中編:彼女が抱えているもの
「そうよ、私は元々人間だったわ。」
僕の追求にマリエルさんはこともなげに答えた。
「どうして教えてくれなかったんですか!?」
「聞かれなかったもの。」
そんなぁ……。
「そもそも、こんな姿で“私は人間です”なんて言っても信じられないでしょう?」
「それは、そうですけど……。」
マリエルさんの言葉にぐぅの音も出ない。
そっかぁ……。マリエルさん、人間だったんだ……。
「ん?」
マリエルさんは元人間だった。しかもあの張り紙の通りなら妙齢の女性ということになる。
「あ、あのぉ……マリエルさんって何歳なんですか?」
「あら、レディに年齢をたずねるなんて失礼ね。……まぁいいわ。19よ。もっとも、人間だった時の話だけれど。」
……僕より一つ年上だった。
えっ、じゃあ何?僕は一つとはいえ年上のお姉さんの体をベタベタ触ったり口の中に手を突っ込んだってこと?
思わず右腕を見る。
「なにか変なこと考えていないかしら?」
「……いっそ殺してください!」
僕はなんてことを!あんな、あんな…………!
「言っておくけれど、恥ずかしかったのは私の方なのよ?」
「本っ当にごめんなさい!」
……いや、やめよう。このままじゃ話が進まないし。
そもそもマリエルさんは最初に伯爵の娘だと名乗っていた。
僕がもっと村の外の事情に明るければ自己紹介の時点で気付いていたかもしれない。
「それで、どうしてドラゴンに?」
人間がドラゴンになるなんて聞いたことがないけど、僕が知らないだけかもしれないし。
「……わからないわ。気が付いたら鱗ができて、それが少しずつ体に広がっていって……。しまいには、あっという間にこの姿になった。」
「……なるほど。」
病気とか?それともなにかの呪い?
「……言っておくけれど、原因の究明なんてしないことよ。これはたぶん、人がどうこうできる問題ではないわ。」
「でも……。」
「元に戻ろうなんて、もう考えていないの。」
マリエルさんはそんなことを言う。
ドラゴンの顔からはなんの表情も読み取れない。
「でも、家族の方がきっと待って……。」
「それはないわ。あなたの言う捜索願も世間体を考えてのものよ。……目の前でドラゴンになったんだもの。人間の姿の私を捜すわけないでしょう?」
僕はマリエルさんの家族について何も知らない。
——いや、マリエルさんの事だって何も知らないんだ……。
「マリエルさんって、どんな暮らしをしてたんですか?」
「……どうして急にそんなことを聞くのかしら?」
マリエルさんが首を傾げた。
言われてみれば、こういった仕草はとても人間らしい。
「いや、今さらだけど僕、マリエルさんのこと何も知らないなって。だから教えてください、マリエルさんのこと。」
「あなたって本当に……まぁいいわ。」
マリエルさんは何か言いたげだったけど言葉を切った。
「私はセントウル家の二番目の子どもとして生まれたの。上には兄がいて、とても優秀な方だったわ。私もお兄様に負けないよう御家のために勉強してきた。」
マリエルさんが空を見上げる。
「王都の学校に入ってからはずっと魔術の練習をしてきた。私、人より魔力の量が多かったから魔術戦なら負けなしだったの。光属性の魔術が得意だったから、『光芒の魔術師』なんて呼ばれていたわ。」
昔を懐かしむように、その声は優しい。
「学校を出てからは婚約者もできた。」
「婚約者ぁ!?」
驚いて思わず声を上げてしまったけど、マリエルさんは貴族だった。
そりゃ婚約者くらいいるか。
……なんかモヤモヤするな。
「結婚の前にこんな姿になっちゃったから破談になったけれど、ね。……何?その顔は。」
「いえ、なんでもないです。……その、婚約者さんとは仲が良かったんですか?」
「良くも悪くもなかったわ。あっちも政略結婚だということは承知の上だったし、なにより10も年上の方だったから、お互いに手探りで親交を深めている最中だったの。」
貴族って大変なんだなぁ。
僕の両親は喧嘩もよくしているけど、かなり仲が良い方だ。
こういうことを言うのはちょっと恥ずかしいけど、愛し合ってるって感じ。
そういう意味では、僕は家族に恵まれてるんだと思う。
「マリエルさんは、それでも結婚するつもりだったんですか?」
「えぇ、そうすればセントウル家に他貴族への伝手ができるから。」
「……好きでもない人と結婚するなんて、幸せだとは思えません。」
血のつながっていない人間が一つ屋根の下で暮らすためには、一種の愛情のようなものが必要だと思う。
政の一環で結婚なんて、それで幸せになれるとは思えない。
「それは庶民の考えよ。人の上に立つ以上、貴族には感情で動くことが許されない時もあるの。」
「でも……。」
僕が食い下がると、マリエルさんは溜息をついた。
「……だから話したくなかったのよ。貴族の血筋はその家の人間だけのものではないし、あなたが納得できるかなんて関係ないわ。もっとも——。」
黄金色の瞳が僕を見る。
「今の私にも、関係ない話だけれどね。」
なんとなくだけど、マリエルさんが笑ってるように見えて、僕はそれに安堵を覚えるのだった。
マリエルさんが人間だったと判明してしばらく経ち、僕はいつものように大きなお弁当を抱えて森に来ていた。
今日はあいにくの曇りで、生ぬるい風が吹きつけてくる。
「マリエルさーん。ごはん持ってきましたよー。」
…………。
おかしいな。いつもならすぐに姿を見せてくれるのに。
いつもの場所はだだっ広い広場のままで全く変化が現れない。
「マリエルさーん。いないんですかー?」
もう一度呼びかけてみるが、やっぱりマリエルさんは出てこない。
どこかに出かけてるのかな。
……それとも、また僕をからかおうとしてる?
いつもマリエルさんが座っているあたりに向かって手を伸ばしてみた。
すると、あの時と同じように何もないはずの空間に感触がある。
「なんだ、いるんじゃないで——!」
ズシンッ!
言葉は最後まで出なかった。
大きくて重い何かに押しつぶされたからだ。
「がっ!はぁっ、くっ!マ、マリエルさん……!?」
倒れた僕の体から木が生えるみたいに、白銀色の腕が伸びていく。
それが体、首、そして頭と続いていき、僕を見下ろすマリエルさんが現れる。
その瞳にはいつもの理性的な光は無く、獣のようにこちらを見つめていた。
「マ、マリエルさ——ぐあぁぁぁああ!」
呼びかけようとしたらさらに重さが加わり、全身が悲鳴を上げ始める。
と、マリエルさんが口を開いた。
真っ白くて大きな牙がゆっくりと近づいてくる。
まずい、食べられる!
マリエルさんを正気に戻さないと。
もがいてみるけど、大きな手で押さえられているせいで声を出すために息を吸うこともままならない。
どうする!どうする!なんとかして呼吸するための余裕を作らないと!
考えろ!何かあるはずだ!………………そうだ!
「肉体、強化!」
頭の中で決められた魔術式を編む。
そこに魔力を流し込むと、体が少し楽になった。
そんなことをしているうちに、マリエルさんの牙はもうすぐそこまで迫っている。
「マリエルさんっ!」
「!」
僕の声にマリエルさんはびくりと体を震わせ、動きを止めた。
た、助かった~。
「わ、たし…………えっ!?」
マリエルさんは手の下の僕に気付くと慌てたように身をひるがえした。
「私……どうして…………お腹が空いていて……でも、こんなことするつもりじゃ………………。」
そのままぶつぶつとつぶやきながら震え始める。
「マリエルさん……。」
「違うのっ!……いえ、そうじゃないわ。ごめんなさい、私、こんな……。」
僕が声をかけると、マリエルさんは謝ってくれた。
でも、尋常じゃないくらい動揺しているみたいで怯えるように僕を見ている。
「大丈夫ですか?どこか痛むとか……?」
「痛かったのはあなたの方でしょう!?なんで私の心配なんてするのよ!?」
いや、だって——。
「マリエルさん、震えてるじゃないですか。」
「っ!」
マリエルさんの体は震えたままだ。
——僕はそれを、なんとかして止めてあげたい。
「僕は大丈夫ですよ。こうして生きてますから。だから、心配しないでください。」
「…………ごめんなさい……ごめんなさい……!」
涙は流れていないけど、きっとマリエルさんは泣いてる。
「……マリエルさん、女王陛下に相談してみませんか?」
『人間の国』の王は血筋に関係なくア=ウ=ロラ様に選ばれたものがその役目を担う。
そして選ばれたときにア=ウ=ロラ様から力と知恵を授かるらしい。
もしかしたら、女王陛下ならマリエルさんを人間に戻す方法を知っているかもしれない。
「……無理よ。こんな姿じゃ王都に行くことなんてできないわ。騎士たちに剣を向けられて終わりよ。」
「じゃあ、僕が行って——。」
「同じことよ。きっと相手にされないわ。そのまま退治されないにしても、この国を追い出されることになるだけ……。」
「そんなの、わからないじゃないですか……。」
マリエルさん、弱ってるな……。
ゆっくりと近づいて、マリエルさんの顔に触れた。
暖かくも冷たくもない、鱗に覆われた肌を優しく撫でる。
「………………今日は、もう帰りなさい。」
しばらく撫でているとマリエルさんが言った。
「それで、もう二度とここには来ないで。」
「いや、でも——。」
こんな状態のマリエルさんを一人にするなんて……。
「お願い。これ以上、あなたを傷つけたくないの……。」
理性の光が宿った黄金色の瞳が、今までで一番近くにある。
それは悲し気な色で僕を見つめていた。
「…………明日、また来ます。」
その瞳に押されるように、僕は森の出口に向かうのだった。
森を出て村を囲う大きな木の柵が見えた時、僕はようやく先ほどの恐怖を思い出した。
一歩間違えたら死んでたんだよな、僕……。
今になって手が震えてきた。
あの時、マリエルさんが呟いていたことを思い出す。
『お腹が空いていて……。』
どうして気付かなかったんだ……!
僕がお弁当を作ったってせいぜい一日に一回だけ。
ドラゴンの体が、たった一食だけで満足できるわけないじゃないか!
失意の中で村に戻る。
すると、僕を見た村の老人たちに村長の家に行けと言われた。
なんだろう?僕、何か悪いことしたかな?
痛む体に鞭打って村長の家に向かうと、銀色の鎧に青いマントを羽織った人たちがいる。騎士様だ。
あぁ、嫌な予感がしてきた。
「——もし、あなたがこの村で一番森に出入りしているというジークさんでしょうか?」
話しかけようか迷っていると、女性の声に話しかけられる。
「えっ、は、はい。」
それに思わず返事すると、騎士様たちの奥から細身の黒い鎧が現れた。
く、黒騎士様!?女王陛下から直接命令を受けて動くこの国最強の騎士様だ!
噂ではワイバーンの群れを一人で退けたとか、王都での反乱を一人で鎮圧したとか言われてるすごい人。
そんな人がこんな片田舎に来るとしたら——。
「実は数日前、このあたりを担当している警邏の者からドラゴンを見たという報告がありまして。何かそれらしいものを見ていませんか?」
やっぱり……!
「……いえ、僕は何も。」
「そうですか。これから調査に入りますから、申し訳ありませんがしばらく森には入らないでください。」
「わかりました……。」
どうしよう。このままじゃマリエルさんが……!
「あ、あのっ!」
去って行く背中を思わず呼び止める。
「その、もしドラゴンがいたら……どうするんですか?」
兜で隠れた黒騎士様の顔は見えない。
でも、僕の様子を訝しげに観察しているようだ。
「…………なんとか国の外に追い出せないかやってみるつもりです。それが叶わないなら……女王陛下と偉大なるア=ウ=ロラ様の使徒として外敵とみなし排除します。」
人間にとってドラゴンはちょっと特別な存在だ。
でもそんなものはア=ウ=ロラ様と、その代弁者である女王陛下の前には取るに足らないもの。
ア=ウ=ロラ様が寵愛を与えてくださった人間を守るために戦っているんだから、騎士様たちは人間に危害を及ぼす可能性のある存在を看過しない。
なんとかして、マリエルさんを守らないと……!




