Epilogue:それから 3
短めです。ケーキ屋さんのお話。
「アヤコを二つください。それとー」
「アヤ……っはい。二つですね」
栗原綾子は、恥ずかしいのをこらえてなんとか仕事に集中する。
今日から新作セールと銘打って、数種類のケーキを新しく店頭に並べた。出だしは好調で、新作ケーキは次々に売れていく。
しかし、その中の一つであるチーズケーキが、目下綾子にとって悩みの種になっていた。
「ありがとうございましたー」
お客を送り出して、再び店内に束の間の静けさが訪れる。
はあ、と綾子は軽く溜息をついた。
その後ろで、厨房につながるドアが開き、店主である松本聡が顔を覗かせた。
「綾子ちゃん、どう? 売れ行きは」
「おかげさまで好調ですが?」
呑気に声をかけた松本に、振り返ることもせず綾子は答える。
聡はそれをふやけた笑顔で受け止めて、綾子の方へ歩み寄った。
「怒らないでよ。だってそのケーキはアヤコ以外に呼びたくないもん」
「じゃあこの名札取ってもいいですか」
言って、綾子は胸に付けているネームプレートを指で持ちあげた。
栗原綾子、とご丁寧に振り仮名までついた名札を、まさか憎らしく思う日が来るなんて綾子は想像もしていなかった。
「これのせいでお客さんに、一緒の名前なのねーとか、なんでチーズケーキがアヤコって言うのか、とかいろいろ聞かれて迷惑してるんです!」
「えーいいじゃん。コミュニケーションのきっかけになってるんでしょ?」
「そうとも言いますが、そうではないです」
こんなことで真剣に怒るのも馬鹿らしい、と綾子は努めて平静を保つ。聡はどうせ嫌がらせのつもりでやっているのだ、嫌がったら思うつぼだ。
「じゃあ僕がケーキの説明文足しておこうか。そうしたら聞かれなくなるんじゃない?」
「……悪い予感しかしないですけど、何て書くつもりですか」
よくぞ聞いてくれた、と聡の笑みが深くなった。
「愛する人を思って作った松本聡渾身のチーズケーキ」
「セクハラで訴えてもいいですか」
「本当のこと言っただけなのに」
あーもう早く売り切れてしまえ!
ふい、と聡から顔を背けて、綾子は恨みをこめてショーケースを見つめた。
そんな綾子の横顔を聡はうきうきと見つめ続ける。
セクハラと言われれば返しようもないのだが、綾子が自分の言動の一つ一つを意識していることが聡は嬉しくてしょうがない。
思い切り甘やかしたいような、ずっと自分に怒っていてほしいような、とにかく綾子に構ってほしいと聡は思っていた。
綾子は迷惑そうな視線を絶えず聡に向けるものの、決して強く拒否しないのを聡は知っていた。その理由まで自分に都合よく考えようとは、思わないけれど。
ただ、綾子ちゃんが僕を嫌いじゃないってことで今はいいよ。
軽く笑い声を漏らした聡に、すぐさま綾子の不安気な視線が飛んできた。
ちりん。
来客を告げる鈴が鳴り、二人は反射的にドアへ顔を向けた。すぐさま表情を作って、それまであったなんともいえない雰囲気を崩す。
入って来たのは男女の四人組だった。その中の一人に見覚えがあって、綾子は親しみをこめて笑いかけた。
「いらっしゃいませ」
「約束通り、来ました」
にっこりと変わらず爽やかな笑顔で、その男は綾子に明るく答えた。
笑顔を交わす二人が聡は少し面白くない。
四人がショーケースを眺めている隙に、綾子だけに聞こえるように囁く。
「誰、綾子ちゃんの知り合い?」
「さあ、誰でしょうね」
「ああ、そういうこと言うんだ」
素っ気なく返した綾子に、聡は冷たく言った。
いつにない聡の様子に、綾子はもしかして怒らせた? と内心びくびくする。
綾子ににこりと笑いかけると、聡はその側を離れ、特別熱心にケーキを選んでいる二人の女の子に話しかけた。
「こちらのチーズケーキなんか如何でしょう。新作なんですよー。アヤコって名前なんですけどね」
「ま……松本さん!」
「何かな、栗原さん」
聡の笑顔の裏にただならぬものがある気がしてならず、綾子はとりあえず笑っておいた。
笑って、男が何者なのかを白状する。
「あのチョコプレートのケーキのお客さんです」
「ああ」
あの、と聡は納得の表情を浮かべた。
途端に聡の雰囲気が和らいだのにほっとして、余計なことを言われない内に綾子は接客を交代する。
聡は手持無沙汰になって、はしゃぐ真由と麻美を眺める智也と健に視線を移した。
二人の遣り取りが聞こえていた智也は、聡に気付いて軽く会釈をする。
「その節はお世話になりました」
「いえいえー。また何でも書きますから注文お願いしますね」
声をかけられたことに驚きながらも、聡は微笑んで答える。
聡のにこやかな言葉に、はい、と智也ははにかんだ。
「あのー」
それまで何か考え込むようにしていた健は、そっと聡に近寄った。
智也が気にして寄って来ようとするのを、片手でひらひらと追い払う。
健のこそこそした様子に聡も神妙な顔で応じた。
「おれも近いうちに何か頼むかもしれないんで、ご協力お願いします」
「略奪愛?」
「ちっがいますよ。おれのは右側」
右側、と示されたのはもちろん麻美だ。
「あーじゃあ、チョコレートくんの彼女は左側か」
ふーんと面白そうに聡は呟き、伺うようにしている健に小さく頷いた。
「いつでもお待ちしてます」
「じゃあまた」
密談を終えた健は、近付いたときと同じようにそっと聡から離れた。
何の話をしていたのか、と健が智也に小突かれているのを、若いなあなんてしみじみ感じながら聡は眺める。
「松本さん、お会計してください」
「はーい」
いつのまにか箱一杯にケーキを詰め込んだ綾子が、その中身を聡に見せていた。
値段を打ちながら、次は綾子にどんなケーキを贈ろうか、と聡は考え始める。
隣で何かよからぬことを企み出した、と聡の雰囲気で察して、綾子の背筋をうすら寒いものが走り抜けた。なんとかやり過ごして会計を済ませ、四人を店から送り出す。
そのときに、聡と健が目配せしたのが綾子には不思議だった。
「松本さん、今のって」
「また面白い注文が聞けるかもよ」
「……ああ、そういう。流行ってるんですかね?」
「流行らせる? 綾子ちゃんが成功例になってくれたら宣伝になるかもね」
というか近いうちにやってみよう、と半ば本気で考えながら聡は言った。
「え?」
どういうこと、と綾子は一瞬理解が追いつかない。その間に、聡は素知らぬ顔で厨房に戻ってしまった。
後に残された綾子は、閉まったばかりの扉に向かって大人げなく舌を突き出した。
これにて『クリスマスの贈り物』完結となります。
ここまで読んでいただきありがとうございました。感謝しきれません。
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