生活の陰陽
なんとなく憂鬱な高校生活。
新入生テストは顕著な点を取れなかったし、委員会決めも立候補したもののもう一人立候補した為多数決になってほぼ僕には誰も推す声もなく惨敗した。立候補したもう一人は友達も多そうな感じだったから仕方ない。
僕は今、クラスの中で僕は(悪い意味で)浮いているのか沈んでいるのか分からない。ただ一つ分かっているのは、僕はこのクラスで安定した土台を築けていないということだ。根拠のない(または僕の無意識の中でクラスの一部または全員の人の気に障る行動を何倍にも膨らませた)陰口を叩いているか、それとも根拠のない(または僕の無意識の中でクラスの一部または全員の人の気に障る行動を何倍にも膨らませた)理由でこのクラスが僕の存在を取り消そうとしているかのどちらかに違いない。決して僕が好意的に思われていることはないだろう。
苛められるということは、クラスにその存在が認められているから苛められるが、その存在が認められなくなれば誰も苛めない。つまり苛められる対象にもならないということは、苛められるということよりも悲しい、と思う。
*
四月が過ぎ、五月になった。省きが表面化することはなく、かといって僕の耳に届く陰口はなかった。僕はなんとなく憂鬱だったが、まだ一人で耐えられた。今、誰かに打ち明けても無駄だ。誰かに救いを求めるのは、弱い人間のやることなのだ。植物人間のようにチューブを取り付けてまで生きるよりは、耐えるまで耐えて砕け散ってしまった方がいい。
それでも、なんとなく憂鬱な自分を一瞬でもいいから解放したいと思った。こんなことを続けても何も変わらないのだから。気分転換になればと山内とカラオケに行きたいなと思った。中学の三年間は同じクラスになったことはなかった。山内は僕の家の近くにある県立高校に通っている筈だ。
ある月曜日の夜、僕は携帯電話を手にとり、山内にメールを打つ。
「件名:久しぶり
今週の日曜日遊ばない?」
僕はメール音痴なのでまともなメールは打てない。絵文字も顔文字も使いこなせない。ちゃんと伝わるか不安になり少し戸惑いながらも送信の釦を押す。
三十秒もしないうちに返信が来る。
「件名:Re:久しぶり
日曜は予定空いてるからいいよ
何するの?」
僕は予め考えていた文をすばやく打つ。ついでに件名を消去。
「件名:
カラオケでも行かない?そのあとファミレスでなんか食べようよ」
改めて思ったのだが、カラオケは男子に受けが悪い。そんなことを思っているうちに山内からメールが来た。
「件名:Re:
カラオケならいいよ
どこのカラオケ?」
カラオケで快諾がとれたのはよかった。山内は普通、「カラオケなんか行くか」と冷たく突き飛ばす。そういう人なのだ。カラオケを快諾するほど山内を上機嫌にさせる何かがあったのだろう。僕は件名を消去し、こう打つ。
「件名:
ちょっと値段高いけど『カラオケ天国』行かない?ドリンクバーとアイスバーがあってどれも旨い
面倒臭いならそこで夕飯も食えるし」
「旨い」は平仮名にしたほうが良かった。打ち終わったあとながらそう思った。
返信が来るまでに若干の時間がかかった。「旨い」の読み方を調べているのだろう、と勝手に推測した。そしてメールが来た。
「件名:Re:
確かにうまいけど当分金欠だから夕食をカラオケ天国で食うのはきついな」
やはり山内は「旨い」を漢字で書くことはできなかった。そして山内に多くの金は残っていないようだ。多少僕は落胆したが、気を取り直し、メールを打つ。
「件名:
夕食はファミレスでいいよ
打ち上げと違って大人数じゃないから店員に白い目で見られることもないし」
また件名を消去した。件名を消去することが僕の癖になっている。これをしないと
「件名:Re:Re2:Re3……」のように延々と件名の部分だけが肥大化してしまうのだ。
そして返信が返ってくる。
「件名:Re:
ファミレスは大人数じゃないから安心だな
店員に白い目でみられることもないし」
一度店員に白い目で見られた経験がある。中学三年の体育祭のクラス打ち上げ会場として使用した某全国チェーンのファミレスでは、入り口で
「何名様ですか?」
と店員に聞かれ、
「二十五名です」
と代表(クラス対抗リレーで一位を獲った男だったと思う)が応えたところ、
「餓鬼の大群が来たよ。餓鬼が騒ぐと大人の客の信用失うから次回は別の店でやってくれないかな」
という顔で(これほどではないにせよ、この鍵括弧の云万分の一の感情を抱いていた筈だ)、
「席がばらばらになってしまいますがよろしいですか?」
と聞かれたのでわれわれの代表は
「大丈夫です」と応えた。
話も盛り上がり、奇声や指笛(誰が指笛を吹けるのか?)も聞こえてきたところで、店員が割って入り、
「お客様、他のお客様の迷惑になりますのでもう少し静かにお願いします」と言った。口調は穏やかだったが、顔と目は完全に死んでいた。それ以降、メンバーは紳士然に黙々と料理を食べ、早々と某全国チェーンのファミレスを出た。
閑話休題。今は山内にメールを送って、その返信を待っている。打ち上げのファミレスのくだりを頭から引き離す。そして山内からメールが来る。
「件名:Re:
ファミレスは大人数じゃないから安心だな
遊ぶのは今週の日曜だっけ?」
僕は透かさず携帯電話の釦を打つ。
「件名:
『カラオケ天国』に十三時でいいかな?昼は自分で食べてきて」
そして返信。
「件名:Re:
『カラオケ天国』に十三時ね」
このメールのやりとりは佳境に入っている。なんか話題をつくってこのメールのやり取りを展ばそうか三十秒間考えたが(実は何の話題を選べばいいか全く分からなかった)、結局諦めた。
僕は名残惜しい気持ちになりながらも、最後のメールを打つ。
「件名:
じゃあ日曜日
寝坊するなよ!」
誰かに冗談を言うのは何ヶ月ぶりだろう、と思った。
最後の山内のメール。
「件名:Re:
寝坊しないでちゃんと起きる!
じゃあね~」
*
日々は平穏に過ぎ、日曜日になった。学校でも家庭でも特に何も起こらなかった。プラマイゼロが人生にとって一番重要なのだ。だが確かに僕の心は軽くなっていた。
僕は朝七時には起きていた。目覚し時計をセットしたわけではない。だが自然に目が覚めた。
僕は簡単に寝癖を直し、着替えて近くのコンビニで鮭おにぎりを買う。それを家にもって帰り、朝のニュースを見ながらそれをゆっくりと食べる。母は「日曜ぐらいはゆっくり寝させてよ」というのでまだ起きていない。ニュースキャスターは終始無為な情報を「噛まないことを最優先に考えて」伝え続けていた。僕はチャンネルを回したが、子供向けの特撮ものやオタクしか見ないマニアックなアニメしか放送していなかった。僕は呆れてテレビの電源を切った。
朝食を吸い終えると、僕は入念に歯を磨き(山内に口臭で文句を言われたら困る)、顔を洗い、(剃るほどの量もないが)髭を剃った。
そのあと僕はパソコンの電源をつけ、インターネットでカラオケ天国の公式サイトをヤフーで検索し、手羽先の無料のクーポンを印刷する。プリンターは宇宙人の会話のような音を立て、印刷が始まる。僕は黙ってそれを待つ。そして印刷されたクーポンを鋏で切り取る。そしてクーポンを冷蔵庫に磁石で貼り付けた。
僕はテレビの電源を入れ直し、ケーブルテレビに入力切換した。カラオケで山内が何を歌っているか分かるように、音楽チャンネルをつけた。それはシングルの売上ランキングを流している。その順位のシングルのプロモーションビデオを流しているわけだが、全員金髪リーゼントかモヒカンでとび職の服装に豪勢な落書きを施したバンドが騒音にしか聞こえない歌を物凄く下手に歌っていた。こんなバンドが流行るなんて世界は相当狂っている。
僕はテレビを見るのが馬鹿馬鹿しくなったのでテレビの電源を切り、カラオケに行く準備をする。財布に冷蔵庫に貼ってあるクーポンと千円札三枚を入れ、それをエコバックに入れる。携帯電話も入れる。無用になると思うが文庫本も入れた。
九時ごろ、交差点で事故があったので、他に何もすることがなかったので僕は野次馬になった。いつも何か事件が起きると決まって野次馬がいる。
僕の妄想の中では「全国野次馬組合」の会員が全国に存在し、それを、纏める「全国野次馬管理センター」が、
「……商店街で火災発生。至急現場に急行し、任務を執行せよ」
なんてやっている。
しかしそんなことが出来るほど世界は暇ではない。野次馬は管理されているのではなく、降って湧いて出るものなのだ。
野次馬をするのも飽きたので(僕は何事にも飽き易い性格である)、僕は家に帰った。まだ時計は九時半を回ったばかりだった。僕は電源のつけたままだったパソコンの前に座り、ヤフーで「カラオケ天国 口コミ」と検索した。僕は検索結果の中で一頁目の一番上のサイト「全国口コミ情報館 『カラオケ天国』の口コミ」をクリックした。オススメ度を5点中何点かで示し、そのあとにコメントがあった。コメントは賛否両論だった。
「料理が丁寧に味付けされていて実に美味しかった」
という意見もあったし、
「料理は注文しても来るのが遅いし、しかも不味かった」
という意見もあった。どの情報を信じればいいかわからなくなったので諦めて電源を切り、鞄に入れた文庫本を読み始めた。平凡なストーリーだった。しかし読み続けた。
十二時になり、僕は本を読むのを辞めて、僕はまたコンビニで鮭おにぎりを買い、家に持って帰り、それを食べながらテレビを見た。映っていた「男の料理」という番組は「イケメン」の部類に入る男性アイドルが中華鍋の中のチンジャオロースを舞い上がらせ、観客席の女性から黄色い声を浴びていた。そしてチンジャオロースが完成し、試食の時間になると観客席の女性は「食べたい~」と甘え、「イケメン」の部類に入る男性がそれを食べようとすると「あぁ~」と唸った。
僕はこの光景にかなり違和感を覚えたので、即座にテレビを消した。絶対に観客席の女性はあの「イケメン」の部類に入る男性よって洗脳されている。
僕はウイダーインゼリーのパックを塵箱に捨てた。そう言えば、母がまだ起きない。しかしせっかくの日曜日だから、ゆっくり休めばいいじゃないか。
僕は自転車を漕ぎ、「カラオケ天国」に到着する。時間は十二時三十五分。幾ら何でも早すぎた。僕は無用の長物に化すだろうと思われた文庫本を読み始めた。これで文庫本は無用の長物にならなくて済んだ。そして
「文庫本に幸あれ」
なんていらない文まで考えた。
山内は一時十分にやってきた。若干髪を染めているのがわかる。前より色白になった。背も伸びたような気がする。目も鋭くなった。しかし僕は大して驚かない。人間は変わり続けるのだから。
「ごめん遅れた~。待った?」
「ううん。さっき来たばっかり」
見え透いた嘘。社交辞令。社会を生き抜くには、こういうのも必要なのです。
「じゃあ入るか」
「そうしよう」
僕たちは店内に入った。意外と空いていた。フロントに人数とフリータイム使用であることを伝え、手羽先のクーポンを渡した。店員はドリンクとアイスとスープはバイキング形式になっていると言い、それから部屋番号のボードを受け取り、その部屋に向かった。
部屋に着くと、山内は
「じゃあドリンクとアイス取ってくる。お前は何がいい?」と訊いた。僕は、
「無難に烏龍茶でいいや。アイスはまだいい」
「わかった」
僕は山内がバイキングに行っている間、僕は検索機で歌われた回数のランキングを調べた。その中から、適当にレミオロメンの「粉雪」を選んだ。一番のAメロが終わるところで、山内がノックしてきた。
「烏龍茶ありがとう」
僕はそう言いながらドアを開けた。そして僕は「粉雪」を歌った。淡々と、静かに歌った。山内は美味しそうにアイスを頬張った。「粉雪」の間奏の間に、山内はEXILEの「Choo Choo TRAIN」を予約した。
「お前案外巧いじゃん」
山内が「粉雪」の終奏の時に呟いた。僕は驚いた。山内の独り言のような気もして、応えるかどうか一瞬躊躇ったが、僕は
「誰かに巧いなんて言われるのは初めてだよ」
と応えた。
「いや、俺の感性狂ってるから。俺の狂った直感が言葉になっただけだから」
と言って顔を赤くした。顔を赤くした山内は、何だか可愛かった。別に変な意味ではない。
「でもカラオケ行っても誰も巧いなんて言われたことないんだけど……」
僕がこんなことを言ってる間に、「粉雪」は終わり、採点結果発表にモニターが切り換わった。スネア・ドラムのダラダラ……というロールの後、トランペットのファンファーレが鳴り響いた。モニターにでっかく映った点数、なんと八十七点。こんな点数は生まれて初めて取った。自分でも信じられなかった。僕は冗談で
「この機械、壊れてるんじゃねえの?」
とモニターの下の機械をノックするように叩いてみた。それを見てた山内は
「俺の直感も少しは当たるんだ。俺の直感も捨てたもんじゃねえな」
なんて変なことを言っていた。
モニターは「予約リスト」に変わり、さっき山内が予約していたEXILEの「Choo Choo TRAIN」だけが映っていた。山内は前屈をしていた。彼は相当気合が入っていた。
「そんな力んでもいい点は取れないぞ」
と僕は笑った。
しかし山内は「Choo Choo TRAIN」を本気で歌っていた。僕はEXILEについてもよく知らなかったし、「Choo Choo TRAIN」も曲名とサビしか知らなかった。しかし何が何でも巧く歌ってやるとってやるという殺気はありありと伝わってきた。
その殺気溢れた「Choo Choo TRAIN」を山内が歌っている間に従業員が部屋のドアのノックした。僕がドアを開けると
「受付の時にクーポンで注文いただいた手羽先になります」
と言ってトレイの上野手羽先の乗った皿を部屋の中央のテーブルに置いた。店員は
「ごゆっくりお楽しみくださいー」
と言って部屋から去った。
この間も山内はモニターを睨みつけるように歌い続けていた。そして「Choo Choo TRAIN」が終わり、採点結果発表となった。言うまでもないが、その段取りは「粉雪」の後の採点結果発表と全く同じだ。
モニターに映ったのは、七十七点とい数字だった。「粉雪」の後の僕の行動を真似して、山内は
「この機械、壊れてるんじゃねえの?」
とモニターの下の機械をノックするように叩いていた。それが余りにも似ていたので、僕は笑ってしまった。山内は
「それにしてもこの点数は酷いな。全く、公平な判断ができない機械だ」
と愚痴を零した。僕は
「まあまあ落ち着いて、さっき来た手羽先が冷めない内に早く喰おう」
と言い手羽先を食べた。山内も
「そうだな。喰うか」
と食べ始めた。
*
「高校生活はどう?」
こんなことは山内の父親に言わせておけばいい台詞なのに、と思いながらも言ってみた。
「いや、別に、どうってことないよ」
僕は
「でも、なんか一つぐらいはあるだろ」
と問質すと、山内は
「別にどうだっていい話なんだけど、それでもいい?」
と訊いたので、僕は
「別にどんな話でもいいよ」
と言った。山内は手羽先を頬張りながら、話し始めた。
「じゃあ話すとするか。
高校の同じクラスの友達が、帰りがけに、
『好きになった人がいる』
って言うんだよ。それで、俺は
『誰なんだよ、そいつは』
訊くとそいつがこう応えるんだ。
『初田って言うんだ。ほら、お前の斜め前の席に座っている奴。幼稚園も同じで、仲良かったけんだど、そいつが小学校三年の時に引越しちゃって、それからはもう会うことはないな、って思っていたわけ。でも何の繋がりか、同じ高校の同じクラスになって、かなり可愛くなったことに気付いた。昔は本当に全然可愛くなかったのにな、人間ってここまで変わるんだなぁ、ってしみじみ思った』
って興奮して言うわけ。俺的には、初田なんて、ただの何ともない普通の女子だけど、まあ、個人の好みの問題だからどうでもいいけど。あいつは、二人きりでばったり会ったこともあったけど、『家が近かったよね』なんていう取り留めのない会話に終始していた。それ以降の進展はない。
そこで問題です。幼馴染との再会から、恋愛に発展する可能性はあると思いますか?イエスかノーでお答えください。制限時間、三十秒。はい、始め」
その話を聞いている間、僕は手羽先をずっと食べていた。その所為で、随分量が減っていた。でもそんなことは山内は気にしていないようだった。
勝手にクイズを出題されても困るが、これは難しい質問だった。第一に、僕には異性の幼馴染がいない。いたとしても、忘れているだろう。
どう応えていいか丸っきり分からなかったが、それでも僕は応えた。
「恋愛というものは、二人の間に成り立つものだから、前歴とか、そんなのは関係ないと思う。だから、答えはイエス」
山内は調子に乗って
「ファイナル・アンサー?」
と言った。
僕は面倒臭いと思いながらも、
「ファイナル・アンサー」
と答えた。
山内は「クイズ・ミリオネア」のみのもんたみたいに、不気味な笑みを浮かべ、
「不正解です。残念でした。俺があいつの背中を押して初田に告白させたけど、見事に振られた。残念でした。
賞金百万円は没収となります。またの挑戦をお待ちしております」
と完全に図に乗っていた。
図に乗る山内も嫌いではなかった。
そのあとも僕たちは何曲か歌いあい、十七時には帰途に着いた。
山内とカラオケに行って確かに心は軽くなっていたし、学校での陰鬱な生活にも耐えられるだろうと思えた。
読了ありがとうございます。
これは僕が高校一年生のときに付属校文学コンクールのために書き上げたものです。
結果は校内予選落ちでしたが…
最初は僕の歌の下手さに呆れ返った山内が曲の途中で演奏中止をして山内が僕の歌の下手さを罵倒して帰ってしまうというものでしたが、付属校文学コンクールには不適当だなと思い教育的な観点からも迎合したものにしました。