Episode1:真っ赤になる
携帯を開く。閉じる。開く。
もう一時間くらいはこうして携帯を気にしている。服を選ぶときもメイクをするときも、いつこれが鳴りだすかと思って気が気じゃなかった。まあ、まったくそんな心配をする必要はなかったわけだけど!
「ま、わかってたけど」
未練がましく新着メール問い合わせなんてしてみて、思った通りにありません、が返ってきたところで本当にあきらめた。
ぼす、と携帯をベッドの上に放り出す。
あたしは着ていたコートを殊更ゆっくり脱ぐとハンガーにかけて、丁寧にクローゼットへと戻した。中村くんから連絡が来たらすぐに出れるように、なんて一週間の間一度も連絡がなかったのによくもまあ信じて待っていたものだ。それだけ楽しみにしていたということでもあるのだけど。
一週間前に彼が言ったのは、「ケーキを買って夜行く」というただそれだけ。よく思い出せば、はっきりと二人でパーティーしようと言ったわけでもない。
前に四人であたしの家で鍋をしたことがあるからあたしの家は知っているはずで、だからこそ「買って行く」と言ったのだろうけど。でも夜といっても何時に行くとは言ってなかったし、あたしの家でパーティーなのか、それともどこかに出かけるのかもわからない。彼との約束の直後には一緒に食事なんて甘い期待も抱いたけれど、家でご飯を食べるのかどうかすらわからない。クリームシチューなんて作っておいてはみたけれど。
あたしは中村くんと、あのとき詳細を話し合うべきだったんだ。
彼からの連絡を待つ間、何度もこっちから連絡しようと思った。けれど、彼が連絡すると言ったのにあたしから言い出すことが催促しているようで申し訳なくて、結局何もできなかった。
あの後何度も直接会ったから、その度にずっと聞きたくてたまらなかった。でも中村くんと会うときには、いつもあの二人も一緒だったから、二人の前で話題にすることは恥ずかしくてできなかった。
あの二人、平田健と藤岡麻美はいい友達ではあるのだけれど、あたしの気持ちをうっすら知っているようで、あたしをからかう。つまり、あたしが中村くんを意識しているということを。
そんな二人の前で、「二人きりのクリスマスパーティー」の話なんてとてもじゃないけどする気になれない。絶対、にやにや見られるに決まってるんだから。
ああでも、見栄張らないで、やっぱり聞いたらよかった。メールでも電話でも、何でもしておけばよかった。もう今更になって、彼が覚えているかさえもわからないのにパーティーのことなんて怖くて聞けない。「今日何時に来るの」なんて聞いて、中村くんに「何のこと?」と返されてしまったら、きっともう彼に顔を合わせることさえできなくなりそうだ。
それでも、彼がふらりとケーキを持ってやってくるという可能性を捨てきれなくて、あたしはこうして彼に会う準備をして、いきなり待ち合わせを指定されてもいいようにコートまで着て、ずっと携帯を気にして、今日という日を過ごしていたのだ。それもさっきやっとのことであきらめることに決めたけれど。
あたしはエアコンのスイッチを入れ、設定温度を25度に上げた。短い了解の音をたてて、勢いよく温風が吹き出し始める。
コートを着ていたからわからなかったけど、部屋は随分寒くなっていた。リモコンをテーブルの上に置きながら、あたしはヤケクソのように思う。
節電のお願いだとか何だとか、今日ぐらい聞かなくたっていいはずだ。
傷心の女の子に対して、室内温度くらいは優しくあっていいはずだ。
傷心、とあたしは繰り返して、そこでぎりぎり保っていたエネルギーは切れてしまった。
さっき放り投げた携帯の上に倒れ込む。足元にたたんであった毛布に手を伸ばし、頭の上まですっぽりと被る。
「ばか……」
あんなの冗談だってわかってたのに。その場のノリとかそういうことだってわかってたのに。
嬉しかったんだ。そんなのわかってたけど、それでも楽しみにしてたんだ。期待、してたんだ。
「もう、ばか。ばかじゃん。ばか……」
小さく唸りながら、あたしはごしごし瞼をこすった。こすってから、あんなに時間をかけたアイメイクが、と後悔するけど、見せる相手もいなければそんな後悔だって意味はない。
いくらなんでも、勝手に舞い上がって勝手に泣くとか、自分が駄目すぎるから。
目頭が熱くなって、頬をゆっくりと一筋流れていくこれは。
これは涙なんかじゃ、ない。
ピンポーン
あたしのセンチメンタルを台無しにして、それは鳴った。
「え……!? うそ」
突然のチャイムの音に、あたしは毛布を跳ねあげた。誰が来たのか知っている。麻美はバイト、平田くんはデート、二人の他にあたしの家を知っている人なんて一人しかいない。
でも本当に? 冗談じゃなかったの? 信じていいの?
混乱しながらも慌ててスリッパに足を滑り込ませ、玄関に向かう。
途中で姿見に映った自分をちらりと見る。目が赤い。鼻も、少し。パンダ目になっていないことを感謝したらいいのか。ああでもスカート皺になってるかも。
けれど鏡を見たのは一瞬のことで、あたしは自分を気にする余裕もないまま扉にたどりつくと、すぐさま鍵を開けた。
狭い玄関から身をのりだして目一杯扉を開く。
「メリークリスマース!」
恐らくはケーキが入っているだろう箱を顔の横まで持ちあげて、彼は待った? と呑気に笑っていた。
来てくれた、そのことにほっとして、さっきまで泣きそうだったことが恥ずかしくて、そんなぐちゃぐちゃな自分を隠そうと、自然あたしの声は刺々しくなる。人の気持ちも知らないで、待ったなんて聞かないで。
「遅いのよ」
中村くんはそんなあたしの虚勢を見透かすみたいに、また笑った。笑った拍子にこぼれた息は真っ白だ。こんな寒い中来てくれたんだ。
開け放しの扉からは冷たい外気が入って来る。あたしが肩を震わせたのを合図にするみたいに、彼は後ろ手に扉を閉めた。狭い玄関に二人で、彼とあたしの距離はほとんどゼロに近い。
慌ててあたしは後ろに下がって場所を空けた。彼は特別気にした様子もなく、入って来た玄関の鍵を閉める。
それから振りかえると、まじまじとあたしの顔を見つめて、言う。
「トナカイみたいだ」
意味がわからずに怪訝に中村くんを見上げると、彼はあたしの鼻に指をあてた。
「ほら、赤い鼻だし」
「……べつに赤くなんか」
触れる指先は冷たかった。
たった一か所触れられただけなのに、どきどきと心臓はうるさくなる。さっきまで落ち込んでたのに、単純なあたし。
指が離れた。彼は面白そうにふふっと笑うと手を使わずに器用に靴を脱ぎ始める。
「サンタはね、赤鼻のトナカイを喜ばせるんだ」
「は?」
またも意味のわからない言葉。わけのわからないあたしを残して中村くんはどんどん廊下を進んで部屋に向かう。仕方なく彼の後をあたしは追いかけた。
「今日はクリスマスだから」
部屋の真ん中のテーブルに彼は持ってきた箱を恭しく置いた。
あたしは彼の斜め前に座り、彼がその真っ白な箱を開けるのを見つめる。
いきなりケーキって、ちょっと自由すぎない? でも箱を開ける中村くんがあまりに慎重で、何を緊張しているのかいつもより顔も強ばっていて、あたしは口を挟むことを躊躇った。
箱を開けた彼は、ゆっくりと中のケーキをスライドさせる。
箱と同じくらい真っ白な生クリームのケーキが現れた。二人で食べるには少し大きいサイズだと思うけれど、その大きさから中村くんも楽しみにしてくれてたのかな、と心の中でにやける。そしてクリームと粉砂糖を被ったイチゴがぐるりと円状に並び、その真ん中には楕円形のチョコレートが飾られている。
そこに書かれた文字を見て、あたしは固まってしまった。
え? 嘘。
中村くんは固まったあたしの目の前にケーキを差し出す。そして自称サンタの彼は囁いた。
「好きです」
『I Love You , MAYU』
「俺の彼女になってください」
あまりに突然で、あたしは何度もチョコと中村くんの顔に視線をさまよわせた。
「……中村くん、今日のこと何も連絡してくれないから、忘れたと思ってた」
「え? しなかったっけ? ごめん……驚かせようと思って、俺も告白するので頭一杯になってて」
「ううん、いいの。来てくれたから」
すごく気持ちがふわふわする。夢みたいだ。
じっとチョコを見つめる。頭の中では中村くんの言葉が何度もリピートされていた。
「あの、真由サン?」
「え」
現実の中村くんの声が飛び込んできて、はっとあたしは顔を上げた。
中村くんは落ちつかない様子であたしを真剣に見つめている。
「その、返事は?」
「あ。えっと、その」
瞬間的に顔が熱くなる。ふわふわした気持ちの代わりに、全力疾走した後のような気分になる。耳元で自分の心臓が鳴っているような錯覚を覚える。
「あたしも、中村くんがすきです」
最後の方は声が小さくなってしまって、中村くんに聞こえたかわからない。言った後であたしは俯いてしまったから、彼がどんな顔をしてあたしの告白を聞いていたのかも。
でも心配しなくても、彼にあたしの言葉はちゃんと届いたみたいだ。
「本当に? あーすっげえ緊張した」
はぐらかすから、友達でいよう、て言われるかと思った、と言いながら彼はふうっと息を吐く。
あの間をそんなふうに思っていたんだ。ごめんね中村くん。頭がいっぱいになっただけなんです。
「ぎゅってしたいんだけど、いい?」
こくんと頷くと、中村くんがそっとあたしを抱きしめてくれた。夢じゃないんだ。
「トナカイさんは喜んでくれた?」
あたしの頭をくしゃりとしながら彼が聞く。わざとおどけた声は彼なりの照れ隠しなんだと知っている。
「サンタさんが来てくれたからね」
今度はあたしがぎゅっとする番だった。
中村くんの下の名前は智也です。考えたのに結局出せなかったのでここで笑
あと4話続きます。