Episode5:翻弄する
最後のカップルを観覧車へ送り出して、あたしは受付に本日終了のプレートを掛けた。
「まさか本当にバイトになるとはねえ」
一週間前、大学で交わした会話を思い出す。
あのときは、クリスマスがバイトだなんて咄嗟に嘘をついただけだった。
例年通り予定のないクリスマスは、去年と同じく真由と他にも何人か誘って独り身女子で女子会でも、というのをぼんやり考えていた。
でも、真由と中村と平田とあたし、四人で集まっているときに中村があんなことを言ったから。
『そうだ、みんなでクリスマスパーティーしない?』
『いいね、それ! しよしよー』
中村の言葉に賛成を示した真由を見て、これはチャンスだと思った。
真由が中村を好きなのは、あたしと平田にはバレバレだった。そして中村も多分真由のことを好きだろうというのが、あたしと平田の共通見解だった。
なんせ中村は天然なので、その行動から彼の本当の気持ちを推察しにくい。それでも、中村がときどき見せる真由に対する優しい笑顔は、単なる友達と思っている相手に向けるにしては甘すぎるのだ。
二人のことは微笑ましく見守っていくつもりでいたのだけれど、最近はそれも限界だった。
もういい加減にくっつけ、と真由と中村が並ぶたびに二人に目で訴えていた。まあ伝わるわけもなかったけれど。
多分中村は何の裏もなく、「みんなでクリスマスパーティー」を提案したのだろうが、この際これを利用しない手はない。絶好の機会だ、二人きりになってもらうとしようじゃないの。
だからバイトだと嘘をつきながら、あたしは隣に座っている平田にもどうにか目で伝えようと試みた。
あんたも無理だって言いなさいよ!
それに対して平田はいやらしく唇をあげた。わかってるよ、とでも言うように。
けれど、いつもの皮肉の後に平田の口から飛び出した言葉は、あたしに衝撃をもたらした。
『おれ? おれはそりゃあデートですよ』
は、まじで。
『おい平田聞いてない』
中村も平田の突然の言葉に目を見開いていた。
平田は驚くあたしたちを放置して、さっさと中村と真由の話をまとめあげてしまった。いや、目論見通りにいってよかったんだけどね。
その後、次の授業のためにその場で別れたのだけれど、移動しながらまだあたしの受けた衝撃は続いていた。
うっかり真由と中村のことも頭から飛んでいってしまうくらいには動揺していた。
平田に彼女ができてたなんて。全然知らなかった、というかそんな素振り欠片も気づかなかったことにびっくりする。
平田は女の子が大好きだと言って憚らない。その言葉に違わず、学内だろうと街中だろうと可愛いと思った子にはとりあえず声をかけている。
顔はそこそこいいし話も上手いから、とにかくアドレスだけは集まるのだが、悲しいかなその後が続かない。相談相手という体のいい愚痴聞き役となったり、その子の意中の相手を紹介するよう頼まれたり。
平田が狙っていた相手に近づいたと思っていたら、なぜかその子と元彼の仲を修復して二人共と仲良くなっていた、なんてこともあった。
その話を平田から聞いたときは思わず大笑いした。さすがに平田が憐れになって、その後あたしは一晩平田が飲み明かすのに付き合ったけれど。
そんな「いい人」で終わる体質の平田に彼女。もう信じられない。
平田とはそこそこ仲がいいと思っていたのに、何で今まで教えてくれなかったんだろう。
もやもやした気持ちは晴れないまま、あたしはその日バイト先の観覧車へ向かった。
そこでクリスマスのシフトを頼まれ、どうせ真由と中村も平田も相手のいるクリスマスを過ごすんだ、と自分だけ阻害感をもってしまって。
どうせなら日本中のカップルをあたしが祝福してやるよ、というよくわからない自虐心からそのシフトを了解した。
その日は一人暮らしの家に帰ってからもなんだか気分がすっきりしなかった。一人だけ置いていかれた、なんていう寂しさとか不安とかがなかなか解消せず、寝るのも遅くなってしまった。いつも布団に入ればすぐに眠ってしまうのに、今日は何度寝返りをうっても落ち着かない。
そして翌日、あたしは自分にしては珍しく、一限の講義に遅刻してしまったのだった。
恐る恐る講義室の後ろから扉を開ける。この講義は結構人気で、だからいつもは始まる十分前には席を確保していたのに、始まって二十分もたった今ではどこも埋まってしまっている。
あちこちに空席はあるけれど、それは三人掛けの真ん中の席だったり、女の子たちのオシャレなバッグの置き場になっていたりで座らせてもらうのが気まずい。
困ったなあ。と思わず小さく声に出しながら、あたしは講義室の通路を早足で前に進む。前の方なら空いてるかなあ。でも前だと教授に当てられるからイヤなんだよなあ。
きょろきょろとしていると、いきなり肩に提げていた鞄の端をぐいと掴まれた。
かくん、と後ろに倒れそうになるのを堪えて踏ん張る。
「藤岡」
囁きながら、強引にあたしを自分の隣の席へ引っ張りこんだのは平田だった。
今こいつに会いたくなかったんだけど。
舌打ちしたくなる気持ちを押さえて、大人しく椅子に座り直す。しょうがない、たかが一講義時間だ。長くみても一時間。
鞄からペンケースとノートを取り出すと、あたしはそれを机の上に並べた。ペンケースからシャーペンを探して、芯をカチカチと出す。
「お前が遅刻とか珍しいな。来てなかったから風邪かと思った」
「べつにー」
平田は不思議そうにあたしの方へ顔を向けてくる。ちらりと平田を見て、あたしは溜息とともに言葉を吐き出した。
平田はあたしの明らかな不機嫌顔に少しだけ眉をひそめた。でもそんなに気にする様子もなく、嬉しそうに言葉を継いだ。
「そういえばさ、昨日のことだけど」
「昨日?」
「中村と金井さんもこれでなんとかなるだろ。どーだったよ、おれの華麗なるまとめ方は。てか、これ上手くいったら、おれのおかげじゃね?」
うわードヤ顔むかつくわー。
目を細めて、口角いっぱいあげる平田の笑顔は、カッコイイ部類に入る平田の顔を可愛く見せる。けれど今に限っては、見慣れたその笑顔もイラつきの対象にしかならない。
なにこいつ。自分も彼女いて幸せだから? 中村と真由も付き合って嬉しい的な? 皆幸せでおれ幸せみたいな? あたしだけ独りで可哀そうってか!
こめかみがひくついた。
何も本気で平田がそんな風に考えてるって思ったわけじゃない。むしろ自分の想像したことに一番イライラしたし落ち込んだ。
あたしって、親友の恋も応援できないような心の狭いやつだったっけ。
あたしは額に右手を付けると目を瞑った。落ち着け、落ち着けあたし。昨日から一体何にイライラしてんのよ。
平田には当然あたしの脳内の葛藤がわかるはずもない。
平田の発言をあたしがスルーしているだけだと思って話し続ける。
「そーいや、藤岡、クリスマスがバイトってマジなの?」
笑いを含んだその言い方が、癇に障る。いつもの平田の口調だってわかってはいるけれど、今日はどうも我慢ならない。
あたしは大きく息を吐いた。手を下ろして机の上で腕を組む。
それからできるだけ冷ややかに平田を見て、言った。
「バイトよバイト。あのときは嘘だったけど本当になりましたー」
「え、まじで。わざわざバイト入れたってこと?」
「そうよ、悪い?」
「え、だってお前、え?」
きょとん、と平田は大きく目を見開いている。なんでそんなに驚いてんの。あたしがどうしようとあたしの勝手でしょ。
「だってお前、クリスマス……」
「なによ彼女のいるやつに言われたくないっつーの。どうせ独りなんだから何してたっていいでしょーが!」
力いっぱい平田を睨みつけると、平田はさっと首をすくめた。
だんだん頭が沸騰してきて、感情のコントロールが利かなくなる。この際口に任せて言いたいこと全部ぶちまけてやる。
「ていうか、あんたいつの間に彼女なんかできたの。そんな素振りもなかったくせに。あたしといるときは自分のことよりも中村と真由が上手くいったらいい、みたいに言ってたくせに、自分はちゃっかり相手見つけちゃってさ。馬鹿みたい。あたしだけ他人にかまけて自分はほっといて、そんで今独りになっちゃって、馬鹿みたい」
「ちょ、ちょっと待って。おれに彼女って」
「言ったでしょ、昨日。クリスマスはデートって! 今更隠す必要なくない?」
平田は最初困惑した顔だった。けれど、あたしが何か言う度にそれはにやけ顔に変わる。平田お得意の、意地悪くていやらしい笑顔だ。
「藤岡、なに、妬いてんの?」
それを聞いてかっと頭に血が上った。何言ってんのこいつ。あたしが、平田に、妬いてるかって?
「ばかじゃないの!」
平田は頬杖をついて、相変わらずにやにやとあたしを見つめる。
完全に面白がっているその視線がうっとおしくて仕方ない。と同時に、見られていると意識するとどうしても顔に熱が集まってしまう。
あたしは平田から逃げるように逆方向へ顔を向けた。と、斜め前に空席があるのが目に入る。
あの席、と思ったときにはあたしの両手がノートとペンケースを集め、足元に下ろしていた鞄を引っ掴んだ。
音を立てないように気をつけつつも目当ての席に向かって走り込む。
あ、と背後で平田の声がしたけれど、もうそれっきり講義中は平田の方など見向きもしなかった。
ただ、どきどきと鳴る心臓がうるさくて、顔の熱はなかなか引いてくれなくて、とても集中なんてできなかった。
そして終了のチャイムが鳴ってすぐ、あたしはノートを鞄にしまう時間も惜しく、そのまますべてを抱えて講義室を後にした。
講義室を出て、いろんな建物から流れ出てくる学生の波にまぎれてから、やっとあたしは一息つくことができた。
それからの一週間、平田に会わないようにどれだけ神経をすり減らしたことか。
もともと講義はそれ程被っていなかったけれど、うっかりすれ違わないように絶えずあたしはきょろきょろして歩いていた。ちょっとした不審者だ。
ただ、あれだけ一方的に言ったのに、平田から文句の一つもなかったのが不気味だった。いつもなら、あんな言い合いになった後は、絶対メールか電話で喧しく反論されたのに。
平田から何も反応がないことにほっとしつつも、それが逆にあたしの落ち着きをなくさせていた。
そうして現在に至る。
頭上を見上げると、観覧車が刻一刻とその色を変えながら回転を続けている。
今日は数えるのも嫌になるくらいのカップルを送り出した。どの二人も仲良さそうに幸せそうに観覧車に吸い込まれていっては、二人きりの時間とやらを楽しんで降りてくる。
そんな恋人たちに根性と意地で笑顔を向け続けた。自分を自分で誉めてもいいと思う。ていうか全力で誉めよう。
今も最後の二人を乗せている観覧車を見ながら、胸の前で小さくガッツポーズを決めた。
何もトラブルは起きなかったし、ほどよい忙しさで負担もなかったけれど、精神的にくる一日だった。
それも観覧車に乗りに来るカップルが、こんな日にバイトなんて大変ですねーという目を向けてくるからで(実際言われたこともあった)、どんどん愛想笑いが下手になっている自信があった。
好きでやってんだからほっといてよ。なんて言えるわけもなく。
けれど今日のバイトもほぼ終わり。後はあの二人が降りてくるのを見送るだけだ。
最後にやって来た初々しさの溢れる高校生二人を思い出して、それが真由と中村に重なった。
あの二人は今頃どうなってるのかな。まあ上手くいかないわけもないんだけれど。
仲良く笑っている二人の顔を思い浮かべていると、そこにあのにやにや笑いも一緒に浮かんできそうになりあたしは慌てて頭を振った。
無視無視、あんな裏切り者は。
「すいませーん。今日はもう終わりですかー」
やたら間延びした男の声で呼びかけられて、あたしははっと我に返る。
「あ、はい。本日は」
とそこまで言って固まってしまった。
なんであんたがここにいるわけ?
「よお。お疲れ」
平田は相変わらずのにやにや笑いだった。
「何、彼女と乗りに来たの? 残念ながら営業終了致しましたのでまたのお越しをお待ちしております、だ」
一息で言いきって、あたしは平田の背後に目をこらした。こいつの彼女がどんな子なのか、一応気になるじゃない?
けれど、平田の背後には誰もいない。ただ賑やかな街を通り過ぎる人々が見えるだけ。
あれ、どういうこと。
「あんた彼女はどうしたのよ。まだ九時前なのにもうデートは終わり?」
「デートとかしてないし。彼女とかいないし」
にやにや笑いから一転、不貞腐れたようにして平田が言う。
何でやさぐれモードなのよ。微妙に怖いんだけど。
その表情を見てなんとなく理由に思い当った。平田の機嫌が悪くなるのも承知でぷっと吹き出す。
「わかった、もう振られたんだ。かわいそー平田、かわいそー」
遠慮なく笑いながら、この一週間胸に燻っていたものが溶けていくのがわかった。やっとちゃんと息ができる、そんな感じ。
でも平田の次の言葉に、あたしは笑うのも忘れて呆けてしまった。
「振られてねーよ。だ、か、ら、彼女なんていないんだって」
だ、か、ら、と言い聞かせるように口調が強くなる。
「意味わかんないんだけど」
「一週間前! パーティーの話のときに、藤岡が! 二人きりにさせようっておれに合図してきて! だから嘘ついたんだろうが!」
「嘘?」
「ていうかお前、まだ信じてたのかよ」
そっちにびっくりするわ、と平田は弱々しく吐き捨てた。
え、え、え? ごめんまだよくわからない。つまりどういうことだ。
あたしが理解していないことに気付いたのか、平田が言い含めるようにしてもう一度説明を繰り返す。
「二人に気を使わせないように、藤岡はバイトだって嘘ついただろ? それと同じでおれも彼女いるからって嘘ついたの」
「でも平田、その次の日に会ったけど嘘だって言わなかったじゃん」
「当然わかってると思ってたんだよ!」
「嘘。妬いてんの、とかって煽ってたくせに!」
「あーそれは」
気まずそうに平田は口ごもった。
「何よ」
喧嘩腰であたしは問う。平田のくせに生意気なのよ。あたしに嘘ついた分際で。
「だって藤岡が本気で拗ねてるのが珍しかったから。今までだったら、おれが誰に声かけようと何してようと藤岡は反応しなかったし」
拗ねてる、と言われて、かあっと顔が熱くなった。
図星だ。
あたしにさえなかなか正体の掴めなかったイライラの原因が、平田には最初からお見通しだったみたいだ。
確かに、平田にも真由にも中村にも置いて行かれた気になって、あたしは拗ねていた。
でも図星を指されたからって、それであたしが納得するわけじゃない。もともとはあたしの勘違いだったとしても、それに気付いて黙ってた平田を許すわけじゃない。
あんたの嘘のせいで、あたしがこの一週間どんな思いをしていたか!
「珍しかったから、ってずっと黙ってたわけ? 嘘だって教えてくれなかったわけ?」
むう、と唇を尖らせる。すると平田は可笑しそうにあたしを見つめ返した
「一週間放置したの、怒ってんの? 悪いとは思ったけど、せっかく藤岡がおれのこと気にしてくれたんだから、ちょっとぐらいそのまま気にしててほしいなーとかって」
どうやらあたしは平田の手のひらの上で踊らされていたらしい。ということがじわじわと理解された。
なんだか一気に力が抜けてしまった。いもしない平田の彼女に振り回されて、何やってんだろうあたしは。
「藤岡、やっぱり妬いてたんだろ? 今すげえほっとした顔してるもんな」
「は? 妬いてないし、してないし」
べつに平田に彼女がいたところで、あたしには関係ないし。そりゃあびっくりしたし、ちょっとショックだったけど。
「もしかしてお前、自覚ねーの?」
「自覚? なんの自覚よ」
まじまじと平田を見つめると、ふいっと視線を逸らされた。
「そういえば、他人には鋭いのに自分には鈍いんだっけ、お前は」
「ちょっと平田、はぐらかさないでくれる」
「また今度な」
ひらひらと片手を振られてしまった。なんだそれ、自分から話振ってきたくせに。
また少しもやもやしてしまったけれど、これまでみたいに重苦しい感情じゃない。だからこれくらいのもやもやは残したままでもいいことにしよう。
随分平田と話し込んでしまった気がする。そろそろこいつを追い返して、本格的に片付けないと。
「平田、とりあえず話終わったんならそこどいてくれる? あたしバイト中だし」
言ってからふと気付いた。そういえば平田は何しにここへ来たんだろうか。
最初は彼女と観覧車に乗りに来たんだと思ったけれど、その彼女なんて存在は最初からいなかった。
じゃあ、何、あたしの誤解を解きに来たとか? まさか。今日じゃなくてもよかったろうし、そのためだけにここへ来るなんてことがあるだろうか。
「そういえば平田、何しに来たの?」
「いや特に。強いて言うなら藤岡に会いに来た」
「暇人……」
「ああ、そういう反応になるわけね」
つまらなそうに平田が言った。じゃあどういう反応すればよかったっていうのさ。
「藤岡、何時に終わるの?」
「最後のお客さん降りてきたらここ鍵閉めて終わりだから、あと十分くらい?」
「あーそう。じゃあ待ってるから送ってくわ」
「え、何で。平田、本当に今日暇なんだね」
思ったままを口に出すと、平田は馬鹿にした目であたしを見た。
不愉快すぎる。暇人に暇と言って何が悪い。
「とにかくそういうことなんでー。あんまり待たせんなよ藤岡麻美」
ひらひらと手を振りながら、平田の姿が遠ざかる。一瞬遅れて我に返り、あたしは平田に向かって叫んでいた。
「勝手に待ちくたびれろ、平田健」
平田の背中を見ながら、耳元で平田の声がリピートされる。それがとても不本意だった。
引いたと思っていた熱が、耳のあたりに集中する。
「いきなり名前呼ぶな、馬鹿」
というわけでプロローグから引っ張ってきた二人にようやくつながりました。
本編はここまでです。
ちょこっとだけエピローグもありますので、引き続き読んでいただければ嬉しいです。




