにして、喉奥から炎を吹きつけてくる。

 蔵人は横っ飛びに避けると近づいてきたチョンチョンに剣を振るった。

 が、チョンチョンはひらりと刃を避けると、風を巻きながら十メートル近くまで一気に昇りつめていく。

「ちきしょう! これじゃあ勝負にならねえぜ」

 蔵人が悔し紛れに毒づく。

 チョンチョンの大きさは、人間の頭部と変わらない。

 見た感じでは特別に防御力が高いとも思えないが、こうもヒラヒラ逃げ回られるのでは話にならない。

 先ほど吹きつけられた炎で、潅木や乾いた木切れが灰色の燻った煙を上げている。

 まともに喰らえば、大ヤケドは確実だった。

「氷のアイスショット!」

 沈黙していたマリカが水属性の魔術を頭上で旋回するチョンチョンに向けて放った。

 振り切られた杖の先から、氷の矢が打ち出されると、無警戒だった三体に向かって雨のように降り注ぐ。チョンチョンは、ニワトリが締められるような聞き苦しい悲鳴を上げながら、力を失って墜落する。

 蔵人は待ってましたとばかりに、長剣を天に向かって、ぐいと突き上げた。

 落下のスピードが加わった一撃を顔面に喰らって、一体は血煙を上げて地面に転がった。

 翼がわりにしていた大耳が、激しく痙攣する。

 残った二匹に向かって、マリカが氷のアイスショットを連続で叩き込んだ。

 ぶすぶすと、氷のつららがチョンチョンたちの瞳や側頭部、頬を鋭く抉った。

 ドス黒い血液が、辺りの木々や草木を細く叩いた。

「やったな、さすがマリカだぜ」

「ええ、ケガはないかしら」

「ああ、まるっきり平気だ。こんなザコはちょちょいのちょい……どうした」

 見ればマリカは肩で息をしていた。浮揚の術も解いて、地面に降り立っている。顔色は真っ青でいまにも倒れそうな雰囲気だった。胸が激しくざわつく。

「おい、どっかまたやられたのか……」

「いいえ。けど、やっぱり、ちょっと疲れやすくて。うん、原因はわかっているから。ごめんなさい、迷惑かけて。でも、少し休めば治るから。へいきよ」

「ぜんぜん、平気じゃねえよ。やめよう。やっぱ、おまえまだ疲れてるんだわ。無理する必要はないよ。帰ろう、な」

「うん。ありがと。でも、たぶんこれ以上時間をかけている暇はないと思う。こうしているだけで、この森自体に邪神の悪気が強く満ちていくのがわかるの。私も、本当にダメになったらいうから。その、もう少し猶予をちょうだい。こんなことじゃ、いつまで経っても邪神の元にはたどり着けないわ」

「まあ、おまえがいうのなら。無理にとは、いわないけど」

「毒のせいであまり魔力が回復していなの。これからは歩くけど、遅れそうになったら先に行ってもらってかまわないわ」

「だから、そんなことできるわけないだろうが」

「へいきよ。だって、あなたは邪神を封じたら、ここからいなくなるのでしょう。私は、これからもこの森でひとりで生きていかなくてはならないの。このくらい、慣れておかないと」

「無理だ」

「無理でも慣れておきたいのよ」

 マリカは歯を食いしばると、よろついた足取りで蔵人の後を追った。探索を続けて進むうちに、マリカの体力はあっという間に限界がきた。

 彼女はそれでも、額に汗をにじませながら、水を浴びたような顔つきで必死に食い下がっている。

 蔵人は、大きくため息をつくと、自分の髪をグシャグシャにかきむしってから、その場に膝を突いて背中を向けた。

「乗れよ。俺が背負った方が早い」

「へいきよ。私はへいきなの。同情しないでちょうだい」

「これは同情じゃねえ。合理的選択といってもらいたい。それに」

「それに、なによ」

「こうしておまえをおぶえば、合法的にハイエルフおっぱいを背中で楽しむことができるだろ」

「……あなた、やっぱりおばかさんね。女に対して、いくらなんでもその口説きはないでしょう」

「そうか? 俺にしては、かなりイチコロの口説き文句だと思うのだが」

「そんなわけないでしょう。ああ、もおっ。今回だけは、クランドのセクハラを容認してあげるわよっ」

「やった、和姦だ」

「だから、心底ばかね、あなたは。感謝なさい。奇跡的に、私の豊満な肉体の感触を味わえるのよ。しかも、超レア種族のハイエルフ。死ぬまで覚えておきなさいね」

「うん。子々孫々に伝え残すよ。マリカの淫蕩な肉体の記憶を」

「私は変態か……!」

「夜のおかずに最適。変態ハイエルフのわななく肢体」

「ばか」

 マリカを背負った蔵人は一定のスピードで森を駆け抜けていった。

「ねえ、私、重くないかしら」

「綿毛みたいなもんさ。おっぱいは、以外におっきいけど」

「えっち」

「もっと、グリグリしてもいいんやで、マリカさん」

「……」

「うひょおっ!」

「ば、ばか。調子に乗らないでくれる。いまのは、ちょっとバランスを整えただけよ」

「左右のバランスをか? ありがたいことやでぇ」

「ねえ、なんかクランド、あなたの態度本当に気持ち悪いんだけど」

「と、いいつつも持て余した瑞々しい身体を火照らせるマリカであった」

「だから、変なモノローグをつけないでっ」

 蔵人にとって、実際問題マリカの重さなどものの数ではなかった。ハイエルフの背にグリグリ押しつけられるおっぱいパワーで、無限機関と化した煩悩エンジンは唸りを上げて回転する。ひたひたと、獣道を歩き続け、気づけばそこまで夕闇は迫っていた。

 深い森は、標高の低い山々の連続である。登ったと思えば、再び降り、降りたと思えば再び登る。神経的にはかなりキツイ。

 だが、蔵人は弱音ひとつはくことなく、両足を動かし続けた。

「ちょっと止まって。なにか、聞こえる」

 マリカが背中で身を震わせるのを感じた。 

 蔵人も本能的に危険を察知したのか、その場で足を止めた。

 目を凝らして彼方を仰ぐと、薄暗くなった樹林帯で、誰かが争う声が聞こえた。その場でかがんでいると、真っ直ぐこっちに向かって駆け寄ってくる、ふたつの影があった。

 マリカをかばって前に立ち、長剣を水平に構えた。

 影の先頭は、大柄な若い男だった。かなり焦っているのだろうか、蔵人の存在に気付いた途端、持っていた手斧を叩きつけてきた。長剣を頭上に持ち上げて防ぐ。

 同時に、男の胸板を蹴りつけた。

 後ろを走っていた小柄な影を認めたとき、驚きで動きが凍りついた。

「クランドさまっ!」

「うおっ、ゲルタか!?」

「きゃっ」

 飛びついてきたゲルタを抱きとめる。

 確かに、魔女討伐の依頼を受けた村で別れた少女に間違いなかった。

 ほっそりとした白い顔が恐怖に怯えている。ゲルタがふるいつくように身を寄せるたび、豊満な乳房が腕に押しつけられ、自然と顔つきもゆるんだ。

「ちょっと、なにやっているの」

 マリカの怒気を孕んだ声に、ハッとなった。

「そうだ、いったいこんなところで、なにやってんだ! この森は無茶苦茶危険なんだぞ」

「あたし、クランドさまがいつまでもお帰りにならないので、心配になって。それで、ちょうど居合わせた旅の冒険者さまが、クランドさまをいっしょに探しに行こうっていってくだすって。それで、荷担ぎのジョージといっしょに森に入ったのですけど、迷ってしまって。ああ、こんな話をしている場合じゃないわっ。冒険者のルークさまが、モンスターに囲まれてッ」

「よしきた、任せろ!!」

 蔵人はゲルタをその場に留めると、猛然と走り出した。五十メートルほど先まで行くと、青い上下の衣服を着た若い男が一体の怪物に押し倒されていた。

 全身を黒い体毛で覆われたこのモンスターは、ブルベガといった。

 昼間は強い陽光を避けて洞穴に隠れているが、日が落ちると活動を開始する肉食性の怪物である。ルークらしき若い冒険者は、喉元に喰らいつこうとするブルベガをなんとか押し返すだけで手一杯という状態だった。

 蔵人は叫びながら一気に間合いを詰めた。抜き放った長剣が銀線を描いた。振り返ったブルベガの胸元を斜めに斬りつけたのだ。

 ブルベガは激しく絶叫すると、赤黒い瞳を爛々と光らせて、殺害対象をルークから切り替える。蔵人の斬撃は浅かったのか、ブルベガの薄皮を僅かに裂いただけだった。

 ルークはふらつきながら立ち上がると、剣を構えてブルベガから距離を取った。

 遠目で見ても、彼がブルベガに対して怯えているのがわかった。

 いま少しで殺されそうになったことに対し、激しいショックを受けているのだ。

 それは、ルークが修羅場を潜っていないという事実を決定づけていた。

 このような状態ではとてもではないが、戦力に数えられないのである。

 ひとりやる。そう決めたとき、マリカの声が鋭く響いた。

火炎砲弾(フレイムキャノン)!」

 蔵人の後方から、マリカの援護射撃として火属性の攻撃魔術が撃ち出された。

 直径三メートル近い炎の塊がシュルシュルと異様な唸りをあげて飛んだ。

 突っ立っていたブルベガを丸ごと飲み込むと、火の粉を上げて燃え盛った。

 この一撃には、さすがの怪物もたまらない。

 身をよじって辺りに転がり火を消そうと躍起になった。

 蔵人は勝機を見逃さない。手にした長剣を持って激しく跳躍した。

 飛び込むようにして刃をブルベガの胸元に叩き込む。

 冷たく閃いた切っ先は、ブルベガを貫いて大地に鋭く突き立った。

 ブルベガは激しく身体を灼かれながら、四肢を痙攣させると、やがて絶命した。






「いやあ、本当に危ないところをありがとう。助かったよ」

 ルークは改めて名乗ると、屈託のない笑みを浮かべて泥だらけの頬を恥ずかしそうに手の甲で拭っていた。金髪に金色の瞳。上下の衣服は清々しい青色で統一しており、なかなか整った顔立ちをしていた。

 ルーク・キャラハンは、ブルベガに苦戦していた通り駆け出しの冒険者だった。

 今年で十七になる彼は、ゲルタの言葉通りに村に立ち寄った際、善意から帰りのない蔵人の捜索を引き受けてくれたらしかった。

「で、クランド。できれば、そっちのエルフのお嬢さんも紹介してくれるとうれしいんだけどな」

 ルークは、蔵人の背後でむっつり押し黙っているマリカをチラチラ見ながら、頬を赤くして訊ねた。

「マリカよ。クランドとは、数日前森で会ったの」

「そ、そうか。ふたりは会ったばっかりなんだあ。すごい連携だったから、僕はてっきり長いつきあいの仲かと思ったよ、あはは」

 ルークはマリカの素っ気ない言葉にすら顔を赤らめていた。小さな声で、僕にもまだチャンスが、などとつぶやくのが聞こえたが、それは無視した。ルークの気持ちはわからんでもなかった。マリカの美貌は群を抜いている。

 もっとも、マリカ自身はルークやその他の人間に興味がないようで、聞かれない限りはジッと押し黙っている。気のせいか、かなり不機嫌な様子だった。

「クランドさまぁ。あたし、クランドさまがいつまでも帰って来られないので、本当に心配で心配でたまりませんでした。でも、ご無事でよかった」

「なはははっ。いやあ、俺ってば結構強いんよ。こんな森のモンスター程度じゃ、やられはしないっての」

「クランドさま。先ほど、ルークさまが苦戦していたモンスターもあっという間に討ち取ってしまってらして。本当にお強いんですね、素敵」

 ゲルタは潤んだ瞳をキラキラさせながら、さらに身体を押しつけてきた。

 夜もとうに更けていたので、四人は自然とその場で露営することになった。ジョージは元来寡黙なのか、指示されずともテキパキと火を焚いたり、天幕を張ったりして雑用をこなしている。蔵人はしなだれかかるゲルタの身体を抱きながら、ここ数日の話をかなり盛って怪気炎を上げていた。いまや、ルークはほとんど太鼓持ちの状態で、感心しきりにうなずくばかりである。これで自制ができるほど、蔵人は人が練れていなかった。

 マリカは、蔵人の隣りに陣取りながら、ゲルタがぴたっと身体を寄せるたびに不機嫌な表情になっていく。空に浮かぶ、痩せ切った月が一行をほのかに照らしていた。






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