前編:僕が出会ったのは……。
「こ、こんにちは……。」
あぁ、僕はここで死ぬのかもしれない。
『人間の国』の片隅にあるここ——コノハナ村の付近でモンスターが出てくることなんて滅多にない。
出てきたとしてもせいぜいウルフやコボルト程度で、まさかこんな——ドラゴンが出てきたことなんて今まで一度もなかった。
そういえば、最近はそれらのモンスターたちも森で見かけなくなったっけ。
こんなものがいるなら当たり前か。
白く輝くドラゴンは木々の生い茂る森の中に翼をたたみ、細長い体を伏せて黄金色の瞳でこちらを見つめている。綺麗な瞳だなぁ……。
……っていうかなんで気付かなかったんだ僕。たしかに森は薄暗いけど、こんな巨体に気付かないなんておかしいだろ。
僕が現実逃避している間も、ドラゴンはこっちを見つめたまま動かない。
「えっと、僕……おいしくないですよ?」
なんとかここから逃げ出す方法は無いものかと考えながら、とりあえず言うだけ言ってみる。
どうかお助けください、偉大なるア=ウ=ロラ様。
なんて、ドラゴンに言葉が通じるとは思えないけど——。
「……失礼ね。人間を食べるなんて、そんな野蛮なことはしないわ。」
「えっ……?」
ドラゴンが口を開けると同時に、若い女性の声が聞こえた。
「でも、お腹が空いているのは事実よ。あなた、何か食べるものを持っていないかしら?」
これが、僕と彼女の出会いだった。
「はじめまして。私はセントウル伯爵家長女、マリエル・ミラ・セントウルと申します。」
「あっ、僕はコノハナ村のジークって言います。」
僕の昼食を平らげたドラゴン——セントウルさんが自己紹介してくれたので僕も返す。
ドラゴンにも貴族階級とかあるんだ……。
「あなたはどうしてこの森に?」
「僕、木こりなんです。」
村の近くにあるこの森はほとんど人の手が入っていない未開の地だ。
僕たちはここから木を取って来て加工し、国や行商人に売ることで生計を立てている。
「一人で来るのは危ないのではなくて?」
「そうですね、だからここに来ることを許されているのは肉体強化魔術が扱える人だけです。」
とはいえ、今コノハナ村で肉体強化魔術を扱える若者は僕だけだ。
あとは年寄りばかりで、木こりの仕事はほとんど僕一人に押し付けられている。
「セントウルさんはどうしてこの森に?」
「マリエルで構わないわ。……私はいろいろあって、この森に逃げてきたの。」
マリエルさんはどこか悲しそうに呟いた。
「でも、この森には食べるものが無くて……。お腹が空いて動けなくなっていたところにあなたが現れたのよ。」
「そうですか……。」
マリエルさんはそう言うけれど、森には虫なり獣なりのモンスターがたくさんいると思う。
そういうのを食べればいいんじゃ?
「イヤよ、そんな野蛮なこと。私はきちんとした料理を食べたいの。レディに向かってそんなものを食べろなんて失礼よ。」
「ご、ごめんなさい。」
……ドラゴンには初めて会うけれど、なんというか上品だなぁ。
僕たち人間にとってドラゴンはちょっと特別な存在だ。
なにせこの世界で人間が生きていけるのは、僕たちの遠いご先祖様が精霊龍ア=ウ=ロラ様の加護を受けたから……らしい。僕みたいな田舎の村の子どもでも知ってるおとぎ話だ。
ドラゴンと龍は厳密には違う存在らしいんだけど、おとぎ話の龍はドラゴンに似た姿をしていることからドラゴンにも畏怖と尊敬の念を向けているというわけ。
——おとぎ話のア=ウ=ロラ様は美しい白銀色だったって言うけど、マリエルさんみたいな感じだったのかな?
「…………本当に綺麗だ……。」
「…………そう、かしら?」
げっ、口に出してたっぽい!
「す、すみません!僕ドラゴンを見るの初めてで、キラキラ光る鱗とか金色の瞳がすごく綺麗だなぁとか、もしかしたらおとぎ話のア=ウ=ロラ様もこんな姿だったのかなってそんなこと考えちゃって!」
「………………………………そう。」
なんだか気恥ずかしくて変なこと口走っちゃった気がする。
マリエルさんも顔を逸らしちゃったし、怒らせちゃってたらどうしよう……。
遠くで長いしっぽがゆらゆら揺れているのが見えた。
あれで叩かれたら痛いじゃすまないだろうなぁ……。
「……それより、あなたのご飯おいしかったわ。ごちそうさま。誰が作ったものなのかしら?」
マリエルさんが話を振ってくる。
怒ってないっぽい?良かったぁ……。
「僕ですよ。両親は弟たちの世話で忙しいので、自分のことはできるだけ自分でするようにしているんです。」
「ふぅん……。」
マリエルさんはそう呟くと長い首をもたげて僕を見下ろした。
木々の間を吹き抜ける風が白いたてがみを揺らす。
「……よければ、また作ってきましょうか?」
「……いいのかしら?」
「かまいませんよ。一人分作るのも、二人分?作るのも同じですから。」
ドラゴンと話す機会なんて滅多にないだろうし、その生態には興味がある。
「……では、お願いするわ。」
マリエルさんがうなずいた。
——明日からは刺激的な毎日になるかも。
次の日、僕はマリエルさんのための大きな弁当を抱えて森に来た。
まぁ、弁当と言ってもパンに適当な具をはさんだだけなんだけど。
母さん怪しんでたなぁ……。誤魔化すのが大変だった。
「マリエルさーん!お弁当持ってきましたよー!」
昨日マリエルさんに会った場所で声を上げてみるが、マリエルさんは現れない。
どこかに行っちゃったのかな?
「マリエルさ——あでっ!」
そのまま歩いていると、突如何かにぶつかった。
痛みに悶えながら顔を上げるが、目の前には何もない。
「えっ、何?」
前に手を伸ばしてみると何もないはずの空間で何かに触れた。
透明な壁はザラザラとしていて、まっすぐではなく丸みを帯びている。
「ん~?」
「………………ちょっと。」
壁の形を確かめていると、上空から声がかけられる。
「レディの体をベタベタ触るなんて失礼よ。」
そんな声と共に、目の前に美しい白銀色が現れた。
どうやら僕はマリエルさんの腕を撫でまわしていたらしい。
「マ、マリエルさん!?どこから……?」
「ずっと目の前にいたわ。少しからかおうと思っていたらあなた、あまりにもベタベタ触るんだもの。破廉恥ね。」
「ご、ごめんなさいっ!マリエルさんだと気付かなくて!」
思わず頭を下げる。
——あれ?これ僕が悪いのか?マリエルさんが透明になれるなんて聞いてないんだけど。
でもなるほど。昨日の初対面の時に僕がマリエルさんに気付かなかったのはこういうことだったのか。
「冗談よ。それより、まさか本当に来るとは思わなかったわ。」
「……約束しましたから。じゃあ口を開けてください。」
からかわれたことには納得いかないけど、持ってきたパンを差し出す。
「……どうして?」
「昨日のお弁当、食べづらそうにしていたじゃないですか。これなら食べやすいかなって。」
「………………。」
マリエルさんはじっとこちらを見つめたまま動かない。
……僕、何かマズいこと言ったかな?
「……いえ、そうね。ありがとう、いただくわ。」
やがて、マリエルさんが口を開けて顔を近づけてくる。
大きな牙が並んだ口内が見えた。
……なんだろう。なんというかちょっと煽情的だ。
——いや、やっぱり怖い!僕食べられないよね!?
「はむっ。」
「うひぃ!」
マリエルさんが僕の腕を丸ごと咥えた。
痛くは無いけど生暖かくてぬるぬるする。
パンを離して腕を引き抜くと、僕の右腕はマリエルさんの唾液でベトベトだった。
「……あまり観察しないでくれる?」
ぬらぬらと唾液の滴る腕をしばらく眺めていると、咀嚼を終えたマリエルさんが声をかけてくる。
「あー……とりあえず洗ってきます。」
僕は川へと向かった。
「それにしてもマリエルさん、透明になれるなんて驚きましたよ。」
斧を大木に打ち付けながら先ほどのことを思い出す。
「もしかして、魔法ですか?」
人間が扱う魔術は、他種族が使う魔法を模倣したものだと言われている。
二つの違いは僕にはわからないけど、魔法ってあんな感じなのかな?
「…………まぁ、そんな感じよ。」
マリエルさんは明らかに言葉を濁した。
……これは深入りしない方がいい話題みたいだ。
「それより、そんな大きな木を切るの?」
体を横たえたマリエルさんがあからさまに話題を変える。
まぁ、聞かれたくない事なら無理に聞かなくてもいいか。
「そうですよ。これを小さく切って村に持って帰るんです。」
「……切り倒すのはどの木でもいいのかしら?」
「いえ、地面や小さな若木に日が当たるのを遮っている木を選んで切っていきます。なんでもかんでも切っていくと森を壊してしまいますから。」
人間だって自然の一部だ。森から木材をもらう以上、僕たちは森を守っていかなくちゃいけない。
「例えば、この木はどうかしら?」
マリエルさんが近くの大木を尻尾で軽く叩いた。
「うーん……はい、その木は切った方がいいですね。」
「そう。」
僕の言葉にうなずいたマリエルさんがその木に尻尾を巻き付けると、大木はミシミシと悲鳴を上げ始める。
バキィッ!
大木がひと際大きな音を立てて折れると、マリエルさんは尻尾をこちらに向けた。
「これでいいかしら?」
「は、はい……。」
えぇ、怖……。
——いや待て、マリエルさんが手伝ってくれるなら仕事がかなり捗るじゃないか!
「マリエルさん、こっちもお願いできますか?」
「えぇ。」
この日、僕はいつもの半分以下の疲労感にルンルンで帰った。
ある日の事、コノハナ村にキャラバンが来ていた。
周囲に大きな町の無いコノハナ村にとって、よその町の食料品や装飾品を買えるキャラバンは非常にありがたい。
村で加工した木材も買い取ってくれるしね。
干し肉や果物を買ってほくほくで帰ろうとした時、屋台の前に立てられた掲示板が見えて立ち止まった。
あちこちの町や村を渡り歩くキャラバン隊は、王都や彼らが滞在した地の情報を書いて張り出すことで、情報交換の役目を担っている。
なんとなく記事に目を通していると、一枚の紙が目に留まった。
「これって……!」
それは捜索願だった。
いつから貼られていたのか紙は劣化してすっかり色あせ、触れれば破れてしまいそうなほどだ。
微かではあるが美しい女性の似顔絵と共に女性に関する情報がかろうじて読み取れる。
僕が驚いたのはその女性が見知った名前だったからだ。
——マリエル・ミラ・セントウル。
マリエルさんは、人間だった……?




